第千六百二十話 夢の終わり(十二)
「それが……」
声が、響いた。
幾重にも響き、無数に反る中、同じ空間にいることを理解する。地下遺跡の中に発見した、祭壇の置かれた広大な空間。
「それがあなたがたの考えか。わたしに刃向かうというのか。わたしを裏切るというのか。わたしの敵になるというのか」
光が降り注ぐ空間にあって、その声の主は、黒い祭壇の上に立ち尽くしていた。美辞麗句を尽くしても讃えきれないほどに壮麗極まりない装束を纏う人物。さながらこの世の光を集め、身に纏っているかの如くであり、だれもかれも、その前には平服せざるを得ないほどの圧倒的な輝きがあった。
「この聖皇の敵になると」
その人物は、みずからをそう名乗った。
聖王ではあるまい。聖皇。聖皇といえば、ミエンディア・レイグナス=ワーグラーンしか思い浮かばない。声の主がそうだとでもいうのだろうか。
大陸を統一することに成功した伝説的な人物であり、六人の腹心に裏切られたという話も伝わる謎めいた人物。神々と魔をこの世界に現出させた張本人であり、大陸の人々が皇魔という恐怖と戦い続けなければならなくなった原因でもある。
その神々しいばかりの光を帯びた姿は、聖皇の伝説に相応しいといえるのかもしれない。
「愚劣極まりない」
聖皇なる人物は、自分と対峙するものたちを一瞥し、目を細めた。光が乱舞し、聖皇を取り囲む。神秘的な光は形を成し、実体化する。神秘的な光を帯びた天使ともいうべきそれらは、瞬く間に膨大化し、敵対者たちに襲いかかった。敵対者たち。六名。おそらくは、聖皇六将と呼ばれたものたち。その中には巨人の姿もあった。
グリフ。
「愚劣愚行、なんといわれようとも構うまい」
白い巨人が光の天使を殴打し、床に叩きつける。激しい音とともに光が飛散する中、長い髪の剣士が別の天使を切り裂き、複数の矢がその天使に殺到した。さらに続く猛攻が天使をつぎつぎと撃破していく。青い肌の女が放った火球が猛火となって渦を巻き、小柄な男の繰り出した槍が光を貫く。無数の光条が残る天使を尽く貫通し、でたらめに破壊していく。
物凄まじい戦いに息を呑む。
「いま止めなければ、いま滅ぼさなければ、すべてが終わるのだからな」
「世界を終わらせるなど、断じてさせぬ」
「それがわたしたちの答えだ」
六人が六人、それぞれに口上を述べると、聖皇はその美貌を歪めた。双眸から漏れる光が一層烈しさを増す。
「残念だ。あなたがたならば、理解してくれると想ったのだがな」
「理解などできるわけがないでしょう」
「おまえは、みずからの手で護った世界を終わらせようとしているのだぞ」
「違う」
聖皇が頭を振る。
「違うのだ。師よ」
聖皇の周囲に再び光の天使たちが具現する。それがどういった力なのか、まったく理解できない。純粋な攻撃魔法なのか、あるいは召喚魔法なのか。それとも、ミエンディアが召喚したという皇神の力が形となって現れているのか。もしくは、神そのものが顕現しているのか。いずれにしても人智を越えた力であることは疑いようがなく、彼は、震える想いで成り行きを見守った。
見守るほかなかった。動けもしなければ、言葉を発することもできない。ただ、閃光のように突き抜けていく光景を見ているだけのことなのだ。
まるで夢のようだ。
「わたしは、気づいただけのことだ。この世界がいかにして狂い、いかにして滅びへと向かうのか。その道理を知った。理解した。なればこそ、わたしはこの世界を救うべきだと判断しただけのこと」
天使の数が増大する。十や二十どころの数ではない。軽く三桁を超えるほどの数の天使が具象化し、空間を圧倒していく。六将は、それぞれの武器を構え、天使率いる聖皇に対峙した。呪文を唱えているものもいる。魔法。失われた技術。聖皇六将の時代には存在していたという事実。
「そのためならば、師よ。あなたがたも滅ぼそう」
聖皇が祭壇の上で、右腕を掲げた。右手の指先に光が灯り、その光は爆発的に膨張していく。
「あなたがたの亡骸を乗り越え、わたしはこの世を救ってみせよう」
聖皇の発した光がなにもかもを圧倒する中、彼は確かに見たのだ。
光の奔流の中を突き進む巨人の背中を。そして、その巨人を盾にして聖皇に迫る六将たちの勇姿を。天使たちの猛攻が天変地異のごとく猛威を振るう中、グリフが吼え、残りの六将もそれぞれに奮起する。聖皇の強大かつ圧倒的な力を前にしても一切諦めない六将の姿は、彼の網膜に強く焼きついた。
「なぜ――」
聖皇の疑問が声となって聞こえたつぎの瞬間、セツナはだれもいない祭壇を見ていた。さっきまで聖皇が立っていた舞台にはだれもおらず、天使たちの姿もなければ、六将の勇姿も見当たらない。あるのは落胆した表情のファリアやミリュウたちであり、調査団員が祭壇を始めとする空間内の構造物を調査している光景だった。だれひとりとして、セツナと同じように周囲の状況を確認しているものはいなかった。
セツナは、はたと気づいた。いま、聖皇と六将の最後の戦いと思しき光景を見たのは、セツナだけらしい。
(なんでだ?)
もしかして、祭壇に触ったからなのかもしれない、と想ったものの、調査員はセツナ以上にべたべたと祭壇を触っているところを見ると、そうではないらしい。
「どったの? セツナ」
不意に問いかけてきたのは、ミリュウだ。
「さっきから固まってるけど」
視界に回り込んできた彼女は、セツナの顔を覗き込むようにして、ファリアに妨げられた。顔が近づきすぎていた。危うく口づけしかねないほどの距離感。
「なにを、しようとしたのかしら」
「なによう。セツナの様子がおかしいから、試してみただけじゃない」
「なにを試すのよ」
「愛しいミリュウちゃんの接近に気づくかどうか?」
「自分でいってれば世話ないわね」
「なにその言い方!」
ミリュウが憤慨して、セツナに向き直ってくると、ファリアは呆れて肩をすくめるのがわかった。
「ねえ、セツナ聞いた? いまファリアったらねえ!」
「ああ、聞いたよ、聞いた。落ち着けって」
「これが落ち着いていられると想う?」
「わかったから、さ」
「セツナ?」
ミリュウがきょとんとしたのは、セツナがいつになく真剣な顔をしたからだろう。彼女は、空気の読めない人間ではない。
「いま、俺の身に起こったことを話すから、聞いてほしいんだ」
「セツナの身に起こったこと?」
「いま? なにかあったっけ?」
「さあ?」
ミリュウがレムに尋ね、レムが小首を傾げる。
ほかのだれもが似たような反応だった。
(やっぱり、俺だけなんだな)
自分だけが、いまの光景を目の当たりにしたのだ。
それがいったいなにを示すのかはわからない。
しかし、ただの幻覚でもなければ妄想でもないのは明らかだ。現実に起こったことだと、いい切れる。
(あのときも、そうだった)
第一次調査の際、セツナは、声を聞いている。
見知らぬ誰かの話し声。勇者を目指す女と、その女の師たちの声だ。しかし、その声は、つぎの瞬間には記憶から失われていた。思い出せもしなかった。思い出せたのは、いま、この瞬間だ。聖皇と六将の戦いが引き金となって掘り起こされたのだろう。それはなぜか。簡単なことだ。その話し声もまた、聖皇と六将のものだったからに他ならない。
勇者を目指していた女こそ聖皇だったのだ。
勇者は聖皇となり、勇者の師たちは六将となった――どうやら、そういうことのようだ。しかし、それが事実なのかは確かめようもない。そこらあたりの記録はまともに残っていないし、グリフの記憶も曖昧だ。レヴィアの記憶を受け継いだミリュウにさえわからない部分が多いのだ。聖皇に関する記憶はなんらかの力で歪められたと見るべきなのだろう。
それこそ、聖皇の呪いなのかもしれない。
ともかく、セツナは、自分が見たこと、聞いたことをありのまま、ファリアたちに話した。第一次調査の折り、声を聞いたということも話したし、つい今しがた、聖皇と六将の決戦と思しき光景を目の当たりにしたということも、伝えた。ファリアたちは、当然、驚愕したが、ミリュウとレムは疑わなかった。
この遺跡が幻覚染みた夢を見せることがあるということを、ミリュウとレムは身を以て体験しているからだ。
自然、そういうことがあっても不思議ではない、と考える。
「でもまさか、ここが聖皇と六将の決別の地だなんて、想像しようもなかったわ」
ミリュウが、自分の胸に手を当てながら、祭壇を見遣った。
いまはだれも触れてさえいない祭壇の上に聖皇の神々しいまでの姿が重なる。
「もちろん、この遺跡が見せたただの幻覚だっていう可能性もあるがな」
「そんなことをする意味があるのかしら?」
「……ないな」
考えてみたが、遺跡の防衛機能が聖皇の幻覚を見せる意味は見つからなかった。この遺跡と聖皇の関わりを匂わせることに防衛上どのような意味があるというのか。むしろ、防衛面を考えるならば、聖皇と無関係であることを匂わせる方がいいだろうし、聖皇を感じさせるべきではない。聖皇は、この大陸における神秘の代名詞のようなものだ。聖皇と関わりがあるということがわかれば、この遺跡になにかがあるということが判明したのも同じなのだ。
そして、この遺跡には間違いなくなにかがあるということがセツナたちにもわかった。
三大勢力が数百年の沈黙を破り、一斉に動き出すのもうなずけるほどの秘密があるのだ。三大勢力がどうやってこの遺跡のことを知ったのかはわからないが、なんらかの方法で存在を認知し、それによって動き出したのは間違いない。
それはつまり、三大勢力が均衡よりも優先するような秘密がこの遺跡にあるということでもある。
それを見つけ出すことができたならば、状況を打開することも不可能ではないのではないか。
本当にそのようなものがあるのかはわからないが、希望はある。
「まさか聖皇が女だったなんてねえ」
エスクの感想は、至極まっとうなものだ。だれもが聖皇ミエンディア・レイグナス=ワーグラーンは男だと想っていた。それは単純な思い込みだ。王といえば男だろうという考えが連綿と受け継がれてきたのだ。
「そういえば、歴史書にも聖皇の性別は乗っていなかったわね」
「なにもかも不明だもの。どこから現れ、どうやって大陸を統一したのかさえわからないまま。あたしの記憶にも、残っていないわ」
「そりゃあミリュウ殿の記憶に残ってるわけないでしょ」
「……そうね」
「え?」
悲しそうな顔をしたミリュウにエスクが戸惑うのは、当然のことだ。彼は、ミリュウがどういった宿命を背負っているのかを知らないのだ。だからといって、看過できるわけもなく、セツナは彼を一瞥した。
「エスク」
「はい?」
「あとでお仕置きだ」
「なんで!?」
素っ頓狂な声を上げるエスクとは対照的に、ミリュウがセツナを見て、感激した。
「セツナ、あたしのこと、そこまで想ってくれてたのね……うるうる」
「なんなんだよ、あんたら!」
「エスク」
「はい!?」
「お仕置き追加だ」
「へあっ!?」
「隊長……」
「さすがの“剣魔”も黒き矛には敵いませんな」
レミルが頭を抱える傍らでドーリンが腹を抱えて笑うと、エスクが彼を睨みつけ、凍りつかせた。




