第千六百四十四話 夢の終わり(三十六)
バルサー要塞陥落の報せが入ったのは、十一月二十一日のことだった。
大陸暦五百三年も、残りわずかといった頃合い。
ガンディア王都ガンディオンは、どうしようもなく重苦しい空気に包み込まれていた。
当然だろう。
バルサー要塞の陥落は、ヴァシュタリア軍のガンディア本土到達を示している。
それだけではない。
帝国軍も聖皇国軍もガンディア本土に到達したという報告が、届いていた。つまり、三大勢力がガンディア本土で激突する日も近いということだ。逃げ場などあろうはずもない。どこへ逃げようが、ガンディア本土そのものが三大勢力の圧倒的な軍勢によって包囲されているのだ。
「年、越せそうにないね」
ミリュウは、いった。
三大勢力はいまから数日以内にガンディオンに到達してもおかしくはなかった。
三大勢力の目的がセツナのいった通り、ガンディオン地下深くに存在する遺跡ならば、三大勢力はその遺跡を巡って激突することになるだろう。当然、戦争が起きる。それも未曾有の大戦争だ。それぞれが百万を軽く超える兵力を誇る大軍勢を率いているのだ。そんな大勢力が三つ、この狭いガンディアの地で激突すればどうなるか。
想像すらできない。
「ええ」
「そうでございますね」
ファリアがお茶を啜り、レムがお茶を注ぎ足す。ベノアガルドからもたらされた北方産のお茶は、ファリアの口に合うらしい。アスラは、レムが用意した菓子を手に取り、不思議そうに見ていた。それも北方産の菓子だという。
そんな、いつもどおりの優雅な光景。
「セツナの師匠も、死んじゃったって」
ルクス=ヴェインのことだ。ミリュウにとってはセツナに辛辣な言葉を投げつける敵でしかなかったが、セツナにとっては必要不可欠な存在だったことは疑いようもない。セツナの基礎能力を高めたのは、紛れもなくルクスなのだ。ルクスがいなくとも成長はしただろうが、成長速度は大きく違っただろう。それだけルクスの指導は厳しかったということであり、それについていったセツナも素晴らしいというほかない。
つまりセツナは最高という話になるのだが、そんなことをいっても仕方がないことはわかっている。わかりきっていることだったし、この場にいる四人の中で、アスラ以外の三人の共通認識だからだ。無論、その最高の捉え方はひとによって違うのだろうが。
「聞いているわ。とても、残念ね」
「ルクス様の事は、御主人様もかなり応えたようでして……」
「シーラの無事もわからないものね」
「エリルアルム様も……」
ファリアとレムの話題は、龍府の戦いで消息を断ったふたりにも及ぶ。それらがセツナに限りない影響を与えているのは、ミリュウも知っている。セツナが生き急いでいるのは、そういった出来事が積み重なったからこそだ。
「あたしたちも明日は我が身だけど」
「そうね」
「はい」
「ええ、お姉さま」
三者三様ではあるが、あっさりとしすぎる反応といわざるをえない。
滅亡が目の前まで迫っている。
三大勢力の数百万の軍勢が激突すれば、ガンディオンはただでは済まないだろう。あっさりと攻め滅ぼされたとしても不思議ではないし、戦いの余波で壊滅してもなんらおかしくはない。神が率いる軍勢なのだ。なにが起こっても、どのようなことが発生しても、不自然ではないのだ。
そして、そんな三大勢力に対し、セツナは徹底抗戦すると息巻いている。
ガンディアの戦士として戦い抜くのだ、と。
当然、ミリュウたちもそれに付き従うつもりだ。セツナの家臣だからではない。セツナがいくからだ。セツナがいくのであれば、たとえそこが死地であろうとも構いはしない。
セツナのいない世界など、生きている意味がない。
だが。
「ちょっと」
「なに?」
「本当に、いいの?」
ミリュウは、ファリアの目だけを覗き込んだ。眼鏡を外したファリアの目は、美しく碧く澄んでいる。ともすれば同性であるミリュウでさえ見惚れてしまいかねないほどの魅力がある。もちろんそれは、ミリュウがファリアを溺愛しているからこその感覚なのは、わかっている。
「なにがよ」
「セツナよ!」
「セツナがどうしたのよ」
「もう、なんでわからないの? このままじゃ、死んじゃうのよ!」
ミリュウは、つい勢い余って机を叩いてしまう。茶器が揺れ、お茶が溢れた。レムが布巾で拭き取るのを視界の隅で捉えながら、叫ぶ。
「そんなの、納得できるわけ!?」
「ミリュウ、あなた、セツナの考えに納得したんじゃなかったの?」
「あたしが、ファリアに聞いてるんだけど?」
ファリアの半眼に、半眼を返す。
ファリアにしてみれば、ああいうことでミリュウの気勢を削ぎ、やり込めようとしたのだろうが、そうはさせなかった。アスラとレムもファリアの反応を伺う。ファリアが、根負けしたように視線をそらした。
「……嫌よ」
小さく、つぶやく。
「本当いうと、セツナを死なせたくなんてないわよ」
ファリアの本音は、ミリュウの心に突き刺さる。
「ガンディアは、確かにわたしにとって第二の故郷といっていいくらいの国よ。気候は温暖だし、ひとの気持ちも素晴らしい国だと思うわ。陛下や王家の方々にも限りないくらいの感謝をしているわ。大好きな国よ。それでも、ガンディアとセツナ、どちらかを選べといわれたら、わたしは迷いなくセツナを選ぶ」
ファリアの思いの丈を聞いて、ミリュウはどうしようもなく嬉しくなる。同じだ。同じ気持ちなのだ。それはきっとレムも同じだろうし、シーラも、きっと同じだっただろう。シーラはいまや消息不明の身となったが、きっと最期までセツナのことを想い、戦ったに違いない。
「やっぱりね」
「あなたは、どうなの?」
「あたしも、ファリアと似たようなものよ。といっても、ガンディアに関してはファリアほどの思い入れはないわ。ただ、陛下に関しては、そうね。嫌いじゃないわ」
セツナの記憶のせいだろう。
セツナは、居場所を与えてくれたレオンガンドに心から感謝していたし、そういう気分は、ミリュウの中にも息づいてしまった。こればかりは、どうしようもない。逆流現象がいまのミリュウの根本を形成してしまっている。
「でも、だからといってセツナと比べられるようなものじゃあない。だって、そうでしょ。あたしの愛するセツナはこの世でたったひとりよ。代わりはいないの」
「そうね。セツナは、ひとり……」
「もちろん、セツナが自分の命以上にこの国を愛し、護りたいと想っているのは知っているわ」
だから、当初はそれでもいいと想った。
セツナと一緒に最後まで戦い、死ぬのも悪くはないと考えていた。
でも、それは本当の望みではないということに気付かされた。滅びが近づくに連れて、想いが深まっていくのだ。セツナを失いたくない。もっと、彼を感じていたい。もっと深くまで愛し合いたい。いや、違う。たとえ愛してくれなくてもいい。生きていてくれるだけで十分だ。
生きている喜びを教えてくれた彼をむざむざ死なせるだなんて、考えられなくなっていた。
「セツナの想いは尊重したい。でも、あたしは、あたしの本音は」
「セツナを生かしたい」
「うん」
ファリアがミリュウの考えていることをそのまま言葉にしてくれたことに彼女は嬉しくなった。思いが通じ合っている。これ以上心強いことはない。
「レムは、どうなの?」
「わたくしも、ファリア様、ミリュウ様と同じ気持ちでございますわ」
レムが、目を伏せた。いつもの笑顔ではなく、真面目な表情。そこに彼女の本心が現れている気がした。
「わたくしにとって唯一無二の主であり、わたくしに三度生を与えてくれたあの方には、この国がどうなろうと生き延びて頂きたい。それが、本音でございます」
「そうよね。セツナが死んだら、あなたも死ぬものね」
「それが理由ではありませんが」
「わかってるわ」
レムがそのような打算でセツナに付き従っていると考えたことはなかった。それならば、セツナに対しあそこまで熱烈にはなれまい。ミリュウに次ぐ熱狂ぶりは、セツナに魅入られているからというほかないのだ。
ミリュウがああいったのは、わざとだった。
「それじゃあ、どうするべきか、じっくりと話し合いましょう」
ファリアが自分以外の三人の顔を見回し、ゆっくりといった。
セツナを生かすための作戦会議は、夜遅くまで続いた。




