第千六百五十五話 夢の終わり(四十七)
セツナの視界を青白く染め上げた閃光は、その莫大な熱量によって空中の魔晶人形を破壊しながら吹き飛ばしていった。
それは、さらなる上空からの砲撃であり、地上に展開する聖王国軍にも打撃を与えた。悲鳴がこだまし、動揺が、急速に広がる。また誤射かと喚く声があった。だが、いまの砲撃がセツナではなく、セツナに狙いを定めた魔晶人形を撃ち落とすためのものであるのは明らかだ。
(だとしても、なんのために?)
セツナが疑問を抱いている間にも、二度、三度と波光砲が降り注ぎ、聖王国軍を焼き払う。
量産型の波光砲よりも明らかに威力、範囲ともに優れたそれは、彼の眼前から聖王国兵の集団を薙ぎ払い、量産型魔晶人形を何十体も薙ぎ倒していた。莫大な熱量によって舐め尽くされた大地からば熱気がむんむんと立ち上り、セツナの目に映る風景をわずかに歪めている。聖王国軍もなにが起こったのか理解できず、戸惑い、混乱している。量産型魔晶人形さえ動かなくなっていた。指揮系統に混乱が生じているのかもしれない。
セツナは、一先ず、足首を掴んでいた魔晶人形の胸に矛を突き入れて心核を破壊すると、頭上を仰いだ。上空からの波光砲は、止んだ。だが、波光砲の砲撃手はまだ上空にいるか、落下中であるはずだ。
そしてそれは、セツナの視界を降下してくると、彼の眼前に降り立って見せた。
一見、人間と認識しかねないほどに丹念に作り上げられた躯体は、芸術的なまでの美しさを誇っていた。長い灰色の髪が熱風に煽られ、淡く発光する双眸がこちらを見ている。顔つき、体型、どれをとっても彼のよく知る魔晶人形によく似ていた。だが、若干違っているように見えた。無機的な表情は相変わらずなのだが、どこか柔和に見えたし、体格も多少違っている。詳しくは不明だが。また、最大の違いとして、その背に一対の巨大な翼があった。いや、翼というのは正しくないだろう。翼の骨格だけ、といったほうが正しい。それも金属の骨格だ。それだけで飛べるようには見えなかったが、何か仕掛けがあるのだろう。
そしてさらには、彼女は両肩に巨大な物体を乗せていた。円筒状のそれは、砲身としかいいようがなく、背部の翼や、巨大な肩当て、胸部装甲と一体化しているようだ。さきほどの砲撃は、この砲身から発射されたものに違いない。ウルクの波光大砲よりも高威力、広範囲に及ぶ砲撃だった。
「なにをしているのですか」
彼女の第一声が、それだった。小首をかしげる仕草は、きょとん、という言葉が似合う。
セツナは、彼女のその発言にただ唖然とするほかなかった。
「なにを……って」
そう言いたいのはこちらのほうだったし、聖王国軍の将兵もきっとそう想っているだろう。そして、聖王国軍がウルクを攻撃対象に認定したことが、そこかしこの声からわかる、魔晶人形の攻撃もセツナとウルクに分散した。
ウルクは、こちらを見たまま、飛びかかってきた魔晶人形を長い足で蹴り飛ばした。
「わたしの顔に何かついているのでしょうか」
「そうじゃねえよ!」
敵の攻撃をかわすついでに四足歩行機の下から飛び出し、ウルクの側に近づく。ウルクは、聖王国軍の敵となってしまった。彼女が聖王国軍に大打撃を与えたのだから当然のことだ。しかし、彼女が聖王国と敵対した理由は、わからない。
「なんでおまえがここに……っていうか、おまえ、なにやってんだよ!」
「質問はひとつずつにしてください。戦闘中です」
「戦闘中だからだろ!」
叫びながら殺到する魔晶人形を捌き、撃破する。胴を切り裂くだけでなく、心核を破壊して活動停止状態に追い込んでだ。
「はい?」
「おまえ、聖王国の魔晶人形じゃねえのかよ」
「はい」
彼女は、肩に負った砲身を無造作に引っこ抜くと、おもむろに放り投げた。巨大な金属の塊だ。兵士たちは避けようとしたが、避けきることもできず激突し、押し潰された。
「わたしは、神聖ディール王国魔晶技術研究所が開発した魔晶人形ウルクです。所長ミドガルド=ウェハラム及び、研究者、開発者が魔晶技術の粋を結集して作り上げた、それがわたし。神聖ディール王国がミドガルドの技術を盗み、勝手に作り上げた、あのような失敗作とは違います」
ウルクの抑揚のない声の中に、確かに怒りの感情を感じ取って、セツナは、彼女が量産型魔晶人形を敵視していることがわかった。彼女が開発者であるミドガルドを敬愛していることも、研究所のひとびとにも同じような感情を抱いていることも、だ。そしてその結果、彼らが得た魔晶技術を利用して作り上げられた量産型魔晶人形が許せないのだろう。
「だからって」
「ミドガルドが、わたしに力をくれたのです」
そういいながら、彼女はもう片方の砲身を肩当てから引き剥がす。力とは、どうやらその砲身や翼のことではないようだ。
「ミドガルドさんが?」
「ミドガルドはいいました。わたしの想うままに生きよ、と。ディールのために戦うか、セツナの元へ赴き、力を貸すか、好きにせよ、と。わたしには、セツナ……あなたが必要です」
だから、彼女はセツナを援護し、聖王国の敵に回った。その気持ちそのものは、この上なく嬉しいことだ。しかし、同時にある現実を直視して、辛くもなる。
「ミドガルドさんと敵対することになってもいいのか」
「ミドガルドとは逆のことをいうのですね」
ウルクが魔晶人形を砲身で殴りつけながら、いう。砲身も精霊合金製なのだろう。量産型の装甲がひしゃげたり、頭部が吹き飛んだりした。どうも、ウルクの馬力が上がっているように思えてならない。
「ミドガルドは、わたしがセツナと敵対することを望んでなどいませんでした。わたしがディールの人形となり、セツナと殺し合うような結末、認められないと」
それはそうだろう――セツナは、そう思わずにはいられなかった。ミドガルドは、ウルクを実の娘のように愛していた。戦闘兵器にそのような愛情を注ぐのは、奇妙なことかもしれない。しかし、ウルクには自我があり、間違いなく感情があった。親愛の情を抱くのは必然であったし、だからこそセツナたちも彼女を受け入れ、信頼するようになった。
ミドガルドがウルクの心に渦巻く想いを優先しようとするのは当然のことだ。
「ミドガルドには、感謝しています。わたしに新たな躯体を用意してくれていたのですから」
「新たな躯体?」
「はい」
ウルクは、魔晶人形を殴りすぎてひしゃげてしまった砲身を敵兵に向かって投げつけると、左手を翳した。魔晶人形の内蔵兵器を理解している聖王国兵たちがわっと散開する。
「この躯体、弐號躯体というのだそうです。ミドガルド曰く最大出力が二倍近くにまで跳ね上がっているはずとのことですが、本当のところはわかりません。しかしながら、波光の動力変換効率が向上しているのは間違いなく」
ウルクが解説しながら、左腕に内蔵された兵器を開放する。波光大砲。青白くも美しい光がセツナの視界を埋め尽くし、ウルクの灰色の髪が激しく揺れた。音は、聞こえなかった。あまりに巨大な爆音だったのだろう。耳が聞くことを拒んだのだ。そして、衝撃波が来る。余波で吹き飛ばされなかったのは、ウルクの右手がいつの間にかセツナの鎧を掴んでいたからだ。余波は熱を帯びており、セツナは全身から汗が吹き出すのを止められなかった。
そして。
「ほら」
「ほら、じゃねえよ。なんだよそれ」
セツナは、ウルクが示した光景のあまりの凄まじさに茫然とした。ウルクの前方広範囲に渡って更地ができていた。その範囲内にいた聖王国軍兵士、魔晶人形、魔晶兵器が跡形もなく消し飛んでいる。何十人、何百人どころではなかった。ざっと数千人以上の聖王国兵が消滅している。聖王国軍に動揺が走り、ウルクに攻撃が集中し始めるのも無理のないことだった。しかし、どれだけ矢が飛来しようとも、ウルクの躯体を傷つけることなどできるわけもなく、量産型魔晶人形さえ、彼女の手にかかれば雑魚同然となった。
ウルクが、量産型魔晶人形の胸に手刀を叩き込み、貫く。
「セツナ。この力であなたを守ります。そのためにミドガルドがわたしに弐號躯体と、翼を与えてくれたのですから」
「ウルク……」
「さあ、行きましょう」
「どこへ」
「どこへでも。セツナの思うままに」
その発言から、彼女の考えが読み取れた。
ウルクは、セツナをこの戦場から退避させたいと想っているようだ。ウルクから見れば、セツナがこの戦場に身を投じる意味はない。そして、勝ち目もないと判断されているのだ。これほどの物量差、戦力差。だれが戦っても死ぬしかない。
それは無論、ウルクも同じだろう。ウルクは、弐號躯体に変わったことで圧倒的な力を得た。それこそ、量産型魔晶人形など軽くいなすように破壊して見せるほどだ。だが、ウルクの動力も無尽蔵ではない。魔晶石に蓄積された力が失われたとき、彼女は機能停止に陥る。魔晶人形にとっての機能停止は、人間にとっての死と同じだ。もちろん、人間とは違って、心臓となる魔晶石を取り替えれば再起動する。が、予備の魔晶石がなければ、セツナにそのようなことができるわけもない。もしその知識があったとしても、交換する時間的余裕はないだろう。
「どうしました?」
ウルクが更地から迫ってきた二足歩行兵器を片手で持ち上げ、投げ飛ばす。操縦者が悲鳴を上げながら操縦席である台座から投げ出され、悲鳴を上げながら落下する中、飛来する魔晶兵器を避けるべく聖王国軍兵士たちが散開していく。だれもいなくなった地面に魔晶兵器が激突し、沈黙する。敵兵は、その様子を見て、ウルクを一瞥した。ウルクの馬力は、量産型魔晶人形を遥かに凌駕している。
「すまない、ウルク」
「なぜ謝るのです、セツナ」
「俺は、ここから逃げない」
「セツナ?」
ウルクがこちらを見て、小首を傾げた。ここぞとばかりに魔晶人形たちがウルクに打撃を叩き込むが、ウルクは傷ひとつ負わなかった。よく見ると、ウルクの全身を淡い光が包み込んでいる。弐號躯体に内蔵された機能なのかもしれない。
「あなたがなにをいっているのか、理解できません」
「理解できようができまいが、関係ない。説明もできない。感情なんだ」
「感情……?」
「俺は、ガンディアの大地を蹂躙する連中を叩き潰すまでは、ここら退かないと決めたんだ」
「それはつまり、ディール、ザイオン、ヴァシュタリアの全軍を撃退するという意味ですか?」
「そのとおりだ」
「あなたはご自分がなにをいっているのか、理解しているのですか?」
「無茶は百も承知だ」
敵の数はあまりにも膨大だ。魔晶人形、魔晶兵器も多数、二万人近い武装召喚師に、ヴァシュタリアの戦力は未知数。黒き矛の全力を投じても倒しきれるものではない。それくらいわかっている。やがて力尽き、倒れるだろう。そして殺される。そんなことは理解しているのだ。
それでも、戦わなければならない。
でなければ、これまで自分が歩んできた道をみずから否定しなければならなくなる。
なんのために戦ってきたのか。なんのために駆け抜けてきたのか。なんのために殺してきたのか。数え切れない命を奪ってきたのは、この国の勝利のためだ。それだけのために身命を賭して来たのだ。そのすべてが、いままさに水泡に帰そうとしている。三大勢力によって蹂躙され、無に還ろうとしている。そんなもの、許せるわけがない。
受け入れられる訳がない。
だから戦って、否定してやるのだ。
その結果、死んだとすればそれは本望だろう。
「だがな、俺はもう、決めたんだよ」
脳裏に翡翠色の髪が過る。
「ラグナには悪いがな」
ラグナは、命を燃やしてセツナを守ってくれた。セツナがこうして生きていられるのは、ラグナのおかげだ。ラグナは、セツナになんとしても生きろといった。そして、セツナも、生まれ変わった彼女を探し出して見せると約束した。
ここで死ねば、約束は果たせない。
初めて、約束を破ることになるかもしれない。
「……わかりました」
ウルクが背後から迫ってきていた魔晶人形に右手の甲を叩き込んで、いった。
「わたしも、あなたとともに戦います」
「ウルク」
「わたしは、あなたの下僕参号。先輩が守り抜いた御主人様の命、わたしが護らずしてだれが護るというのですか」
ウルクのその言葉ほど心強いものはない。
「ああ、頼りにしているよ、ウルク」
「おまかせください、セツナ」
弐號躯体となったウルクは、以前にも増して強力無比な存在だ。
セツナは、心の奥底から闘志が湧き上がってくるのを止められなかった。
勝てるかもしれない。
そんなありえない幻想を抱くほどに、ウルクとの合流は嬉しかった。なにより、彼女と敵対しなかったことはこの上なく喜ばしいことだ。彼女を倒すことは不可能ではない。しかし、セツナの考えとして、彼女を傷つけるようなことはしたくはなかったのだ。ウルクの攻撃をかわしながらでは、戦えるものも戦えなくなる。
そんなことを考える必要がなくなった。




