第千六百八十七話 第一次リョハン防衛戦(三)
ファリアのオーロラストームによる初撃が、開戦の合図となった。
明確に侵攻する意図があって押し寄せてきた軍勢に対し、一切の容赦は不要である――と、ファリアの初撃は、リョハン側の全軍に通達する意図があった。オーロラストームが出しうる最大威力の雷撃。クリスタルビットでオーロラストームを補強することで、前方広範囲を飲み込むような雷撃を放つことができるのだ。これを彼女はオーロラストーム・マキシテンペストと名付けている。
ともかく、マキシテンペストの直撃によって、敵戦力に大打撃を与えたことが、リョハン軍の士気を大いに高めたのは事実のようだ。
ファリアの砲撃に続き、ニュウのブレスブレスが火を吹いた。精神力を破壊的な光として打ち出す超強力な召喚武装は、その性能のままに猛威を振るい、千人以上の敵兵を一瞬にして薙ぎ払ってみせる。そこに続くのが飛行能力を有したグロリア、ルウファの師弟であり、ふたりは敵陣を蹂躙し、戦女神の双翼と呼ばれるに相応しい働きを見せた。
飛行能力を有する武装召喚師たちが続く中に突貫するのが、近接戦闘に特化したものたちであり、シヴィル、カート、アスラがそれぞれに召喚武装の能力を発揮し、敵陣に風穴を開けていく。シヴィルのローブゴールドが変幻自在の戦いぶりを見せれば、カートの戦斧ホワイトブレイズが敵陣の一角を氷漬けにすると、アスラの三鬼子が様々に変化を見せながら敵兵を血祭りに上げていく。
兵力差は圧倒的としか言い様がないものの、戦力差は、リョハン側のほうが遥かに上回っているのは、明らかだった。
千人以上の武装召喚師がそのとてつもない火力を集中させれば、戦闘が一方的になるのは必然であり、致し方のないことだ。
人殺しへの躊躇も、いまのところ、問題として表面化していなかった。ファリアが手本を見せ、七大天侍がそれに続いたこともあり、また、戦争の熱狂が実戦経験のない武装召喚師たちをも飲み込み、実戦へと追い込んでいったのだろう。
ファリアは、みずから前線に赴くとオーロラストームによる斉射を行いつつ、閃刀・昴を振り回すことで戦女神の戦いぶりを護峰侍団の武装召喚師たちに見せつけた。戦女神ファリアとしては、常に己の存在を主張しなければならない。リョハンの象徴として、精神的支柱として相応しい人間でなければならないのだ。
それにはだれよりも前に出て、だれよりも多くの敵を屠り、勝利をもたらさなければならない。
そんなのは自分の役割ではないはずだが、戦女神ファリアには、そんなことをいえる立場にはなかった。
リョハンを維持するには、だれかが神にならなければならない。そして、それに相応しい人間は、自分をおいてほかにはいないというのだ。
どうして、自分なんかが――と思わないではなかった。しかし、ファリア=バルディッシュの孫娘であり、ファリアと名付けられ、戦女神の後継者として育てられてきた事実からは目を背けることなどできなかったし、受け入れなければならない、直視しなければならない現実でもあった。戦女神の時代は終わったはずだ、などともいえない。
“大破壊”後は、リョハンのひとびとの心を酷く傷つけた。だれかが立たねば、だれかが戦女神として降臨しなければ、リョハンは立ち行かなくなる。
そんな現実を目の当たりにすれば、ファリアも覚悟を決めざるを得なかった。
なにもかもを失ったのだ。
これ以上、なにを失うものでもあるまい。
そんな深い喪失感の中で、彼女は戦女神となり、それから二年余り、リョハンの頂点に君臨し続けてきた。
自分にこれほど似合わない役割もないと思わない日々を送り続けている。祖母や祖父が、戦女神の時代を終わらせたがったのも、当然かもしれない。ファリアには、あまりにも重荷なのだ。祖母だからこそ、いや、祖父という理解者がいた祖母なればこそ耐え抜くことができたのではないか。
リョハンにおけるすべての責任がのしかかってくるのだ。
独りでは、耐えきれない。
それでも、戦女神を降りることはできない。そんなことをすれば、ようやく安定してきたリョハンに再び混乱を招き、ついには瓦解を呼び込みかねない。
ファリアは、歯噛みをして、太刀を振るう。斬撃が奔るたび、追撃の六連撃が敵兵を切り刻み、ただの肉塊へと変えていく。武器を叩き切れば、その瞬間、がらくたと化し、指を切れば細切れになった。閃刀・昴は、切れ味もさることながら、その凶悪極まりない能力は、勝利をもたらす戦女神にこれ以上ないくらい相応しいものといえた。そこにオーロラストームによる射撃も織り交ぜることで、遠近に死角のない戦いができ、また、雷撃と斬撃の多重奏とでもいうべき攻撃は、当代の戦女神ファリアの名を世に知らしめるにたるだろう。
敵兵は人間ばかり。おそるるに足りない相手だ。とはいえ、数が一向に減っている様子がないのが気にかかった。それに、敵軍は勢いが衰えるのを知らなかった。どれだけリョハン側が過剰なまでの火力に物を言わせた戦いを見せても、まったく怯まず、戦意を喪失させることもないのだ。それは極めて奇妙なことだった。
ただの人間ならば、これだけの破壊を見せつけられれば動揺し、混乱してもいいはずだ。士気が落ちたところで、不思議ではない。むしろ、戦意喪失したとしても、なんらおかしいことではないのだ。それほどの戦力差を見せつけている。
ファリアが最初に最大火力の雷撃を叩き込んだのも、それが狙いだった。
圧倒的破壊力による戦意の喪失。それによって、敵軍に二度とリョハンを攻め込もうという気をおこさせないようにするつもりだった。
しかし、ファリアの目論見は外れた。
「敵戦力、なおも増大中!」
悲鳴にも似た報告に、彼女は目を見開いた。怒涛の如く押し寄せる敵兵の彼方、着陸した方舟の船底付近に開口部があり、そこから地面に伸ばされた階段状の部分を途切れなく駆け下りてくる敵兵の様子に唖然とする。敵兵はすべて人間だ。ただの人間。召喚武装すら身につけていない、ただの武装した人間たち。
どれだけ押し寄せてこようと、リョハンの戦女神と七大天侍が負けることはないのだが、それにしても、数が多すぎる。
ブレスブレスの光芒が敵陣の一角を薙ぎ払い、ルウファとグロリア率いる飛行部隊の空中からの攻撃が敵軍を掻き乱し、シヴィルら地上戦力が蹂躙して回っても、敵兵の数は減る様子を見せない。それどころか、増大している気配さえあった。いや実際、敵兵の数は、時間とともに増大する一方であり、ファリアたちが削る速度よりも供給される速度のほうが圧倒的に早かった。
何処からか方舟へと転送されているのだとしても、あまりにも多すぎないか。
ファリアは、敵兵を蹴散らしながら、一向に減る気配のない敵兵の数にリョハン軍が押され始めていることに気づいた。戦力としては、こちらのほうが遥かに上なのは変わらない。千人以上の武装召喚師がいるのだ。攻撃力、防御力で負けるわけがない。しかし、数の上では敵のほうが何十倍も多く、その数を頼みにした物量戦が、実戦経験のない武装召喚師たちを押し始めていた。
「どういうことなの!?」
ニュウがうんざりとしたように叫ぶと、膨張した黄金の長衣が敵集団を吹き飛ばし、彼女の眼前に降り立った。シヴィルだ。
「どうもこうも、敵兵を蹴散らすしかありませんよ」
「わかってます! でも、これじゃあきりがないわ!」
「なに、倒していればいつかは尽きるさ。無尽蔵ではあるまい」
「それはそうですが、敵兵力が尽きる前にこっちが消耗し尽くすかもしれませんよ」
グロリア、ルウファ師弟が頭上を旋回しながら他人事のようにいうと、アスラが敵兵をいなしながら小首を傾げるような仕草をした。余裕に満ちたアスラの態度は、この程度の兵力差など、物の数にも入らないという自負があるからだろう。
「どうしたものでしょうねえ」
「船」
「ええ、そうね」
ファリアは、カートのささやかな発言に大いにうなずいた。彼の言う船とは無論、方舟のことだ。方舟が敵兵を運んできたのではなく、ただの転送装置として機能しているのであれば、方舟を破壊してしまえばいい。方舟が破壊されれば、転送もできなくなるだろう。カートはそう指摘してきたのだ。ファリアは、言葉少なながらも思慮深い彼への信頼を厚くするとともに、眼前の敵軍に向かってオーロラストーム・マキシテンペストを叩き込んだ。放射状に拡散する雷撃の激流は、前方広範囲の敵を電熱で焼き殺したものの、瞬間的に生まれた空間は、あっという間に敵兵によって埋め尽くされた。
「方舟を狙う、と?」
「ええ」
「危険よ」
「わかってる」
ニュウの警告に即答したものの、彼女の体は既に前進していた。
危険なのは、方舟が結界外に着陸しているからだ。方舟は、ただの船ではない。マリクいわく、神威によって空を飛行する船であり、皇神が乗船している可能性も低くはないという。方舟を攻撃するには、結界の外に出なければならず、それはつまり、神威――神の力を浴びる可能性があるということにほかならない。神の力がどれほどのものなのか、知らないファリアではない。
リョハン周辺を覆う広大な守護結界も神の力であれば、数百年に渡って三大勢力を維持してきたのも神の力であり、また、かつてクルセルクの大地を蒸発させたのも神の力だ。仮に方舟に皇神が乗船していて、ファリアを迎撃してくるようなことがあれば、無事ではすまないだろう。最悪、死ぬ可能性もある。
だからといって、ここで増大し続ける敵戦力を迎撃し続けるというのも、不毛なものだ。もしかしたら、何百万もの兵力を有している可能性も皆無とは言い切れない。三大勢力の総戦力がそれくらいであり、“大破壊”後の三大勢力の様子がわからない以上、どうなっていても不思議ではないのだ。皇神の一柱が三大勢力をひとつにまとめ上げ、利用しているかもしれない――とは、マリクの言葉だが。
方舟から途切れることのない敵戦力の供給を止めるためには、そうするしかない。
「でもほかに方法がないのよ」
「だったら、わたしたちに任せなさい」
ニュウのいうことはもっともだった。確かに彼女のいう通りだ。守護結界の外へでなければならない以上、とてつもなく危険を伴うことであり、戦女神みずから赴くのではなく、七大天侍や護峰侍団の武装召喚師に命令するべき事柄だった。戦女神は唯一無二の存在だ。他とは違い、代わりはいないのだ。だが、ファリアは、自分でやることに拘った。
「いいえ。これは戦女神の役割よ」
「ファリア!」
ニュウの叫び声を、彼女は黙殺した。敵陣を切り裂きながら前進する。その目は、方舟だけを見ている。
「我が名はファリア=アスラリア」
口上は、リョハン軍の士気を高めるためにも必要不可欠だった。
「リョハンの戦女神にして、勝利と栄光をもたらすものなり」
そう告げたとき、彼女は、自分の中でなにかが声を上げるのを聞いた。
慟哭にも似た咆哮がなにを示すのかわからなかった。
方舟は、まだ遠い。




