第千六百六話 黄昏(二)
戦火が、渦を巻いている。
圧倒的な、それこそ歴史上類を見ないほどの戦力差は、戦争の悲惨さを如実に示した。それは、戦争と呼べたのかどうか。
蹂躙だ。
小国家群に属する弱小国家に対し、三大勢力の一翼を担う超大国が戦力の一部を投入するだけで、そうなってしまう。仕方のないこととはいえ、あまりにも無慈悲で、あまりにも無惨な戦いの有様には、ニーウェは茫然とせざるを得なかった。
帝国領を発し、小国家群との境界を越えた帝国軍第七方面軍は、マシュガへと攻め込んだ。宣戦布告も、降伏勧告もなく、ただ雪崩込み、眼前の都市を踏み潰すようにして攻め滅ぼしていった。マシュガに対し、事前の通告もなにもしなかったのは、それすらも時間の無駄だと判断されたからだ。
ザイオン帝国皇帝シウェルハイン・レイグナス=ザイオンによって。
抵抗も降伏も許さず、圧倒的な物量で押し潰していく。
総勢二百万の軍勢が小国家群東部の北から南まで、喰らい尽くさんばかりの勢いで攻め立てた。
全戦力を一箇所に集めず、複数の軍勢に分けたのは、総数があまりにも多すぎるからだ。一箇所に集めれば、軍勢を纏めることもままならず、そのためにだけに膨大な時間がかかる。各方面軍を纏め上げるだけでも無駄に時間がかかるというのに、これが帝国軍全軍となると比較にならないほどに時間を費やさざるを得なくなるだろう。
よって、第七方面軍は第七方面軍のみで行動し、小国家群を侵攻した。
第七方面軍を指揮するのは、もちろん、ニーウェの実姉であり、婚約者ニーナ・ラアス=エンシエルだ。第七方面軍総督は、小国家群への侵攻に疑問を感じながらも、皇帝の命令には異論を挟まなかった。皇帝が決めたことだ。帝国の絶対の権力者であり、神に等しい存在が定めたことだ。そこに異論を挟む余地はない。
ニーウェとて、同じだ。
異論など、挟むことはできない。
ニーウェは、次期皇帝候補の第一位に繰り上げられた。シウェルハインは、此度の目的を果たした暁には、ニーウェに皇位を継承させることを約束し、そのときには、ニーナを后として迎え入れることも許可していた。
だから、というわけではない。
ニーウェは、確かにつぎの皇帝になれることを喜んだが、同時に疑問も抱いていた。なぜ、皇位継承権を失った自分が一気に皇位継承争いの頂点に躍り出ることができたのか。なにがシウェルハインを喜ばせたのか。ニーウェが許可なく小国家群ガンディアに赴いたことが関係しているようだが、それがなんなのか、シウェルハインからの説明はなかった。
あったのは、次期皇帝への内意であり、ニーナとの婚約を認めるという旨を伝えられたくらいだ。
そして、小国家群の侵攻。
「所詮、小国家は小国家だな。話にもならん」
ニーナは、戦火燻る都市を見やりながら、苦い顔でいった。
マシュガを攻め滅ぼすのは、苦でもなかった。マシュガの戦力は、第七方面軍の総戦力にさえ遥かに劣るものだった。マシュガ軍は、交渉にも応じず、一方的に攻め込んできたザイオンに対し、一矢報いようと策を練ったものの、圧倒的戦力差の前では意味をなさない。どれだけ巧みな策を練ろうとも、数の暴力がすべてを台無しにする。わずかばかりを罠に嵌めることに成功したところで、大軍が殺到して台無しにしてしまうのだ。
武装召喚師を軸にした戦術も同じだ。どれだけ優秀な武装召喚師を雇い入れることができていたのだとしても、第七方面軍に所属する千をくだらない武装召喚師の前には無力としか言いようがない。多く見積もっても、わずか一桁の人数しかいない武装召喚師では、その百倍どころではない数の武装召喚師に太刀打ちできるわけもないのだ。事実、マシュガの武装召喚師たちは、第七方面軍の圧倒的火力の前に瞬く間に討ち取られ、マシュガ軍も壊滅の憂き目を見ている。
帝国は武装召喚師の育成に時間と金、人を費やした。二万人に及ぶ武装召喚師がその証左だ。おそらくこの大陸でこれほどまでの人数の武装召喚師が一つの軍に属しているなど、ほかにはありえないことだろう。武装召喚術発祥の地であり、《大陸召喚師協会》総本山であるリョハンですら、多く見積もって三桁が限度だ。五桁はおろか、四桁以上の武装召喚師を揃えることすら至難の業だ。
武装召喚術の有用性をいち早く認識したシウェルハインの考えが正しかったということは、マシュガの結果を見ずともわかる。これだけの戦力が揃ったいま、帝国が他の大勢力に負ける未来は見えなかった。
「このような戦いにどんな意味があるというのか、わかりかねるな」
「意味を問うても仕方ありますまい。皇帝陛下のご命令なれば」
イェルカイム=カーラヴィーアが、ニーナの囁きを聞き咎め、目を細めた。ニーウェにとって武装召喚術の師である彼は、帝国における最高の武装召喚師として知られる。武装召喚術を利用した様々な道具の開発は、彼なしには語れず、実現もしなかっただろう。
「わかっている。ただ、な」
「総督の心中、お察し致しますが、敵に情けなどご無用にございます。進路上の国はことごとく滅ぼせ――それが皇帝陛下からの勅命でございますれば」
「……ああ。その通りだ。済まなかった」
「いえ。出過ぎた真似をば」
「出過ぎたものか。おまえのようにいってくれるものは、そういない。感謝している」
「過分なお言葉でございますな」
イェルカイムは、ニーナに恭しく頭を下げた。ニーナにとって幼馴染みともいえる彼ほどニーナのことを理解しているものもいないだろう。ニーナもまた、イェルカイムのことをよく理解していたし、だからこそ重用し、側においている。この度の戦いにおいても、イェルカイムの献策を多く採用していた。
ニーウェは、面白くもなく、戦いの成り行きを見守ることしかできなかった。次期皇帝の最有力候補である彼には、前線に出ることは許されなかった。候補とはいえ、ニーウェに万一のことがなければ、ニーウェが皇帝となることが確定している。候補としているのは、その万が一があったときのためだ。万一、ニーウェが命を落とすようなことがあれば、長兄のミズガリス辺りが皇位を継承することになる。そのため、ニーウェは本陣で待機するよう厳命されているのだ。
『ミズガリスやミルズがおまえの暗殺を企んだとしても、不思議ではない』
シウェルハイン直々の警告は、彼が皇位継承争いについて熟知していることの現れだった。シウェルハインが現皇帝の権限によってニーウェの皇位継承権を復活させ、最有力候補に認定したとはいえ、それでミズガリスやミルズといった候補者が納得するわけもなかった。表面上、納得したような素振りこそしていたものの、腹の底ではなにを考えているのかわかったものではない。これまで何十年もの時をかけて継承権を争い続け、最有力候補と呼ばれるまでになったミズガリスの心情はいかばかりか、腸が煮え返り、憎悪や嫉妬といった感情が膨れ上がっていたとしても不思議ではない。そして、候補者としての立場を取り戻すため、ニーウェを事故に見せかけて殺すべく、策謀を巡らせることもありうることだ。
もちろん、ニーウェが不審死を遂げるようなことがあれば、真っ先に疑われるのが別の皇位継承権保持者なのだが、そこはいくらでも誤魔化しようがある。
シウェルハインは、ニーウェに暗にそういい、身の回りの警護を厳重にするようにとまでいってきている。ニーウェも、それは理解しているし、身辺警護を緩めたことはなかった。三臣だけでなく、イェルカイムの弟子たちを護衛に加えた。それはつまり、弟弟子たるニーウェの家臣団に加わることだったが、イェルカイムの弟子たちは、ニーウェの呼びかけに喜んで応え、必死になって警護にあたってくれていた。ニーウェが皇帝になれば、彼らの栄達は思いのままだからだ。
自分の安全に関して言えば、なんの心配もなかった。
ランスロット、シャルロット、ミーティアら三臣がいて、イェルカイムの弟子たちが護衛についてくれている。イェルカイム自身も目にかけてくれているし、ニーナもニーウェの護衛を最優先に動いてくれていた。
自分のことに関しては、なんの問題もない。
不安があるとすれば、この戦いの行き着く先だ。
『進路上の国はことごとく滅ぼせ――』
イェルカイムがニーナに向かって発した言葉は、皇帝シウェルハインが全軍に下した命令だ。帝国軍の進路上に数多に存在する国々を有無を言わさず蹂躙し、踏みしだき、滅ぼし、前に進めというのだ。たとえ交渉を望んできたとしても、降伏を願い出てきても無視せよ、と。
弱小国家の声に耳を傾ける時間が無駄だというのだ。
無意味だというのだ。
そのようなわずかな時間が敗北に繋がりかねない。
だから、ただ、圧するのだ。
揉み潰すように打ち砕き、なにもかもを軍勢の濁流で飲み込み、押し流す。
その行き着く先になにがあるというのか。
なにが目的で、なんのために小国家群へと進行するのか。
『勝利のため』
と、シウェルハインは、いう。
勝利を掴み、ザイオン帝国に未来永劫、輝かしい繁栄を約束するために突き進まなければならないのだ、と。
『そのために用意した戦力。そのために作り上げた軍勢。そのために紡ぎあげた時間。すべて、無駄にすることは許されぬ。我々が動けば、遠からず、ヴァシュタリアもディールも動くだろう。それが三大勢力の均衡を破るということ。小国家群は混沌の渦動に飲まれ、灰燼と帰すやもしれぬ。だが、それは我らが勝利に比べればほんの些細なことだ』
シウェルハインは、そう、いい切った。
『帝国に勝利を。ザイオンに栄光を。それこそが我らの悲願』
皇帝の演説が帝都を高揚感で包み込んだという話は、ニーウェの耳にも届いている。
『満願成就のときは来たれり』
満願成就。
その言葉の意味するところは、いまいちわからない。
ただひとついえることは、三大勢力がすべて小国家群に集えば、小国家群など地上から消滅しかねないということだ。
「本当、どうなってしまうんでしょうね」
ランスロット=ガーランドが囁くようにいったのは、ニーナとイェルカイムの会話を聞いて、だろう。シャルロット=モルガナが彼をねめつける。
「貴様、陛下のお考えを疑うのか?」
「そういうわけではなくて、ですね」
「ほーんと、どうなるのかなあ」
ミーティアがニーウェの膝の上で足をばたつかせながら、つぶやく。
「ミーティアまで」
「だってさあ、このまま小国家群を滅ぼし続けたら、ガンディアも滅ぼすことになるよ?」
「それが陛下のお望みとあらば、我らは陛下の剣となり、盾となって戦うのみ。それが我ら帝国軍人の務め」
「軍人さんは気楽でいいよね」
「ミーティア、貴様」
「シャルロットは違うでしょー」
「なに?」
「だって、ぼくたちニーウェの家臣だし」
「それは……そうだが」
「うんうん。ミーティアのいうとおりだ。俺たちは陛下に仕えているんじゃあない。ニーウェ様に仕えているんだ」
「ニーウェは、どう想ってるのさ?」
「どうもこうもないさ」
ニーウェは、ミーティアの頭に手を置いて、頭を振った。
「陛下は、この侵攻の真相を明かしてくださらなかった。ただ、この侵攻によって帝国が勝利を掴み取らなくてはならないと仰られるのみ」
そうしなければならない理由は、わかっている。
ヴァシュタリア共同体、神聖ディール王国も同じ理由で動くからだ。帝国が動けば、遠からず動く。そして、帝国の進路から目的地を割り出すに決まっている、という。ヴァシュタリア、ディールに先んじて目的地を奪取しなければ、帝国の未来は暗黒の闇に閉ざされる、とまでシウェルハインはいっていた。
戦う理由はあるのだ。
「我々は、陛下のご命令に従うしかない。たとえそれが小国家群に住むひとびとの生活を踏みにじることであったとしても」
それがたとえ、ニーウェにとって命の恩人ともいうべきセツナと、彼の住む国ガンディアを滅ぼすことになったのだとしても。
ザイオンは動き出してしまった。
二百万の大軍が、動き出してしまったのだ。
一度堰を切って流れ始めた激流を止めることはできない。
進路上にあるなにもかもすべてを飲み込んでいくしかないのだ。




