第千六百十三話 夢の終わり(五)
シーラは、龍府にいる。
セツナに龍府の守護を頼まれたからであり、領伯代理という役割を与えられていた。そのまま、領伯の代理人という意味であり、領伯と同等の権限が与えられている。もちろん、領伯ほど領地を自由にすることはできないし、彼女にそのつもりもない。セツナに与えられた役割をこなすことだけを考えている。
領伯代理として龍府防衛の指揮を取る、ということだ。
龍府は、ガンディア領ザルワーン方面北西部に位置し、北にアバード、北西にシルビナとの国境があり、西には旧イシカ国境――現在のイシカ方面がある。アバードはシーラの祖国にしてガンディアの属国であり、警戒する必要はない。イシカも征討以降、ガンディアとメレドの領土になったため、注意を向ける必要もなくなっている。
シルビナは、ガンディアと国交こそあり、敵対関係はないものの、必ずしも友好的ではなかった。しかし、ガンディアとの国力や戦力の差を理解しているであろうシルビナがガンディア領土に攻め込んでくる可能性は低かった。ジゼルコートの謀反のときでさえ、シルビナは沈黙を保っていた。ガンディアに攻撃する意図を見せれば、手痛い反撃を食らうことは紛れもなく、であれば黙殺するに越したことはないだろう――とでも考えていたのかもしれない。かといって、ガンディアに服従するのはシルビナ政府には考えられないことであり、だからこそ敵対もしなければ、友好関係を結ぼうともしないのだろう。
シルビナは、それでいい。
ガンディア政府はいずれシルビナもなんらかの方法で統一勢力に組み込むつもりだったが、いまは放っておくつもりのようだった。
眼前の問題が解決するまでは、小国家群統一などに現を抜かしている場合ではない。
「この問題、解決することなどあると思われるか?」
「……正直な話、なんともいえません」
シーラは、頭を振って、息を吐いた。
「セツナ様は強い。ベノアガルドの十三騎士、その秘められた力にさえ打ち勝った。おそらく、セツナ様に敵うものなど、この小国家群にはいないでしょう。わたくしは、そう想っています」
十三騎士のひとりシド・ザン=ルーファウスが見せた真躯と呼ばれる力は、シーラたちの度肝を抜いた。圧倒的なまでに強大な力。それはさながら天災そのものであり、シーラたちには対抗することもできなそうだった。少なくともただの召喚武装では太刀打ちできまい。ハートオブビースト・ナインテイルでもっても、戦えるのかどうか。ファリアたちの評価でも、真躯は圧倒的だった。ファリアたちが苦戦を強いられたマクスウェル=アルキエルの《時の悪魔》よりも格段に上だろう、と推測されている。《時の悪魔》の凶悪さについては話でしか知らないが、ファリアたちが束になっても敵わなかった召喚武装だということは知っている。
真躯は、その上を行くというのだ。
そんな絶大な力を持った怪物を撃破したのが、セツナなのだ。
黒き矛カオスブリンガー。
その強大無比な力を超えるものなど、小国家群に存在するとは思えない。どれだけ強力な召喚武装の使い手がいたとしても、黒き矛のセツナには敵うまい。シーラはそう想っている。
「しかし、それだけの力を有したセツナ様でも、三大勢力の軍勢を相手に戦い抜けるとは想えないのです」
セツナは、人間だ。無尽蔵の力があるわけでも、永久無限に戦い続けられるわけでもない。戦えば戦うだけ消耗し、消費し、浪費する。強大な力であればあるほど消費は激しくなり、負担は大きくなる。三大勢力の兵力がどの程度かはわからないが、小国家群そのものと同程度の戦力を有していると過程しても、セツナが持ちこたえられる数とは思えない。無論、セツナひとりで戦わせるつもりはないし、シーラだって全力で戦い抜くつもりだ。しかし、結局のところ、最後に頼りになるのはガンディア最強の武であるセツナなのだ。
「わたしも、そう想う」
エリルアルムがうなずく。
エリルアルム・ザナール・ラーズ=バレルウォルンとは、馬が合った。シーラが元王女であり、武人であろうとした経験が、彼女との関係構築に役立っている。エリルアルムの感性は、シーラに似ているところがあった。エリルアルムも、国のためならば自分の幸せなどどうでもいいと考えられる種類の人間であり、国のため、国民のために生きてきていた。そんな彼女の考えは共感することが多く、シーラは、彼女とすぐに仲良くなってしまった。
エリルアルムは、恋敵というべき存在なのに、だ。
エリルアルムは、シーラが愛するセツナと婚約をしているのだ。政略結婚とはいえ、結婚は結婚だ。互いの国の将来を思えば、結婚後も互いに仲睦まじくあろうとするだろう。セツナのことだ。全身全霊で彼女のことを愛するだろう。シーラは、立場上、そういう場面に出くわすこともあるはずであり、そういう将来を想像するだけで気鬱だった。が、エリルアルムは気のいい女傑であり、また、恋に初ということもあって、なにかと相談に乗ったりした。そのたびにミーシャたちにからかわれるのだが、シーラは真剣だった。真剣に、親身になって相談に乗る。
エリルアルムの相談というのは、可愛らしいものだ。セツナとはどういう人物で、どういう女性が好みなのか、セツナに気に入られるにはどうすればいいのか、とか、そういうことばかりで、シーラはわかることとわからないことがあると前置きした上で、真剣に答えた。そうやって、エリルアルムとの間に友情を育み、なにをしているのか、と頭を抱えるような日々を送っていた。
そんな日々の狭間、
「我がエトセアは、滅びを免れまい。いや、既に滅び去っていてもおかしくはない。ディールが交渉に応じぬというのであれば戦うよりほかはないのだからな」
クリュードは、ディールと交渉を行おうとしたが、ディールに素気無く断られたという。門前払い。そのまま、ディールの軍勢はクリュードの都市を攻め立て、制圧した。制圧するのは、補給のためもあるし、通過した後、背後から攻撃される可能性を考慮してのことだろう。国を滅ぼすのも、その一環なのかもしれない。完全に支配下に置かなければ安心できないという考えが働いていたのだとしても、なんら不思議ではなかった。
「兄上も父王も、思う存分戦い、討ち死になされただろう。わたしがいる。エトセア王家の血は、絶えない。そのことを知っているからな。あのひとたちのことだ」
エリルアルムの瞳には、儚さが瞬いていた。エトセアは、遥か彼方の国だ。ガンディア、龍府からでは遠すぎる。情報の伝達にすら時間がかかる。距離。自在に空間転移が行える召喚武装でもあれば、彼女をエトセアに連れて行ってやれるのだが、そんなことをしても、いまさら意味がないこともわかりきっている。
彼女のいう通り、エトセアは滅ぼされ尽くしたあとだろう。
「もっとも、エトセアが滅びたあと、わたしがセツナ殿と結婚することにはなんの意味もない。婚約が破棄されたとしても、仕方のないことだ」
「そんな」
「それが条理というものだろう、シーラ」
「……それはそうですが」
「少し、寂しいが」
エリルアルムは、そういって薬指を見た。彼女の指に光るのは、婚約後、セツナが彼女に贈った指輪だった。婚約の証、らしい。エリルアルムは、その指輪を貰ってからというもの、いつも身につけていた。嬉しかったのだという。
彼女は、セツナのことを本当の意味で好きになりかけている。
最初から嫌いではなかった、と彼女はいっていた。イシカ・バドラーンでの初対面のときには、彼女の中にはセツナが結婚相手であり、将来の夫であると決まっていたのだから、そういう目で見ていたのだろう。そして、彼女の中で、悪くないという評価が下された。
セツナの人柄に触れ、戦いぶりを見、聞き、徐々に好きになっていったということだ。
「セツナ様のこと。婚約を破棄したりはしないと想いますよ」
いってから、シーラの胸がちくりと傷んだ。
「セツナ殿がどう思おうと、陛下は、そう考えますまい。エトセアという後ろ盾を失ったわたしに価値など」
「エリルアルム様には、一万の将兵がついておられるではありませんか」
「それでは釣り合いなど取れんよ」
エリルアルムが頭を振る。彼女が率いる一万の軍勢は、弱小国家だったころのガンディアを遥かに上回る戦力だ。しかも二十人もの武装召喚師が所属しており、それだけでも圧倒的な価値がある。ただ、セツナと結婚させてまで確保したいかというと、疑問の残るところだが、セツナならばそんなこと気にせず、約束を果たそうとするのではないか。
セツナは、約束を護る男だ。
それがたとえ政治的意味合いしかないものであっても、一度結んだ約束を反故にするような、そんな男ではない。
「……ありがとう。シーラ。気を使わせた」
「いえ。わたくしは、別に」
「いまは、然様なこと考えている場合ではなかったな。まずは、この状況を打開しなければならん」
と、エリルアルムはいったが、そのような方法が思いつかないからこそ、別の話に逃げていたのではないか、と想わないではなかった。
セツナたちが龍府を離れた直後、ヴァシュタリアの軍勢が小国家群に侵攻してきたという報せが飛び込んできたのだ。
アルマドール、ザイールン、ベノアガルドなど小国家群北方の諸国に同時に侵攻を開始、アルマドール、ザイールンは為す術もなく制圧されたという。ベノアガルドは奮戦しているようだが、それもいつまで保つかわからない。そして、アルマドールを突破したヴァシュタリアの軍勢はそのまま南下し、マルディア、ジュワイン両国内に雪崩込んできているらしい。
当然、ぼろぼろのマルディアが持ち堪えられるはずもない。また、ガンディアが援軍を差し向けたとしても、焼け石に水だろう。間に合わないのだ。情報の伝達には時間がかかる。そこから軍備を整え、軍勢を派遣しても、そのときにはマルディアは滅び去っているか、壊滅間近といったところだろう。
どうしようもない。
ヴァシュタリアの軍勢は、アルマドールを制圧した部隊だけで十万を軽く凌駕する物量であるという。マルディアの十倍どころの兵力ではない。ガンディアの総兵力さえ軽々と上回っている。そしてそれがヴァシュタリアの全戦力ではないことは、北方諸国に同時侵攻したという話からも明らかだ。
三大勢力は、大陸の四分の一ずつを支配する勢力だが、どうやらその戦力というのは、小国家群の総戦力を上回っているらしいということが想像できる。大勢力それぞれが、だ。そんなものが三方から押し寄せてくるのだ。
この状況を打開する方法など、存在するのだろうか。
ガンディアの二人軍師ならば、なにか思いつくのだろうか。
期待しようにも、シーラにはなにも思いつかなかった。三大勢力が互いに勢力圏の拡大を目指しているのであれば、ガンディアとの交渉に応じてくれるとは想い難い。ガンディアの交渉に応じてくれるだけの余裕があるのであれば、クリュードやエトセアとの交渉にも応じたはずだ。ガンディアだけ特別扱いされるとは思えない。
考えれば考えるほど、ガンディアの将来は絶望的だ。
シーラは、エリルアルムとともに龍府の防備を固めることしかできなかった。
マルディアを突破されれば、つぎはアバードが戦場となる。アバードはシーラの故郷であり、実弟が国王を務める国だ。見捨てることはできない。かといって、シーラがアバードに援軍を送ることなどできるわけもない。ガンディア軍に動くよう、進言するほかないのだが、進言したところで、軍が動くかどうかは別の話だ。アバードも、属国の一つにすぎない。属国よりも本国のほうが大切なのは当然の話しで、本国の防備を緩めてまで属国を護るのは本末転倒も甚だしい。無論、アバードでヴァシュタリア軍を堰き止められるのであれば話は別だろうが、そうはいかないだろう。どれだけガンディアの戦力を投入したところで、ヴァシュタリア軍を撃退することは愚か、停滞させることもできまい。
アバードが滅ぼされれば、ついにガンディア領土が戦場と化す。
いや、既にガンディア領土に大勢力が攻め込んできていて、どこかで戦端が切り開かれていたとしても、なんら不思議ではなかった。
ガンディアは、歪な形状をした領土を持つ。
クルセルク方面の北東に位置する西リジウルは、少し前までイシカ領土だったが、イシカの征討後はガンディア領土になっているはずだ。西リジウルは、小国家群北東端に極めて近い。ザイオン帝国がレグラーナを制圧したという話が本当ならば、メレド領東リジウルとともに射程圏に入っていると見ていい。
たとえ西リジウルがザイオン帝国による攻撃を受けたとしても、その情報が龍府や王都に到達するまでにはかなりの日数を要する。
情報の伝達には、時間がかかる。
そういう意味でも、空間転移能力を持つ召喚武装ほど価値のある召喚武装もないのだが、そういった召喚武装ほど希少だったりもする。セツナのカオスブリンガーは血を媒介としなければならないし、シャルティア=フォウスの召喚武装は、特定の地点を行き来することはできても、未知の場所に転送できるわけではない。情報収集のためだけに利用できるものでもない。
そんなある日、シーラが天輪宮でのエリルアルムとの会議を終え、渡り廊下を歩いているときのこと、中庭に黒獣隊幹部たちが集まっていた。ミーシャ=カーレル、クロナ=スウェン、アンナ=ミード、リザ=ミード、ウェリス=クイードの五名だ。
「こういうときこそ、隊長の将来を妄想して、ですね」
「そうだねえ。まずはセツナ様の寝込みを襲うところからはじめてもらうのが一番か」
「なるほど。既成事実を作ってしまうというわけか」
「大胆……」
「わたしとしてはお勧めできませんが、セツナ様が婚約なされた以上、致し方ありませんね」
「あるわ!」
シーラは、勝手なことを言い続ける部下たちに声を荒げた。
「まったく、こんなときになにくだらねえ話してんだよ」
「なんなんですか、こんなときだからですってば!」
「そうだよ、隊長。こいうときにこそ、明るい話題で空気を変えていかないと」
「そうそう」
「うんうん」
「まったくもってその通りです」
ミーシャとクロナだけならばまだしも、アンナ以下三名までもが同意していることに彼女は頭痛を覚えた。
「ウェリス……おまえ最近、こいつらに感化されすぎじゃねえのか」
「なにをいっているのですか。わたしが皆様と一緒に戦えることをどれだけ喜んでいるのか、おわかりになられないのですか?」
「……い、いや、悪かったよ」
シーラは、ウェリスの心情を察して、透かさず謝った。ウェリスは、召喚武装ストーンクイーンを手に入れたことで、ようやく戦闘面でもシーラに貢献できるようになったことを心底喜んでいるのだ。シーラの侍女団にあって、自分ひとりだけ戦闘要員ではないことを気に病み続けていた。それがいまでは戦力の一端を担うほどの存在になっている。彼女が興奮するのも無理からぬ事だと想った。
しかし、そんな彼女のための戦場など、もはやないに等しい。
ガンディアは、この状況を脱しえない。
それは、悲観ではない。
ただの現状認識に過ぎない。
現実を直視すればするほど、絶望するしかないというだけのことだ。
(こういうとき、セツナなら、どうするかな)
そんなことばかりを考える。
諦めない、というだろうか。
弱音など吐いたりしないだろうか。
ただ、前を見て、突き進むだけだろうか。
だれかとの約束のために。
だれかの幸せのために。
自分以外のだれかのために。
シーラは拳を握ると、幹部たちの顔を見回した。
「そうだな。明るく、行こう」
「隊長?」
「こんな状況で、俺たちが暗くなったって仕方がねえよな。うん。その通りだ。やるさ」
シーラが告げると、幹部たちは顔を見合わせ、そして、うなずいた。
「やれるだけのことをやろう。思い切り、暴れてやる」
ヴァシュタリアは、南下を続けるだろう。おそらく、ガンディアだけを見逃すような真似はすまい。
となれば、龍府は戦場となる。
この麗しい古都が戦場になるのはなんとも忍びないし、セツナに申し訳が立たないが、致し方のないことだ。
敵は多勢。それも圧倒的多数だ。
多少なりとも龍府の防御力を利用しなければ、戦うこともままならないだろう。
龍府でヴァシュタリア軍を少しでも削れば、王都のセツナたちが生き延びる道も見えるかもしれない。
(なあ、セツナ)
シーラは、部下たちの顔がみるみる輝いていくのを見つめながら、微笑んだ。
(俺が死んだら、少しくらいは悲しんでくれるかな)
聞かずとも、わかる。
彼のことだ。
盛大に悲しみ、怒り、嘆くだろう。
勝手に死ぬやつがあるか、と。
約束を破るやつがあるか、と。
それがわかるから、シーラは、立ち向かえるのだ、と想った。
ヴァシュタリアの大軍勢は、アバードの向こう側を蹂躙している。




