第千六百二十九話 夢の終わり(二十一)
状況は、なにひとつ好転していない。
それどころか、悪化の一途を辿っている。
当然だろう、
状況を変える手立てがないのだから、流れの赴くまま、悪化せざるを得ない。
その状況を変える手段を求めての遺跡調査は空振りに終わった。わかったことといえば、地下遺跡が五百年前には地上に存在していたかもしれないということであり、聖皇ミエンディアと縁深い場所にして、聖皇と聖皇六将が決戦を行った地であるということくらいだ。そして、そんなことがわかったところで、なにひとつ嬉しくはなかった。考古学者たちにとっては、想像を絶するほどの発見だったようだが、この絶望的な状況に一切寄与しない情報など、セツナたちにとっては喜ばしいものではなかった。
そしてなによりセツナの気分を暗いものにしているのは、レオンガンドの反応だった。
物憂げに沈み込んだ主君の表情は、彼の心情を雄弁に物語っている。レオンガンドは、セツナたちの調査が無意味に終わったことを知っていたのだろう。故にそのような表情をしていたに違いない。起死回生の発見があったわけでもなければ、三大勢力を牽制しうるようなものがあったわけでもない。ただ、遺跡と聖皇の関連性が判明しただけであり、ただの時間の浪費に過ぎなかった。
レオンガンドが失望するのも無理からぬことだ。
セツナには言い訳する機会すら与えられなかった。ただ、苦労をねぎらわれただけだ。
虚しさと悔しさがセツナの心を埋めた。
側近にいわれるまま、王宮に残った。今度は、セツナとレムだけではない。ファリア以下、セツナ軍のものも王宮に入っていていいとのことだった。そうすることで王宮のひとびとの不安を紛らわせて欲しい、というのだろう。ガンディアの英雄たるセツナと、セツナ率いる《獅子の尾》、それにセツナ軍の幹部が勢揃いしていれば、不安も少しは薄れるというものだ。
ただそれは、絶望的な現実から目をそらすための方便に過ぎない。
セツナたちが王宮に入っていようといまいと、現実はなにひとつ変わらないのだ。
「龍府が落とされたかもしれないそうよ」
ファリアがそんな情報を仕入れてきたのは、セツナたちが部屋に集まっているときだった。王宮で情報を集めるのは、実は簡単なことではなかった。王宮には、戦いとは無縁のひとびとが住んでいる。そういったひとびとを無闇に刺激しないよう、三大勢力の進行状況などはひた隠しにされていた。もっとも、軍師アレグリアなどがセツナたちに対して隠し事をするはずもなく、アレグリアのように話のわかる人物を見つけることができれば、すぐにわかるのだが。
「龍府が……」
セツナは、茫然とした。龍府が落ちたということは、それ以前に、アバードがヴァシュタリア軍によって攻め滅ぼされたということでもある。セツナたちが地下に潜っている間に状況はさらに悪化していたということだ。
「そんな……シーラ様やサラン様は無事なのでございますか?」
「そこまではわからないのよ。ただ、龍府以南にもヴァシュタリア軍が攻め寄せてきているから、そう判断しているだけって話だし」
「シーラ殿が負けるとは思えないけどな」
「エスク……」
「あの獣姫ですぜ。負けるにしたって、ヴァシュタリアに手痛い反撃を食らわせているに決まっているし、きっと、どこかで生き延びてますよ。あの姫のしぶとさを舐めちゃあいけません」
「……ああ」
エスクなりの励ましと受け止め、セツナは小さく肯定した。シーラのハートオブビーストが真価を発揮すれば、数万の軍勢くらいならば蹴散らせるだろうし、その可能性を信じるしかない。
「グレイシア殿下やナージュ殿下は御無事でしょうか?」
「地下に隠れている限り、安全だろう。地下には食料も蓄えてある。戦いが終わるまでの分くらいはあったはずだ」
戦いが終わるまで――と、セツナは自分でいいながら、なんだか虚しくて仕方がなかった。
この戦いの終わりとはいつなのか。
三大勢力いずれかの国がガンディア本土で謎めいた目的を果たしたときなのか。それとも、その後、三大勢力の勝利者が決定づけられるときなのか。いずれにせよ、ガンディアという国が地上から滅び去ったあとのことであり、龍府のひとびとお安全が確保されるとは言い難いのではないか。そういった様々なことを想い、胸が苦しくなる。グレイシアのことがなによりも心配なのは、やはり身近にいたひとだからだろう。ナージュやレオナのことも心配だが、グレイシアのほうがより大きい。
エリルアルムのことも、考える。
エトセアの王女であり、将軍であり、騎士公と呼ばれていた、セツナの婚約者。エトセアは滅ぼされ、彼女との政略結婚は立ち消えになったというものの、だからといって、セツナが彼女のことを考えないわけがなかった。婚約指輪を、贈っている。政略結婚とはいえ、結婚する約束を交わした以上、それを破るなんてことはできない。
約束は、護るためにある。
それがセツナの信条だ。
エリルアルムは、シーラとともに龍府軍の一員として戦場に出たはずであり、彼女の消息がわからないのも当然だろう。
エインの無事も、わからない。
軍師エイン=ラジャールは、セツナたちが地下に潜ったあと、ガンディア内外を飛び回っていたらしい。そして、アバードの陥落を知り、ヴァシュタリア軍の龍府侵攻に合わせ、龍府に入っている。龍府軍に戦術を授けるためだろう。戦場に出たのか、それとも戦術だけ授け、龍府に隠れていたのかはわからない。前者ならば生存は絶望的だし、後者ならばシャルティア=フォウスとともに戻ってこないのは奇妙な話だ。エインは、シャルティア=フォウスの召喚武装オープンワールドの能力によって、国内を飛び回ることができていた。
そのシャルティア=フォウス自身も、王都に帰ってきていないというのだ。
もしかすると、もしかするかもしれない。
『最悪の事態に備えて覚悟を決めておかねばなりません』
アスタル・バロル=ラナディースは、エインのことに対し、そのような言葉を残している。
それはなにも、エインに限った話ではない。
悪化の一途を辿る現状に対しても、そうだ。
最悪の事態が訪れる可能性を考えておかなければならなかった。
それがセツナ自身への焦りに繋がる。
レオンガンドを失望させてしまったという事実が、重く伸し掛かるのだ。
三大勢力の侵攻は止まらない。
ヴァシュタリアは龍府を突破したという。数日以内にザルワーン方面からログナー方面に雪崩込んでくるだろう。ザイオン帝国、神聖ディール王国も似たようなものに違いない。ガンディアに残された時間は、極めて少ないのだ。そしてその残された時間でセツナになにができるかというと、正直な話、なにもなかった。
なにもできないまま、時間を無駄に費やしていくしかないのだ。
セツナは、ひとり、部屋にいた。ミリュウやレムが一緒にいたがったが、ひとりにして欲しいといい、なんとかしてひとりの時間を作った。
ひとりになりたかった。
この心の中に逆巻く想いを沈めるにはどうすればいいのか。そんなことを考える。
「どうにもならんさ」
不意に聞こえた声に、セツナは、はっと顔を上げた。
「この状況、まさかどうにかできるなどと想っているのではあるまいな」
寝台の上に女がいた。
燃え盛る炎のような紅い髪が特徴的な、絶世の美女。拘束衣のような黒衣が強調する肉感的な肢体も、相変わらずだった。
「アズマリア=アルテマックス」
名を呼んで、セツナは、拳を握りしめた。




