第千六百三十四話 夢の終わり(二十六)
「罷免……? 俺が……?」
セツナは、レオンガンドからの辞令を読み上げて、頭の中が真っ白になるのを認めた。
アズマリアと逢い、そのことをレオンガンドらに報告した翌日のことだった。突如としてセツナの元にもたらされた辞令は、セツナを王立親衛隊《獅子の尾》隊長から罷免するというものであり、また、ガンディア本土からの退去を命じるものだったのだ。
なにがどうなっているのか理解できず、混乱の中、全身の血液が沸騰するかのように騒ぎ出す。
「それに本土からの退去って……どういうことだよ?」
「そのままの意味ですよ」
軍師アレグリア=シーンは、涼しい顔でこちらを見ていた。辞令書をセツナに持ってきた張本人だ。側近ではなく軍師なのは、側近ではセツナの
「セツナ様、どうか陛下からの最後の御命令を受け取り、いますぐガンディア本土より退去してくださいませ」
「なにを……いってるんだ」
絞り出した声が掠れていた。構わず、アレグリアに詰め寄る。
「本土から退去だって? 意味がわからない。俺がなにをしたってんだ? 俺は、俺は……!」
「陛下は、セツナ様に感謝されているのです」
「だったら!」
思わず、大声を上げてしまった。が、アレグリアの表情に変化はなかった。
「陛下は、ガンディアが滅びを避けられぬことを受け入れられたのです。しかし、そのためにセツナ様を始め、ここにいる皆様まで滅亡に伴うのは愚かなことだと考えられたのでしょう」
「だからって……」
「陛下……そんな……」
愕然とつぶやいたのは、ルウファだ。ルウファにも、同じく辞令が下されていた。ルウファだけではない。《獅子の尾》に所属する全員に、役職を罷免し、除隊する旨の辞令が下され、本土よりの退去を命じられていた。セツナ軍に所属するものたちの扱いは、セツナに任せるとなっていたが、セツナが本土から退去しなければならないとなれば、同じことだ。
室内には、セツナとルウファのほか、《獅子の尾》の隊士であったファリア、ミリュウ、アスラ、グロリア、それにセツナ軍シドニア戦技隊の幹部たちが集まっている。もちろん、レムもいる。
「セツナ様方のみではありません。ほかの方々にも、同様の辞令が順次下されます」
「そんなこと……」
「ついいましがた、ですが、ザルワーン方面が完全に制圧されたとの報せが入りました。既にログナー方面への攻撃が開始されていてもおかしくはありません。ログナー方面が突破されれば、ガンディア本土が戦場となりましょう。そうなれば、逃げる隙間もありません。いまのうちです」
アレグリアは、セツナの反論など許さないとでもいいたげな勢いでまくし立ててきた。
「セツナ様。どうか、ご自愛のほどを。貴方様は、いつだって自分のことを顧みず、無茶ばかりをされてこられました。そのおかげでガンディアが勝利してきたのも事実ですが、貴方様が負傷されるたびに泣かれる方もたくさんおられるということ、ゆめゆめお忘れなさらぬよう」
「アレグリアさん……」
「かくいうわたくしも、そのひとりですが」
彼女がはにかんだような笑顔を見せるのは、実に久しぶりであり、セツナはなんだか胸が締め付けられるような想いがした。
「それでは皆様、ご武運を」
アレグリアは、深々とおじぎをすると、部下ともども部屋から出ていった。
しばらく、沈黙が室内を満たした。だれもなにもいわないまま、時計の針の音だけが響いていた。沈黙の理由は、色々とあるだろう。辞令書を目の当たりにして衝撃を受けているものもいるだろうし、レオンガンドの思いやりに感動しているものもいるかもしれない。ガンディアの滅びが避けられぬものとわかったということも、あるかもしれない。
この場にいる皆は、知っている。
三大勢力の侵攻を止める手立てがないということも、三大勢力の後ろには神がいて、その目的こそこのガンディア本土を制圧するということであり、遺跡の掌握だということも、なにもかも、把握している。
「どうするの……?」
おそるおそる口を開いたのは、ミリュウだ。彼女も、《獅子の尾》から除隊させられ、いまやただのセツナの家臣となってしまった。
「どうもこうもねえよ」
セツナは、辞令書を折りたたむと、机の上に置いた。辞令書の上に、手のひらを乗せる。レオンガンドがセツナに失望したのではなく、これまでの労に報いたいという想いが伝わってくる辞令だった。レオンガンドほど家臣想いの主君がいるだろうか。セツナは想う。こみ上げてくるのは、レオンガンドのためになにもしてやれない自分の無力さへの怒りであり、この世界そのものへの怒りだ。
「俺は、ガンディアの人間なんだよ。ここが、俺の家なんだ。俺の居場所なんだ。だから、ここを離れるなんてありえねえんだよ。たとえそれが陛下の命令であっても、従えねえ」
辞令書から、手を離す。
「俺はいまはじめて、陛下の命令に逆らう」
顔をあげると、ミリュウがこちらを見て、微笑んでいた。なにもかもお見通しだと言わんばかりに。
まるでわかりきっていた結論をいってしまった気がして、セツナはなんだか恥ずかしくなった。
玉座の間にいる。
玉座に腰掛け、だれもいない絨毯の上をぼんやりと眺めている。
無駄にそうしている時間が増えたのは、状況が状況だからだ。手詰まり。もはや国は滅ぶべくして滅ぶしかない。ディールへの使者も、ザイオンへの策も、すべて水泡に帰すことが見えている。アーリアとウルは、死ぬだろう。可哀想だが、仕方がない。彼女たちが恨みに恨みぬいたガンディアも滅びるのだ。それで勘弁してもらうしかない。
なにをしても無意味とわかれば、家臣たちに暇を出し、王都市民に避難を命じれば、暇を持て余すしかなくなる。ひとりの時間が増えた。
昨夜も、親衛隊への辞令書を作成するだけの時間があった。《獅子の尾》、《獅子の牙》、《獅子の爪》への辞令書は、レオンガンドがみずからの手で作成したものだった。アレグリアに手伝ってもらってこそいるものの、書いたのは全部レオンガンドだ。レオンガンドに尽くしてくれた親衛隊各位への最後の辞令書なのだ。精魂込めて作成しなければ、彼らの忠誠に泥を塗る事になる。
(最後)
セツナは、納得するだろうか。
しないだろう。
彼のことだ。きっと、納得などできないと叫んでいるに違いない。だが、納得できようができまいが、関係のないことだ。辞令は下った。彼は《獅子の尾》隊長ではなくなったのだ。渋々でも従うよりほかはない。
そう考えていたときだった。
気配がして、顔を上げた。
「ん……?」
ついさきほど考えていた人物が、玉座の間の出入り口に立っていた。
「レオンガンド陛下に謹んで申し上げたき議がございまして、参上つかまつりました」
「セツナ……」
レオンガンドは、堅苦しい言い方の似合わない人物を見つめながら、目を細めた。
「本日、謁見の予定はない。下がれ」
「陛下!」
「下がれといっている」
レオンガンドは、顔を背けると、手振りだけで追い散らそうとした。極力、目を合わせるべきではない。目を合わせればその瞬間、彼のこれまでの功績や忠節に感謝してしまいたくなるだろう。いまでも、そういう感情を抑えるので必死だった。必死にならなければ、ふとした拍子に溢れてしまう。そして、一度溢れ出したらもう、止められなくなるだろう。
それくらい、彼はセツナに感謝していた。
その想いを表現することができないまま彼を罷免したのは、その気持ちを伝えれば最後、自制が効かなくなるかもしれないからだ。
セツナは、そんなレオンガンドの気持ちが理解できないのだろう。彼は、レオンガンドの命令も聞かず、こんなことをいってきた。
「陛下、どうしても聞き入れてくれないというのであれば、わたくしにも考えがございます」
「なにをするつもりだ?」
「武装召喚」
呪文の末尾が聞こえ、閃光が視界を焼いた。顔を上げる。セツナは、黒く禍々しい矛を手にし、こちらを見つめていた。その姿は、レオンガンドが英雄と呼ぶに相応しいと感じる人物そのものだ。
「セツナ……君というやつは」
「陛下、ご無礼のほど、ご容赦くださりますよう。こうでもしなければ、陛下と話し合うこともできませぬ故」
セツナは、こちらを睨んでいた。血のように赤い瞳が爛々と輝いている。
「……君は忠臣ではなかったのか」
「忠臣セツナ=カミヤは、つい先程消えていなくなりました」
セツナの言い分に、レオンガンドは、呆れてものもいえなかった。
彼が矛を携えたまま、近づいてくる。レオンガンドは、兵を呼ぼうともしなかった。そんなことをしても無駄だ。彼は矛を召喚した。最強無比の召喚武装たる黒き矛を召喚してみせたのだ。この王都、王宮において、もはや彼に敵うものなど存在しないといっていい。
彼のなすままに任せるしかない。
無論、彼に敵意も悪意も殺意もないことくらい、わかりきっている。ただの強硬手段。それが可愛げにしか見えないのは、困ったところかもしれない。
「本土からの退去命令が気に入らんか」
「はい」
「なぜだ。君まで、ガンディオンと運命をともにする必要はあるまい」
「それをいうのであれば、陛下もでしょう」
「わたしは、違う」
レオンガンドは、玉座に腰を落ち着けたまま、セツナが歩み寄ってくるのを見ていた。彼がどこまで近づいてくるつもりなのか、そんなことが気になる。目の前まで来られたら、さすがに彼の顔を注視しなければならなくなり、そうなれば感情に歯止めが効かなくなるのではないか。そんな心配をしてしまう。
「わたしは、ガンディアの正当王位継承者であり、現国王だ。ガンディアの王都であるガンディオンは、ガンディア王家の都であり、建国王の時代から今日に至るまで、ガンディア王家が統治してきた歴史ある都が。いくら三大勢力が迫り、滅亡が避けられぬとはいえ、最後の王たるわたしが逃げ去るなど、考えられぬことだ」
ガンディアの王位継承者として生まれ、育てられた。英雄の風貌を持つ父シウスクラウドの背を見たことの影響も強いだろう。シウスクラウドのような誇りと気高さを持った人間になろう、ならなければならない――それがレオンガンドの人生のすべてだった。それでよかった。それだけで、よかったのだ。そして、そういう人間で在り続けるためには、ここで王宮を去るという選択肢を取ることはできなかった。
生き延びることは、できる。
王都を去り、どこぞの地下にでも身を潜めればいい。さすだの三大勢力も、地下に逃れたものたちを殺戮して回ることはあるまい。聖皇召喚の儀式が血を求めるものならば、互いに殺し合えばいいだけのことだ。神にとって、自軍の兵士も、小国家群の人間も大差ないはずだ。
しかし、レオンガンドにそういう選択はできない。
「ガンディアという国がこれまで紡いできた歴史そのものを否定することになる。それだけはできんのだ。断じてな」
レオンガンドは言い切り、セツナの顔を見た。
彼は、玉座まであと数歩という距離で足を止めていた。矛を送還したのは、召喚したままではレオンガンドに悪いと想ったからだろう。結局、最後まで悪ぶれないのが彼なのだ。そういうところが愛おしい。
「だがセツナ。君は違う。君は、ガンディア王家の人間ではない。君は、確かにわたしにとってもっとも大切な家臣であり、わたしの夢に必要不可欠な存在だが、だからといって、君までわたしとともにこの国の終わりを見届ける必要はない」
セツナは、若い。
それをいえば、レオンガンドもまだ二十代ではあるのだが、彼はある種老成しているところがあった。愚者を演じる日々の中で、人生を達観してしまったというべきか。暗愚の王子として振る舞う中、ひとの嫌な部分ばかりを目にすることが多かったからなのか、それとも、無能者を演じるがゆえに本来見えないものが見えていたからなのか、いずれにせよ、レオンガンドは年齢以上に年を取った感覚があった。十代の頃から三十代、四十代の感覚があって、それがそのまま成長していた。自分を若いと想ったこともなく、故に次代のことばかりを考えていたのかもしれない。
しかし、セツナは違う。若い。まだ十代なのだ。来年、ようやく二十歳になる若造といってよく、彼にはまだまだ光り輝く未来がある。あるべきなのだ。そして、その未来に向かって邁進するべきであり、レオンガンドとともに滅びを受け入れる必要はない。
「ガンディアを離れ、つぎの人生を考えよ。世界は破滅を免れるのであろう? ならば、ベルやミリュウらと幸せに暮らせば良い。君ならば、どのような世界でもやっていけるだろう。彼女たちとの暮らしは大変だろうが」
セツナの将来を想像すると、面白おかしくもなる。きっと、セツナを巡ってファリアやミリュウたちが取り合うに決まっている。セツナは優しすぎるから、彼女たちに優先順位などつけられまい。その結果、大騒動に発展することもあるだろうし、そういった出来事の顛末を見届けられないのは、少しばかり寂しいところだが、致し方あるまい。
レオンガンドは、この王宮とともに死ぬ。
セツナは、生きる。
それでいい。
それが正解だ。
なにもかもすべて、セツナに押し付けてきたのだ。
死まで押し付けてどうするというのか。
だが、セツナは頭を振る。
「できません」
「なに……」
レオンガンドは、セツナの眼を見た。彼の紅い瞳も、レオンガンドを見つめていた。真剣そのものの視線。強い意志を感じる。覚悟があるのだ。
「俺は、ガンディアのセツナなんですよ。こればかりは、譲れないんです。この国が俺の居場所なんです。ようやく手に入れた居場所なんです。それを奪うだなんてこと、しないでくださいよ」
「セツナ……」
「陛下」
セツナは、居住まいを正した。
「俺は、陛下の夢に俺の夢を見たんです。小国家群統一という途方もない夢を叶えることこそ、俺の夢になったんです。それが俺の生きる目標になっていたんですよ」
そして、笑いかけるように、いってくる。
「陛下には、俺をそのようにした責任があります」
「責任だと?」
「はい」
彼は、笑っている。
それが絶対無二の道理であるかのごとく、笑っている。綺麗な笑顔。曇ひとつない眼。レオンガンドは、自分の心を制するのに必死にならなければならなかった。それくらい、彼の笑顔というのは破壊力があった。まっすぐで、眩しい。
「……まったく、君はどうしてそう頑固なんだ。素直に主命に従う忠臣はどこにいったのだ」
「ですから、忠臣セツナは消えましたよ。陛下が、罷免なされたんじゃないですか」
「……なるほど」
笑うしかない。
「では、目の前にいる君はだれだ?」
「陛下の英雄です」
彼があっさりと言い切るものだから、レオンガンドは、なにも言い返せなかった。
「それならば、仕方があるまい」
彼の意見を聞き入れるほかなかったのだ。
そうして、レオンガンドは、セツナたちの本土退去を取り消した。すると、ほかの親衛隊や軍人、文官などからも取り消し要請が相次ぎ、今朝、辞令書を出したうちの半数以上が王都に残ることとなった。
「昨夜のわたしの苦労が水の泡だな」
「よいではありませんか。皆が、そう望んでいるのですから」
「ふむ……」
レオンガンドは、なんともいえない気持ちになって、アレグリアと笑いあった。
状況が変わったわけではない。
なにひとつ好転したわけではない。
なにもかも絶望的であり、破滅的な現実に変わりはなかった。
しかし、レオンガンドは、そんな絶望に向かって笑いながら進めることにむしろ誇りを持ったのだ。




