第千六百三十三話 夢の終わり(二十五)
「いつからいたんだ」
「御主人様がひとりになりたいと仰られたときから、ずっと、でございます」
レムがしれっとした顔でいってきたので、セツナは、苦い顔になった。まさか、ひとりきりで考え事をしているときからずっといたとは、さすがのセツナも想像していなかったのだ。
「なんだよ、それ」
「別に御主人様を信頼していないわけではなく、ファリア様、ミリュウ様がどうしても、と仰られるので……」
「それで、俺を見張ってた、ってわけか」
「見張っていたというのは、誤解がございます。正しくは、見守っていた、のでございます」
「同じことだ」
セツナが椅子に腰掛けながらいうと、レムは反論をしてこなかった。だれもいなくなった寝台の上を見遣り、それからこちらに向き直る。相変わらずのメイド服を着込んだ少女姿の死神は、セツナと同じ紅い瞳で、微妙な笑みを浮かべている。その笑みがなにを意味するのか理解できず、セツナは顔をしかめた。
「なんだよ」
「御主人様がアズマリア様についていかなかったことにほっとしたのでございます」
「いくわきゃねえだろ」
ぶっきらぼうに、いう。
レムは、そんなセツナの反応にも笑みを消さなかった。
「信じておりましたが、それでも、そのときになるまではわかりませんから」
「……そうだな」
確かにその通りだ。
どれだけ信じていたも、そのとき、その瞬間になるまでは結果はわからない。もしかすると、信頼や期待を裏切られるかもしれない。だから、結論に対して喜びを表現するというのは、正しい反応なのだろう。
「ですが、本当によろしかったのでございますか?」
「なにがだよ」
「アズマリア様についていかなくて、でございます」
「聞いてたんだろ。俺は、ここで戦うって決めたんだ。最後の最後までな」
「はい」
彼女は、静かにうなずくと、お辞儀をしてきた。
「わたくしも、御主人様と一緒に戦い続けますわ」
レムは、それ以上、アズマリアとの会話の内容について話題にすることはなかった。セツナのことを気遣っていたのだろうし、セツナがここに残ると決めた以上、なにを話しても意味がないという結論に至ったからかもしれない。
アズマリアとの会話の内容を蒸し返したところで、なにがわかるわけでも、なにが変わるわけでもない。
絶望的な現実を再確認するだけのことだ。
セツナは、レムがお茶を淹れてくれるのを見つめながら、ぼんやりと、そんなことを考えていた。
アズマリア=アルテマックスがセツナにもたらした情報は、速やかにレオンガンドらガンディア首脳陣に伝えられた。
三大勢力の背後には皇神がいるということ。皇神の目的を叶えるべく、三大勢力が小国家群に侵攻しているということ。そして、その皇神の目的とは、聖皇ミエンディア・レイグナス=ワーグラーンの復活であり、三大勢力による闘争はそのための儀式の一部である可能性が高いということ。
そして、聖皇復活の地こそ、ガンディア本土の地下遺跡であり、セツナが聖皇の最期を幻視したという第二層・祭壇の間だろうということ。
当初、セツナの突拍子もない報告に対し、その場に居合わせただれもが怪訝な顔をした。
セツナに多大な信頼を寄せるレオンガンドですら、彼が妄言をいっているのではないかと疑ったほどだ。それくらい、彼の報告は突拍子がなかったし、途方も無いことだった。信頼できる情報なのかどうかさえ不明だった。
しかし、三大勢力のこれまでの動きや、神マユラの発言、救世神ミヴューラの言動などを含めて考えれば、筋の通ったものになった。
聖皇ミエンディアの復活という途方もない目的が事実であるならば、多くの物事に辻褄があった。そのための術式であり儀式のために血を流す必要があるというのであれば、三大勢力が闘争に拘り、交渉や降伏を受け入れないのも道理だった。小国家群の国々を滅ぼし尽くすのは、この世界に刻まれた術式を完成させるために必要不可欠な行為だったのだ。
また、聖皇の復活がこの世界に破滅をもたらすというアズマリアの発言は、救世神ミヴューラの破滅的な未来視と関連付けることもできよう。
ミヴューラがセツナに見せた世界の滅亡は、聖皇の再臨によるものなのだろう。
ミヴューラは、聖皇に召喚されながらも聖皇に敵対し、結果、神卓に封じられたという。聖皇の記憶改変によって聖皇そのものに関する記憶は失っていたが、聖皇の持つ強大な力については認識しており、それが未来視に繋がったのかもしれない。
そういった分析により、セツナの報告がただの妄想などではなく、絶望的な現実をより深く理解するためのものだということがわかり、レオンガンドたちは、言葉を失った。
レオンガンドは、セツナがアズマリアとともに行かず、ガンディオンに残るという選択をしたことを表面上喜び、感謝しながらも、内心では別のことを想っていた。
(もう、よいというに)
彼は、セツナの痛ましいまでの健気さに心打たれるしかなかった。
状況が絶望的であることに変わりはない。いや、それどころか、もはや取り返しのつかないところまで来ているということが、アズマリアのもたらした情報によって、知れた。三大勢力の背後にそれぞれ神がついているということが判明したのだ。そして、それら神々は、同じ目的のために相争っているらしいということも、だ。おそらくは、神々が互いに信用していないのだろう。故に神々は対立し、だれよりも先に聖皇の復活を果たそうとしているのではないか。そして、自分だけ目的を叶えるつもりなのだろう。
故に、神々は小国家群を滅ぼすのだ。
情け容赦なく、慈悲や救済などあろうはずもない。ただ、復活の儀式を完成させるべく、小国家群を攻め滅ぼすのだ。
ミドガルド=ウェハラムへの交渉も、無駄となるだろう。神聖ディール王国も、神に支配された国だということが判明したのだ。期待はできない。仮にミドガルドが聞いてくれたとしても、だ。聖王ルベレスは、聞くまい。
ザイオン帝国に差し向けたアーリアとウルも、失敗する公算が高くなった。十中八九、失敗するだろう。もしもウルが皇帝シウェルハインを支配することができたとしても、神の力の前では為す術もないのではないか。
この国は、滅び去る。
レオンガンドは、その事実を認識した上で、それでもこの国の存続を諦めようとしないセツナの言動に悲痛なまでの覚悟を感じていた。
なにが彼を突き動かすのか。
なにが彼をそこまで駆り立てるのか。
忠誠心もあるのだろう。
彼は、レオンガンドと君臣の契を結んで以来、忠を尽くしてくれていた。いつだって、レオンガンドの命令を優先した。レオンガンドの命とあらばたとえザルワーンの守護竜が相手だって戦い、クルセルクの巨鬼とだって戦った。どのような苦境にも弱音ひとつ吐かず、不満も漏らさず、戦い抜いた。その結果、彼はガンディアの英雄に相応しい光を帯びるようになった。
いまも、彼の姿はレオンガンドには眩しい。
玉座の間には、レオンガンドとアレグリアしかいなくなったものの、赤絨毯の上には彼がいたことがわかる残光があった。
そう思い込むくらいには、レオンガンドはセツナのことばかりを考えていた。
「セツナは、今日までわたしに忠を尽くしてくれた。彼ほどの忠臣は、そういるものではない。彼ほどの戦果を上げ、彼ほどの成果を国にもたらした英雄など、歴史上、数える程もいまい」
「はい。セツナ様はまさに英雄と呼ぶに相応しいお方かと」
「世辞抜きにして、な」
レオンガンドがその一言を追加すると、アレグリアはどこか嬉しそうに微笑んだ。彼女もまた、セツナを神のように崇める信奉者のひとりだった。そういったものたちが増えるのも、彼の戦歴を考えれば当然といえる。
「わたしは、彼に英雄を見た。父の背に見た英雄像とは大きく異なるそれが、いまやわたしにとって唯一無二の英雄となった。まるで夢のようだ」
シウスクラウドがひとびとを率いる英雄ならば、セツナは、ひとびとよりも遥か先で戦い続ける英雄だった。英雄像としては、まったく異なるものであり、どちらが優れているというものでもない。どちらも素晴らしいものだ。レオンガンドには手の届かない領域でもある。憧憬の世界なのだ。
「夢のようだった」
そういって、すべてを過去にするのは、ある種、勇気の必要なことだった。しかし、いまここで過去にしなければ、いつまでたっても諦めがつかなくなるだろう。縋り付きたくなってしまうだろう。過去に甘えてはならない。もう、終わったことなのだ。
「わたしはわたしの英雄を得た。わたしの英雄が、わたしの夢を切り開いてくれる。わたしの淡い夢を確かな現実へと押し上げてくれる。これほど嬉しいことはない。これほど喜ばしいことはない。これほど――」
素晴らしいことはない。
「だが、その夢ももう終わりのようだ」
「陛下……」
「わたしは、夢の終わりをここで見届けよう。だが、そのような個人的な趣味にセツナやほかのものたちを巻き込みたくはない」
レオンガンドは、こみ上げてくる想いを抑えつけるようにして、口を開いた。
「セツナを王立親衛隊《獅子の尾》隊長から罷免し、配下ともども本土からの退去を命じる」
アレグリアが息を呑んだ。




