第千七百三話 人ならぬ、神ならざるもの(三)
「俺は、こう見えてもあんたを尊敬しかけていたんだぜ」
セツナは、通り抜けざま、さらに二度三度と斬りつけ、とどめに破壊光線を叩き込んでから、爆発に押し出されるようにしてマルカールから離れた。爆発の光と熱を浴びて噴き出した汗のせいで、夜の風が否応なく冷たく感じる。
「目的さえなければここに残ってもいいと想うくらいにはさ」
「ならば、その目的を捨て、わたしの元に来ればいい。いまからでも遅くはないだろう。わたしとともにサンストレアの、ベノア島の安寧を護る守護者となればよいではないか」
「無理だな」
爆発光が収まると、ぼろぼろになったマルカールの姿があった。右腕を切り飛ばされた上、複数箇所を傷つけられ、腹部に大穴が開くほどの爆撃を受けたのだ。瀕死といってもいいはずだった。だが、彼の目はまだ生気を失ってはいなかったし、見る見るうちに失われた部位は再生していった。さっきと同じだ。白化した肉が体を再生させ、綺麗さっぱり元通りになってしまう。どれだけ攻撃を叩き込んでも同じなのだろう。
神人を撃破する方法はひとつしかない。
白化した部位に隠された核を破壊すること。ただそれだけが神人を斃す手段であり、それ以外に神人化した存在を撃破する方法はない――と、セツナはシルヴィールから聞いた。セツナが神人化したケビン=アークスを斃すことができたのは、偶然にも核を破壊できたからに他ならないということだ。
「あんたは、俺から黒き矛を奪うためなら街に犠牲が出ても構わなくなってしまった。なりふり構わなくなってしまった。そこに俺の尊敬しかけた市長の姿はねえよ」
矛を向け、破壊光線を発射する。
「いやそもそも、神人であるあんたに付き従うなんざ、ありえないね」
「神人?」
光の帯は、またしても肉の膜で妨げられた。分厚い肉の翼が光線を遮断し、爆発が起こる。爆煙を引き裂いて、肥大した五本の指がセツナに向かって殺到してくる。上下左右、様々な方向から虚空を抉るように迫りくる指をセツナは黒き矛で次々と打ち払い、切り落とし、弾き飛ばした。指が一本、頭上で止まった。指先が光を発した。光は収束し、光線となって降り注ぐ。飛び退くのではなく、光線をかわしながら接近し、指を切り飛ばす。それで終わらない。すべての指は、切断面から瞬時に再生すると、同時に多方向から光線を発射してきたのだ。
「違うな。わたしは、神だ」
五方向から同時光線攻撃には、セツナはメイルオブドーターを駆使した。力を最大限に引き出し、蝶の翅で全身を包み込む。翅は一瞬にして硬質化し、外圧を遮断する盾となる。熱光線が蝶の翅の五ヶ所に突き刺さり、小さな爆発が起きたものの、セツナは一切痛みを感じなかった。翅の防壁を解き、翔ぶ。
「それこそ勘違いだろ」
またしても五方向から放たれた光線を今度は高速飛行で回避しながら、マルカールとの距離を詰めていく。その間、つぎつぎと放たれる光線を回避しつ続けなければならなかったが、なんの問題もない。ただ、かわした光線の内、頭上から発射される光線は、目標を見失うと地上に降り注ぎ、サンストレアの市街地に着弾して爆発を起こし、そのことがセツナには気にかかった。
「あんたがどうやって白化症とやらを乗り越えたのかはしらねえが、あんたのそれは、同じなんだよ。ケビン=アークスと、なにも変わらない」
「違う」
「同じだよ」
「違うのだよ」
マルカールは、肥大した肉の翼を巨大な腕のように変形させると、瞬時に後退することでセツナとの距離を取りながら、殴りかかってきた。多方向からの光線が止んだ瞬間、爆風の如き速度で迫ってくる巨拳に破壊光線を叩き込むと同時に急上昇して、右拳の追撃をすんでのところで回避する。さすがに神人をたったひとりで撃破するといわれるだけはあった。マルカールの速度は、常人のそれではない。常人どころか、武装召喚師でも彼ほどの戦闘速度を出せるものは中々いないだろう。そんな速度も、セツナには届かない。
巨大な腕の上を駆け抜けるようにしてマルカールに接近する。マルカールが指を収縮させた。双眸が強く輝いている。彼は、こちらを見て、笑っていた。
「どうしても信じないというのであれば、その証拠を見せてあげよう」
マルカールの光背が、強烈な光を放った。
(目眩ましか?)
セツナは咄嗟に目を閉じるとともに、翅の力出上方に飛翔した。視界を奪ったつぎの瞬間に攻撃が来た場合の対処は、逃げの一手だ。他の感覚を頼りに反撃する手もあるが、そのような賭けに出るべき相手ではなかった。攻撃は来ない。セツナが回避行動に徹したからマルカールが諦めたわけではないことは、セツナの聴覚が音を拾ったことで明らかとなった。
化け物染みた咆哮が多数、サンストレア南西部で発生している。
(なんだ?)
目を開き、そちらを見やる。メイルオブドーターとカオスブリンガーによって強化された視覚は、サンストレア市内の混乱と南西部に起きた異変を捉えている。南西部のそれは、セツナとマルカールの激突によって起こった混乱とは異なる騒動だ。怪物染みた雄叫びとともに家屋が爆砕し、白く巨大な腕が天に向かって伸びるのが見えた。それもひとつではない。二本、三本と巨大な腕が出現すると、奇妙に肥大した人間の半身が確認できる。白化した半身を持つ人間――神人たち。
セツナは、無意識のうちに熱光線をかわしながら、マルカールを睨んだ。
「なにをしたんだ! マルカール!」
「起こしてあげたのだよ」
マルカールは、腕を組み、悠然とこちらを見ていた。背中から生えた二本の巨大な腕と光背が絶え間なく攻撃を繰り出すことで、セツナの接近を阻んでおり、優位に立っていると認識しているようだった。光背の中心の空隙から放たれる熱光線と、肉の翼が変化した腕による連続攻撃だ。セツナはそれらをかわし、あるいは叩き潰しながら、少しずつでもマルカールに近づこうとしていたが、接近するたびに後退されては意味がない。消耗するだけだ。
「眠れる神人たちをな」
「なんだと!?」
愕然とするセツナに向かって、マルカールは、傲然と告げてくるのだ。
「これがわたしが神である証明。神人の上に立ち、神人を支配し、神人を使役する。それがわたしの力。それが、わたしこそがこの絶望的な世界における救いである証なのだ!」
マルカールの全身がさらに異形化する。質量保存の法則などあったものではない。体内から溢れ出た白い器官がマルカールの鎧にさらなる装飾を施し、腕や翼を形成していく。その荘厳とでもいうような姿は、セツナには神々しいものには見えなかった。どれだけきらびやかに装おうとも、マルカールがただの狂人であることに変わりはない。
「なにをやってんだ、あんたは!」
セツナは、こみ上げてくる怒りのままに叫び、矛先をマルカールに向けた。力を解き放つ。漆黒の穂先が白く膨張したかに見えたつぎの瞬間、閃光が迸った。光の奔流は、極大の光芒となってマルカールに殺到し、そのごてごてに飾り付けられた体に直撃した。大爆発が起き、閃光が視界を灼いた。轟音が大気を震撼させ、熱風が吹き抜ける。
(まだだ)
セツナは、爆煙の中から伸びてきた巨拳に矛の柄頭を叩きつけると、反動で上昇しながら、矛の切っ先を生体反応へと向けた。破壊光線を連射し、マルカールに追撃を叩き込む。つぎつぎと起こる爆発が夜空を白く染め上げる中、セツナの耳朶には彼方よりの声が届いていた。
悲鳴だ。
何人もの神人たちが咆哮を発しながら行動を始め、破壊を撒き散らしているのだ。負傷者が多数出ているのは、悲鳴の深刻さからもわかる。死者も出たかもしれない。泣き叫ぶ子供がいた。大人たちも、なにが起こっているのかわからないというように絶叫していた。断末魔。地獄のような光景だと嘆き、現実から目を背けるものがいた。
「わたしは神なのだよ、セツナ殿」
破壊光線の雨の中、マルカールはまったく動じることもなく言い放ってくる。
「だが、だれも理解できない。理解しようとしない。無知蒙昧で脆くか弱い人間たちの目を啓くためには、時としてわかりやすい演出が必要なのだ」
「まさか……!」
セツナは、マルカールの巨腕が生み出す衝撃波に翻弄されながら、愕然とした。
そして、自分の愚かさを思い知った。