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第千六百九十八話 神人災害

「そこで、セツナ殿にひとつお願いがあるのです」

 マルカールが話題を変えるようにして口を開いたのは、セツナが犯したふたつの罪(不法入国と殺人罪)を帳消しにするための手続きを取ると、彼が明言し、シルヴィールとの間に一悶着があってからのことだった。

 神人討伐の功績によって、セツナの罪を帳消しにしようという市長に対し、シルヴィールは、神人に対する殺人罪はともかく、不法入国に関しては断罪するべきであるという態度を崩さなかったのだ。職務に真面目で融通が利かないというところは美徳であるとともに、頭の硬さは欠点にもなりうるのだとセツナは改めて想ったものだ。そのシルヴィールは、マルカールに長々と説得され、ようやく折れたころには一時間ばかりが経過していた。

 めっきり冷めきったお茶を口にいれると、どろどろの甘さが口の中に広がった。ベノアガルドは、小国家群の中でも北方と呼ばれる地域に位置する。四季こそあるものの、冬は限りなく寒く、冬の間は国境が雪と氷で閉ざされるほどだという。そんな寒い国であるからか、とてつもなく甘いお茶が好まれているようだ。

「お願い……ですか?」

 セツナは、器を机に置いて、マルカールに視線を戻した。市長は、さっきからずっと笑みを絶やしていない。

「いまの時代、戦力があるに越したことはありません。なにせ、神人災害には、並の人間では足止めしかできませんからね。対処するには、わたしやあなたのような力がいる。セツナ殿の実力、昨日の神人討伐からも明らか。どうです? サンストレアに留まり、我らが市軍に入っていただけませんか?」

「それは……」

「なにもこの場で返事を頂こうなどとは想っておりませんよ。しばらくサンストレアに滞在し、考えてくださればいい。時間はたっぷりある」

「……そうさせて頂きます」

 とはいったものの、セツナは、マルカールの申し出を受けるつもりはなかった。サンストレアに留まり、市軍に参加するということは、ここで生き続けるということだ。いつ発生するかもわからない神人災害からサンストレアを護り、サンストレアで生涯を終える。そんな人生も、決して悪くはないだろう。そうは、思う。だが、それはセツナの目的ではない。

 セツナがこの世に還ってきたのは、この世界を呪う理不尽な存在を斃すためにほかならない。サンストレアに留まり続けている場合ではないのだ。

 セツナが即答を避けたのは、ここで即答すれば気分を害するかもしれないと想ったからだ。

 マルカール=タルバーは、善人だ。彼の気高さは、比類なきものであり、彼のサンストレアを愛する気持ちを踏みにじるようなことはしたくなかった。

 今夜、抜け出そう。

 セツナは、マルカールに見送られながら一軒家を後にするとき、心の中で、そう決めた。

 

 マルカール邸を辞したセツナは、シルヴィールに頼み、サンストレア市内の北東部住宅街を訪れた。

 シルヴィールは当初セツナが出歩くことに難色を示したが、マルカール市長によってセツナによる神人討伐が公表されることが決まっていたこともあり、渋々といった様子で案内してくれることとなった。融通のきかない頑固者だが、それが仕事だと割り切れれば全力で事に当たれるらしい。そういう生真面目なところにはむしろ好感が持てる。シルヴィールにとっては、セツナに好感を抱かれても嬉しくもなんともないだろうが。

 壊滅状態の住宅街を歩きながら、昨日神人によって破壊された家屋は、四十棟を越え、多数の被災者が出たという話をシルヴィールから聞いた。幸い、死者はでなかったものの、重軽傷者は多数出ており、あのままセツナが手を下さずにいれば、死者が出ていたとしてもおかしくはなかった。いや、確実に出ていただろう。たとえ市軍が現場に辿り着いたとしても、武装召喚師さえいない戦力ではいかんともしがたい。肉壁となって神人をその場に留めることくらいしかできなかったはずだ。

 それでもなにもしないよりは遥かに増しなのはいうまでもない。

「神人による災害がこのサンストレアを襲ったのは、これで四度目だ。そのたびに多数の死傷者が出ている。死者がでなかったのは、今回が初めてだ」

「死者はでただろ」

「……神人と化したもののことは考えなくていい。市長も仰られただろう。気に病むな、と。おまえがしたことは圧倒的に正しいことだ。あの場では殺人罪といったがな、わたしはおまえに心から感謝しているのだ」

 シルヴィールのまなざしに優しさの片鱗を見て、セツナは少しばかり驚いた。元々彼女が自分に対して同情的なのは知っていたし、印象が悪くなったのはセツナ=カミヤと名乗ったからだということも理解しているのだが。

「あなたがいなければ、彼はひとを傷つけるだけに飽き足らず、多数の市民を殺害していただろう。もしかすると、最愛の妻を手にかけていたかもしれない」

 神人と化したケビン=アークスの妻アンヌは、市軍よりも早く現場に到着していた。それはつまり、セツナがケビンを倒さなければ、彼女がケビンの攻撃範囲に飛び込んでいた可能性が高いということだ。神人となったものは、見境がなくなるという。ケビンは、アンヌを躊躇いなく殺したのだろうか。そのときになってみなければわからないことではあるが、彼の暴走ぶりを見る限り、そうなった可能性は極めて高いを考えざるを得ない。

「そうならなかっただけでも、救いがある」

 シルヴィールはそういったものの、セツナには、救いなんてあるようには思えなかった。

 白化症と神人化。

“大破壊”以降、生き残った人々を奈落の底に突き落とした病は、絶望としかいいようのないものだった。白化症は、一度発症すれば改善することもなければ、回復することもなく、治療法もない。いずれ体中が蝕まれ、神人化し、人間を襲うようになるという。それも、人間特有の病ではないというのだから愕然とする他なかった。動物の中にも白化症を患った個体が発見され、神人化と同じように凶暴化し、破壊活動を行う個体が確認されたというのだ。その個体は、サンストレアに発生した神人同様、市長マルカールによって処理されたという話であり、それ以降、白化症を発症した動物は、発見次第殺処分されるようになったという話だった。

 人間とは違い、動物に対してはそのような手段に出ることができるのが、人間の人間たる所以なのかもしれない。

「セツナ殿。先程までの非礼、お詫びいたします。どうか、お許し願いたい」

「急にどうしたんだ? 俺は、別に気にしてないぞ。っていうか、不法入国者だったんだから、きつく当たられても仕方がなかった」

「いえ、神人を討伐するほどの力を持ったあなたは、ご自身が名乗られた通りセツナ=カミヤである可能性こそ極めて高いというのに、その事実を端から否定し、暴言を吐いてきたこと、謝罪させていただかねば、納得ができません」

「……あんたが納得したいようにすればいいさ」

 シルヴィールの頭の硬さには辟易しながらも、その融通の効かなさこそが彼女の魅力のひとつなのではないかと想い、セツナはひらひらと手を振った。シルヴィールのことは、初対面のときから悪印象ではなかった。元騎士というだけあって法理に従うことに魂を燃やしている堅物であり、そういう硬さは、愛嬌にもなりうる。

 なにより、彼女はセツナに対して同情してさえくれていたのだ。

 セツナは、そんな彼女に対して、邪険にはできなかった。


 その夜、セツナは市軍本拠地で一夜を過ごすこととなった。

 最初、施設内に戻ってきたときは、牢屋に逆戻りかと焦ったのだが、態度を改めたシルヴィールがそのようなことをするわけもなく、本部施設の一室を宛てがってくれた。要人のための一室は、防衛面からいってもセツナにはもったいなさすぎるくらいの部屋であり、高級そうな調度品の数々や立派な寝台を見て、自分の扱いの変わりように驚いたものだった。

『あなたに罪はなく、それどころかサンストレアを神人災害から救ってくださった恩人なのだ。本来ならば、昨日のうちからこのような扱いをしておくべきだったのだが、アンネの手前、そういうわけにもいかなかったのです。許してくださると、ありがたい』

 などと、シルヴィールはいってきたが、セツナが許さないはずもなかった。シルヴィールの言いたいことはわかったし、なにより、あのとき、セツナは罪を問われたい気分だった。神人災害を防いだとはいえ、人殺しをしたという事実に代わりはないのだ。最愛の人を殺されたアンヌの悲痛な叫びが、いまも耳に残っている。

 人殺し。

 セツナは、ひとりきりになった後、寝台に腰を下ろして、虚空を見ていた。

(人殺しか)

 手を見下ろす。

 傷だらけの手のひらは、これまで幾多の戦いを乗り越えてきたことの証明だろう。それこそ、数え切れない戦いを行い、生き抜いてきた。それはつまり、それだけ多くの敵を倒してきたということを示している。ただ倒すのではない。殺してきたのだ。セツナにとっての倒すとは、即ち、殺すであった。手加減などできなかった。

 手加減をして生かせば、禍根となりかねない。

 傷を負わせるだけではいけないのだ。セツナは、いい。その場を離れるのだから。だが、別の味方にとっては、厄介な敵になるかもしれない。ウェイン・ベルセイン=テウロスのようなことを二度と起こしてはならない。だから、セツナは、遭遇した敵はすべて殺してきた。男であろうと女であろうと関係がない。殺さなかったのは、殺す必要がなかったときだけだ。

(本当にそうか?)

 二年前の大戦における殺戮は、必要のあったものなのだろうか。

 ただ行き場のない怒りをぶつけていただけではないのだろうか。

 拳を握り、開く。

 生きていることを実感として、認識する。

 地獄へ落ち延びたことで、生を繋ぎ止めることができたのだ。

 二年前、おそらく聖皇復活に関する余波によって巻き起こされた未曾有の災害“大破壊”によって、この世界がばらばらになったという話を、セツナはシルヴィールから聞いた。サンストレアの被災地は、“大破壊”による爪痕であり、そういった爪痕はクリュースエンドやベノアにも見られるという。そもそも、この旧ベノアガルド領自体に深く刻まれているらしい。

 大地が引き裂かれ、海が大地を分かたったのだという。

 とても信じられないことだが、どうやら、セツナがいない間にイルス・ヴァレにはとんでもない異変が起きていたようだ。

 なにもかもが変わり果てた世界で、自分はなにをするべきなのか。

 セツナは、寝台に横になると、仮眠をするべく目を閉じた。

『征け、わたしの勇者よ』

 眠りにつく寸前、声が脳裏を過ぎった。

『今度こそ、世界を救うのだ』

 どうやって?

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