第千六百八十二話 黒い戦士
黒い戦士がようやく動き出したのは、日が暮れ始めた頃合いであり、その頃には調査隊の野営地が設営し終わっていた。
調査隊がこの結晶化した集落で一晩を明かすことになってしまったのは、集落の調査がまったくといっていいほど進まなかったからにほかならない。白い少女率いる神人との戦闘によって、予期せぬ死傷者が出てしまったことが、調査の進捗を大きく遅らせることとなった。調査隊側の死者は七名。ミリュウ、エリナを含め、総勢二十二名の調査隊の三分の一ほどが、先の戦いで命を落としたのだ。それも、だれもかれも優れた武装召喚師だった。
武装召喚術の総本山であるリョハンに生まれ、物心ついたときから武装召喚術を学んできたものばかりだ。血統にしても、育成条件にしても、ミリュウやエリナより遥かに良質であり、実力的にも申し分ない連中だったのは、いうまでもない。人間が相手なら負けるわけもなければ、皇魔が相手でも一方的な戦いを繰り広げられただろう。
だが、残念なことにこの集落で待ち受けていたのは、人間の賊徒でもなければ皇魔の群れでもなく、神人たちであり、神人の持つ凶悪なまでの戦闘能力は、武装召喚師たちをも圧倒した。あっさりと殺されたのは、神人の殺傷能力があまりにも高すぎるからだ。神人は、一見、人間の姿をしている。完全に白化症に侵されたのであればまだしも、一部分だけが白化しただけの神人は、大部分が人間のままであり、人間の言葉を発し、混乱を誘うことさえあった。
こちらは、武装召喚術を身につけただけの人間だ。人間相手には、完全無欠に殺意を向けることは、難しい。神人が人間との間で交渉を持つことなどありえないとわかっていても、敵であると理解しきっていても、人間である部分を見てしまうと、殺意を緩めてしまう。
特にリョハン出身の武装召喚師には、それが顕著だった。
彼らには、実戦経験が少ない。
リョハンは、ヴァシュタリア勢力圏内の独立都市であり、ヴァシュタリア共同体との間には協調関係が結ばれているといっても、過言ではない。ヴァシュタリアとリョハンの間で戦争が起きたのは約五十年前のことであり、独立戦争と呼ばれるその戦い以降、リョハンが人間の集団と戦争を構えたことは一度たりともなかった。最終戦争前夜、ヴァシュタリア軍に攻められたそうだが、それはマリク神の結界で事なきを得ている上、武装召喚師たちが投入されなかったため、考慮する必要はない。
リョハンの武装召喚師たちの戦闘経験というのは、訓練か、リョハン近郊に生息する皇魔討伐くらいのものであり、実際の戦場で人間を殺したことのある現役の武装召喚師は、きわめて少なかった。五十年前の独立戦争に参加した武装召喚師たちは、実戦経験こそ豊富だが、高齢ということもあり、前線に出ることは少ない。隠居するか、後進の育成に当たるか、リョハンの運営に参加するか。いずれにせよ、前線に出る老人など、初代戦女神くらいだったのだ。
ミリュウは、戦死した隊員たちの墓を見つめながら、彼らの魂が安らかに眠ることを祈った。ここからリョハンまで死体を持ち帰るには遠すぎるのだ。リョハンに住む家族のため、遺品を持ち帰ることは許可したが、死体はここに埋葬する他なかった。
想定外の出来事、とは言い切れない。
調査団は、リョハンの領域外――つまり、守護結界の外を調査するための組織だ。敵対的な人間、皇魔などとの戦闘の結果、命を落とすこともありうることは、組織の結成当初から口うるさくいわれていたことだったし、武装召喚師たちは、調査団に入るに当たって、覚悟を問われた。覚悟のないものに入団する資格はない。そうして集められたのが調査団の現団員たちであり、今日まで何人もの死者が出ていることから、調査任務の苛烈さはリョハン内でもよく知られたことだった。
とくに被害が大きいのは、今日のような神人との遭遇戦だ。神人は、先もいったように人間の姿を残している。そのことが、実際にひとを殺したことのないリョハンの武装召喚師たちには、戦いにくくさせる。結果、損害が増大する。
隊員たちの墓は、神人化したものたちとは、別のところに作った。この集落の住人だったのであろう神人たちも、自分たちと敵対したリョハンの武装召喚師と同じ場所に埋葬されるのは不本意だろうという配慮からだ。
集落の片隅に七人の亡骸を埋葬できるだけの墓地を作り、結晶化した石を墓標にし、彼らの名を刻んだ。
ミリュウが隊長らしく最後の別れを告げるとき、隊員たちは泣かなかった。ただひとり、エリナを除いて。エリナだけが、隊員たちの死を嘆き、別れを惜しんだわけではない。ミリュウを除くだれもがエリナと同じ気持ちだったはずだ。だが、泣いている場合ではないということも、知っているのだ。
神人は、この世界が患った病であり、いまのところ治療法は存在しないという。だれもが白化症に侵される可能性があり、発症したが最後、いずれは神人となって破壊と殺戮を撒き散らす存在と成り果てる。自分たちがそうなる可能性もあれば、自分の身内がそうなる可能性もある。そのとき、自分はどうするべきか。ちゃんと戦えるのか。ちゃんと、死ねるのか。
だれもがそんな想いを抱いていたのかもしれない。
ミリュウは、もはやなにも感じることのなくなった自分の心を軽蔑することで、隊員たちの無念の死を悼んだ。しかし、部下の死をいつまでも悼んでいる暇はない。今回の戦いのように、神人との戦闘となれば、だれもがあっさりと死ぬ可能性があるのだ。
エリナだって、そうだ。もし神人が最初にエリナを狙っていれば、エリナは為す術もなく殺されていただろう。エリナは、たった数年足らずで武装召喚術を覚えた天才中の天才だが、身体能力は術の才能に比較するとかなり低い。ほかの隊員たちと比べても、一段どころか二段、三段と落ちるのだ。彼女が生き残れたのは、僥倖というほかなかった。
そんな風にして、隊員たちの墓を見ているときだった。
背後に気配を感じて振り返ると、黒い戦士が立っていた。
「ちゃんと、生きてたわね」
ミリュウが黒い戦士に軽口を叩くと、彼はなにもいわずにうなずいた。その反応から、言葉を理解していることを認識する。以前に戦闘したときも、一応は、理解していたようではあったが、一言も喋らなかった記憶がある。先の戦闘でも、彼自身、一言も喋ってはいなかった。叫び声は発することができるようだが。
「この村人のお墓は、こっちよ」
ミリュウが先導すると、黒い戦士は無言のままついてきた。素直な反応に、安堵する。彼には戦意もなければ、敵意もない。
隊員たちは、黒い戦士が動かなくなったうちに拘束するべきだと主張したが、ミリュウは、そうはしなかった。拘束したところで、彼の全身鎧が召喚武装ならば簡単に振りほどかれるだろう。かといって鎧を脱がせようとすれば、それこそ敵対することになりかねない。それならばいっそのこと、監視だけして放置しておけばいいと考えたのだ。
少女の消滅後、彼は明らかに戦意を喪失していた。彼と少女の間になにがあったのかは憶測の域をでないし、そんな推測になんの意味もないが、白い少女の支配能力が彼を突き動かしていたのは間違いなかった。白い少女が完全に消滅した以上、敵対することはないだろうというミリュウの予測は、当たった。
村の外れから、反対側の外れへ。
結晶化した村の中に設置されたいくつもの天幕の間を抜けていくと、隊員たちが調理中の夕食のにおいが鼻腔をくすぐった。どれだけ絶望していても、食欲だけは嘘をつかない。それはつまり自分が生きているという証であり、そのことが彼女はどうしようもなく苦々しい。生きていることがこれほど辛いとは、想像したこともなかった。
いっそ、消えてなくなっていれば、楽だったのに。
火にかけられた大鍋の中でぐつぐつと煮えたぎる汁物のにおいを振り払うように突き進むと、すぐに村人の亡骸を埋葬した小さな墓地に辿り着いた。ミリュウたちが埋葬した死体は、全部で五人分だけだ。集落内を探し回ったが、ほかに死体は見当たらなかった。おそらく、この集落の住人は神人化した六名と黒い戦士を除いて全滅したはずで、死体があってもおかしくはないのだが、それがまったくなかったのだ。死体が風化するには早すぎるし、動物たちに漁られるのもありえない。結晶化した地域には、生き物が寄り付くことはないのだ。
不思議なことがあるものだとミリュウたちが集落内を見回っているときに発見したのが、この墓地だった。
小さな墓地は、明らかに最近になって作られた形跡があった。それも決していい出来ではない。いい出来ではないが、精魂込めて作られた墓地であることは、選りすぐりの石を墓標にしていることからもわかった。添えられた花は結晶化しておらず、ごく最近、この集落の外から採ってきたものであることは明らかだった。
その墓に、五名の神人を埋葬したのだ。
「あなたが、埋葬したんでしょう?」
少女でも、少女に操られた神人でもなく、黒い戦士がそうしたのだと推測するのは、神人化した人間にそのような感傷が存在するはずもないからだ。白い少女は、ことさらに泣き叫んでいたが、しかしその支離滅裂な絶叫は、白化症に支配された人間の成れの果て以外のなにものでもなかった。
黒い戦士は、ミリュウの質問には応えず、墓の前に屈み込み手を合わせた。その様子にミリュウははっとする。
「あなた、本当になにものなの?」
ミリュウの質問の意図は、死者を悼む彼の所作がザルワーン式のそれであったからだ。もちろん、彼がザルワーン人である可能性は、決して低くはない。オリアス=リヴァイアが重用していたという時点で、その可能性は極めて高かったのだ。しかし、ザルワーン人の武装召喚師というと、数えるほどしかいないのだ。魔龍窟という悪名高い武装召喚師育成期間は、数多の才能を無為に散らせ、幾多の命を奪ったのだ。魔龍窟を生き抜いたからこそミリュウの技量は並外れたものになったのは間違いないにせよ、魔龍窟の存在を認めることはできない。
魔龍窟出身の武装召喚師のうち、クルセルク戦争当時生き残っていたのは三名だけだ。ミリュウ、カイン=ヴィーヴルと名乗っていたランカイン=ビューネル、それにジゼルコートの配下として身を潜めていたアスラ=ビューネル。ミリュウとともに魔龍窟を卒業した武装召喚師たちはひとり残らず死んだ。クルード=ファブルネイアも、ザイン=ヴリディアも、ジナーヴィ=ライバーンも、フェイ=ヴリディアも、全員、一人残らず。
もちろん、オリアスがミリュウの知らないところで弟子を作り、鍛えていたとしても不思議ではないのだが、であれば、彼が封印した記憶のどこかに該当部分があるはずであり、それがない以上、ザルワーンを離れたあとに部下に迎え入れたと考えるしかない。
オリアスとは無関係のザルワーン人武装召喚師がいたとしても、不可思議なことでもないのだが。
黒い戦士は、死者たちへの祈りを終えたのか、おもむろに立ち上がると、こちらを見下ろしてきた。戦士のほうがかなり上背がある。自然、圧迫感を覚えた。
「な、なによ?」
彼は、無言でこちらを見ている。
「あたしに謝れっていうの?」
少女を滅ぼしたことを。
彼は、頭を振る。
「じゃあ、なによ」
だが、彼はミリュウの質問には応えなかった。
墓前を離れると、集落の中の倒壊した家屋の前で立ち止まった。
ミリュウは、言葉ひとつ発することのない黒い戦士がなにを考えているのかまったくもって理解できず、途方に暮れた。
眩いばかりの夕日が照らす結晶化した集落は、幻想的としかいいようがないほどに美しく、そのことが彼女の心を少しばかり軽くしてくれた。




