第千六百八十一話 神の毒気
神人との戦闘は、熾烈を極め、一進一退の攻防が続いていた。
神人は、人間とは違う。どれだけ攻撃を叩きつけ、肉体を損傷させても、怯みもしなければ、攻撃が緩むこともない。痛覚がないのだろう。白化症によって脳髄までもが侵され尽くし、生物らしい感覚などなにひとつ持ち合わせていないのかもしれない。ミリュウたちがこの集落に立ち入ろうとしたとき、神人たちをただの死体と勘違いしたのもそれが原因だ。心臓が動いていないのだ。肉体を動かしているのは、白化し、神化した部位であり、それが神人の恐ろしいところなのだ。
神々しさのかけらもない化け物のことを神人などと呼ぶのは抵抗があったものの、神人としか呼びようのないのもまた、事実だった。
人間やそれ以外の生物たちを白化せしめるのは、この世に満ちた神の気であり、純度の高い神の気は、毒となって生きとし生けるものを変容させるという。
故に白化症に侵され、変容してしまったものののことを神人だの神獣だのと呼ぶことになった。
神の如き力を持っているということもあるのだが。
ミリュウは、白い少女を背負った黒い戦士と対峙しながら、ラヴァーソウルの柄を握り締め、全身全霊の力を注いでいた。そして、エリナや部下たちが神人たちとの戦いの中で傷つき倒れる光景から目を背けた。目の前の敵に集中しなければならない。神人全員を同時に撃破する方法などあろうはずもないのだ。
まずは、全身が白化した少女を相手にするべきだった。
神人の強度は、その白化した部位の多さで決まるといっていい。全身が白化している少女は、ほかの神人と比べ物にならない力を持っていると見てよかった。霧状に解け、またひとの形を取るという能力も、他の神人には見られないものであり、油断がならなかった。
黒い戦士が右手を頭上に掲げた。手の先に黒い球体が出現する。黒い球体は、見ている間にも膨張し、頭部よりもずっと大きな球体へと成長した。光を一切寄せ付けない暗黒球。膨大な力が周囲の空間を捻じ曲げていた。
ミリュウは、先程の攻撃から暗黒球の特性を予測し、距離を取るべく後退した。跳躍はしない。飛べば、引き寄せられる。いや、飛ばずとも、引力を感じずにはいられなかった。引力は次第に強くなっている。黒い戦士の周囲に散乱した結晶片や結晶化した木材が宙に浮いたと思うと、瞬く間に重力球へと吸い込まれていった。そして、恐るべきことに、重力球に触れた瞬間、ばらばらに砕け散り、さらに粉微塵になっていった。それは、神人だったものの死体も同じだった。吸引力を増大させる暗黒球に引き寄せられ、そのまま暗黒の闇の中に吸い込まれていった。
ミリュウの背筋に冷たいものが過ぎった。暗黒球に吸い込まれたら最後、原形を留めぬほどにばらばらに分解されて死ぬ。
牽制にと刃片を打ち出したものの、ラヴァーソウルの刃片は、黒い戦士の体に触れる直前で進路を変え、暗黒球に引き寄せられ、粉微塵に粉砕されて消えていった。近づけば近づくほどその引力は強くなるようだ。だが、しかし、黒い戦士も白い少女も微動だにしない。引き寄せる対象をある程度選べるに違いない。
(なんて卑怯な)
などと胸中で詰っている場合ではない。
暗黒球の勢力圏は、もはやミリュウの周囲にまで及ぼうとしていた。ミリュウは、背後に立っていた家屋のせいで、それ以上後退することはできなかった。左右に移動するだけの時間的余裕があるかどうか。ミリュウが考えていたときだ。
「師匠!」
エリナの悲鳴染みた声に目を向けると、白光を放つ物体が高速で飛来するのが見えた。屈んで、かわす。図太い木の根のようなそれは、ミリュウの背後の家屋をたやすく破壊し、その際の衝撃波が彼女の体を吹き飛ばした。
(嘘――!?)
ミリュウは、自分の体が空中に浮かんだ瞬間、物凄まじい勢いで引っ張られたのを認識した。強烈な引力には、逆らいようがない。粉砕された家屋の木材とともに暗黒球へと引き寄せられていく。白い少女の勝ち誇る表情でこちらを見ていた。それを確認したのは一瞬。一瞬のうちに、ミリュウは暗黒球の目前に達している。だが彼女もそのときには、最後の賭けに出ている。
「なーんて」
前面に展開させた刃片によって自身を後方へと弾き飛ばし、同時に、残るすべての刃片で構築させていた術式を完成させる。物凄まじい引力によって、ミリュウ自身を弾き飛ばした刃片たちは暗黒球に飲まれたものの、ミリュウの体そのものは無事、引力の圏外まで吹き飛ばされ、完成した魔法が白い少女に向かって殺到する、美しくも破壊的な光景を目の当たりにした。
集落の外周から中心近くへと放たれた無数の光線が、暗黒球の引力など黙殺して白い少女へと収束する。
ラヴァーソウルの刃片によって呪文を紡ぎ、詠唱させ、術式を構築したのだ。ミリュウはそれを擬似魔法と呼んでいる。召喚武装を介した魔法であり、自身の呪文と魔力だけで行使していた古代の魔法遣いたちと区別するため、そう呼称している。本物の魔法とは、大いに差異のあるものだ。本物の魔法ほど自由度は高くないが、威力は引けを取らないだろう。
魔法の威力は、この二年に及ぶ修練で、さらに引き上げられている。
「どうして」
無数の光線が白い少女の体をずたずたに破壊する中、叫びが聞こえた。暗黒球が消失したかと思うと、黒い戦士が背後を振り返り、少女を仰ぎ見る。黒い戦士は、少女に向かって手を伸ばそうとした。だが、魔法の光は、黒い戦士の腕など無視して白い少女の体だけを破壊していく。無慈悲なまでに圧倒的な暴力。
「どうして――」
少女の声が残響のように聞こえたときには、完全に白化した体は消え失せ、力とともに拡散していった。
魔法の光までもが消滅すると、黒い戦士の立ち尽くす姿だけが残された。
「ミリュウ様!」
「師匠!」
安心と歓喜に満ちた声に振り向くと、隊員たちの無事な姿があった。五体の神人のうち、三体は残っていたはずだが、見たところ、まったく動かなくなっているようだった。白い少女に操られていたとでもいうのだろうか。可能性は皆無とはいえない。神人は、神の毒気に侵されたものの末路だ。神の力とはいわないまでも、不可思議な力を持っているのは間違いないのだ。他の神人を操る能力を持つ神人がいたとしても、なんら不思議ではなかった。
「警戒を怠らない!」
「はっ、はいーっ!?」
部下たちの気を引き締め直すと、ミリュウは、やっと安堵の息をついた。
戦闘はひとまず、終わった。
少女を含め六体いた神人のうち、三体は核を破壊したことで活動を停止し、残り三体は少女の消滅とともに完全に動かなくなった。そして、黒い戦士も戦意を喪失させたように見える。こちらに向けられていた敵意も殺意も消え失せてしまっている。
(あの神人に操られていたようね)
全身が完全に白化した少女。おそらくこの集落に住んでいた少女であり、黒い戦士となにかしら関係があったのだろう。神人化し、支配する能力を得た少女は、その力を己の望むままに使い、他の神人たちや黒い戦士を支配した。
ミリュウは、頭を振って勝手な想像を打ち消すと、未だ空を仰ぎ続ける黒い戦士に歩み寄った。
「無事……よね?」
黒い戦士は、ミリュウの声にわずかに反応を示したものの、なにもいわず、ただ虚空を見つめ続けた。彼にとって少女がどれほど重要な存在だったのかは、想像に難くない。だから彼は少女の支配を受け入れ、従ったのではないか。たとえ少女がひとならざるものへと成り果てたのだとしても、彼女のためにできることをしてあげたいと想ったのではないか。
そんなことを想像してしまう自分の愚かさと、馬鹿馬鹿しさに吐き気さえ覚えながら、ミリュウは、黒い戦士が動き出すのを待った。




