第千六百五十二話 夢の終わり(四十四)
莫大な光の奔流が戦場の遥か上空を貫いていったのは、いったいなんだったのか。
セツナは、考える間もなく周囲に入り乱れる敵兵を矛の一振りで薙ぎ払った。魔晶人形の強固な装甲さえも容易く切り裂く黒き矛は、一般兵の着込む鎧など紙切れよりも容易く断ち切り、肉を裂き骨を断つ感触さえ微々たるものでしかない。
先程の光は、王都を破壊した極大の光芒と同じものだろう。しかし、王都に向かって放たれたものではなかった。上空に向かって発射されている。ついいましがた、頭上を飛び越えていったもののことを思い出す。
(まさか)
急速接近してきたカインを撃ち落とすべく発射したというのだろうか。だとすれば過剰火力にも程があるといわざるをえない。が、あれほどの破壊の奔流、そう簡単に避けられるものでもあるまい。カインは光に灼かれ、死んだかもしれない。
だが、そのことでセツナの動きが鈍ることはなかった。
(皆、死ぬ)
この戦場に出撃した以上、死を免れることなどありえない。大将軍を始めとするガンディアの将も兵も武装召喚師たちも死ぬだろう。エスクらシドニア戦技隊も、死ぬ。セツナも死ぬのだ。当然、レムも死ぬ。カインひとりの死に引きずられている場合ではない。
全包囲、あらゆる方向から敵が迫ってくる。帝国軍も、聖王国軍も、セツナたちの敵は、まず真っ先にセツナを倒すべきだと判断したようだ。黒き矛の雷名は小国家群全土に轟いているだけではない。黒き矛の圧倒的な力に関する情報はニーウェが帝国に持ち帰り、ミドガルドが聖王国に持ち帰ったはずだ。ガンディオンを制圧する上で最大の障害という認識が両軍にあったとしても不思議ではなかった。ニーウェもミドガルドも、黒き矛の強大な力を知っているのだ。
帝国軍の武装召喚師たちが殺到すれば、魔晶人形の攻撃もセツナに集中する。セツナはそれらの攻撃を捌きながら手痛い反撃を食らわせることで、確実に数を減らしていく。現在、セツナの身体能力、動体視力ともに黒き矛とホーリーシンボルの能力によって飛躍的に向上しているのだ。一流の武装召喚師であっても、捉えきれるものではあるまい。
セツナを見失った武装召喚師の首を光の刃が刎ねれば、魔晶人形を強烈な矢が吹き飛ばす。ドーリンの矢では躯体を破壊することは難しい。が、距離を開くことはできるようだ。敵味方入り乱れる戦場。味方への誤射の可能性を考慮すれば、波光砲も使えない。
レムも、セツナや大将軍らへの援護や敵への攻撃などで八面六臂の活躍を見せている。五体の“死神”が戦場を飛び回り、敵兵を血祭りにあげるだけでなく、アスタルやデイオンへの攻撃を身を挺して庇ったりしているのだ。“死神”は不滅の存在だ。レムの精神力が尽きない限り何度でも再生し、何度でも戦場に出現する。そして、レムもまた不老不滅の存在であり、彼女はセツナの命が尽きない限り滅びることはない。もっとも、レムはいまのところ一度たりとも負傷している様子はない。暗色の大鎌を振り回し、敵兵をばったばったと切り倒している。
(だが、ただで死ぬものか)
歯噛みして、矛を振り回す。嵐のような斬撃で周囲の地面ごと敵兵を吹き飛ばし、飛ぶ。舞い上がる土砂を貫くようにして飛び出し、驚愕に目を見開いた敵武装召喚師の胸を貫く。武装召喚師の右手がセツナに触れる。
「馬鹿め……」
負け惜しみに吐き捨てた一言とともに男の右手に嵌められた腕輪が光を発した。飛び離れようとしたときには、すでに能力は発動している。空間が歪む。視界が暗黒に包まれ、世界から隔絶されたような感覚があった。が、つぎの瞬間、すぐに感覚が元に戻り、視界に光が差す。
(空間転移か)
感覚からそれと理解するとともに矛の柄を強く握り締めた。重力に引かれるままに着地したと同時に後ろに飛ぶ。雷撃が眼前の地面を焼き、氷の刃が突き刺さり、炎が爆ぜた。さらに地を這う衝撃波が迫りきたかと思うと、無数の羽弾が殺到してくる。軽く跳躍して衝撃波を回避し、左前方からの羽弾には矛の切っ先を向け、光線を発射して対処する。穂先から放たれた光の奔流が直線上の羽弾をことごとく飲み込み、一部の羽弾だけがセツナをかすめるようにして通過していった。
「ひゅーっ、さっすがー」
「あなたがガンディアの英雄さんね」
「小国家群では負け知らずだとか」
「ニーウェ様が一目置かれているだけのことはある」
周囲、帝国軍の武装召喚師ばかりが二十名ほど、いた。黒衣の武装召喚師たち。それぞれ、異なる召喚武装を装備している。翼を広げ、空中に浮かぶものもいれば、仰々しいにも程のある槍を構えるもの、二刀流の剣使い、極彩色の弓を掲げるものなど、様々だ。いずれも帝国軍に属していることはなんとはなしにわかる。
先程の武装召喚師が、死に際にセツナを味方の待つ場所に空間転移させた、ということだろう。そして、セツナが転移してきたのを理解した瞬間に、間髪入れず攻撃を浴びせてきたのだ。
セツナは、自分が窮地に陥ったことよりも、味方と引き離されてしまったことを重大に捉えていた。ガンディア軍の戦力は、それほど大したものではない。レムとエスク、レミルは強力無比といっていいが、逆をいえばそれだけなのだ。セツナが敵意を集め、集中的に攻撃されていたからまだしも戦えていただけだ。セツナがいなくなり、帝国軍、聖王国軍の攻撃が他の将兵に分散するようになればどうなるか。
(まずいな)
敵は、二十人そこそこの武装召喚師だけ――というわけでもなかった。何十万もの帝国兵が、その後方に周囲に展開している。
セツナは、帝国軍第二陣の真っ只中に転送されたようだった。
第一陣は、三大勢力全て含めて五十万ほど。しかし、現在セツナを包囲する帝国兵だけでそれくらいはいそうだった。正確に数えたわけではないし、本当はもっと少ないかもしれない。が、第一陣よりもずっと多いのは間違いなかった。
「さて、そんな英雄様の英雄譚もここで終わりにさせてもらいましょうか」
「ニーウェ様には申し訳ないが」
「関係ないない。邪魔するものは皆殺し、それが皇帝陛下の勅命よ」
帝国軍武装召喚師たちの好き勝手な会話は聞き流す。ニーウェの現状については多少知りたい気持ちもあったものの、こうして敵対している以上、知ったところでどうすることもない。ニーウェが戦場に出てくれば殺すだけのことだ。
セツナは、呼吸を整えると、地を蹴った。敵武装召喚師が一斉に動く。二十人以上の武装召喚師による連続攻撃は苛烈を極めたが、どれひとつセツナを捉えることはできなかった。
「嘘でしょ!?」
愕然とする女武装召喚師の弓ごと胴を払い、すかさず別の標的に飛びかかる。空中で群青の翼を広げた男が大気の壁を作ろうとするより早く、黒き矛の切っ先が頭蓋を貫いている。
そのとき、怪物染みた咆哮が聞こえ、カランの方角に巨大な光の柱が立ち上った。
カインの断末魔だったのか、どうか。
セツナは、確かめる間もなく、つぎの敵に攻撃を叩き込んだ。
戦場は混沌としている。
セツナに集中していた敵軍の攻撃が、彼の消失によってガンディア軍将兵に分散するようになった。中でもエスク、レミルへの圧力が凄まじく、レムはふたりの援護に回った。
死ぬための戦いだということは理解している。
この戦い、どう足掻いたところで生き残れない。
勝ち目がないのだ。
ならば、戦い抜いた果てに死ぬしかない。だれもがそう想っている。だれもがそう定義している。この戦いの意味をそこに求めている。ガンディアの大将軍から一兵卒に至るまで、ルシオンの軍人やジベルの将校に至るまで、この戦いで死ぬことにこそ意義を見出している。
死ねば終わりだ。
なにもかも無に帰る。
意味が欲しければ、生きるしかない。生き続け、紡ぎ続けるしかない。でなければ、なにもかも無意味に堕ちる。
だが、この戦場にいる敗北者たちは、生への執着などすでに捨て去っていた。戦って死ぬことに目的を持った以上、そうならざるをえない。
だれもが喜び勇んで死んでいく。敵兵の槍に貫かれても笑いながら、突き進み、敵兵の首を取って、哄笑を浮かべながら死んでいく。矢を浴びせられ、息も絶え絶えになりながらも、立ち止まらない。死ぬからだ。この戦場で死ぬために出撃したのだ。死を恐れない。むしろ、死に向かって勇躍している。弓兵に飛びかかり、敵兵の絶望的な声を聞きながら、剣を叩きつけて絶命する。
また、通常武器では傷ひとつつけられない魔晶人形にも食らいつき、足止めするものもいる。波光砲で胴を灼かれてもなお足に絡みつけた腕を離さず、味方の勝利を信じて死ぬ。
死が溢れている。
だれもが歓喜の中で死んでいく。
そんな戦場にあって、彼女はただひとり、死とは無縁の中にいる。
いや、彼女は死そのものだ。
既に死んでいるのだから、死と同じものといっていいだろう。生きてはいないのだ。この生命は仮初のもの。本物の命ではない。少なくとも、彼女の中の命の時間は止まったままだったし、これが正常な命の在り方だとは思ってもいなかった。そもそも、正常な命の有り様など、とうに忘れてしまっているのだが。
彼女は、駆ける。
歓喜に満ちた死も、絶望の中の死も、等しく同じものであるということを見つめながら、戦場を駆け巡る。暗き大鎌を振り回し、“死神”たちを付き従えて、敵兵の海の中を駆け抜けていく。
「御主人様は何処でしょう」
レムが尋ねたのは、エスクの援護に入ったときだ。ホーリーシンボルの聖印による強化を受けた“剣魔”は、その二つ名に相応しい戦いぶりで、無数の敵兵を血祭りにあげていたが、それによって目立ちすぎたのだろう。帝国軍、聖王国軍の集中攻撃を受け、負傷も半端ではなかった。
「さあな」
エスクがソードケインを振り回しながら、いう。
「セツナ様は、どこかで敵と戦っておられるのだろうさ」
どこか嬉しそうに笑うエスクの表情には、どうしようもないほどの満足感が見え隠れしていた。彼は、このような戦いを待ち望んでいたのだろう。血で血を洗う地獄のような戦場は数あれど、ここまで絶望的な戦いはそうあるものではない。
勝ち目の一切存在しない戦いなど、挑むべきではないのだから。
「エスク様」
「なんだい、死神殿」
「御主人様のこと、大将とはもうお呼びなさらないのですね」
「ああ、そのことか」
エスクがこちらを見て、はにかんだ。すると、この美丈夫の顔は、途端に子供っぽくなった。まるで少年のような表情だ。
「そうだな。なんか、そのほうがいいかと思ってさ」
「なんか、でございますか」
「そうだよ、その程度の理由なんだ。気にしないでくれ」
エスクがいうと、ドーリンが豪快に笑った。
「まあ、殊勝な心がけですな」
「うっせーバーカ、死ね!」
「いわれずとも、そのうちに死にますがな」
「俺より先に死んだら、悲しんでやるよ」
「それはそれは嬉しい言葉ですわ」
そういうドーリンの表情は、本当に嬉しそうだった。
「ふふ、わたしも、ですか?」
「ったり前だろ。いわせんなよ」
どこか照れくさそうに言い返すエスクに、レミルが満ち足りた笑顔を見せる。
シドニアの傭兵たちは、ずっと死に場所を求めていたという。彼らにとって唯一無二の指導者ラングリード・ザン=シドニアとともに死ねなかったことが余程無念だったのだろう。彼らは死を求める亡者となり、アバードにさまよい続けた。セツナに巡り会えたのは、彼らにとっては幸運だったのだ。
レムも、そうだ。
セツナに巡り会えたおかげで、彼女は人並みの幸福を感じることができたのだ。二年にも満たない期間ではあったが、これまでの人生の虚しさを埋めるには十分すぎるほどの日々だった。少なくとも、彼女の心は満ち足りた。
死が、満ちていく。
数多の命があっという間に散っていく。
それは、この戦場だけの話ではない。
帝国軍も聖王国軍も、ヴァシュタリア軍とも戦っているのだ。
ガンディオンの北側では、三大勢力による戦闘が激化していることだろう。




