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第百六十八話 酒の席で

 制圧後のバハンダールは、静寂に包まれていた。

 既に日は落ち、空は夜に侵食されつつある。風は生温く、市街に満ちた血の臭いは、兵士たちが井戸から汲んだ水を流し回ったことで薄まりつつあった。

 掃討戦は、終了した。さほどの時間もかからなかったのは、敵軍に戦意を喪失したものが多かったからだ。難攻不落の城塞都市に引き篭もることに慣れていた連中は、湿原を突破され、市街に侵入されたことで戦う気にもなれなくなったのだろう。兵を統率すべき翼将が既に死んでいたのも大きい。部隊長だけでは、兵士たちの戦意低下を押し止められるものではない。北門から逃亡した部隊もあったし、西進軍に降伏してきた部隊もある。降伏は受け入れ、捕虜とした。

 もちろん、掃討部隊が無傷というわけではない。何名かは命を落とし、重軽傷を負ったものも多数いる。だが、圧勝には違いなかった。

 掃討戦でもっとも活躍したのは、第二軍団の《ニナちゃんに踏まれ隊》だったらしく、ドルカの命令で、嫌がるニナに踏まれて満足そうな兵士たちの姿は、エインの心を凍りつかせたのはいうまでもない。ドルカの軍勢は実に楽しそうではあるのだ。生と死が交錯する戦場で本気になって遊んでいるところがある。それが彼らのやり方ならば、エインが口を出すようなことではない。部隊には部隊の、軍団には軍団の法があり掟がある。西進軍全体がそうなったら大問題だが、ドルカの周囲だけがそうなら構わないことだ。

 エインの軍団もそこそこ活躍したらしく、死者は出なかったようだ。そのことを褒めると、女性の隊長たちに囲まれ、添い寝権の発布はまだかとまくしたてられたが、エインにはそんなことをする趣味も時間もなかった。女隊長らの黄色い声に惹かれたのか、ドルカが現れ、「俺が添い寝しようか?」といってきたが、彼女らは第二軍団長を黙殺して、興醒めしたように去っていった。取り残されたドルカを慰めるのはニナの役目であり、エインはなにもいわずにその場を去った。

 グラード隊も掃討戦で奮闘を見せた。グラード隊に所属していた武装召喚師ふたりは控えめに戦っていたようだったが、ほかの兵士たちは、戦功を競い合うように敵を探しては戦い、傷を負ったり、負わせたりしていたようだ。市街中を駆けずり回りながら敵を追い求める姿には狂気すら感じるものだが、それが、戦争というものだろう。敵を倒さなければ、評価は得られない。

 難攻不落の城塞都市バハンダールを陥落させたのだ。

 西進軍は沸きに沸いていた。


 戦後程なく、捕虜によって地下壕への入り口が明らかにされ、丘全体を利用したかのような広大な地下壕に隠れていたバハンダール市民と対面することになった。彼らは安全を保証してくれるのなら文句はいわないといい、アスタル右眼将軍がこれを約束した。バハンダール市民の多くが、元来、ザルワーン人ではなかった。ほとんどはメレドの人間であり、ザルワーンの長期攻囲によって陥落したあとも本国に帰ることができず、仕方なしに暮らしていたようなひとが多いという。

 ザルワーンとメレドは長きに渡って国交を断絶しているのだ。帰れるはずもなかった。

 無論、ザルワーン人も少なくはない。第一龍鱗軍の派遣とともにやってきた人々だ。彼らの多くは兵士の家族であり、軍関係者だった。捕虜となった兵士は家族への伝言を頼むものが多かったが、そういった処理はエインの関するところではない。

 軍議は、夜に開かれた。

 いや、軍議というよりは、食事会といったほうが相応しいのかもしれない。

 城塞都市の名に相応しい城郭の一室に西進軍の主だった面々が集っている。魔晶灯の光もあざやかなテーブルの上には、メレド人の料理人たちの手料理が並べられている。彼らは、自分たちを餓死寸前までに追いやったザルワーン軍を心底嫌っており、同じくザルワーンに虐げられてきらログナー人に親近感を抱いていたようだった。西進軍の大半が、ログナー人で構成されている。

「連勝街道驀進中ですな、我が軍は」

「それもこれも黒き矛殿のおかげだがな」

 グラードが皮肉げに笑ったのは、彼の部隊の被害だけが多かったからかもしれない。が、それは彼らを南側に配置したエインの責任ということになる。もっとも、本隊を南側に配置していた場合、もっと悲惨なことになっていた可能性もある。

 ファリアはグラード隊に編入していたため、本隊からは上空のふたりに合図を送れなかったからだ。その場合、大弓の攻撃を受けながら通常弓の射程範囲まで進軍し続けるという有り様となり、負傷者は倍増したことだろう。とはいっても、上空のふたりが気づかないとも限らないのだが。

 武装召喚師は、召喚武装を手にした時、感覚が何倍にも膨れ上がる。

 エインが集めた資料には、そう記載されていた。それが事実ならば、セツナかルウファが異常を察知し、投下を早めてくれたかもしれない。そんなものを期待して作戦を組んではいけないのだが。

 エインは自戒を込めて、そう思った。

「卑下する必要はありませんよ。セツナ様が規格外なだけです。俺たちは俺たちのできることをやればいいんですよ」

 事実ではあったが、言い過ぎかもしれないとも考える。確かにセツナは規格外だ。あんな上空から投下されて傷ひとつ負わず、バハンダール内の敵の三分の一ほどを殺したのだ。彼のおかげで、掃討戦はすんなりと進んだ。黒き矛の雷名は、再び少国家群を揺るがすだろう。そう想うだけでぞくぞくするのは、エインの悪い癖だった。

「エイン軍団長のいう通りだ。セツナ殿にはセツナ殿の、我々には我々の役目がある。同列に考え、苦悩する必要はない。みずからの役目を果たすことにこそ、意味があるのだ」

 アスタルが纏めるようにいうと、グラードも納得したようだ。もっとも、グラードだって皮肉を言いたかったわけではないのだろう。彼だってわかっているのだ。自分の役目とセツナの役目くらい、理解している。でなければ軍団長など務められるものでもない。それでも卑下せざるを得ないのは、彼の活躍がまぶしすぎるからに他ならない。

 だれも、彼には追いつけない。追い抜くことなど不可能だろう。

 それがたまらなく悔しいと思えるのは、グラードの心がまだまだ若い証明ともいえる。

 エインはただ、憧れ、胸を高鳴らせるだけだが。

「規格外だってさ」

 セツナが、エインの言葉を拾って隣のファリアに囁くのを、彼は聞き逃さなかった。ファリアはセツナの左隣に座っていて、エインはセツナの右隣を占領していた。軍議での定位置になりつつあり、ルウファ副長は隊長の隣に座ることを諦めてくれるようになっていた。もっとも、隊長補佐の隣に座れるほうが、彼にとっては良さげではあった。

「どうせ実感ないんでしょ」

「まあね」

「でしょうね」

 ふたりの会話に割って入るような趣味があるはずもなく、エインは食事に意識を向けた。エインにとって大事なのはセツナそのものであり、セツナ自身の人間関係には然程興味はない。セツナが仲良くしているひととは、積極的に交流を持ちたいとは思うが、それもセツナのことを知るためにだ。

「ともかく、バハンダールの制圧はなり、西進軍の第一目標は達成されたのだ。喜ぼう」

 アスタル=ラナディースはそういうと、グラスに満たされた果実酒を口に運んだ。将軍の頬がほんのりと色づいているのが、エインにもわかった。めずらしく、酔っている。飛翔将軍が酒に酔うなど、そうあることではなかった。彼女はいつだって自己に厳しく、酔態を晒すことなどよしとはしなかったのだ。

 不落の城塞都市バハンダールへの攻撃命令は、彼女の心にも相当な負担になっていたのかもしれない。こちらには鬼札があったとはいえ、アスタルにはザルワーンが攻めきれなかったという記憶が色濃く残っていたに違いない。彼女は西進軍の指揮官である。バハンダールを陥落させるには、どれだけの犠牲を払えばいいのか。そんなことばかり考えていたのかもしれない。

 常に最悪の状況を考えるのが指揮官の役目でもある。

 心身への負担も大きかったのだろうが、そういった表情は一切見せなかった。アスタル=ラナディースとはそういう人物だ。すべてをひとりで抱え込み、処理しようとする。もちろん、部下を信用していないというわけではない。部下には部下の、彼女には彼女の役割があるということだ。

 指揮官は常に冷静を装わなければならない。作戦が失敗しても、平静の仮面を被り通さなければならないのだ。

 エインは、アスタルのそういう教えを忠実に守ろうとしている。まだ、表情に出ているかもしれないが、いつかきっと、彼女のようになろうと心に決めていた。

「俺としては、みんなで仲良く酒飲めるなら文句はないんですよねー。そのうえで、ファリアちゃんが側に来てくれれば最高!」

「どなたか、軍団長からお酒を取り上げてください」

「ニナちゃんひどいよー!」

 ドルカはとっくに酔っ払っていたのかもしれない。彼は、隣のニナに寄りかかると、そのまま彼女の膝上に崩れ落ちていった。ニナは一瞬顔を真赤にしたようだが、即座にいつもの鉄面皮に戻った。エインは彼女のその早変わりこそ学ばなければならないのかもしれないと思った。

 ニナが、ドルカを持て余し気味にしながら告げてきた。

「軍団長、お酒に弱いんです」

 だから取り上げてほしかったのだろうが、時既に遅し、だ。ドルカは、ニナの太ももの上で寝息を立て始めている。器用な体勢だったが、酔っぱらいには関係ないのだろう。

「ドルカには困ったものだ」

 グラードが豪快に笑うと、アスタルも笑ったようだった。

「そういえば、うちの副長も……」

 ファリアの言葉に釣られて横を覗くと、ルウファがテーブルに突っ伏していた。こちらに向いた顔が真っ赤になっている。酔い潰れたのだ。

 そうして、戦勝の酒宴は、夜遅くまで続いた。

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