第千六百九十四話 焔道(三)
(いまだ!)
セツナは、瞬時に屈み込んで地面に右手を突っ込み、拾い上げた頭蓋骨を火竜娘に向かって投げつけた。カインは、セツナの行動を予測しただろうが、最大威力の攻撃を放つための動作が彼の反応を鈍らせた。頭蓋骨はあっさりと竜の口へと到達し、火竜娘が咆哮とともに吐き出したと炎の塊を受け止め、大爆発を起こした。超高温の爆風はセツナを吹き飛ばしたが、間近で余波の直撃を浴びたカインの場合は、ただ吹き飛ばされるだけでは済まなかった。全身を爆炎に包み込まれ、体中が紅蓮と燃え上がった。
「ふははははっ!」
彼を焼く炎が火柱のように聳え立つ中、哄笑が響き渡る。彼の手から火竜娘がこぼれ落ちた。全身を焼き尽くす炎のせいで、杖を持ち続けることもできなくなったのだ。
「さすがに以前のようにはいかないか。成長したものだ」
逆巻く炎は消えず、彼の体を燃やし続けている。それほどの威力があったのは間違いないが、それにしても燃え過ぎではないか。人間の体は、そこまで簡単に燃えるものだろうか。疑問は尽きないが、それが火竜娘の能力だといわれれば納得するほかない。召喚武装の能力は、魔法のようなものだ。この世のあらゆる法則を無視し、様々な現象を引き起こす。奇跡といってもいいような出来事だって起こりうる。召喚武装の様々な能力に比べれば、人体を焼き尽くすくらいなんということはない。
セツナは、全身を苛む痛みを堪えながら、燃え盛るカインの姿を目に焼き付けんとした。燃え上がる火柱の中、灼かれゆくカインの姿は影のように浮かんでは消えた。
「そうかい。喜んでもらえて、なによりだ」
「まさか黒き矛を召喚せずに俺を出し抜くとは思いもよらなかったぞ」
賞賛の言葉が、素直に耳に響く。
妙にすっきりした気分だった。なぜかはわからない。カインと本気でぶつかり合うことができたからか。彼が死んでいることがわかったからなのか。それとも、ほかになにか理由があるのか。あるいは、理由などなにひとつないのか。
「それでこそ俺が見込んだ男だ」
カインが言葉を紡ぐたび、炎が揺れた。まるで火が消える寸前、より一層強く燃えるかのように。激しく、そして儚く。そのまま消えていくかと思われたそのときだった。
「だが、これで終わりなどというわけもないな?」
カインを包み込んでいた炎が爆発的な勢いで膨れ上がったかと想うと、翼のように拡散し、炎の竜が描き出された。
「ああ、そうだな。あんたがこれで終わるわけないよな」
「そう、終わらん。こんなものでは満足できん」
炎が吹き飛び、中から銀の甲冑を身に纏ったカインが現れる。竜を模した軽鎧の召喚武装ドラゴンスケイルに竜の翼たるドラゴンウウイング、彼のかつて失われた腕を補うドラゴンクロウという完全武装。そして、竜を模した仮面が彼の顔を覆っていた。まさに彼が銀鱗の竜となった瞬間、翼が広がり、強力な波動が発散し、周囲の熱気を消し飛ばす。
「もっと、もっとだ! セツナ。もっと俺を楽しませろ!」
「あんたを楽しませるつもりなんざさらさらないが……やってみるさ」
セツナが拳を握る構えを見せると、カインが怪訝そうな態度を見せた。セツナの対応は、武装召喚師の、黒き矛のセツナが取るべき反応ではない、とでもいいたげに。そして彼は実際、セツナが想像したとおりのことをいってくるのだ。
「……どうした? なぜ黒き矛を召喚しない?」
「できないのさ」
「なんだと?」
「折れた矛を召喚したところで、あんたの要望には応えられないだろ」
召喚武装は、極めて強力な武器であると同時に極めて繊細な武器でもあるのだ。強大な力を最大限発揮するには、召喚武装本来の形状が損なわれず、完全な状態でなければならない。少しでも傷が付けばそれだけ発揮できる力が低下する。穂先が砕け散った黒き矛は、うんともすんともいわなくなったという事実がある。召喚にさえ応じてくれないかもしれない。
「……なるほど。そういうことか。それで、おまえは頑なに召喚する素振りも見せなかったか。俺を侮っているものだとばかり想っていたが、そうか、そういうことか」
得心したような反応を見せるカインに、セツナは苦笑するほかなかった。
「あんたを侮るほど、俺も自分を見失っちゃいねえよ」
「ふっ……ならば、どうする? どう、闘う。この俺と!」
銀鱗の竜が空へと舞い上がる。その際に生じた爆風はセツナを転倒させかけるほどのものであり、みっつの召喚武装を身に纏う武装召喚師の凶悪さが正しく伝わってきた。
セツナは、なんとか踏み止まると、燃える体をそのままに駆け出した。カインは頭上。上空からの攻撃に細心の注意を払いながら、前へ。いまやカインの戦闘能力は、先程の数倍にまで膨れ上がっていると見ていいだろう。三つの召喚武装を同時併用しているのだ。それだけ身体能力や五感が強化されているということであり、ただの人間では太刀打ちなどできるわけもない。
故にセツナは、前方の地面に転がる杖を手に入れるべく、全力で走ったのだ。
「見え透いているぞ!」
「そりゃあそうだろ」
頭上からの急襲を右に飛んでかわそうとしたが、常人の肉体による反応では、あまりにも遅すぎた。左肩に凄まじい痛みが走ったかと思うと、熱が体内を駆け巡り、セツナは絶叫しながら地面に叩きつけられる格好になった。カインのドラゴンクロウが肩をえぐり、衝撃が彼の体を吹き飛ばしたのだ。カインは即座に上空へと舞い上がっており、地に叩きつけられたセツナには反撃の機会などあろうはずもない。
ドラゴンクロウの能力であろう全身をかきむしりたくなるような痛みの中で、それでもセツナは前を見据えた。火竜娘は、もうすぐ目の前だった。手を伸ばせば届きそうなほどの至近距離。だがここで手を伸ばせば、カインの思う壺だ。彼は容赦しないだろう。きっと、セツナが腕を伸ばした瞬間に攻撃してくる。そして、絶望感を与え、ほくそ笑むのだ。仮面の奥で。
それがわかるからセツナは手を伸ばさない。だから両腕の力で上体を起こそうとしたのだが、その瞬間、またしても地面に叩きつけられた。背中から胴体を貫いたのは、猛烈な衝撃だった。カインがただ空中から踏みつけてきたのだろう。
「どうした? こんなものか、おまえの力は。こんなところで終わるのか、おまえの戦いは」
「なんとでも、いえ」
「あがけよ、セツナ。こんなところで終われやしないだろう、おまえも、俺も!」
(あんたはとっくに終わってんだろ)
胸中吐き捨てるようにいいながら、もう一度体を起こそうとする。重武装のカインが背に乗せたまま、強引に地面から体を引き剥がす。カインが笑う。
「それで、どうやって火竜娘を手にする? この状況で!」
「いちいちうるせえ!」
全力で起き上がると、さすがのカインも飛び離れた。その刹那の好機を見逃すセツナではない。すぐさま前方に飛び、手を伸ばす。右手の指先が火竜娘の柄に触れた瞬間、彼は全身のありとあらゆる感覚が激変するのを認めた。そのまま強く握りしめ、五感の強化による感覚の変化に順応する。カインの哄笑が聞こえた。上空、翼を広げた銀の竜がいる。
「よくやった。よくぞ、火竜娘を手にした。だが、忘れるな。これからが本番だということをな」
「なにがよくやった、だよ、こんちくしょう」
セツナは、火竜娘から流れ込む力の大きさを実感するとともに全身を苛む痛みに顔をしかめた。ドラゴンクロウによる痛みは少しずつ薄れてはいるものの、いまだ全力で体を動かしうる状況にはなかった。
「あんたが手加減したから取れたんだろうが」
「さすがに気づくか」
「当たり前だろ、馬鹿にしやがって」
セツナは、暗闇の空に浮かぶ銀の竜を見据えながら、告げた。カインが本気でセツナに火竜娘の入手を阻止するのであれば、セツナの背中に飛び乗ったあと、適当に攻撃するだけでよかったはずだ。セツナは為す術もなかった。ただ攻撃を喰らい、死ぬ運命にあったはずだ。だが、カインはそれをしなかった。そんなことをするはずがなかったのだ。
彼は、セツナとの戦いを楽しむためにここにいる。
抵抗すらできないセツナを殺したところで、彼としてはなんの面白みもないだろう。彼は本来、黒き矛のセツナと戦いたがっていたのだから。
なにも持たないセツナを本気で殺すわけがなかった。それでは、彼が目的を果たせなくなる。
「心外だな。俺はおまえを馬鹿にした覚えなぞないぞ」
「そうかい。俺はだいたいいつもそう感じていたんだがな」
「思い違いだ。俺はいつだって、おまえに憧れていた」
「はあ!?」
セツナは、カインの思わぬ告白に素っ頓狂な声を上げた。
「憧れだって?」
かつて似たようなことをいわれた記憶はある。しかし、皮肉や嫌味ばかりの彼の言動のせいで、そういった言葉さえもセツナを嘲笑うためのものではないかと考えていた。だが、カインはというと、そんなセツナの反応にすら構わず、告白を続けてくるのだ。
「あるがままに力を振るい、ただ敵を蹂躙するおまえこそ、俺の夢そのものだった」
「あんたの……夢」
「だが、その夢もいまや遠い過去のものと成り果てた。夢は終わり、夢の残滓がこの悪夢のような地獄に渦巻き、漂っている。俺も、俺以外のものたちも、夢見ることを忘れられないから、この地獄で亡者となってさまよっている」
彼の仮面の奥の目が、こちらをじっと見ていた。
「俺がおまえとの再戦をどれほど待ち望んだのか、わからないだろう」
「俺はあんたじゃないからな。わからねえよ」
他人の気持ちなど、わかるはずもない。どれだけわかろうとしても、真の意味で理解などできようはずもないのだ。
「けど、それがあんたの夢なら、あんたの心残りだってんなら、心ゆくまで戦ってやるさ」
セツナは、火竜娘を握りしめ、カインを見上げた。
翼を広げた銀の竜は、どこか喜んでいるように見えた。