第千六百八十六話 第一次リョハン防衛戦(二)
方舟がリョハン南東部、守護結界の外周付近に着陸したのは、リョハンが全軍を配し、迎撃態勢を整えた数時間後のことだった。
白く巨大な船は、神々しくも幻想的としか言いようのない形状をしており、特に目を引くのは船体の各所から生えたとてつもなく大きな翼の数々だ。白く輝いている翼が船体を浮かせ、飛行させる力を発生させているのは、武装召喚師たちの想像力を働かせればわかることだが、それが正解かどうかは不明だ。ただ、方舟がファリアたちを乗せて運んだ川船に比べて何十倍も巨大であり、積載量も圧倒的な差があることは明白であり、リョハン軍は、方舟がどれほどの戦力を寄越してくるものかと戦々恐々とした。
リョハンの投入した戦力というのは、戦女神に七大天侍の六名、護峰侍団二千名であり、それがリョハンの持ちうる戦力のすべてだった。護峰侍団二千名は、全員が全員武装召喚師だ。護峰侍団とは、リョハンにおいて武装召喚術を学び、武装召喚師として独り立ちが許されたものだけが入ることの許される組織であり、戦闘力の水準は決して低くはない。皇魔退治以外の実戦経験は皆無といってよく、そのことがミリュウやルウファから指摘され、懸案事項として上げられていた。直接人間と戦ったことがないのだ。
それは、リョハンの立場上、致し方のないことであり、対人戦闘の皆無こそ、リョハンがこの五十年に渡って平穏であった証拠でもあった。ヴァシュタリアからの独立自治が五十年に渡って邪魔されず、機能してきたことの証明であり、対人経験のなさはむしろ誇るべき事実だと、彼女は考えている。しかし、その対人経験のなさは、今後、リョハンが人間の軍勢と闘うことになる可能性を考えると、確かに厄介な事柄かもしれなかった。
皇魔を殺すのと、人間を殺すのとでは、感覚が違う。
人間と皇魔は別種の生き物という認識が、ほとんどすべての人間の中にある。
皇魔に対しては全力を出し切ることができるものが、人間を殺すべくすべての力を出し切れるとはいいきれないのだ。ファリアやミリュウのように勝利のためならば相手が人間であろうと殺すことにためらいがなくなるくらい戦いに慣れているのならばまだしも、人間との実戦を経験したことがない武装召喚師たちにはそれが仇となる可能性は、決して低くはなかった。
そういう意味でも、彼女は方舟の戦力に注目した。
方舟が(可能性としては低いものの)皇魔を運んできたのであれば、リョハンの武装召喚師たちは最初から全力で戦い抜けるだろうし、たとえ数の上で皇魔が勝ったとしても、負ける可能性は皆無だ。皇魔相手に手を抜く武装召喚師は、リョハンにはいない。一方、人間の軍勢を投入してきた場合、少しばかり戦況は変わるだろう。
人間を殺したことのない武装召喚師は、人間との戦闘そのものに躊躇いを持つ。
ただの人間を相手にするのには、召喚武装というものはあまりにも過剰威力に過ぎ、軽く力を奮っただけで殺しかねないということは、武装召喚師ならばだれもが知っていることだ。人間を殺すことへの躊躇が、戦況そのものに作用するだろう。
そのときには、ファリアたちが率先して戦って見せ、実戦とはどういうものなのかを思い知らしめなければならない。
ファリアは、元四大天侍たちよりも場数を踏み、数多くの人間を手にかけてきたのだ。リョハンを護るために、いまさら躊躇することはない。
やがて、方舟から降りてきた敵戦力が守護結界を通過し、リョハン南東の雪原を雪崩込んできたのは、夕闇が迫る頃合いだった。
「方舟から出撃した敵勢力は、人間! 武装した人間の集団のようです!」
「数はおよそ一万五千!」
「一万五千……」
ファリアが報告に対してうめかざるを得なかったのは、人間だったからではなく、方舟が運べる人数には想えなかったからだ。確かに方舟は、ファリアが布陣する丘の上からも見えるほどに巨大なのだが、それにしたって一万人以上の人間を中に乗せられるほどには見えないのだ。多く見積もっても三、四千人が限度ではないのか。たとえ船の構造が特殊で、船体全箇所にひとを乗せる空間があったとしても、だ。
「空間転移でもしてきたんじゃない? 神様なら、それくらい簡単にできるのでしょうし」
「なるほど」
ニュウの推測にファリアは、あっさりと納得した。確かにそれならば合点がいく。方舟は、空間転移先へと移動するためだけのものであり、戦力の大半は、待機場所から目的地に到着した方舟へと転送されると考えれば、合理的かもしれない。数千の人員を運搬するのも、簡単なことではない。方舟がどこから飛んできたのかは見当もつかないが、長旅だったのは想像に難くないのだ。人員を運搬するには、大量の食料も必要となる。それならばいっそ、人員は待機させておき、船だけを飛ばすというのは、悪い考えではなかった。
そして、それならば戦力をいくらでも運ぶことができる。
「敵戦力は我が方からの呼びかけに応じず、明確な侵攻の意図があると思われます!」
「敵兵力は、二万を越え、現在も増大中とのこと!」
さらに前線から飛んできた報告に、ファリアたちは顔を見合わせた。
ファリアの周辺には、七大天侍の六名が勢揃いしている。
「ニュウの推測通りのようですね」
「どこまで増えるのかしら」
「リョハンを落とすつもりなら、それなりの兵力が必要なのはだれにだってわかることだ。ここは、武装召喚術の総本山なのだからな」
グロリア=オウレリアが翼を広げながらいった。召喚武装を呼び出し、臨戦態勢に入っているのは、なにも彼女だけではない。ルウファもシルフィードフェザーを纏っていたし、シヴィルはローブゴールドを身に着けていた。ニュウの両腕には腕輪型召喚武装ブレスブレスが光り、カート=タリスマは戦斧型召喚武装を、アスラ=ビューネルは鏡型召喚武装をそれぞれ装備している。
ファリアも、戦闘態勢に入っている。
戦女神の装備一式であるところの天流衣と閃刀・昴を装備し、その上でオーロラストームを携えていた。三つの召喚武装の同時召喚と維持による負担はとんでもないものだったが、この二年あまりの修練の日々がそれを可能にさせていた。
召喚武装の副作用であるところの身体能力の強化も、召喚武装三つ分、ファリアに作用している。彼女の目は、結界の内側に雪崩込んできた敵勢を捉えていたし、その姿が人間そのものであることも認識できていた。数は、確かに多い。そしてそれは、それだけの人間が“大破壊”を生き延び、いずれかの神に支配されていたということでもある。
方舟の神がなにを望み、リョハンへの侵攻を企てたのかは想像の余地もない。
ファリアたちにできることは、とにかく敵軍を迎撃し、リョハンを攻め滅ぼすことなど不可能であることを思い知らしめることだ。
神々は、守護結界を越えることはできない。
守護結界を越えることのできる戦力では、リョハンは落ちようがない。
その事実を認識させることができれば、今後、リョハンが神々によって攻め込まれることはなくなるはずだ。無論、目的次第なのはいわずもがなだが。
(その目的がなんであれ、リョハンを落とさせるわけにはいかない)
ファリアは、遥か前方、夕焼けに照らされた雪原を埋め尽くす敵軍を見やりながら、オーロラストームを構えた。大型の弓状召喚武装は、翼を広げた怪鳥のような異形であり、翼を構成する結晶体が本体から離れ、弓なりに展開した。結晶体同士を繋ぐのは膨大な量の電光であり、電光の弓が完成すると、爆発的な力が射出口である怪鳥の嘴に収束する。
「全軍、わたしに続きなさい」
告げて、ファリアは力を解き放った。
紫の閃光が視界を灼いたかと想うと、雷光の奔流が大気を震わせ、遥か前方の敵集団へと吸い込まれていった。
大爆発が起き、敵陣に穴が開く。
自陣から歓声が上がると同時に七大天侍がそれぞれに動き出し、護峰侍団の武装召喚師たちがそれに習った。
後にいう、第一次リョハン防衛戦の開幕である。




