第千六百五十一話 夢の終わり(四十三)
矛の一閃で十人以上の帝国兵を切り払い、上空から降ってきた光弾を飛んで交わす。光弾は地面に激突するとともに爆発し、地面もろとも帝国兵の死体を吹き飛ばした。その爆風に煽られながら光弾の射手たる空中の武装召喚師に肉薄し、驚嘆するその女の胸を矛で貫く。断末魔さえ上げさせないまま絶命させ、その手から短杖を奪い取る。短杖を地上に満ちる敵勢力に向け、能力を発動させると、杖の先端から光弾が放たれた。光弾は敵兵の群れの中に吸い込まれるようにして消え、小さな爆発を起こす。敵兵が何名か即死した。
(中々)
着地とともに短杖を腰帯の間に突っ込むと、周囲の敵兵を血祭りにあげた。
光の刃が撫でるようにして地上を走って敵兵を殺戮すると、轟音を発する矢が何人もの聖王国兵を貫通した。エスクに、ドーリンだ。レミルも部下を指揮しながら敵兵を圧倒する様を見せつけており、召喚武装の使い手はこの多勢に無勢の状況でもそれなりに戦えているようだ。
だが、戦力差は歴然。
ガンディア軍の総勢六千は、帝国軍の武装召喚師や聖王国軍の魔晶人形の猛攻によってすでに半壊しているといっても過言ではなかった。
武装召喚師は十五人くらい倒し、魔晶人形は十体近く破壊したものの、それでは両軍の戦力を間引くことすらできていなかった。武装召喚師、魔晶人形の火力は凄まじく、帝国軍、聖王国軍双方の集中攻撃を浴びせられているのだ。ガンディア軍がいまだ軍隊としての形を保てているほうが奇跡だった。とっくに壊滅していてもおかしくはない。
それほどの戦力。
それだけの物量。
セツナは、黒き矛を振り回して敵陣に切り込みながら、ふと、王都の方角から飛来する気配に気づき、空を仰いだ。
銀色の飛竜が凄まじい速度で、セツナたちの上空を越えていく。
よく見ずとも、だれなのかは明らかだった。
(カイン?)
黒き矛により強化されたセツナの視覚は、狂暴な笑みを浮かべて上空を飛翔するカイン=ヴィーヴルの姿を捉えていた。
見知った平原の上空を飛翔する。
翼は一対。だが、その飛行速度はなにものにも追いつけないほどに早い。彼は、飛行中、さらにふたつの召喚武装を呼び出し、装着していた。全身防具であるドラゴンスケイルに、失った腕を補うドラゴンクロウだ。それらの術式は、彼の記憶の中に浮かんでいたものを読み上げただけにすぎない。彼には見に覚えのない呪文であり、召喚武装だったが、召喚するとそれだけで身に馴染み、使い方に迷うこともなかった。
三つの召喚武装を同時に呼び出し、装着するのは、簡単なことではない。並の武装召喚師ならば、召喚だけで精神力を使い切るというのは言い過ぎにしても、維持するのもままならないだろう。つまり彼は並の武装召喚師ではないということだ。
というよりも、常人ならば無意識にかかっている力の制限が失われているというべきか。
彼は、武装召喚術の行使によって生命力を燃やし尽くすことも厭わなかった。精神力を消耗し尽くそうとも、体力を消費し尽くそうとも、関係がない。どうなろうと知ったことではなかった。
箍が外れているのだ。
だからといって能力の制御が失われているわけではない。彼は召喚武装の力を完全に制御し、完璧なまでに力を引き出していた。限界まで引き出した力が彼を空高く浮かび上がらせ、だれにも追いつけないほどの速度を発生させる。大気の壁を貫き、ひたすらに飛翔する。
戦場を越え、眼下からの攻撃をものともせずに、ただ一心不乱に飛翔する。
目的地は、視界を灼いた光の発生源。
なぜそこに向かっているのかは、わからなかった。無意識に体が動いている、それだけのことだ。そして、体の赴くままに動く以外に彼に残された道はなかった。脇腹の傷口からは血がとめどなく流れている。彼には、出血によって死ぬまでのわずかな時間しか、残されていないのだ。血を止めることができれば、少しは時間も稼げるだろうが、そんな少しの時間を稼ぐのも面倒だった。
彼は、生きることに飽いていた。
だから、死を求めた。
しかし、ただ死ぬのなんてのは真っ平御免だ。
死ぬのならば、戦って死にたかった。
戦うために生まれたのが自分だ。
ランカイン=ビューネルという人格は、魔龍窟という地獄の中で作り上げられた。ただ戦い、ただ敵を倒し、ただ勝利を掴む。そのためだけに彼の人格は生まれたといっても過言ではない。死ぬのならば、地獄のような戦場であるべきだ。
地獄で生まれたのだ。
地獄で死んで、地獄に還ろう。
彼は、前方に懐かしい町を発見して、高度を落とした。彼が火竜娘によって焼き払ったはずの町が、見知らぬ軍勢によって占拠されている様子が伺える。味方などではあるまい。つまりは敵だ。敵ならばいくら殺してもいいはずだ。
彼は疑問を抱く。そもそも自分に味方などいただろうか、と。
生まれてこの方、自分の周りには自分の敵しかいなかったのではないか。
兄も、父も、母も――家族、親類縁者、氏族、だれもが敵だったのではないのか。兄は味方のふりをして、彼の力を利用しようとしただけだった。父や母は、彼が魔龍窟に選ばれたことを心底喜んでいた。厄介払いができるからだ。親類縁者にも、彼に味方してくれるものはいなかった。氏族はなおさらだ。彼を地獄から引き上げてくれた男も、結局は、彼の力を利用するためにそうしただけのことだ。味方などではなかった。
自分に味方などいるはずもない。
嘲笑する。
当然のことだ。そしてそれがどうしたというのか。味方などいなくとも、ひとりで生きてこられたのだ。問題などどこにもない。彼は、そう考える。しかし。
『カイン』
不意に脳裏に響いた声に、彼は顔をしかめた。頭痛がする。激しい違和感の中、カランを占領する軍勢が彼に気づき、迎撃態勢に入るのが見えた。彼は、口の端を歪めた。
『あなたは死ぬわ』
そんなことは、知っている。
彼はカラン上空を飛翔しながら、閃光の発生源を探したが、探し回るまでもなかった。それは、カランの町の中心にあって、とてつもない存在感を放っていたからだ。周囲の建物以上に巨大な物体が、その先端をカインが来た方向に向けている。その物体は、おそらく召喚武装なのだろう。物体に施された過剰なまでの装飾や物体そのものの異形感は召喚武装のそれだ。物体は、一言でいえば金属の柱のように見えた。カランの町に存在する一般的な家屋よりも巨大な金属の柱を傾斜させ、その角度を維持する仕組みがあるようだ。ただの柱ではないのは、柱の中が空洞になっている様子からもわかる。彼の網膜に残る光は、その柱の中から放たれたものと見ていい。
彼は、失われた左腕を補う召喚武装ドラゴンクロウの感覚を確かめると、その金属の柱に向かって滑空した。柱の先端がこちらに向く。柱の空洞部分に光が満ちた。閃光が彼の視界を白く塗り潰す。
莫大な熱量が、地上に向かって急加速した彼の頭上を通過していった。
『わたしが皇帝を支配するためには、そうするしかないもの』
全身汗だくになる感覚と既視感い苛まれながら地上の敵兵を風圧で吹き飛ばす。すれすれのところで地面を蹴って、加速する。特大召喚武装は、その巨大さ故、小回りが利かない。地上に降り立った彼には、狙いを定めることはできないだろう。
『あなたを殺すわ』
脳裏に響く声がだれのものなのかは、わからない。
ただひとついえることは、その声には敵意がなく、むしろ柔らかで暖かいということだ。
彼は脳内に生じた混乱を黙殺するようにして、特大召喚武装の後方に回り込んだ。召喚武装である以上、召喚者がいるはずであり、召喚者は召喚武装の制御のため、召喚武装に接触しているはずだった。召喚者さえ殺せばいい。これほどの召喚武装だ。ほかのものには制御できないだろう。彼は、なぜかはわからないが、その召喚武装の発射を止めなければならないという使命感に駆られた。
敵兵は、地面すれすれを飛翔する彼を食い止めることもできない。遠方からの弓射も彼には届かないし、召喚武装による攻撃も、ぎりぎりのところでかわす。雷撃や火炎弾が彼の皮膚を焼いた。しかし、彼は止まらない。超巨大召喚武装の至近距離を飛翔し、ようやく後方に回り込んだとき、その特大召喚武装に触れている人物を発見した。長衣の男。見たこともない顔だったし、記憶する理由もない。
「貴様、なにものだ――?」
男の疑問は、断末魔となった。カインの左腕、つまりドラゴンクロウが男の胸を貫き、心臓を鷲掴みに握り潰したからだ。絶命した男の体が崩れ落ちるのを見届けるまでもなく、彼はその場から飛び離れた。これで特大召喚武装は無力化できた。彼は笑う。こんなことをして一体何の意味があるのか。既に血は流れすぎている。時間はない。こんなもののために命を費やす道理が、どこにあったのか。
道理。
彼は苦笑する。道理などあろうものか、と。
激痛が走った。右手が吹き飛んでいた。上空からの攻撃。鉄の翼を広げた武装召喚師が、こちらを睨んでいた。さらに痛み。今度は左足をなにかが貫通したようだ。またしても武装召喚師による攻撃だろう。だれかがなにかを叫んでいる。聞こえない。聞こえないが、どうやら怒り狂っているようだということがわかる。彼がいまさっき殺した人物は、この敵集団にとっては重要な人物だったのかもしれない。彼はまたしても、笑う。だったら、命を張ってでも守ってみせろ、と。
痛み。視界が崩れた。右眼が切られている。かわすこともままならないのは、彼がもはや自分自身を制御することもできなくなっていたからだ。王都からカランに数分足らずで到達したのだ。馬でも一日はかかる距離だ。
ドラゴンウイングの飛行速度が際限ないとはいえ、いくらなんでも無茶というほかない。
消耗し尽くしている。
(まったく、愚かなことだ)
だが、悪くはない。
彼は、自嘲気味に笑いながらも、どこか晴れ晴れとした気分だった。このように力を使い切って死ねるのならば、本望だ。惜しむらくは、脳裏に響く声の主のことを思い出せないということだ。優しい女の声。それがだれなのかわからないまま死ぬのは、少しばかり寂しい気がした。
きっと、彼の人生において数少ない安らぎだったはずなのに。
いやそもそも、と彼は想う。
(俺はだれだ)
辛くも立ち尽くし、周囲の敵を確認する。武装召喚師だけで二十人以上、歩兵、盾兵、弓兵を加えれば何千もの敵が彼を包囲している。攻撃の手が止んでいるのは、彼の反撃を恐れているからなのか、彼に手を下すまでもないと判断されてのことなのか。いずれにせよ、彼にもう時間はない。彼は吼えた。吼え、翔んだ。ドラゴンウイングの力で空高く飛び上がり、上空の敵へと殺到した。敵が散開したかと思うと、嵐のような攻撃が彼に襲いかかった。雷撃、火炎弾、光の矢、斬撃、突撃――様々な攻撃が彼の全身をずたずたに破壊する。激しい痛みの中で、彼の脳裏を過るものがあった。
ランカイン=ビューネル。カイル=ヒドラ。ランス=ビレイン。カイン=ヴィーヴル。いくつもの名前が浮かんで、消えた。どれが本当の自分で、どれが本当の人生だったのか。なにが本当だったのか、まるでわからない。混沌とした記憶の中で、ただひとつ、光を放つものがあった。
女の顔だった。
黒髪に灰色の目の、張り付いたような笑みを浮かべる女。
『あなたは自害して、死ぬのよ』
別れ際の一言。
永遠の別離となった最後の言葉がそんな物騒なものなのが、彼女らしかった。だが、結局、彼は死ななかった。少なくとも、彼女の意思により、自害させられることはなかった。それどころか、彼女は彼を支配から解き放ち、自由にした。
まるで最後のときを思うまま迎えられるよう、配慮してくれたかのようだ。
(ウル)
彼は、ようやく彼女の名を思い出して、満足した。
(君は、想うままに死ねたか?)
彼女は、死んだだろう。皇帝の支配に成功したか否かは問題ではないのだ。帝国の背後には神がいる。皇魔すら支配できない彼女が神を支配できるとは、到底思えない。
いまにして思えば、彼女の人生もまた、だれかに支配され、操られ続けたものだった。
だから、だったのかもしれない。
だからこそ、一瞬でも心を通わせ合うことができたのではないか。
ふと、そんなことを想い、彼は笑ってしまった。らしくない。実に自分らしくない感傷だった。
彼は、最期にもう一度だけ吼え、残るすべての命を力に変えた。




