第千六百四十八話 夢の終わり(四十)
王都ガンディオンに対する三大勢力の包囲が整ったのは、十一月二十七日の正午を過ぎた頃合いだった。
その日、空はあきれるほどの晴天だった。
雲ひとつ見当たらず、青くあざやかな色彩が上天を覆っている。流れる風は穏やかで、冬の気配こそするものの、日差しの強さもあって寒くはなかった。平穏無事という言葉がこれほど似合う天候もない。王都を包囲する軍勢の姿さえなければ、その言葉そのままに平穏無事な日常を送れただろう。
しかし、現実は、そうは行かない。王都は完全無欠に包囲されており、不穏かつ物騒な空気が支配的だ。
王都を包囲するのは、ヴァシュタリア共同体、ザイオン帝国、神聖ディール王国の軍勢だ。ガンディオンの北側にヴァシュタリア軍が布陣し、東から南東に帝国軍が展開している。南西から西には聖王国軍がその戦力を広げていた。それぞれ十数万ずつ、だろうか。第一陣ということもあって、様子見といった感じがある。最初から全戦力を投入するのはあまりにも危ういという考えが、三陣営のあるのかもしれない。
ガンディオン側にしてみれば、最初から全力だろうが様子見だろうが大差はないが。
「第一陣くらいは、撃退したいものですな」
エスクが、いった。
竜骨の鎧を着込んだ“剣魔”は、召喚武装ソードケインを腰に帯び、鋭い目つきで前方を見やっている。
セツナたちは、王都の南側に出ていた。新市街の外周に聳える第四城壁、その南門から外に出ている。セツナ、レムを筆頭にエスク=ソーマ、レミル=フォークレイ、ドーリン=ノーグらシドニア戦技隊が隊伍を組んで先陣に立ち、その後方をガンディア方面軍第一軍団、クルセルク方面軍、ルシオン軍、ジベル軍が固めている。これだけ聞くと錚々たる顔ぶれのように想えるが、実際は六千人足らずの軍勢に過ぎない。
六千といえば、小国家群であればそこそこの兵力といっていい。弱小国時代のガンディアならば、全兵力に匹敵するといっても過言ではなかった。それが、三大勢力を前にすれば、ただの寡兵に過ぎなくなる。
それでも、セツナはエスクの言葉に頷かざるをえない。
「そうだな。せめて、第二陣は引き出すくらいの戦いはしないとな」
第一陣は、三大勢力合わせて五十万程度。その十倍以上の戦力が、背後に控えている。想像するだけで馬鹿馬鹿しさのあまり笑えてくるが、笑わず、むしろ吐き捨てる。
「いや、人様の国に土足で上がり込んで、好き勝手してる連中なんざ、ひとりとして生かして帰すかよ」
「そうこなくては」
声に振り向くと、竜骨の鎧を着込んだデイオン・ラーズ=クルセールが馬を寄せてきていた。
「デイオン将軍」
「セツナ殿、あなたはまさにガンディアの英雄であられた。バルサーの戦いから今日に至るまで、ガンディア躍進の影にはあなたがいた。あなたがいたからこそ、ガンディアは栄光に向かって突き進むことができた。陛下も、夢を追うことができた。すべて、あなたがいたからにほかならない」
デイオンの口からそのような台詞が出て来るとは思いもよらず、セツナは、少しばかり驚いた。驚きながら、震える想いがした。デイオンのまなざしは、穏やかで、優しい。
「そんなあなたとこうして轡を並べることができるのもこれが最後と思えば、惜しくもありますな」
「俺……わたしこそ」
「ふふふ。無理に言葉遣いを改める必要はありますまい。あなたは英雄。胸を張って、我らに道を示しくださればいい」
「そうですよ、セツナ様」
と、会話に割って入ってきたのは、アスタル・バロル=ラナディースだ。ガンディアの大将軍も、この最後の戦いにみずから参加するのだという。副将のふたり、グラード=クライドとガナン=デックスの姿もある。現在王都にいるガンディア軍人のほとんどすべてが、この無意味な戦いに参加しているのだ。
「我らは、あなたとともに戦い、あなたとともに死地へと赴きましょう」
「あなたは我々ガンディアの英雄。英雄とともに死地へ赴けるということほど光栄なことはありません」
「御主人様」
「……わかった」
レムにうながされ、セツナは前方に視線を戻した。皆が、セツナの号令を待っている。だれもが死ぬことを理解しながら、抗うことを止められないのだ。
生きる方法なら、ある。
王都の地下に籠もり、三大勢力の争いが終わるのをまてばいい。そうすれば、生き残ることができるだろう。しかし、それはガンディアの軍人たち、また、ガンディオンに逃げ込んできた他国の軍人たちにも受け入れがたいもののようだった。
国を護ることを放棄し、ただ生き延びる道など真っ平御免だ。
人間、だれしもいつかは死ぬ。どうせ死ぬのなら、国のために戦って死のう。
この絶望的な戦いを前にして、だれもが口を揃えたようにいった。皆、三大勢力の横暴ともいうべき行いに絶望以上の怒りを覚え、胸を焦がしてきたのだ。自分たちがこれまで戦ってきたことはいったいなんだったのか。夢を追い、夢を叶えるために戦野を駆けてきた。多くの犠牲を払い、勝利を掴み取ってきた。これまで踏みしだいてきた一切の事物が、三大勢力によって為す術もなく蹂躙され、蹴散らされ、滅ぼされてきた。
憤怒の炎に身も心も焼き尽くされるのは、当然といってよかった。
セツナは、六千人近い将兵たちのそういった想いを一身に受けて、黒き矛をかざした。
「行くぞ!」
『おおーっ!』
ガンディア最後の戦いが、始まる。
レオンガンドは、玉座の間にいた。
玉座の間にはほかに、アルガザード・ラーズ=クレブール、ゼフィル=マルディーン、バレット=ワイズムーン、スレイン=ストール、アレグリア=シーンの姿がある。ほかにはだれもいない。王宮で働く使用人のほとんどは地下に隠れていたし、貴族たち、文官も同様だ。レオンガンドと夢を語り合った政治家の大半も、いまや王都の地下で戦いの終わりを待ち、身を震わせている。
レオンガンドがそうするように命じたからだ。命じなければ、文官といえど、王宮に残り、最後まで働こうとしただろう。それくらいの度胸はある。政治家たちはどうかは知らないが。
ゼフィルら側近たちがレオンガンドの側にいるのは、当然のことだ。彼らには、ほかに見の置き場がない。レオンガンドの友人ということで権勢を得てきた彼らだ。レオンガンドの死後の世界で、その権勢が通じるわけもない。もっとも、彼らがレオンガンドの後ろ盾がなければ働けない無能者というわけではない。むしろその逆で、レオンガンドこそ、彼らの手助けがなければ生きてこられなかった無能者なのだ。だが、彼らはレオンガンド亡き世界に興味などあるまい。
彼らは、レオンガンドとともに夢を見、夢を語り、夢を追いかけてきたのだ。レオンガンドの夢が終わるときは、彼らの夢もまた、終わるときだ。
アルガザードは、軍を辞めた、というのがある。年齢も年齢だ。家督は長男のラクサスに譲り、次男が結婚したこともあって、肩の荷が下りたといってもいい状態だ。最期を王宮で迎えるのは、彼としては本望でもあるのかもしれない。無論、無念ではあるだろうが。
そこで気になるのは、彼女の存在だった。
「アレグリア」
「はい」
「君は、隠れないのか」
「隠れたところで、どうなります」
アレグリアが、遠慮なくこちらを見つめてきた。ガンディアが誇る二人軍師の片割れであり、エイン=ラジャールが消息を絶ったいま、ガンディア唯一の軍師といってもいい彼女は、その明晰な頭脳でもって、レオンガンドに意見をぶつけてくる。
「セツナ様の話によれば、三大勢力の目的はガンディオン地下深くの遺跡。そして、その遺跡に聖皇を再臨させること。そのための儀式としてこれまでの闘争があったとのこと。儀式が完成し、聖皇の復活がなされたとき、遺跡直上にある王都はどうなるかわかりません」
セツナの話とは、マユラ神とアズマリア=アルテマックスの発言が元になっており、信憑性においては疑問の残るところだが、三大勢力の動きを見る限りは合っているようだった。三大勢力がただ小国家群に勢力を伸ばすためだけに侵攻してきたのであれば、交渉や投降に応じたはずであり、そうしなかったのは血を流す必要があるからだとしか考えようがない。勢力を広げるためであれば、滅ぼすよりも交渉で支配下に組み込むほうが容易い。そして、三大勢力が同時期に動き出し、いずれもが交渉に応じず、戦の一字によって進路上にある国々を滅ぼしているということも、アズマリアの証言の正しさを示している。
三大勢力はそれぞれ神によって支配されており、神々の目的のために小国家群は生かされ、殺されるさだめだったということだ。
「聖皇の力は神々を従えるほどのものだということ。王都ガンディオンを滅ぼすくらい容易いかもしれませぬ」
「……その前に滅びるかもしれんがな」
「はい」
アレグリアが小さく頷く。
「その可能性も高いでしょうね。ならばせめて、我が師ナーレス=ラグナホルンが愛した王宮で最期を待ちましょう」
「……そうか」
アレグリアの穏やかな表情を見つめながら、レオンガンドは、彼女の師のことを想った。
(ナーレス。済まない)
彼は、心の中で、戦友であり、人生の師ともいうべき人物に謝るほかなかった。ナーレス=ラグナホルンは、身命を賭して、ガンディアのために、レオンガンドのために戦い抜いたのだ。自分の死をも反レオンガンド勢力の撃滅に利用した。それほどまでにしてレオンガンドの将来を切り開いてくれたというのに、彼の夢は、いま、終わりを迎えようとしている。
(君とセツナが紡いでくれたわたしの夢は、ここで終わるようだ)
夢が終わる。
幼き日に夢見た景色が消えてなくなる。
それはこの上なく辛いことだったし、受け入れがたいことだった。これまでに払い続けてきた犠牲を想えば、こんな簡単に、こんな容易く終わっていいはずがない。
父を手にかけ、伯父を殺させ、義弟を殺し、叔父を殺した。そうやってようやく得られた勢力。ここからが始まりだったはずだ。ここから、小国家群統一に向けて加速していくはずではなかったのか。彼は、顔を上げた。
玉座の間には、英雄の姿はない。だが、彼の目には、戦場を駆け抜ける英雄の幻影が見えた。
(セツナ。君は、思う存分戦い給え)
最後まで抗戦を訴え続けた彼を止める手立てはなかった。戦いが終わるの待って生き残るよりも、戦って死にたい。それが彼の望みだった。彼の眩しいばかりの純粋さは、レオンガンドが彼に見た英雄性に起因するものなのかどうか。
(戦って戦って戦い抜いて、この戦場から生き延びてくれ)
レオンガンドは、この期に及んでも、それを望んだ。
セツナには感謝しても感謝しきれないくらいの恩がある。
彼がいなければ、レオンガンドは夢を追い続けることはできなかっただろう。
だから、せめて彼だけでも生き延びて欲しいと想わざるをえないのだ。




