第千六百二十八話 夢の終わり(二十)
十一月になった。
十月始め、三大勢力の小国家群侵攻を聞いてからおよそ一月が経過している。
「よく、保っているものだ」
レオンガンドは、朝議の後、他人事のようにいった。
本当に、よく保っている。
いや、もはや保っているなどといえるものかどうか。
小国家群の大半が三大勢力によって滅ぼされ、支配下に入った。エトセア、レマニフラといったガンディアの同盟国もつぎつぎと落とされ、属国のアバードやジベルも滅ぼされた。いずれの国も、抗戦の末、滅びている。圧倒的戦力差を前に戦意喪失し、降伏しようと願い出ても聞き入れてくれやしないのだ。戦うしかない。あるいは、国を捨てて逃げるしかない。逃げたところで、逃げた先で滅ぼされるだけのことだ。
三大勢力がほぼ同時に、小国家群の中心に向かって軍を進めているのだ。逃げ場などない。
三大勢力の進軍をやり過ごすことができたのであれば、それは幸運というほかあるまい。それ以外の言葉で言い表せられないほどのものだ。
三大勢力は、戦力を一点に集中させているのではない。
まるで小国家群のすべての国を滅ぼすために軍事行動を起こしたのではないかと疑いたくなるような戦い方をしている。ザイオン帝国は東側の国々を、神聖ディール王国は西側の国々を、ヴァシュタリア共同体は北側の国々をそれぞれに攻め立てた。それだけ戦力を割いてもあまりある兵力。小国家群すべての国々の戦力を結集したとしても対抗できなかったのではないか。
(所詮、夢は夢)
小国家群を統一し、新たな大勢力となって均衡を保とうというのが土台無理な話だったのではないか。根本からして、考え違いをしていたのではないのか。そう、思わざる得ない。
(幻は幻)
たとえレオンガンドの夢見た小国家群統一が成功したとして、一大勢力に対抗できるだけの戦力を持ちうることさえできなかった可能性が高い。どう見積もったところで、小国家群の合計戦力は、帝国軍が呼号する二百万に遠く及ばない。
圧倒的な戦力差は、どうやっても埋めようがない。
セツナほどの力を持った武装召喚師が何十人もいればどうにかなるのだろうが、さすがにそううまくいくはずもない。
「陛下。セツナ様が戻られたと」
「そうか。通せ」
「はっ」
ゼフィル=マルディーンがうなずき、レオンガンドの前から離れていく。彼の様子を見る限り、セツナの遺跡調査によってなにかが得られたという可能性は低い。遺跡が聖皇と関わりのあるものだと判明したということは、驚くべき報告だったものの、どうやらそれだけで終わりそうだった。
玉座の間に入ってきたセツナの表情は、レオンガンドが想像した通りのものだった。なんと報告すればいいのか困り果てているとでもいうべきものであり、その痛ましさたるや、レオンガンドをして玉座から飛び出したい衝動に駆らせるほどのものだった。
辛くも堪え、告げる。
「ご苦労」
レオンガンドは、声がかすれていたことに気づいて、慌てて続けた。
「無事に戻ってきてくれて、良かった。報告は後でよい。いまはゆっくりと休み、後に備えよ」
「はっ……? しかし――」
「よいといっている。そなたはわたしに忠を尽くしてくれた。それだけで十分だ」
レオンガンドは、セツナの表情、言動のひとつひとつが自分を想ってくれているものであることがわかるから、それ以上なにもいわせなかった。彼がなにかをいえば、それだけで涙が溢れかねない。レオンガンドには、彼の苦心が手に取るようにわかるのだ。
セツナはいま、良い調査結果をもたらせなかったことを心苦しく感じているだろう。それこそ、死んだほうがましだと思わんばかりの痛みを感じているはずだ。彼はそんな人間だった。そういう優しさを抱えた人間だった。だれよりも自分を責め、自分を痛めつけることに躊躇のない、そんな人物。
だからこそレオンガンドは、セツナの返答を待たず、下がらせるようにした。
セツナは、こちらを見て、なにかいおうとしたが、いわなかった。レオンガンドの視線に気づき、いえなかったのだろう。いえば、言い訳になる。それは、彼にとってこの上ない苦痛だ。故にレオンガンドはなにもいわせなかった。
彼の心痛を少しでも減らしてあげたい。
そう、レオンガンドは考えている。
では、どうすればいいのか。
セツナが退出したあと、ゼフィルとバレット=ワイズムーンしかいなくなった玉座の間で、彼は頭を振った。ゆっくりと息を吐く。
「彼には、苦労ばかりかけているな」
「当のセツナ様は、そう想っていらっしゃらないのでは」
「そうだろう。彼は、そういう男だ」
バレットの見立ては、間違ってはいないだろう。
セツナは、毛ほども苦労などとは想っていまい。
「苦労を苦労と思わず、苦痛を苦痛と認めず、ただ与えられた任務を完遂することに全力をあげる。そして、任務の完遂こそ当然とし、誇らない。それが彼だ。セツナ=カミヤという人間だ。彼のそういう直向きさが、この国をあれほどまでに強大にしたのだ」
無論、セツナ以外にも様々な要因はある。ナーレスがいたからこそ、ということも大いにあったし、セツナひとりではどうしようもないことも多々あった。されど、セツナがいなければ勝てなかった戦いはもっとあるのだ。黒き矛のセツナいてこその勝利、躍進、拡大――そのいずれもが紛れもない事実だった。
彼がガンディアの英雄として祭り上げられているのは、疑いようのない実績があるからにほかならない。
「だからこそだ」
レオンガンドは、玉座の間を去る際のセツナの寂しげな後ろ姿を思い出しながら、いった。
「だからこそ、彼の労に報いたいとわたしは心より想うのだ」
セツナがレオンガンドに仕えた期間は、二年と少しばかりだ。数多くの忠臣に比べると、些細な期間でしかない。しかし、そのわずかばかりの期間にも、彼はとんでもない戦果を上げ、成果を残している。一生を費やしても彼ほどの成果を残せるものがどれほどいるだろうか。
(いないだろう)
レオンガンドは、考える。
この世の中にセツナと同等の戦果を上げられる人間などいるとは思わなかった。なるほど、ベノアガルドの十三騎士は強いのだろう。いまだに首都ベノアが落ちたという話は聞かない。ヴァシュタリアの大攻勢に対し、ベノアだけでも守り通せているというのは、とんでもないことだ。だが、十三騎士のだれひとりとして、セツナに匹敵する活躍をなせるとは思えなかった。
所詮、ベノアガルドの騎士は、ベノアガルドの騎士に過ぎない。
ガンディアの英雄には遠く及ばないのだ、
それは、ガンディアを弱小国から小国家群随一の大国へと成長させることに成功した自負といってもよかった。
それもこれもセツナのおかげだ。
セツナがいなければ、そんな自負を抱くこともできなかっただろう。
弱小国のまま、小国家群の終わりを迎えていたかもしれない。
「どうすれば、彼の労苦に報いることができるだろうか」
レオンガンドは、ここ数日、そればかりを考えていた。
クルセルク方面が帝国軍の手に落ちたという報せが入り、ザルワーン方面もヴァシュタリア軍によって蹂躙されつつあるという。龍府は落ちたか、突破されたのだろう。龍府の防衛に当たっていたセツナ軍、エトセア軍も敗北したと見るべきだ。となれば、ザルワーン方面は落ちるしかない。そればかりは避けようがない。
そして、ザルワーンが落ちれば、つぎはログナー方面に雪崩込んでくるだろう。これも、どれだけ持つものか。戦力的にいえば、ザルワーン方面よりも薄いといっていい。ログナー方面軍だけで抑えられるわけもない。
ジベル領は、大半が帝国軍支配下に入ったようだ。全土制圧も時間の問題だ。
ガンディアも、滅びのときを迎えつつある。
三大勢力は現在、ガンディア本土を目指して驀進中なのだ。完全に包囲されているといっても過言ではない。逃げ場などあろうはずもない。
そして、生き延びる道も。
地下遺跡には、なにもなかった。地下遺跡が聖皇にまつわるものであり、三大勢力がそれを欲しているのかもしれないということこそ判明したものの、それだけだ。それだけでは、交渉材料にもならない。遺跡を明け渡す、と三国のいずれかにいったところで、他の勢力に責め滅ぼされるだけのことだろう。
アーリアとウルの策が実れば、状況は一転しうる。
彼女たちがいち早く帝国軍本陣を見つけ出し、皇帝を支配するときを待つしかない。
神聖ディール王国に差し向けた使者は、期待薄だ。ミドガルド=ウェハラムに逢うことさえできれば可能性はあるが、そうでなければ突き返されるだけだろう。期待してはならない。
ヴァシュタリア共同体に対しては、打つ手なしだ。
クオン=カミヤの居場所がわかれば、セツナを使者として差し向けるのだが、どこにいるのかわからない以上どうしようもない。
三大勢力の指導者を討ち、三大勢力の進軍を止めさせる、という手も考えたが、無意味だという結論に至った。三大勢力がそれぞれに分裂し、混乱が加速するか、あるいは指導者の遺志に従い、ガンディア本土奪取を目指すかのふたつにひとつ。指導者がいなくなったからといって本国に引き上げる可能性は皆無に等しい。
ここまで軍を進めてきているのだ。
ここから引き返すことなどありえないだろう。
状況は依然、絶望的だ。




