第千六百二十一話 夢の終わり(十三)
「マルディアがヴァシュタリア軍によって攻め滅ぼされたというのは、本当なんですか?」
エイン=ラジャールがシーラに尋ねたのは、十月二十二日のことだ。彼は王都を離れ、国王より特命を受けた軍師として国内を飛び回っていた。無論、馬でも徒歩でもない。馬を飛ばしたところで移動できる距離などたかが知れている。情報収集や情報交換、指示のために飛び回るには、馬の速度では圧倒的に時間が足りなかった。ガンディアは、滅亡に晒されている。悠長に馬に乗っている場合ではないのだ。
エインを龍府まで運んでくれたのは、もちろん、シャルティア=フォウスだ。彼の召喚武装オープンワールドによる空間転移のおかげで、エインは思うままにガンディア国内を移動することができた。といっても、シャルティアのオープンワールドが記録している場所にしか転移できないし、消耗もある。一日に飛べる回数には限度があった。それでも、馬を飛ばすより遥かに早く長距離を移動できるのは有難く、彼はシャルティアという存在に感謝しきりだった。
おかげで、ナージュとレオナを龍府に避難させるというレオンガンドの望みも無事に叶えられた。
「はい。龍府に入ってきた情報によれば、十日ごろには趨勢は決していたとのこと。ユリウス様は落ち延びられ、アバードに入ったとのことですが、天騎士スノウ殿を始め、多くの騎士、将兵は討ち死にされたと」
「十日……そんなに前に」
エインは、愕然とせざるを得なかった。十日といえば、エインたちがディール侵攻の情報を受け取ってからわずか十日後のことであり、エインたちが情報を受け取ったときには、既にヴァシュタリア軍がマルディアに攻め寄せていたとしてもなんらおかしくない計算になる。もう少しサントレアにとどまっていれば、セツナたちとともにヴァシュタリア軍との戦いに巻き込まれていた可能性もある。
「ヴァシュタリア軍は既にアバード領内に侵攻しているようですが、アバードの戦力では、長くは持ち堪えられないでしょう」
「アバードが突破されれば、つぎはここですね」
「はい」
シーラは静かに頷いたが、彼女の胸中に去来をする想いを考えると、よくも冷静でいられるものだと思わずにはいられない。アバードは彼女の祖国であり、いまも深く愛している実弟が国王を務めている。アバードが滅びるということは、どういうことか。彼女の祖国がなくなるということであるとともに、国王セイル・レイ=アバードも死ぬ可能性も高い。
「龍府の現有戦力だけでは、多少持ち堪えることも難しいですが」
「我々も協力します。時間稼ぎくらいは、できるでしょう」
そういって話にはいってきたのは、エリルアルムだ。
「エトセアが滅びたいま、我々に帰る場所などありません。我々は、ここでガンディアとともに戦う所存」
「エリルアルム殿下……」
エインは、彼女の心情を察し、痛ましくなった。エトセアが滅ぼされたという確定情報が入っている。ラムルダルカ国王、黒王子ナルガダルカはディール軍の物量に対し奮戦したとのことだが、あえなく討ち死にし、エトセアという国は完全に滅び去ったというのだ。
滅びたのは、なにもエトセアだけではない。エトセアの近隣諸国もディールやヴァシュタリアの軍勢につぎつぎと攻め滅ぼされており、小国家群の勢力図が瞬く間にも塗り替えられているというのが現状だった。その破滅的な流れを止めることは、いまのところ、なにものにもできない。
セツナたちの遺跡調査が進んだとしても、止められるものかどうか。
「国が滅びたのです。もはや姫も将もありませんよ。ただのエリルアルムです。軍師殿」
「……ガンディアは、あなたがたを喜んで迎え入れましょう。しかし、本当によろしいのですか?」
「大勢力が聞く耳を持つのであれば、そちらにつくことも考えたかもしれませんが、それならばそもそも、我が祖国が滅ぼされることもなかった。そうでしょう?」
「……ええ」
「エトセアが滅びた以上、ガンディアに留まる必要はありません。しかし、野に身を隠すには、一万の軍勢はあまりに多い。かといって、彼らを見捨てることなどわたしにはできない。なれば、我ら一丸となってガンディアに助力し、大勢力と戦おう。そう、考えたまでのこと」
エリルアルムはそういったが、その言葉に込められた複雑な想いは、言葉以上の力を持ってエインの胸に響くのだ。祖国を滅ぼされた恨みが彼女の原動力となっているのは、疑いようもない。
「無論、大勢力とガンディアの間で交渉が持たれ、ガンディアが生き延びることができるのであればそれに越したことはありませんが」
「もちろん、我々とて最後まで諦めませんよ」
エインが言い切ると、エリルアルムも静かに頷いた。
諦めはしないが、可能性は極めて低い――そうエインたちが理解しているということを、彼女たちもまた、理解しているのだ。大勢力が聞く耳を持たない破壊者と化しているのは、エリルアルムのような立場にあるものには明らかだ。あらゆる国との交渉を持たず、降伏を受け入れず、ただいたずらに戦火を広げ、蹂躙し尽くす。そのような巨獣どもに対し、交渉を持ちかけようとすること自体無意味かもしれない。それでも、諦める訳にはいかない。諦めた瞬間、すべてが終わってしまう。
大勢力の戦力が圧倒的だ。
ガンディアの現有戦力では勝ち目など見当たらない。
唯一希望があるとすればセツナだが、さしもの黒き矛でも、三大勢力の大軍勢すべてを撃退できるとはとても考えにくい。第一波、第二波くらいならば退けられるかもしれない。しかし、三大勢力がガンディア本土の制圧を諦めるほどに戦い続けられるとは到底思えなかった。セツナを信じていないわけではない。セツナを信じ、その力を知っているからこそ、無理だと理解するのだ。
セツナは、怪物などではない。
人間だ。
人間には、自ずと限界がある。
そればかりはどうしようもないことだ。
限りある力を消耗し尽くした先に待っているのは、限界を超越したなにかではない。
終わりだ。
奇跡を期待してはいけない。
現実を直視するのだ。
そうすれば、自分がしなければならないことも見えてくるはずだ。
エインは龍府の防備をシーラとエリルアルムに任せ、ナージュとレオナのことをグレイシア、リノンクレアに頼むと、すぐさま龍府を離れた。マルウェールに飛び、情報収集に当たった。マルウェールはザルワーン方面北東の都市だ。クルセルク方面の情報を仕入れるのに適しており、エインはそこで、デイオン将軍率いるクルセルク方面軍がザイオン帝国の軍勢と戦っているということを知った。
つまり、ザイオン帝国がガンディア領土への侵攻を開始したということであり、デイオンが応戦しているということから考えれば、交渉の余地などなかったということだ。エインはマルウェールにザルワーン方面軍の半分を集めるよう指示すると、セイドロックに飛んだ。
セイドロックはクルセルク方面の都市であり、セツナの領地だ。セイドロックより北東方面への転移は、召喚武装の制限上、不可能だったが、情報を仕入れることはできた。クルセルク方面に雪崩込んできた帝国軍の戦力は十万を軽く凌駕するものであり、クルセルク方面軍では持ち堪えられないだろうというものだ。
エインは、デイオン将軍に折を見てマルウェールまで後退するよう伝令を走らせると、ジベルに飛んだ。
ジベル王都ル・ベールでは、ガンディアへの臣従を取り消し、帝国に降伏するべきではないかという意見が大勢を占めていたようだが、エインが姿を見せたことでそういった意見は鳴りを潜めた。エインは、そうなるのも無理はないと考え、降伏派を追求することはしなかった。レオンガンドの側近の中にも、降伏するべきだという意見はある。
エイン自身、ガンディアが国として存続できるというのであれば、降伏するのも悪くないと考えていた。絶望的な戦力差があるのだ。決して敵うことのない相手に向かって破滅的な戦いを挑むのは、賢いもののすることではない。愚行だ。交渉の余地があるのであれば、ガンディアは喜んで三大勢力に降っただろう。
だが、そうではない。
エインは、ジベルの若き国王や政治家たちに三大勢力には交渉の余地などないことを伝えるとともに、滅びを免れる方法はひとつしかないことを伝えた。
「滅びを免れる方法……ですか」
「ええ」
エインは、セルジュ・レイ=ジベルの不安げな目を見つめながら、言い放った。
「ガンディアとともに戦い抜くことです。なに、我々には黒き矛のセツナ様がついております」
「確かにセツナ殿はお強い。しかし、ですな」
「いかにセツナ様がおられようと、三大勢力を撃退しうるのですか?」
「もちろん。セツナ様に不可能はありません」
エインは、自分さえも信じ込ませるように、力強く告げる。
「かつて絶望的とも思われた魔王軍を撃滅したのはだれなのか、皆様も御存知のはず。万魔不当のセツナ様なれば、三大勢力が相手であろうと打ちのめしてみせてくれましょう」
ガンディアの近隣諸国において、黒き矛のセツナの戦歴を知らぬものはいないといっていい。ガンディアの属国ならばなおさらのことだ。セツナがこれまで起こしてきた奇跡の数々を告げると、ジベルの国王も大臣たちも不安げだった表情から解き放たれていった。
エインはその後、ベレルに飛び、同じように慰撫し、ガンディアへの協力を約束させた。もっとも、ベレルはジベルほどの苦労はいらなかった。ベレル王イストリアの悩みは、娘である王女イスラの将来のことのみだったからだ。エインは、イスラをエリウスともども龍府に移住させることを約束し、それによってベレルの覚悟を決めさせた。
二十四日、王都に戻ったエインは、早速、集めた情報をレオンガンドに伝えるとともにエリウスとイスラを龍府に移住させるべく動いた。エリウスは、最初エインに反発したが、それがレオンガンドの望みであることがわかると受け入れ、イスラとともに龍府に向かうこととなった。
よりにもよってなぜ、龍府なのか。
なぜ、龍府に王妃や王女などの要人を移送するのか。
それは、三大勢力の目的がガンディア本土にあるらしいということが判明したからであり、ガンディア国内でガンディオン以上に戦力の整った都市が龍府を除いてほかにはないからだ。龍府には、ザルワーン方面軍の半数以外に、セツナ軍黒獣隊、星弓戦団が入っている。さらにエリルアルム率いるエトセア軍一万が滞在しているのだ。その戦力たるや、並の小国でも敵わないほどのものだった。
たとえ三大勢力のいずれかに蹂躙されるにしても、争奪戦の地となるかもしれない王都ガンディオンよりは余程安全ではないか。
その上、龍府には元々グレイシアとリノンクレアがおり、ナージュとレオナも安心できるだろうという思惑もある。エリウスとイスラのふたりを龍府に送り届けたのも、そういうことが理由としてあった。
そして二十四日、エリウスとイスラを伴い、龍府に転移したエインは、衝撃的な情報を聞く。
「アバードが制圧された……?」
ヴァシュタリア共同体の軍勢は、龍府と目と鼻の先のところまで迫りつつあった。




