第千六百二十七話 夢の終わり(十九)
左眼将軍デイオン・ラーズ=クルセールは、セイドロックへの後退を余儀なくされていた。
クルセルク方面軍を率いてのザイオン帝国軍との戦闘は、常に一方的な展開にならざるを得なかった。一進一退というものですらない。一方的な敗戦続き。敵戦力はこちらの十倍ほど。戦力を小出しにしてきたとしても、こちらのほうが分が悪く、どのような策を弄しても勝ち目がない。地形を利用した戦術も、武装召喚師の数の前には意味をなさず、地形ごと破壊されて終わりだ。そうやって戦力を失い続けている。無駄な努力。徒労。
降伏が通じるのであれば、それでよかった。ガンディアとて、無意味に抗戦し、無駄に血を流したくはない。国民や将兵の身の安全が確保されるのであれば、いますぐにでも投降し、戦いを終わらせたかった。
しかし、それは許されない。
帝国軍は、こちらの降伏の意思さえ認めなかった。
せめて都市の城壁を破壊されないようにするためには、都市そのものを放棄して明け渡し、軍を率いて後退するほかない。都市に籠もり、防戦に徹すれば、都市そのものが破壊され、都市に住むひとびとが路頭に迷う。皇魔の襲撃を受ける可能性も捨てきれない。
都市を明け渡せば、少なくとも一般市民の安全は守られる。
降伏を受け入れない帝国軍だったが、そんな彼らであっても民間人を殺戮するような趣味は持ち合わせていないようだった。
それはこの絶望的な状況において、数少ない救いといえた。
馬鹿馬鹿しいことに、いまはその救いに縋る必要があった。
ガンディアの軍人たるもの国民を犠牲にすることは、できない。
もちろん、帝国軍の良心に期待して都市を明け渡すなど考えたくもないことだが、デイオンの手持ちの戦力では都市ひとつ守り抜くことはできなかった。
多数の武装召喚師を擁する帝国軍を相手にすれば、皇魔対策の城壁など意味をなさない。破壊されるか飛び越えられるか、いずれにせよ無力化され、丸裸にされるだけだ。拠り所にはできない。
時代は変わったのだ。
武装召喚師が跋扈する以前の戦争とは、全く異なるものと成り果てた。その恩恵を大いに受けたのがガンディアであり、その弊害を受けたとしても文句一ついえる立場にはないのだ。
ガンディアは、黒き矛という最強無比の召喚武装によって勝利をもぎ取ってきたのだから。
「軍師殿はマルウェールまで下がれといったそうだが、どうやら不可能なようだな」
「はい。現有戦力では、マルウェールに辿り着く前に殲滅されるのが落ちでしょう」
セラス=ベアトリクスが、いう。
「アバードは既にヴァシュタリアの手に落ち、ゴードヴァン、ランシード、センティアといった都市までがヴァシュタリア軍の支配下にあるとのこと」
「既にマルウェールに進軍中と見たほうがいい」
「では、どうされるおつもりですか。まさか、セイドロックに残って戦うおつもりではありますまい?」
「それではセイドロックの民に迷惑がかかる。ここはセツナ伯の領地だ。戦闘に巻き込むなど、以ての外」
セツナの領地を帝国軍との戦場に変えるなど、左眼将軍の立場もない。
「我らはこれよりジベル領よりガンディア本土を目指す」
デイオンは、セラス以下の軍団長らに命ずると、速やかにセイドロックを離れた。帝国軍は、クルセルク方面全土を掌握しつつある。時間はわずかしか残されていない。
ジベル領、ベレル領を縦断すれば、ガンディア本土はすぐそこだ。
問題があるとすれば、デイオンらが縦断する間、ジベル、ベレル両国が帝国軍の侵攻に耐え抜けるかどうかであり、縦断中の横腹を帝国軍に突かれる可能性を憂慮せざるを得なかった。
帝国軍は、小国家群東端からガンディア方面に向かって西進しているのだ。情報を纏めると、小国家群東部のあらゆる国がほぼ同時期に攻撃を受けている。それはつまるところ、帝国軍が前代未聞の規模の多方面作戦を展開しているということであり、クルセルク方面のすぐ南であるジベルやベレルが侵攻されるのも時間の問題ということなのだ。
そして、ジベル、ベレルが落ちれば、ガンディア本土に帝国軍が入り込むのもあっという間だろう。
もはや猶予は残されていない。
この絶望的な状況でデイオンらにできることなど、なにがあるのだろうか。
(合流だ。合流するしかない)
王都のレオンガンドの元に馳せ参じれば、なにかあるかもしれない。
なにもなくとも、死ぬならばレオンガンドの元がいい。
彼は、悲壮なほどの覚悟で、ガンディオンに向かっていた。
セツナが足を止めたのは、慟哭にも似た絶叫が聞こえたからだ。泣きたくなるくらいに切実な叫び声。咆哮。さながら断末魔のようですらあった。耳に刺さり、胸に響く。
しかし、地下遺跡の奥底に叫び声が反響するようなことはなく、彼は怪訝な顔になった。
「どうしたの?」
「いや、いま声が聞こえただろ」
後からついてきていたミリュウを振り返ると、彼女こそ怪訝な顔をした。
「声?」
小首を傾げ、それから心配そうな表情をしてくる。
「だいじょうぶ? 疲れてない?」
「俺は、なんともない。聞こえなかったか?」
「うん。なにも。靴音だけよ」
「わたしも、声なんて聞いてないわよ。そもそも、さっきからだれも喋っていないし」
ファリアが、ミリュウの返答の正しさを肉付けする。ミリュウの右隣を歩いていた彼女も、セツナに対し心底心配そうな表情をしていた。セツナは、ふたりを不安がらせたことに気づき、気を引き締め直す。
「そうか。なんか、聞こえた気がするんだけどな」
「気のせいでしょ」
「そう……だよな」
「こんだけ長い間地下に潜ってるんだもの。勘違いもありうるわ」
「っていうか、セツナならあのときみたいにひとりだけ変な声を聞いていたとしても、変じゃないし」
「それもそうね」
ミリュウの意見にファリアが納得するのを見つめながら、しかし、セツナにはどうも納得できないものが残った。聞こえた声は、遺跡が見せる幻想とはまったく性質の異なるもののように思えたからだ。逼迫した叫び声。遥か彼方から聞こえてきたような、そんな感覚が残っている。
頭を振る。
気のせいなのかもしれないし、その声に引きずられてファリアたちに心配をかけるのはよくないことだ。
地下遺跡の調査は、大詰めを迎えようとしていた。
気を引き締め直し、事に当たらなければならない。
第二層の深部に見つけた祭壇の間での調査を終えたあともセツナたちの調査は続いていた。当然だ。祭壇の間では、結局、この遺跡で起きたのだろう出来事が判明しただけのことだ。
それだけでも十分過ぎるほどの発見といえるし、考古学者などはセツナの話を興奮した様子で聞き、説明を求めてきたものだ。聖皇がどのような格好をしていたのか、聖王六将の様子なども聞き出せるだけ聞き出そうとして、セツナは説明に明け暮れた。
この遺跡が、聖皇と聖皇六将の決別ともいえる戦いが起こった場所であるということがわかるとともに、ここが、五百年ほど前には利用されていた可能性が高いということも判明したということは、大きな発見だった。
聖皇の死の直前――つまり、大分断と呼ばれる統一国家の崩壊までは聖皇たちによって利用されていたということなのだが、その事実が歴史に残っていないどころか、伝説としても残っていないということは、聖皇の死の秘密とともに遺跡そのものが地下に埋没したとしか考えられない。でなければ、遺跡の直上に王都ガンディオンが作り上げられることなどありえないだろう。
ガンディアは、大分断以降に生まれた国であり、王都ガンディオンも、建国王らによって作り上げられた都市として記録されている。つまり、大分断以前から存在する都市ではないということであり、大分断以前は、この地下遺跡が地上にあったのではないか、という学者たちの考察に間違いはなさそうだった。
もしかすると、統一国家時代、大陸の中心がこの遺跡だったのではないか。
聖皇と六将がいたということは、その可能性が極めて高い。
遺跡そのものも広大極まりなく、大陸全土を支配下に収める統一国家の首都に相応しいといってよかった。
それだけの規模の遺跡の調査が、最終段階を迎えることができているのは、第一次、第二次調査のおかげもある。これまでの調査結果を踏まえ、未調査区域のみを探索していくことができるからだ。
祭壇の間で調査を打ち切らなかったのは、聖皇と六将の決戦の地であることがわかったところでどうしようもないからにほかならない。それがわかったからといって、三大勢力に対する牽制にもならない。ただ、それがわかったことで、三大勢力がこの地に向かっているという話が信憑性を帯びたのは、間違いなかった。
現在も六将およびその末裔を呪縛するほどの力を持った聖皇の最期の地だ。なにかしら大きな力が残っているとしても不思議ではないし、現状、遺跡に残された不思議な力がセツナたちに襲い掛かってきてもいる。
調査の最中、セツナの偽者が至る所に現れ、進路を妨害した。が、セツナの前では敵ではなく、死者がでるほどの戦いにはならなかった。
第二層の調査を終え、第三層へと至った。
第三層は、第一層、第二層と比較しても広大であり、迷路のように入り組んだ通路と無数の広間によって構成された区画は、ただ探索するだけでも骨が折れた。特に広間に入るたびに出現するセツナの偽者には、セツナ自身、疲れ果てるくらいに戦った。無論、道中、何度となく休憩しているし、負傷すれば手当し、エンジェルリングによる回復を行っている。問題はなかった。
あるとすれば、なにも見つからないことによる焦りがセツナを始めとする調査団の面々に現れ始めていたということだ。
第三層のどこを巡っても、なにもないのだ。
セツナの偽者が出てきて攻撃してくるだけだ。
「セツナの偽者が出てくるってことは、なにかを守ってるはずよね……?」
ミリュウが疑問を持ちながらいうと、ファリアが頭を振った。
「どうかしらね。ただ、遺跡そのものがわたしたちを拒絶しているだけかもしれないわ」
「それでは、徒労、ということでしょうか」
「さあね」
ファリアに遺跡の構造がわかるはずもなく、彼女は嘆息を浮かべた。
地下に潜って、どれほどの日数が経過したのか、正確に覚えてはいなかった。もちろん、時間感覚がなくならないよう測っているし、朝、昼、夜の三食は決まった時間に食べるようにしている。寝るのも、夜だ。だが、遺跡内部は魔晶灯の光と遺跡そのものの暗闇しかなく、時の流れを肌で感じることはできない上、わざわざ何日経過したと確認することもない。大事なのは、遺跡調査の完遂であり、状況を打開するためのなにがしかを見つけ出すことなのだ。そのためならばぎりぎりのぎりぎりまで粘るべきだった。
焦燥感の中、第三層の探索は続く。
どこもかしこも同じ黒塗りの壁、床、天井が続いていおり、似たような作りの通路と広間の連続で、気が滅入りそうだった。広間に足を踏み入れればセツナの偽者が出現し、襲い掛かってくる。セツナは応戦する。負傷などしない。いつだって一瞬で決着がつくからだ。なんの問題もない。
(なんの問題も……)
だが、疲労が蓄積しているのは紛れもなかった。どれだけ休んでも、眠りこけても、癒やしきれないほどの疲れが蓄積している。仕方のないことだ。遺跡調査の真っ只中での休息は、平時の休息とは勝手が違う。疲れを完全に取り払うことは、不可能に近い。戦闘も頻繁にある。回復しきれないのは、致し方のないことを想うほかなかった。
ファリアたちに心配されても、問題ないというほかない。
そうやって無理をし続けた果に何が待っているのか理解していないわけではないが、だからといって無理をしないわけにもいかない。
この調査を成し遂げなければ、ガンディアが状況を脱する道はない。
いや、そもそも、この調査が完了したからといってなにかが見つかるわけでもないのだが、それでもなにかがあると信じるしかなかった。
それだけがセツナの原動力となって、突き動かしていたのだ。
が、しかし。
「ここが最後の部屋ね」
ファリアが気を引き締めて、いった。
第三層の終着点となった広間は、構造上、第二層祭壇の間の真下にあるようだった。第一層から第二層、第三層も中心となく区画は似たような構造であるらしい。しかし、第二層は第一層よりも複雑かつ広大であり、第三層になるとより複雑化し、膨大化するという構造は、第一層と同じ中心区画に様々な部屋を外付けしていった結果なのではないか、というのが学者らの意見だった。
第二層祭壇の間とまったく同じ構造をした空間には、やはり黒い祭壇があった。
セツナは、第二層のようなことが起きるのを期待して、祭壇に近づき、触れたものの、今度はなにも起きなかった。聖皇の声も映像も見えなければ、遺跡の秘密がわかるようなこともない。
なにも、ない。
ただ、儀式の行われるような空間があるだけだ。祭壇と、それを囲む半球形の空間。第二層に見た幻視もなければ、別のなにかがある様子もない。たとえば、三大勢力の軍勢に対して切り札になるような特別ななにかなど、あるわけもなかった。
期待は、裏切られた。
セツナは、その場に崩れ込み、祭壇を殴りつけた。
「くそっ、ここまで来てなにもないのかよ!」
何度も、何度も、殴りつける。拳が痛みを訴えてくるが、関係なかった。行き場のない怒りを発散するには、そうするしかない。だれに対する怒りなのかもわからなかった。遺跡への怒りか。自分への怒りか。無慈悲な運命に対する怒りなのか。
「セツナ……」
「御主人様……」
「とりあえず調査を進めますが、第二層同様、あまり期待されないほうがよろしいようです」
「わかっています」
ウィル=ウィードにはファリアが答えた。
セツナは、ひとしきり祭壇を殴りつけたあと、ゆっくりと立ち上がった。手の皮が破け、血が出ていたが、気にすることはない。
「調査が済み次第、王都に戻ろう」
セツナは、それだけをいって、帰還の準備を急がせた。
なにもないのだ。
遺跡に籠もっていたところで仕方がない。




