第千六百七十九話 呪われた世界で(三)
「なにものでしょう? 武装召喚師のようですが……」
隊員のひとりが黒鎧の戦士を武装召喚師と断定したのは、その異様すぎるほどの鎧の形状によるところが大きい。召喚武装の多くは、実用性を度外視した装飾過多であり、異形過ぎるところが共通点として挙げられる。単純かつ素直な造形の召喚武装などほとんど存在しないといってもいいくらいには、召喚武装の異形感は凄まじい。
異世界の武器防具である召喚武装が、この世界の人間の美的感覚から大きく外れていたとしてもなんら不思議ではない。
漆黒の全身鎧は、確かに一見しただけで召喚武装と認定してしまいたくなるほどに装飾過多であり、異形だった。
が、ミリュウの場合は、鎧の異形感ではなく、その黒く大きな背中に見覚えがあり、瞬時に記憶が掘り起こされていった。
「……知っているわ」
ミリュウが告げると、さすがの隊員たちも驚き、ざわついた。
「でもまさか、こんなところで出会うなんてね。運命の皮肉といったところかしら」
「ミリュウ様?」
「師匠?」
「彼は、あたしの父オリアス=リヴァイアが側近だった男よ。クルセルク戦争でね、戦ったことがあるの。そのときは殺されかけたんだけど……」
「ミリュウ様が……ですか?」
「信じられません……」
「師匠、だいじょうぶ?」
部下たちが動揺を見せたのは、彼女の部下である護峰侍団の武装召喚師がミリュウの実力を把握しているからにほかならない。
七大天侍という肩書だけでは、従うものも従わない――ということもあり、何度となく実力を披露する機会が設けられた。それによってミリュウやルウファたち七大天侍に任命されたものたちは、リョハンの武装召喚師や住人に実力を認めさせ、信任を得たのだ。そうでもしなければ、彼らから信頼を勝ち取ることはできない。信頼がなければ、命を預けられるはずもない。それは互いの今後にとってこの上なく重要なことであり、ミリュウとしてはどうでもよくとも、必要不可欠な出来事であった。
エリナがミリュウのことを心配しているのは、無論、彼ら以上にミリュウの実力を知ってくれているからだし、彼女がミリュウを師として、ひとりの人間として敬慕してくれていることの証明だろう。
「心配しないで。あのときよりもずっと強くなっているもの。それに、あのときは敵対したけれど、いまは違うでしょう」
(たぶん……)
ミリュウは、自信なく胸中で付け足した。
彼女の記憶の中での黒い戦士は、クルセルク戦争におけるものだけしかない。オリアスが封印し、彼女が受け継いだ記憶の中には、それらしい人物は存在しなかった。それはつまるところ、オリアスによる“知”の封印後、黒い戦士が彼の配下に加わったということにほかならない。おそらく、クルセルクで見繕った部下であり、優秀な武装召喚師なのだろう。でなければ、オリアスが重用するとは想い難い。
その彼と戦い、敗れたのは苦い記憶だ。
勝てたはずなのに、敗れた。そして、殺されかけた。危うく死ぬところだった。その事実を思い出すだけで血の気が引く。もしあのとき、なにかの気まぐれで黒い戦士が立ち去らなければ、ミリュウはこの世を去っていたのだ。その後の様々な出来事も知らないまま、彼との想いでを作ることもできないまま、この世から消えていたことになる。
それは、少しどころではなく、辛い。
ただ、後の事を想えば、そのほうが良かったのではないか、と考えなくもない。
取り残されたものは、なにもないただの抜け殻にならざるをえないのだから。
彼女は頭を振ると、意識を黒い戦士に戻した。集落の広場、その真中に立ち尽くす人物は、こちらに気づいているのかどうかさえわからない。こちらに背を向けたまま、ただ、立っているだけなのだ。
「ここはあたしに任せなさい」
ミリュウは、部下たちの動きを片手で制すると、真っ先に集落に足を踏み入れた。
すると、黒い戦士がぴくりと反応した。ミリュウの足が集落に入った瞬間だった。さらに一歩進むと、黒い戦士の首が動き、また進むと、上体からこちらを振り返り、ついには向き直った。禍々しい漆黒の全身鎧には傷ひとつ見当たらない。とてつもない重圧がミリュウの全身を泡立たせる。
「あたしのこと、覚えているかしら」
ミリュウは、黒い戦士が意思を持って動いていることを把握して、まず、声をかけた。そして相手の反応を伺う。表情は、わからない。兜が顔面を覆い隠しているからだ。全身を覆う黒鎧は、想像上の悪魔を想起させた。
「クルセルク戦争でね、あなたに殺されかけたのよ――っていっても、髪の色が違うからわからないか」
ミリュウは、苦笑交じりに告げて、即座に左に跳躍した。黒い暴風が右側を擦り抜けたかと思うと、圧力が彼女の体を吹き飛ばす。歯噛みして、着地する。成功。視線を巡らせる。黒い戦士は、既にこちらを捕捉している。飛んだ。太刀を振り上げ、豪快に叩きつけられた拳の一撃を防ぐ。激突音とともに火花が散る。真紅の刀身が砕け散り、視界をあざやかに彩った。瞬間、ミリュウは右に飛んだ。柄を振り翳し、ラヴァーソウルの能力を発動する。黒い戦士の巨体が面白いように吹き飛んだ。結晶化した家屋に突っ込み、轟音とともに家屋が倒壊する。
結晶片がきらきらと舞った。
「問答無用なら、こっちにだって考えがあるわ」
「さすが師匠!」
「これくらい、勝ち誇るようなもんでもないってば」
エリナの身内贔屓全開の賞賛に苦笑しつつ、彼女は警戒を緩めなかった。黒い戦士の召喚武装である鎧にも、当然、特別な能力がある。その能力によってミリュウは敗れ去っている。能力を使わせてはならない。使わせれば、またしても負ける可能性がある。
(とはいえ……)
ミリュウは、エリナたちを一瞥した。エリナに、二十人の武装召喚師が臨戦態勢に入っている。相手はひとり。負ける要素はなかった。たとえミリュウが窮地に陥ったとしても、彼らがいる限り、どうとでもなる。そう考えていたときだった。
爆音とともに結晶化した家屋が吹き飛ぶと、結晶片が空高く舞い上がり、雪のように降り注いで視界を彩った。そして。
「どうして」
こちらを非難するような少女の声が、聞こえた。
「どうしてわたしたちの安息を邪魔するの?」
すると、集落のそこかしこに倒れていた死体が突如として動き出し、跳ね起きた。調査隊の中から悲鳴が上がる。見ると、隊員のひとりが、白く発光する木の根のようなものに腹を貫かれ、空中高く持ち上げられていた。隊員たちが散開する中、別の隊員の首が宙を舞い、また違う隊員の体が真っ二つに断ち切られた。隊員たちを襲ったのは、起き上がった死体から伸びた器官であり、人間の体には本来存在しないものだった。そして、死体ではなかったものたちの体の一部が白く発光し、変形していることが確認できる。
その数、五体。
「神人よ!」
おそすぎる警告を発しながら、彼女は己の迂闊さを呪った。集落に落ちていた死体が神人化していたとは想像もつかなかった、などという言い訳もできまい。無能の極みだ。それくらい、予想しておくべきだった。
この森に集落など存在しなかったのだ。
なんらかの強大な力が作用し、時空を捻じ曲げたのだと想像しておくべきだったのだ。
「わたしたちはただ静かに眠っていたいだけなのに」
少女の声は、爆砕した家屋――つまり、黒い戦士の方角から聞こえてきていた。
「わたしたちはただ、ここで終わりを待っていたいだけなのに」
「お……おお……おおおおおおっ!」
咆哮は、おそらく黒い戦士のものであり、結晶片を撒き散らしながら家屋の跡地から飛び出してきた黒い影に対し、ミリュウはラヴァーソウルの刃片を打ち込みながら、エリナに目配せした。
この状況を突破する方法は、ひとつしかない。
敵を殲滅するのだ。




