第千六百五十八話 夢の終わり(五十)
聖王国軍を相手に戦い始めてどれほどの時間が経過したのか。
中天に至った太陽が下り始め、空の色合いが変化を始めていた。冬の風の到来。寒風が吹き抜け、戦場の熱狂を冷まそうとするが、狂気を帯びた熱量は寒風などものともしない。戦場は、時間経過とともに混沌の度合いを増している。
三大勢力同士の戦いそのものが激化し、本格化していた。主戦力の激突による余波がガンディオン周辺の大地を烈しく揺らし、大気を震わせ、天を割るかのような大音声を響き渡らせる。何百万もの将兵が入り乱れ、瞬く間に数え切れないほどの命が散っていく。
これは儀式だ。
三大勢力の神が望む、聖王復活のための儀式であり、術式なのだ。
闘争が呪文となり、血が術式を結ぶ。
ガンディアの大地に染み込む血の量が増えれば増えるほど、術式の完成は加速する。
止まらない。止めようがない。たとえ三大勢力を撃退することに成功したとしても、そのときには術式は完成しているだろう。また、仮にこの戦いにセツナが参戦しなかろうとも関係がない。三大勢力の激突によってでも大量の血が流れるのだから。
だから、というわけではないが、セツナは、聖王国軍を相手に大立ち回りを演じることを止めなかった。ウルクとともに、加速度的に敵を蹴散らし、魔晶兵器群を破壊し、魔晶人形を粉砕していく。
セツナが黒き矛の一閃で十数人の敵兵を撃破すれば、ウルクは持ち上げた装甲車を放り投げて聖王国兵を押し潰し、ウルクが波光砲によって前方の敵を一掃すれば、セツナは、全力攻撃によって周囲の敵を消滅させた。黒き矛と特注製魔晶人形の連携攻撃の前には、さしもの聖王国軍も手も足も出ないといった状態であり、セツナとウルクを無視して王都に迎えという指令が飛び交った。そんな声を聞き逃すセツナであるはずもなく、空間転移によって聖王国軍の進路に先回りし、黒き矛の光線で先頭集団を薙ぎ払った。
「一向に減らねえな」
「当たり前です」
セツナは、ウルクのにべもない一言に苦笑した。ウルクは魔晶人形だけあって息を乱してもいないが、セツナは、呼吸が荒くなってきていた。体力も精神力も消耗している。戦闘が始まってから数時間、ほぼ休みなく戦い続けているのだ。疲れもするだろう。かといって、後退して休めるかというと、そんな余裕があるはずもない。敵は、王都まであと少しというところにまで迫っているのだ。ここで下がるということは、王都まで後退するということであり、セツナたちがそんなことをすれば、聖王国、帝国の両軍が王都に達するだろう。
そうなれば、王都までもが三大勢力に踏み荒らされることになる。
そんなこと、許せるわけもない。
「ディール軍は、総勢二百万の兵を動員しています」
「ザイオン、ヴァシュタリアも同程度、だぜ」
「つまりこの三倍の敵を撃退しなければならないということです」
「わかってるさ」
この程度で音を上げている場合ではない、ということだ。
セツナは、数百体の魔晶人形が聖王国軍の先陣に姿を見せたことに目を細めた。量産型魔晶人形一体一体の能力は、決して高くはない。ウルクと比較するまでもないといったところだが、何百、何千という数の魔晶人形が一斉に襲いかかってくればその限りではないのだ。魔晶人形は、人間ではない。みずからを囮とした自爆攻撃を行ってくることもあり、そのせいで危うく負傷しかけたことがあった。遠隔操作ということで繊細な動きはできないはずなのだが、中には人間ではないことをいいことにそういった戦術を取る魔晶人形もいた。
もしかすると、遠隔操作型とは異なる操縦方法の魔晶人形も存在するのではないか。
セツナはそんな疑問を抱きながら、ウルクが両腕を掲げるのを見た。
「消耗しすぎるなよ」
「了解しました」
魔晶人形の群れもまた、右腕を掲げている。手の先に閃光が生じたとき、セツナはウルクの背後に身を隠し、彼女の防壁に期待した。ウルクは期待通りに波高の壁を構築し、セツナを波光砲の直撃から守ってくれ、敵の斉射が止んだ瞬間、最大威力の攻撃を解き放った。
「複合式波光砲、発射」
両腕から放たれる波光砲が、セツナたちの前方に居並んでいた魔晶人形を爆発の光に飲み込み、後方の聖王国兵もとろも焼き尽くし、消し滅ぼした。またしてもガンディアの大地に半球形の大穴が出来上がり、膨大な熱量が渦を巻く。
聖王国軍の動きが止まる。
複合式波光砲の威力の前には、敵も味方も沈黙せざるを得ない。そして、その沈黙を見逃すセツナとウルクではなく、ふたりはほぼ同時に敵陣に飛び込み、敵兵を血祭りに上げていった。
何十人、何百人―いや、何千人以上倒しただろう。
ウルクの波光砲だけで数万人の聖王国兵が死んだのではないか。
セツナ自身、既に何万人かは殺している。クルセルク戦争のときは、一万体以上の皇魔を殺したものだが、今回はそのとき以上の殺戮を行っていた。まさに大量殺人以外のなにものでもなかったが、三大勢力への怒りに燃えるセツナは、押し寄せる敵兵を殺すことになんの痛痒も感じていなかった。
(死にたくなけりゃ出てくんなよ!)
胸中で吼える。
悲鳴のような叫び声を上げながら迫りくる敵兵の首を刎ね、また、別の兵士の胴を薙ぐ。十数人を一度に切り裂き、絶命させ、光線を発射して百人単位で撃滅する。
(てめえらだって同じことをしてきたんだろうが!)
ウルクの波光砲が嵐のように吹き荒れ、千人ほどが蒸発する。途端、何十体もの魔晶人形がウルクに取り付き、山のように折り重なる。が、セツナは援護に迎えない。何十体もの魔晶人形が同じようにして、彼に取り付いてきたからだ。隙を見せたわけではない。
明らかに、動きが変わっていた。
(ここに来るまでどれだけの国を蹂躙してきた!)
痛みがあった。魔晶人形の力によって肩当てが引き剥がされ、別の人形の手で肩の肉が抉り取られたのだ。太腿や脛の肉も抉られていく。爆音が聞こえた。ウルクだろう。
(どれだけのひとを殺してきた!)
セツナは、怒りの赴くまま、力を解き放った。全周囲への力の拡散がセツナに取り付いた魔晶人形たちを吹き飛ばしながら破壊し、粉々に打ち砕く。
(どれだけの声に、耳を貸さなかった!)
それは、セツナ自身の悲鳴でもあった。
三大勢力が聞く耳を持ってくれていれば、このようなことにならずに済んだはずだ。国々の声に耳を傾け、交渉に応じてくれてさえいれば。だが、土台無理な話だったということも、彼は知っている。三大勢力は神に率いられている。神の目的は、聖皇の復活による回帰。そのためには血を流す必要があり、国々を蹂躙する必要があった。
端から、小国家群は滅び去るさだめにあったということだ。
あまりにも理不尽であり、あまりにも救いのない物語。
セツナは、絶望的な怒りの中で、降り注ぐ矢の雨を仰いだ。波光の光がセツナの頭上を駆け抜け、矢を焼き払う。ウルクだ。
「さすがは我が宿敵」
「宿敵?……はっ」
セツナは、頭上から降ってきた声に冷ややかに笑うほかなかった。
「だれが宿敵だって?」
見上げると、全身を精霊金の装甲で覆った巨人が、その鋭いまなざしでこちらを見下ろしていた。半年近く前戦ったときよりも巨大化しているように見えるのは、気のせいではあるまい。巨人の末裔は、人間そのものといってもいい通常形態と白い外骨格に覆われた戦闘形態を使い分けていたのだ。質量を増大させることができてもなんら不思議ではなかった。
「汝のことだ。セツナ!」
巨人が吼え、踏み出した。巨人の進路上からは聖王国軍の兵士が退散しており、道ができていた。巨人は四足歩行兵器よりも巨大なのだ。爪先で蹴飛ばされるだけでも重傷を負うだろうし、足に踏まれでもすれば即死するに違いない。そして、凶悪無比の敵の相手ならば不老不滅の巨人に任せるのが上策というものだ。聖王国軍の動きは理にかなっている。
だが敵兵が散開し道を作ったということは、セツナがグリフに向かって突き進む道もできたということだ。
セツナは、後方をウルクに任せ、自分はグリフを戦場から排除するべく、前進した。五メートルを優に越す巨躯が大地を蹴るたびに、地面が揺れ、振動が衝撃波の如く押し寄せる。その尽くを上手くかわし、また、進軍路の両側から雨のように浴びせられる無数の矢も矛を振り回して弾き落とし、進む。グリフの左足が地面に減り込み、右腕が振りかぶられる。セツナは、頭上を仰ぎ、凄まじい速度で降ってきた拳に対し、矛を振り上げた。
「おおおおっ!」
「うぉおおおお!」
巨人の拳と黒き矛が激突した瞬間、互いの力が炸裂し、余波が周囲のなにもかもを吹き飛ばす。地面が大きく抉れ、土砂が舞い上がり、グリフの援護をしていた兵士たちも巻き込まれて吹き飛び、悲鳴が上がった。
セツナとウルクを中心とする一帯に吹き荒れた力の渦は、多数の聖王国兵、魔晶人形を巻き込んだが、大勢に影響はない。
セツナは無事だったし、グリフも、何事もなく存在している。
「見事だ」
グリフの右拳から前腕は粉々に消し飛び、大量の血が雨のように降り注いでいたが。
もちろん、右腕を吹き飛ばした程度では意味がないことは、セツナもよく知っていることだ。不老不滅の呪いを受けたものを滅ぼすことなどできるとは思えない。それでも立ち向かったのは、グリフを相手にしながら聖王国軍と戦い続けるのは至難の業だからだ。
グリフは死ななくとも、セツナは致命傷を負えば死ぬ。そこで終わりだ。グリフは、戦鬼と呼ばれるだけあって恐ろしく手強い。おそらく、戦いの最中、セツナが見せた隙を逃すことはないだろう。そして、彼は油断しないだろうし、手加減してくれるはずもない。アズマリアとの約束が効力を失っているのは、以前の戦いから明らかだ。
「だが、これはどうか」
グリフの露出した右腕が変質する。巨大化した人間の腕から表皮が剥がれ落ちたかと思うと、白き外骨格が露出する。グリフが戦闘形態に移行したのだ。まず間違いなく、鎧に隠れている部分も変化しているだろう。戦闘形態になったグリフは、通常時よりもさらに狂暴であり、凶悪だった。
セツナが相手にするのも嫌になるくらいの強敵だった。
なぜならばグリフは死なないからだ。
セツナがどれだけ強烈な攻撃を叩き込んでも、グリフは瞬時に復元し、戦いを継続してくる。そしてそれはきっと、セツナが力尽きるまで続くのだろう。それはつまり、セツナが諦めるまでと同義だ。力尽き、諦めたとき、セツナの命数もまた、尽きる。
だからこそセツナは、先の戦いでグリフを強制的に空間転移させたのであり、今回もそれを狙っていた。
グリフほどの巨躯を転移させるには、大量の血を流させるよりほかない。
上空から落下してきた巨大な両腕を飛び退いて回避し、爆音とともに飛散する岩片を蹴って再跳躍する。矛先をグリフの頭部に向け、光線を発射。光の帯がグリフの兜を貫通するのを見届ける間もなく、呪文を唱えている。
「武装召喚」
ランスオブデザイアを左手に召喚し、螺旋状の穂先を回転させながら着地する。頭部を破壊されたグリフが行動を再開するまでのわずかな時間に、地上から接近してきた魔晶人形を矛の一薙ぎで蹴散らし、ウルクの波光砲が聖王国軍を飲み込む光景を目の当たりにする。弐號躯体のウルクは、とんでもない戦力となっていて、セツナは、彼女に希望を見出しかける自分に苦笑した。馬鹿げた幻想だ。振り仰ぐ。巨人の頭部の復元が完了し、兜の破片がセツナの目の前に落下した。頭部も、白き外骨格に覆われた状態であり、双眸から溢れる光が彼の異様さを示していた。
白き巨人が吼え、地面に突き刺さった両腕を振り上げる。周囲の地盤ごと粉砕する攻撃だったが、セツナはそのときには空中に飛び上がり、グリフの腕を駆け上がっていた。二の腕から胸元へと跳躍し、轟音を上げながら高速回転するランスオブデザイアを胸甲に叩きつける。凄まじい速度で回転する螺旋の穂先は、一瞬にして巨人の胸甲を貫き、肉や臓器を掻き回して血飛沫を散乱させていく。巨人が咆哮を上げる。悲鳴にも似た慟哭を聞きながらセツナは螺旋槍を振り回す。爆音を上げながら回転する槍は、回転速度次第では黒き矛以上の破壊力を発揮しうるのだ。
大量の血が視界を紅く染める中、セツナは黒き矛を構えた。振り抜き、グリフの体を切り裂こうとした。既に空間転移に必要な量の血液は確保したはずだったからだ。だが。
(え?)
セツナは、黒き矛の切っ先がグリフの筋肉に衝突し、そこで動かなくなったことに愕然とした。一瞬、なにが起こったのかわからず、頭の中が真っ白になる。見ると、ランスオブデザイアによる破壊も止まっている。回転槍がグリフの体内を傷つけることすらできなくなっていた。すると、見る見るうちに傷口が塞がり、セツナは、グリフの体内から押し出されるようにして、地上に落下していった。
グリフの目がこちらを見ていた。彼も、怪訝な表情をしているように見えた。遠ざかっていく。このまま落下して、死ぬのではないか。ふと、そんなことを想った。紅くなり始めた空があまりにも遠い。死は、覚悟していた。死ぬための戦いだった。勝ち目のない、絶対に負ける戦い。敗北とは死であり、死なない限り戦い続けただろう。だが、だとしてもこのような死に様は想定していなかった。あまりにもあっけなく、あまりにも情けないとしかいいようがない。
「セツナ!」
突如間近で聞こえたウルクの声が切羽詰まっていたように想えたのは、気のせいだろう。
「ウルク?」
「無事ですね?」
「……ああ。そのようだ」
セツナは、ウルクの腕の中にいることに気づいて、うなずいた。セツナ自身は、先程の攻防で負傷していない。ただ、黒き矛の斬撃が通らなくなり、そのあまりの異常事態に思考停止に陥り、再生する肉体に弾き飛ばされただけのことだ。そして、常にセツナに注意を向けていたウルクの迅速な反応により、命を救われた。
「ありがとう、ウルク。助かった」
「いえ。セツナを護るのがわたしの使命です」
ウルクは、当たり前のようにいって、セツナを腕の中から解放してくれた。セツナは、ウルクに感謝しながらもすぐさま、先程の現象に意識を戻した。
なにが起こったのか、まったくわからない。
(なにが起きた?)
直前まで、ランスオブデザイアの脅威的なまでの破壊力を堪能できていたのだ。胸甲を貫き、外骨格を破砕し、筋肉や内臓をずたずたに引き裂いた。さらに破壊範囲を拡大することで、グリフをこの戦場から退散させるための血を用意できたのだ。あとは、黒き矛で切りつけ、空間転移を発動させるだけでよかった。
それなのに、黒き矛はグリフの内臓を切り裂くことさえできなかった。まるでなにか見えざる盾にでも防がれたかのような現象。
(まさか)
ふと、脳裏を過ぎった可能性に、彼は頭を振った。そんなことはありえないと全力で否定する。ありえない。あるべきことではない。そもそも、なぜそんなことが起こりうるのか。彼がなぜ、グリフを護る必要があるのか。彼は、ヴァシュタリアの人間であり、神子と合一を果たした存在だ。ヴァシュタリアにとって厄介な存在であるグリフが退散することを喜びこそすれ、暴れまわり続けることを容認できるわけがない。
「セツナ。変です」
ウルクの妙な発言にセツナは彼女を振り返った。ウルクは、量産型魔晶人形を相手にしていた。弐號躯体ウルクと量産型魔晶人形では、力の差は歴然としている。相手にならないという次元ですらない。セツナは、ウルクが容易く量産型を破壊する光景を想像しながらも、彼女に問いかけた。
「どうした?」
「わたしの攻撃が効かないのです」
「攻撃が効かない?」
「はい。それだけではありません。敵の攻撃も、わたしに効きません」
ウルクがそういってきたとき、量産型魔晶人形の発射した波光砲がふたりを包み込んだ。熱を感じたものの、発汗を促すほどのものですらなかった。真夏の太陽ほどの熱量もない。まばゆい光が通過していったというような感じであり、セツナは、その感覚に呆然とするほかなかった。
「どういうことでしょうか?」
ウルクの疑問に対する答えは、ひとつしかなかった。
疑問の声は、聖王国軍の兵士たちの間からも上がっていた。
セツナに叩きつけられたグリフの拳も、セツナを叩き潰すことは愚か、傷つけることさえできないまま、頭の上で停止した。頭の上になにかが乗ったというような感覚しかなかった。それはさながら絶対無敵の見えざる盾が、セツナのみならず、この場にいるすべての存在を守っているかのようであり、その推測こそが正解であることを、セツナはよく知っていた。
ランスオブデザイアを送還し、黒き矛だけを握りしめる。意識を集中させ、あらゆる感覚を研ぎ澄ませる。
王都方向を見やる。
王都上空を北方から迫る白き軍勢が覆い尽くさんとしているのが見えた。ヴァシュタリア軍なのだろう。だが、ヴァシュタリア軍にしては様子が変だった。ヴァシュタリア軍を構成するのは、教会の騎士団を中心とする地上戦力と、空中戦力である飛竜だったはずなのだが、上空から王都に迫りつつあるのは、それらとはまったく異なるもののように見えた。
白き翼を持つ人外異形の群れ。
そして地上を、王都方面からこちらに向かって歩いてくるものたちがいる。聖王国軍が彼らを攻撃するが、弓射も波光砲も彼らには一切効果がなかった。
「王都の南側で、聖王国軍相手にたったひとりで暴れている人間がいるなんて聞いたときから察していたけれど、まさか本当に君だったとはね」
その集団の先頭を歩く青年は、真円を描く純白の盾を抱えていた。あざやかな光を発するそれは、セツナの網膜に強く焼き付いている。シールドオブメサイア。
「セツナ」
クオン=カミヤ率いる《白き盾》が現れたのだ。




