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第十六話 可哀想なベアトリーチェ

「陛下……ひとつお伺いしたいことがあるのですが」

 ファリア=ベルファリアが、おずおずと口を開いたのは、彼女が驚愕のあまり硬直してからどれくらい経ってからだったのだろう。

 少なくとも一分以上は経過していたように思うのだが、いかんせん、セツナ自身もまた多少の驚きをもって現状に対応しなければならなかったのだ。経過時間を計っているほどの精神的余裕もなければ、元より、そんなくだらないことに力を注ぐ趣味もなかった。

 セツナが驚いたのは、レオンガンド・レイ=ガンディアが口にしていた「ベル」という人物が、ファリアだったという事実に、である。つまり、彼が目を通したという報告書は、ファリアがセツナに行った事情聴取を基に作成されたものであり、それがどういった経緯を辿ったのか、国王の目に触れたということに違いない。

 彼女の所属する大陸召喚師協会なる組織が、ガンディアとどのような関係を構築しているかなど、部外者――それも異世界のただの学生――に過ぎないセツナにわかるはずもないのだが、どうやらただならぬ間柄にあるのだろうということは想像に難くなかった。

 もちろん、セツナの考えが見当外れという可能性も大いにあるのだが。

「なにかな?」

 対するレオンガンドは悠然としたものであり、気品に満ちた微笑で、思考停止から復帰したばかりのファリアを見つめていた。

 そのまなざしは、赤の他人を見るようなものではなく、臣民に向けられる類のものとも違うようにセツナには感じられた。言うなれば、そう、愛しい妹にでも注ぐべきまなざしだった。

 しかし、どう見てもふたりは似ても似つかず、血縁関係がないのは明白だった。無論、レオンガンドがファリアのことを妹のように可愛がっているという可能性については否定し切れないし、セツナの目まぐるしく回転する頭は、その考えを支持していた。

「マルダールでの演習に参加されているはずの陛下が、どうしてこちらに?」

 徐々に冷静さを取り戻していくファリアの口から聞かされた情報は、セツナにとっては当然初耳のものだった。国王が参加するほどの演習が、マルダールで行われているということだが、それはいったいなにを示すのだろう。

 マルダールとは、セツナがファリアやエリナから聞いた話では、ガンディアにおいて王都ガンディオンに次ぐ規模の都市であり、この国の中で都市と呼べるのはガンディオンとマルダールだけ、というのがガンディア国民の共通認識だという。

 城塞都市とも言われているらしいのだが、それ以上の詳しい話は聞けず仕舞いだった。

 そもそも、マルダールが、ガンディオンが、といわれても、激痛と戦い続けなければならなかったセツナには、いまいちピンと来ない話だった。

 無論、この世界についてなにも知らないセツナにとっては、国や街の情報ほど重要なものもないのだが、それにしたって、そのころは筋肉痛との死闘こそがすべてだったのだ。仕方がないといえば仕方がないだろう。

「ガンディオンを発つ直前、カラン大火の報せを受けてね。居ても立ってもいられなくなったってわけさ」

 と、レオンガンド。悪びれる様子もなければ、まるで当然の対応であるかのような態度だった。

「そんな身勝手な!」

 ファリアの反応はもっともだろう。一国の主たるものが、綿密に取り決められた予定を個人的な感情で覆すことなど、あってはならないことだ。そんな簡単なものではないはずなのだ。

 国王とは、もはやひとりの人間などではない。一個の機関である――とは、だれの受け売りだったのか思い出すこともかなわず、セツナは、ふたりの顔を見比べていた。

「まあ、演習のほうはアレがうまくやってくれてるだろうから問題はないよ。兵たちの士気が下がることもないさ。でも、こっちはそうもいかないだろう?」

 青年王の横顔は美しく、いつ見ても絵になった。その立ち姿からして高貴さに満ちており、セツナは、いまさらのように緊張と興奮を覚える自分の鈍感さにあきれ返るほどだった。

 一方、ファリアの表情は、多少の憤りと困惑の間で揺れ動いているというようなものだった。レオンガンドの笑みの前に、彼女の激情が、脆くも消え去ろうとしている。

「しかし……!」

「一国王ともあろうものが、一時の感傷に任せて行動するのは如何なものなんだろうね。本当にそう思うよ。俺は、国王なんて柄じゃあないのさ」

 どこか他人事のようなレオンガンドの言い様に、ファリアが突如として半眼になった。その表情に、感情らしい感情は見受けられない。ひどく冷ややかな声音が、朝焼けの通りに響いた。

「それで……本当の目的は?」

 なぜかファリアのその言葉には、抜き身の短刀を喉元に突きつけたかのような迫力があった。傍で聞いているだけのセツナが背筋に悪寒を覚えるほどに。

 しかし、レオンガンドにとっては慣れたものなのかも知れない。彼は、涼しい顔で、ファリアの視線を受け流しているようだった。

「なんのことかな?」

「陛下がそのようなことだけで、大事な演習をすっぽかすはずがないでしょう?」

 カランの大火を「そのようなこと」の一言で済ませるのもどうかと思うのだが、この際は仕方のないことだろう。カランの被害の大小がどうこうの話ではないのだ。

「いやだなあ、俺をいったいどんな奴だと――」

「どこをどう見ても、陰険で腹黒で極悪で非道なお方じゃないですか」

 セツナは、今度こそ身震いしたのは、彼女のその凍てついた口調にではない。ファリアの紡いだ言葉の内容について、だ。およそ一般市民――大陸召喚師協会の地区担当官という肩書きにどれほどの権威があるかは知らないが、恐らく市民と同等だろう――が国王に向かって言っていいものではないだろう。限度というものを越えている。

「よくもまあ国王陛下相手にそんな暴言が吐けるもんだね。不敬罪にしても構わないんだけど……?」

 レオンガンドが、不敵に笑った。

 セツナは、無論、口を挟むことなどできるわけがなかった。ただ、蚊帳の外に置かれた状況のまま、推移を見守ることしかできない。

 もっとも、セツナの心配は、青年王の一言で霧散したが。

「――まあいい。でも、これだけは信じて欲しいんだけどね……カランに向かうことにしたのは、大火の報を受けたからだよ。武装召喚師の少年の話や、その少年の師がアズマリア=アルテマックスだと知ったのは、君の報告書に目を通してからだ」

 そして、その報告書を見たことで、目的が変わったのだろう。セツナは、ため息混じりにレオンガンドの横顔を見た。再び嘆息する。欠点ひとつ見出せない美しさというのは、時として、ひとの感情を逆撫でにするだけだ。

「!?」

 ファリアが愕然と目を丸くしたのは、本日二度目だった。ひとの驚きに満ちた表情というものは面白いものである。無防備極まりないその表情にこそ、当人の素顔というものが表れるのだ。

(多分ね)

 胸中つぶやきながら、セツナは、ファリアの驚いた表情の中に一輪の花のような可憐さを見出したのだった。それは質問の嵐を巻き起こした人物とも、鬼のような形相で迫ってきた人物とも思えないものであり、それが彼女の本質なのだとしたら、それはそれでありかもしれないとセツナはひとり納得した。

「そこまで驚くことかなあ」

「そりゃあ驚きますよ! わたしの報告書なんて、いったいどこで見られたんですか!?」

 ファリアの大声は、早朝の街に思った以上に大きく反響していたが、本人は気づいていないのかもしれない。レオンガンドに意識を集中しているからだろう。

 それは青年王とて同じだ。ファリアの反応に全神経を集中しているように感じられた。

 そんな次第、セツナは、孤独と戦わなければならなかった。いや、孤独など恐ろしくはない。ただ、いまの状況は、孤独というよりも存在を黙殺されているようなものであり、それがセツナにはたまらなく辛かった。

 とはいえ、自己主張するような場面でもない。むしろそれをすると、より悲惨な目に遭わないとも限らなかった。

「道中、伝書鳩が飛んでるのが見えたから――」

 あっけらかんとしたレオンガンドの台詞は、ファリアの悲鳴によって掻き消された。

「射落としたんですか!?」

 ファリアのその早とちりというにはあまりにもぶっ飛んだ発想には、さすがのレオンガンドも驚かざるを得なかったようだった。呆気に取られすぎて、まともに反応すらできないでいるのがセツナにもわかるくらいだった。

「なんてことを……!」

 一方、ファリアはファリアでなにやら盛り上がっている様子だったが。

「可愛そうなベアトリーチェ……!」

『いやいや……いやいやいや』

 セツナとレオンガンドが、まったく同じように頭を振ったのも無理からぬことだった。

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