第千六百五十三話 夢の終わり(四十五)
戦場が大きく動いている。
セツナは、黒き矛の力によってガンディオンを中心とする一帯の状況をある程度把握できていた。三大勢力の同時進行は、三大勢力同士の激突を招き、各所で激しい戦闘が繰り広げられているのがわかる。セツナたちガンディア軍は王都南方に軍を進めたが、三大勢力が展開するのは王都の南側だけではないのだ。三大勢力すべてを撃退するのであれば、北側にも戦力を派遣しなければならない。だが、そのような戦力が用意できるわけもなく、南側に集中させるしかなかったというわけだ。
そもそも、死ぬための戦いという大前提がある。
勝てるわけがないのであれば、北側に戦力を割く必要はない。
とはいえ、北側は北側で一筋縄ではいかないような状況のようだ。
北部から王都を目指すヴァシュタリア軍に対し、西から神聖ディール王国軍が、東からザイオン帝国軍が攻撃をしかけており、ガンディオン北部は泥沼の様相を呈していた。帝国軍の武装召喚師、聖王国軍の魔晶兵器が入り乱れる中、ヴァシュタリア軍もなんらかの戦力を繰り出しているらしい。
また、三大勢力の全戦力が、戦いに集中しているわけではない。
帝国軍でいえば、北側の部隊はヴァシュタリア軍を攻撃し、南側の部隊は聖王国軍を攻撃しているが、中央の部隊は、王都に向かって進軍中だ。それは他の大勢力も同じであり、それぞれに同程度の距離まで王都に近づいていた。
セツナは、帝国軍第二陣の真っ只中で武装召喚師たちと戦闘中であり、その第二陣が急速に動き始めたことに気づきながらも、まずは残り十数名の武装召喚師をまずは対処しなければならなかった。武装召喚師たちの連携攻撃は激しく絡み合い、見事というほかない。二万人という大人数を誇る帝国の武装召喚師は、もしかしなくとも、《大陸召喚師協会》やリョハンの武装召喚師よりも組織的な訓練を受けているのだろう。
だが、負ける気はしなかった。
敵武装召喚師の苛烈極まりない攻撃の数々も、セツナの目には見えている。超絶的に強化された感覚が予備動作を捕捉し、視線や体の向きが攻撃方向や攻撃範囲を推測させる。超反応によって回避し、そのつぎの瞬間には攻撃してきた武装召喚師の首を刎ねている。そのようにしてひとりひとり確実に倒しながら、セツナは帝国軍兵士をも殺戮した。
敵をひとりでも多く殺してやる。
セツナを突き動かすのは怒りの炎だ。愛する自国を蹂躙するものたちへの怒りが、燃え盛る炎となって体の内側を焼き尽くし、激情が破壊的な一撃を繰り出させる。
大気を引き裂く雷撃を矛の力で弾き飛ばし、飛来した戦輪型召喚武装を踏みつけて、再度跳躍し、敵武装召喚師に肉薄する。突風に吹き飛ばされるも、風が吹いてきた方向に矛先を向け、光線を射出する。光の帯が敵武装召喚師に直撃し、爆発を起こす中、別の武装召喚師たちが中空で身動きの取れないセツナの周囲四方に飛来する。鳥の翼や蝶の翅、機械じかけの翼を背に負ったものたち。それらの表情に余裕は見えない。それはそうだろう。この短時間で、彼らはセツナの力量を思い知ったのだ。油断を見せれば死ぬ。その事実を理解しているからこそ、空中に投げ出され、無防備になったセツナを見逃すまいとしたのだ。が、セツナはもちろん、殺されるために空中に飛んだわけではない。右手に矛を持ち、
空いた左手を前方に掲げる。
「武装召喚」
全身から生じた爆発的な光の中から、彼の思い描いた通りの召喚武装が具現し、左手の中に収まる。青みがかった黒き杖の先端、異形の頭骨の口腔内から闇の腕が伸びた。セツナの望むままに出現し、虚空を侵蝕するかの勢いで伸びていく黒き異形の腕は、彼を包囲しようとしていた武装召喚師の頭部を鷲掴みにした。武装召喚師が怒号を上げる中、セツナは腕を急速に縮小させ、その武装召喚師との距離を縮めた。セツナを狙った攻撃の数々を回避しつつ、捕獲した武装召喚師に肉薄、矛で胸を貫く。絶命するのを確認するまでもなく死体となったそれを蹴りつけ、跳躍、今度は真下の地面に向かって杖を伸ばした。ロッドオブエンヴィー。髑髏の口から伸びる闇の腕が地面に突き刺さり、セツナを地上まで安全に運んでいく。
セツナは、着地と同時に杖を送還すると、空かさず呪文を口走った。そのときには敵が動いている。
「武装召喚」
再び発生した閃光が左手に収斂し、紫黒の戦斧を具現する。アックスオブアンビション。広範囲攻撃に特化した黒き矛の眷属を振りかぶり、おもむろに前方の地面に叩きつける。轟音とともに大地が震撼し、粉塵が舞い上がった。前方、かなりの範囲への同時攻撃が、数百人あまりの帝国兵と地上にいた武装召喚師数名を吹き飛ばしている。すぐさま送還し、三度、呪文を紡ぐ。
「武装召喚」
光の中で具現化したのは、純粋な黒の鎧だ。鎧の上から鎧を着込んでいるといういかにもおかしな状態だったが、セツナは構わず後ろに飛んだ。上空からの雷撃の雨が地面に突き刺さり、破壊する。
セツナが空中に飛び上がったことで、空中戦特化の敵武装召喚師たちがここぞとばかりに殺到してくる。メイルオブドーターの能力を知らない以上、仕方のないことだ。セツナは、即座にメイルオブドーターの能力を発動させた。急速接近中の敵武装召喚師が狼狽したのを見逃さず、彼は、鎧の背部から生えた蝶の翅で空を翔けた。機械仕掛けの翼を持つ武装召喚師をまず殺し、つぎに雷光を纏う女の首を刎ねる。すぐさま距離を取らんとした翅の女に黒き矛を投擲、見事に頭部に命中させる。黒き矛を送還させ、再度召喚することで死体から引き抜く手間を省くと、メイルオブドーターを送還し、地上に残った敵武装召喚師の排除に移った。
それほど時間もかからないうちにセツナを包囲していた二十人あまりの武装召喚師を殲滅したものの、それで状況が改善されたかというと、そうではなかった。
むしろ、悪化の一途を辿っている。
第二陣が第一陣に合流し、帝国軍と聖王国軍の戦闘が激化していたのだ。さらには、帝国軍、聖王国軍、ヴァシュタリア軍の一部が王都に近づきつつあるのがわかっている。三大勢力は、それぞれに敵対勢力との戦闘を続ける傍ら、どこよりも早く王都を制圧し、地下の遺跡に辿り着こうとしている。
ガンディアの調査団の調べで、地下遺跡は、王都ガンディオンの地下施設とも繋がっていることが明らかになっている。無論、そのことはガンディアだけの秘密だが、三大勢力を率いる神々が地下遺跡の全貌を知っているのであれば、それくらい想像できないわけもない。だからこそ、三大勢力は地下遺跡の発掘地点ではなく、王都ガンディオンを目指しているのだろう。
セツナは、周囲の敵兵を適当に殺戮して、黒き矛の能力を発動させた。血を媒介とする空間転移。視界が暗黒に閉ざされ、意識が世界そのものから隔絶されるような感覚があった。それは一瞬の出来事であり、つぎの瞬間にはすべての感覚が戻るとともに、王都南部の戦場に到着している。
「御主人様!?」
レムが素っ頓狂な声を上げたのは、彼女の意識にはセツナが突然目の前に現れたかのように想えたからだろう。セツナはなにも応えず、空間転移の余波に吹き飛ばされている敵兵に殺到し、切りつけ、さらに何十人もの敵を血祭りに上げた。再び、鮮血の中に見出した風景への転移を行う。空間転移に伴う感覚の後、セツナの眼前に広がっているのは、王都南部の平原地帯であり、その彼方から迫りくる帝国軍、聖王国軍の雲霞の如き軍勢だ。何十万、何百万の大軍の到来により、ガンディアの大地そのものが震撼しているかのようだった。
「あれ、セツナ様? 敵は?」
「おや、これはいったい……」
「空間転移……ですか?」
「そうだ」
セツナは、きょとんとする家臣たちの様子を見て、それから生き残っているガンディア軍の将兵を見回した。大将軍に左眼将軍、副将二名ともに生存しているものの、だれもが大なり小なり傷を負っている。さすがのレムでも、庇いきれなかったのだ。圧倒的な物量の真っ只中で戦闘を行っていたのだ。負傷して当然だったし、生き残っているだけましというほかない。
総兵数は三分の一以下にまで減っている。
セツナは、一度目の空間転移でレムたちの元に移動し、二度目の空間転移で自軍の生存者のみを王都南部に移送させた。その結果、かなりの消耗をしてしまったが、ホーリーシンボルの聖印のおかげなのか、負担は、想像よりもずっと軽かった。
これならまだまだ戦えそうだ。
「どうしてまた?」
「見ての通りだ」
セツナは、黒き矛で南西と南東を指し示した。帝国軍と聖王国軍の一部が突出し、王都に近づきつつある。三大勢力は、王都を包囲しているものの、協力しているわけではない。いずれもが地下遺跡を欲しているのであり、それぞれ敵対しあっているのだ。が、それぞれが攻撃できるのは隣り合っている軍勢だけであり、それぞれの布陣において両端に展開する部隊のみが戦闘に熱を入れている。中央の部隊は、王都到達に専念することができるというわけだ。
「なるほど、王都到達を阻止しようというわけですな」
「奴らの望みは、この王都地下の遺跡だ。そのためだけにこんな戦いを起こし、俺達の国を蹂躙しやがったんだ。死ぬにしても、徹底的に邪魔してやる」
セツナが告げると、エスクたちがうなずいた。アスタルやデイオンもセツナの意見に従うといった反応を見せている。どうせ死ぬのだ。死ぬのであれば、せめて三大勢力に一矢報いたいと思うのが人情というものだろう。
セツナは、この戦場で死んでいったものたちの無念をも晴らすべく、矛を握り直した。
敵は、南東と南西から順調に近づきつつある。
「セツナ様は聖王国軍に当たられませい」
デイオンが、片目を失い、精悍さを増した顔で告げてくる。
「我々は全軍で帝国軍に当たりましょう」
「なにゆえ?」
「魔晶人形には、我らの刃は通りませんからな」
「なるほど」
豪放に笑うデイオンにあっけに取られながらも納得したセツナは、エスクたちにデイオンと行動をともにするように命じた。
「レムも、な」
「はい、御主人様」
「任せた」
「任されましてございます」
このような戦場でもにこやかな笑みを絶やさないレムには、救われる想いがする。たとえそれが彼女の本心ではなくとも、だ。これまでレムの笑顔に何度救われてきたのかわからない。そんなことを考えながらじっと彼女を見ていると、レムが小首を傾げた。
「どうなさいました?」
「……いや、なんでもない」
セツナは頭を振って、南西を向いた。これが今生の別れになるかもしれない、とはいわなかった。いえば、それが弱みになるかもしれない。自分の心の臆病な部分が出るかもしれない。だから、ファリアたちにも別れを告げなかった。
生きて戻るとも約束しなかった。
この地獄のような戦いの先に将来があるなどとは想ってもいないからだ。
死ぬための戦いだ。
だれもがそれを望み、それを求め、それに向かって勇躍し、そして死んでいった。
自分だけ生き延びようなどとは思うまい。
アスタル率いるガンディア軍が帝国軍に向かって動き始めるのを感じて、セツナも動き始めた。
「御主人様」
「ん?」
「御武運を」
「レムこそ」
彼女を振り返らなかったのは、そうしなければ心残りになるかもしれなかったからだ。
地を蹴るようにして踏み出す。
聖王国軍の軍勢が彼方より、大地を侵蝕するかのように迫ってくる。まるで津波だ。ひとの津波。軍勢が波濤の如く押し寄せている。それが王都にたどり着けば、王都は為す術もなく飲み込まれ、激流の中で破壊され尽くすしかない。
そんなことは、させない。
聖王国軍の先陣を切るのは、量産型魔晶人形の群れだった。
今度こそウルクと交戦することになるかもしれない。
セツナは、覚悟を決めた。




