第千六百九十七話 会談
馬車を降りると、市軍兵士が守りを固める一軒家――市長の館の中へと、シルヴィールによって案内された。
その間、セツナは拘束されてすらいない。重罪人という認識に変わりはなかったはずだが、シルヴィールはセツナを一切警戒していないようだった。そのくせ、口を開けば偽物と罵り、正体を解き明かすことに執念を覗かせるのだから、よくわからない。彼女自身、よくわかっていないのではないか。などと想っても、決して口には出せなかった。そんなことをいえば、詰られることが増えるだけだ。なんとなく、シルヴィールという女性の性格がわかってきている。
玄関から館の中へと入ると、館内には衛兵が点在していた。いくら市長の願いといえど、さすがに警備を緩めることはできない、とシルヴィール。シルヴィールは、市民との間に壁を作りたくないという市長の考えは尊重したいが、市民の中には市長に対して良からぬ想いを抱いているものがいるのも事実であり、衛兵を外すことはできなかったようだ。市長の安全の確保を最優先にするべきであるというシルヴィールの考えは、市長のサンストレアへの貢献を認知していれば当然の判断だった。
もっとも、神人災害に対して市軍兵士は無力に等しいが――という彼女の言葉は、悲痛な嘆きであった。彼女は、市長の力になれないことをなにより悲しんでいた。それだけマルカール市長のことを尊敬しているのだ。
そのマルカール市長は、秘書官に案内された先の応接室で待っていた。
彼は、窓の側に立ち、外の様子を眺めていたらしいが、セツナたちが室内に入ると、すみやかにこちらに向き直った。
「おお、これはこれは、よくぞおいでくださった」
市長マルカール=タルバーは、喜悦満面といった様子で、セツナを迎え入れた。セツナは、市長の反応に怪訝な顔にならざるを得ない。市長は、まるでセツナのことを知っているかのような態度であり、このときを待ち望んでいたかのような反応だったのだ。シルヴィールが顔面を強張らせたのは、マルカールのセツナに向ける笑顔が気に食わなかったからに違いない。
「既に知ってのことと思われるが、わたしが、このサンストレア市長マルカール=タルバーです」
マルカール=タルバーは、元騎士団騎士というだけあって立派な体格をした人物だった。現役の騎士に比べても見劣りしないといってもいい。ただし、現役の騎士に比べるとどう見ても老齢であるのは否めず、彼が騎士団を離れ、市長をやっているのもうなずけた。金髪碧眼、白い肌は北方人の特徴そのものだ。年輪が顔や肌に出ているものの、声も表情も若々しい。なにより、鍛え抜かれた肉体は、おそらく同年代のほかの男性に比べてみれば明らかな違いを認識できるはずだ。
「ご丁寧にありがとうございます。わたしはセツナ=カミヤといいます」
「偽物ですが」
ちくりと、シルヴィールがいってくる。
すると、マルカールが目を光らせた。
「シルヴィール、君が知らないのも無理はないが、この御方こそ正真正銘ガンディアの英雄セツナ=カミヤ殿だ」
「は……?」
「わたしは一度、お目にかかったことがあるから知っている。セツナ殿と直接会いたいといったのはだ、本物か偽物か確認するためでもあったのだよ」
「そ、そうだったのですか……?」
「わたしと、会ったことがある?」
セツナは、マルカールの予期せぬ発言にどきりとした。セツナ自身、マルカールのことをまるっきり覚えていないからだ。どこかであったことがあるからといって覚えていないのは、致し方がない。セツナはこの世界に来てからというもの、数え切れないほどの人と会い、言葉を交わした。顔も名前も覚えていない人間のほうが多いだろう。
セツナの質問に対し、マルカールは笑顔を崩さなかった。
「セツナ殿にとっては印象に残ってなどいますまいが……まあ、その話をする前に、まずは座られてはいかがかな。立ったまま長話もなんでしょう」
そういって、彼は応接室内の長椅子を指し示した。
「あ、ええ、では、お言葉に甘えて」
セツナは、小奇麗な机を挟むように置かれた椅子のひとつに遠慮なく腰を下ろした。こういうとき、遠慮するほうが問題だろう。
マルカールは、手持ち無沙汰に突っ立ったままのシルヴィールにも声をかける。
「シルヴィール、君も腰掛け給え」
「は」
シルヴィールは、机の右側に置かれた椅子に腰を下ろした。それを見てから、マルカールがセツナの対面の席に腰を下ろす。すると、いつの間にか後ろに控えていたらしい使用人が、机の上に茶器を配置し、お茶を淹れていった。
「セツナ殿、ここに至るまでシルヴィールが煩かったのではありませんか?」
「え、えーと……」
横目にシルヴィールを見ると、ものすごい形相でこちらを睨んでいた。余計なことをいってくれるな、とでも訴えてくるような表情だ。
「彼女は職務に忠実かつ熱心でね、融通がきかないのですよ」
「それは……わかりますが」
「セツナ殿に無礼を働いていなければよいのだが」
「ご心配なく。わたしはなにも迷惑していませんので」
「そうですか。それならば、よいのです」
マルカールは、どこか満足そうにうなずくと、ちらりとシルヴィールを見やったようだ。シルヴィールがほっとしたような表情から一変、緊張感に満ちた態度を見せるのが妙に面白かった。
「それで、わたしがセツナ殿と対面した時の話ですが」
「いつ、なのでしょうか?」
セツナが訪ねたのは、覚えていないことが失礼に当たるのではないかと想ったからだ。
「あれは二年以上前のこと。それこそ、“大破壊”が起こるずっと以前。五百三年四月下旬のことでしたな」
「……ああ」
セツナは、マルカールのそんな説明で合点がいった。
「セツナ殿は、当時、フィンライト卿の屋敷におられた。ガンディアの英雄の雷名は、このベノアガルドにも当然の如く轟いていましたからな。騎士団に情報源を持つものの多くは、セツナ=カミヤがフィンライト家預かりとなったことを知れば、いてもたってもいられなくなったものです」
「黒き矛、竜殺し、万魔不当、鬼降し――様々な二つ名で称されるセツナ=カミヤという人間が、いったいどのような化け物なのかと、だれもが興味津々だったものです」
マルカールの台詞によって、当時の光景が脳裏を過ぎった。ルヴェリス・ザン=フィンライトの屋敷にいる間、セツナ目当ての訪問客が引っ切り無しに訪れたことを覚えている。とはいっても、セツナが直接相手にしたのは十三騎士くらいであり、それ以外の騎士団騎士や騎士団の部外者とは会話さえ交わした記憶がない。マルカールのことを覚えていないのは、当たり前だった。
(まるで動物園の珍獣だったな)
当時そんな風に想ったものの、口には出さなかった。この世界で動物園といっても通じないだろうし、もし通じたとしても不快な思いをさせるだけかもしれない。
「わたしも、あなたに興味を持った。小国家群においてももっとも有名な英雄であるあなたを一目見たいと想い、市長の公務という名目でベノアに向かったのですよ」
「市長……まさか」
「無論、公務は公務として果たしたよ」
マルカールの説明に、シルヴィールはほっとしたようだった。公務という名目、というよりは、ベノアにいくための名目として必要な公務を見繕った、ということなのだろう。
「フィンライト卿の屋敷には、わたし以外にもセツナ殿目当ての客が多く尋ねられていた。わたしのことを覚えていないのも当然でしょう。話しかけることすら禁じられておりましたからな」
「そういうことだったんですね」
「しかし、あのときベノアを訪れてよかった。セツナ殿を本物と判断することができたのは、そのおかげですからな」
マルカールの言葉は、セツナにとっても実感として理解できるものだった。マルカールが本物のセツナを見たことがあるからこそ、シルヴィールの疑念を晴らすことができたのだ。どうでもいいことではあったが、偽物、偽物と責められ続けるよりはいい。
「あれから二年あまり……世界は変わり果てましたが、セツナ殿は、お変わりないようだ」
「そう……ですか?」
「髪が少々伸びすぎているきらいはありますが、それくらいのように思えます。といっても、一度、軽く見ただけのわたしの意見ですがね」
(二年……か)
セツナは、マルカールの思慮深そうなまなざしを見つめ返しながら、彼の言葉を反芻した。二年。世界を襲った未曾有の災害“大破壊”から二年。セツナが地獄に堕ちてから。セツナが現実から逃げてから。セツナが心折れてから。
二年――。
マルカールが、改めて口を開いた。
「セツナ殿。あなたには改めて礼をいわねばなりますまい」
「礼……ですか」
「昨日、神人を討伐してくださり、被害を最小限度に抑えてくださったことに対し、感謝しなければ、市長として立つ瀬がなくなりましょう」
「ああ……」
そのことか、とセツナは想った。感謝されるほどのことをしたとは、想っていない。悲鳴が聞こえたから飛び出したのだ。不法侵入、不法入国であるといわれればそのとおりだったし、申開きようのないことくらいわかりきっていた。それでも押し入った末に倒したのが、罪もない一般人だったという事実の衝撃が、感謝されることよりも処断されるほうが望ましく思わせていた。
「ケビンとアンネには不憫なことになりましたが、気に病むことはありません。ああなった以上、対処法はひとつしかないのですから」
マルカールが深い悲しみを抑えるようにして、いった。彼やシルヴィールの表情から、これまで何度か神人災害が起き、そのたびに罪もない一般人を討伐しなければならなかったのだろうことが伺える。
「神人となったものは、理性を失う。周囲の人間、物、なにもかも見境なく破壊し、殺戮する災害そのものとなる。神人災害を食い止めるには、神人を討伐するしかないのです。そして、神人を討伐するのは、生半可な力では不可能故、わたしやあなたのようなものがいる」
マルカールが自分を含めたことで、彼自身に神人と闘うだけの力があるということを認めていることがわかる。シルヴィールもいっていたことだが、この元騎士団騎士のどこに神人と闘えるだけの力があるのか、皆目見当もつかない。
彼が十三騎士だというのならば、わかる。
シド・ザン=ルーファウスを始めとする十三騎士は、救力、幻装、真躯という神から与えられた力を行使することができるのだ。真躯を用いれば、神人を撃破するのは容易いし、もしかしなくとも幻装でも十分なのではないか。いずれにせよ、騎士団幹部である十三騎士ならば、神人討伐も困難なことではないのだ。
しかし、マルカール=タルバーは、元騎士団騎士であって、十三騎士ではない。救世神ミヴューラの加護を受けているとは、想い難かった。もちろん、その可能性が絶対にないとは言い切れないが、ミヴューラがみずから選びぬいた十三騎士以外の人間に力を貸し与えるなど考えられないのだ。だからこそ、気になることではある。
彼はどうやってあの化け物としか言いようのない存在と戦い、勝利を収めてきたのか。
「セツナ殿。あなたは、だれもが賞賛することをなされた。市民を神人災害から護ってくださったのです。顔を上げてください。胸を張ってください。あなたの行いは、なにひとつ間違いではない」
「市長……」
「アンネには、わたしからもよくいっておきますが、彼女とて、理解していないわけではないはずです。白化症が発症した以上、いずれこうなることはわかっていたのですから。それでも、すぐには受け入れられず、セツナ殿に暴言を吐いてしまったこと、許してもらえるでしょうか」
「気にしていませんよ」
むしろ、なにも知らずに殺してしまったことのほうが、痛恨だった。神人が元人間だということを知っていたからといってなにができたわけではないが、心構えはできたはずだ。ひとを殺すことの覚悟。覚悟もなしにひとを手に掛けたとき、その衝撃は想った以上に大きく、重くのしかかってきた。
「そういっていただけると、助かります」
マルカールは目を伏せた。
「白化症を発症したものは、いずれ、必ず神人となります。それがわかっていてなぜ対処できないのか。簡単なことです。白化症を発症した人間は、即座に意識を失うわけではないのですよ。まだ人間としての意識があるものを殺すことなどできるわけがない。それに、療養中に白化症に対する治療薬が生まれるかもしれない、特効薬が生まれるかもしれない――可能性を捨てきることなどできませんからね。だから、白化症を患ったものの命を奪うことで、神人災害を未然に防ぐということができない」
市長のいいたいことは、わかりすぎるくらいにわかった。
人間としての意識が残っているものを、いずれ神人になるからといって殺すのは、簡単なことではない。殺すのもまた、人間なのだ。
「大のために小を切り捨てるのが正しいなどという言葉を、わたしは悪と断じます。救えるだけの命を救うことこそ、騎士団騎士の使命だったはずなのですから」
「市長……あなたはまだ……」
「ええ。わたしにはまだ、騎士団騎士としての誇りも自負も挟持もあります」
マルカール=タルバーの気高く、誇りに満ちた表情には、シルヴィールが尊敬するのも必然とでもいうべき貫禄があった。胡散臭さもない。彼は本気で、そう想い、その想いのままに行動しているに違いない。サンストレアとこの都市に住むひとびとのためにすべてを投げ打つ覚悟があるのだ。
セツナは、マルカールの決意と覚悟、そして誇り高さに感銘を受けた。