第千六百五話 黄昏(一)
ルベレス・レイグナス=ディール。
聖王と呼ばれる。
神聖ディール王国の国王であり、ミドガルドの主君に当たる人物だ。
金髪に金色の目をした男で、決して若くはない。ミドガルドと同年代である彼は、しかし、ミドガルドよりも幾分若く見えた。皺がないからだろうし、容貌が整っているからでもあるだろう。戦場ということもあり、軍装だった。鎧を身に着けた彼の姿を見るのは、随分と久方ぶりだった。何年ぶりだろう。十年以上、見ていないかもしれない。
そもそも、国王みずから鎧を着込むようなことは、ディールではありえないことだった。外征もなければ内乱もなく、軍事活動などありえない。皇魔の討伐に聖王みずから出陣することなどあるはずもない。
「ガンディアに、いっていたそうじゃないか。まったく、君の勝手には困りものだ」
ルベレスがやれやれと頭を振った。
「はっ……しかし、それも――」
「それも研究のため、かね。聞き飽きたよ」
「ですが、魔晶人形を完成させるためには、そうするよりほかなく……」
言い訳がましいとは想いながらも、ほかに言いようがなかった。魔晶人形の研究、開発についてはルベレスの許可さえ得ておらず、魔晶技術研究所が極秘裏に進めていたものだ。しかし、ことここに至っては、隠し通すことは不可能だと彼は判断した。第一に、ミドガルドの隣にはウルクが立っている。人間に酷似しながらも、人間とはまったく異なる存在である彼女のことを問われれば、それまでのことだ。かといって、馬車に待機させておくこともできない。
不安だった。
聖王国が魔晶人形の量産に成功したという報せが、彼をディールに走らせたのだ。このたびの戦いに
量産された魔晶人形が投入されている可能性は、極めて高い。
ルベレスが、ウルクを見遣った。興味深げなまなざしに驚きはない。魔晶人形のことを知っているという素振り。
「彼女が、君の魔晶人形か。心核には黒色魔晶石を使っているそうだが、安定しているのかね?」
「安定しているとは言い難いところがありますが、いずれ、安定させるつもりです」
答えながら、ミドガルドはルベレスが魔晶人形について詳しく知っていることを理解した。報告通り、魔晶人形が量産されており、その量産計画にはルベレスが深く関わっているのだろうという彼の推察は正しかったのだろう。ルベレスがどうやって魔晶人形の研究開発を知ったのかはわからない。研究所内に裏切り者が出たのかもしれない。聖王がその権力を用いれば、何者も逆らえるはずもない。そういう理由から、研究所内から裏切り者が出たのだとしても、そのことを恨むつもりはミドガルドにはなかった。
致し方のないことだ。
「いずれ、な」
ルベレスが、皮肉げに目を細めてきた。
「それが君の限界というわけだ」
「は……?」
「わたしはすでに魔晶人形の安定的な起動に成功させている。量産にもな」
(やはりな)
衝撃はない。推察通りの結果だ。だが、心が震えるのを止められなかった。なぜ、ルベレスは魔晶人形の量産を成功させることができたのか。ミドガルドを始め、研究者たちの知恵と知識、情熱と魂を結集してようやく作り上げることができたのがウルクだ。
「見給え。あれがわたしの人形たちだよ」
ルベレスが指し示した方向を見遣ると、そこには、確かに無数の魔晶人形がいた。十体、二十体どころではない。百体、いやもっと数多くの魔晶人形が立ち尽くし、こちらを見ている。淡く発光する双眸は魔晶石を用いた目であろう。灰色の髪はウルクと同じだ。ただ、外見はウルクとは違っている。ウルクは絶世の美女だが、量産型は美女ではあっても、ウルクほどのものではなかった。量産するためには、ある程度のこだわりを捨てるほかない、ということだろう。どれも女性的な外見なのは、元になっている躯体がウルクのものだからに違いなかった。もしウルクが男性型ならば、量産型魔晶人形も男性的な姿をしていただろう。
「あれが……量産型」
ミドガルドは、整然と立ち並ぶ人形たちを見やり、憮然とした。ウルクもまた、そちらを見遣っている。小首をかしげた。
「そうだよ。あれが量産型だ。まあ、量産するためには削らなければならない部分も多分にあってね、君の魔晶人形より劣る面があるところは否めない。が、量産してしまえば、一体一体の性能など、どうでもいいことだ。数こそが力だからね」
「しかし、どうやって……」
「どうやって? それだから君は愚かなのだよ」
金色に輝く目が、ミドガルドを見据えていた。超然としたまなざし。心が震える。膝をつく。無意識に、心が屈服してしまう。畏怖。
「もしかして君は、自分の力だけで魔晶人形を作り上げることができたとでも想っているわけじゃあないだろうね?」
「もちろんです、陛下。皆の力あってこそ……」
「そう、君は天啓を得て、魔晶人形を仮初にも完成させることができた。それはなぜか。君は考えたことはないかね。君のようなただの人間が、人知を超えた兵器群を作り上げ、ついには人間に似せた人形兵器を生み出すなどありえないことだと、想ったことはないかね」
ルベレスは、冷ややかな笑みを浮かべ、ミドガルドを見下ろしていた。
「人間如きが、造物主たりうると本気で信じていたわけではあるまい」
「なにを……」
「君は煮詰まるとわたしの元を訪れた。わたしに相談し、わたしとの会話の中で閃きを得た。天啓を得た。啓示を。そのたびに君は研究を進ませることができた。開発を進めることができた。不思議には感じなかったか? 疑問に思わなかったか? 想うわけもないか。わたしに会って話すことは、君にとっては気分転換に過ぎなかったのだものな」
「それ以外になにがあるというのですか……」
「まだ、わからないのか。察しが悪いな。稀代の天才研究者とは思えぬほどの回転の悪さだ。だが、それも当然か。わたしが君の発想の根幹などと、想像もつくまい」
「発想の根幹?」
「そうだよ。わたしが君の研究を導き、開発を成功裏に導いてきた。わたしの力によって、君は天賦の才能を発揮することができた。わたしがいなければ、君は魔晶兵器など製造することも覚束なかったというわけだ。ましてや人間の身でありながら、人間に似せた人形兵器など、作り上げられようもない。君は、わたしの手のひらの上で踊っていたに過ぎないのだよ」
「そんな……」
「そんなことはありえない。本当にそう想うのかね。この世界が、君が思い描くほど単純な構造をしているとでもいうつもりではあるまいな。現実は、君が想っているよりも少し複雑で、少しばかり難解なのだよ。まあ、多少といったところではあるし、理解してしまえばどうということはないが。ひとの子である君には、絶望的な現実かもしれないがね」
ルベレスの言葉がつぎつぎと突き刺さる。耳朶に、鼓膜に、脳に、魂に。自分がこれまでしてきたことのすべてが根底から否定されたような、そんな感覚。実際、そうなのだろう。ルベレスの言が事実であるならば、ミドガルドの研究も開発も、ルベレスの思惑通りだったということにほかならない。研究を引き継ぎ、開発に携わった魔晶兵器群も、みずからの閃きに基づき研究と開発を進めた魔晶人形も、すべて、ルベレスの望んだ結果だったのだ。
その事実を理解したとき、ミドガルドは、激しく打ちのめされた。
「しかし、まあ、君がいなければ魔晶人形などという玩具が誕生しなかったのは紛れもない事実だ。そういう意味では感謝している。おかげで我々が勝利者たりうる資格を得たといっても過言ではない。これだけの戦力があれば、なにものにも負けることはあるまい」
「なにを……考えておられるのです」
「ん?」
「国是を破り、禁を犯し、小国家群に侵攻する――そこにどんな意味があるというのですか」
「国是……禁……ねえ」
なにがおかしいのか、ルベレスはことさらに笑った。その表情に浮かぶのは嘲笑と侮蔑であり、そこには彼の知っている聖王はいないように思えた。まるで別人だったからだ。
「そんなものは元からなかったのだよ」
「なかった……?」
「いや、あるにはあったが、それは、せっかくの均衡を愚か者に崩させないための方便に過ぎなかった。ヴァシュタリア、ザイオン、そして我がディールという三大勢力の成立によって生まれた均衡。出し抜くための時間稼ぎには、ちょうどよかった。ヴァシュタリアにしても、ザイオンにしても、同じことを考えたに違いない。我々には、時間が必要だ。他を出し抜き、勝利を掴み取るためには、どうしても時間が必要だった。そのための均衡。そのための、暗黙の了解」
ルベレスの語りは、まるで彼自身が何百年も前にディールを率い、均衡の成立に関与したかのような言い回しだった。そして、そこに一切の嘘がないことがわかるから、ミドガルドは震えた。
「愚かな王が小国家群に軍を進め、均衡が崩れるようなことがあっては、せっかくの時間稼ぎも無駄になる。それでは意味がない。それでは、勝利を掴むこともままならない。勝利しなければならない。ヴァシュタリアやザイオンなどに遅れを取るわけにはいかないのだ」
「勝利とは、なんなのです」
「約束の地を手に入れることだよ」
ルベレスの発した言葉は、まったく理解できないものだった。
(約束の地? どこかの地名か?)
地名であるならば、すぐに見つかりそうなものだが、探すために均衡を築き上げ、時間稼ぎをする必要があったところを見ると、簡単に見つかるようなものでもなかったらしいことが窺える。約束の地。その名称から、重大な意味を持つ場所だということは想像がつく。話からして、三大勢力が探し求めている場所なのだろう。そして、その場所を見つけ、手にしたものが勝利することができるということのようだ。
そんなものが、この世に存在するというのか。
「まあ、君にいっても仕方のないことだが」
そして、彼はこういってきた。
「ミドガルド。君はわたしに従いたまえ。そして、わたしが勝利を掴み、この世の支配者となる瞬間を見届けたまえ。そのときには、君の長年の願いも叶うだろう」
「わたしの……願い」
「君は、欲しがっていただろう。ずっと。それをくれてやるというのだ。すべてが終われば、な」
はっと顔を上げる。脳裏に過るのは、女性の顔だ。泣き伏せる女の涙を拭うことすらできなかった、苦い記憶。
ルベレスの背中が遠ざかっていくのが見えた。悠然とした足取り。気品があり、なにものにも代えがたい威厳がある。ルベレスの向かう先にいる将兵がその威に打たれ、平服するのを見るに、彼には尋常ならざる力があるように思えた。
いや実際、常人ではないのだろう。
口振りからして、そうだった。
超常の存在だとでもいうのか。そのようなものが存在するのか。
たとえルベレスがそのような存在だとしても、この拭いきれない敗北感はいかんともし難かった。すべてを否定された。存在意義を、根底から否定された気分だった。研究も開発も、情熱さえも、なにもかも、根本から否定されてしまった。口惜しさに歯噛みする。
「ミドガルド」
ウルクが声をかけてきたのは、膝をついたまま立ち上がろうともしないミドガルドのことを心配してのことなのだろう。ウルクは、セツナとの接触によって、そういう気遣いができるようになりつつあった。感情表現が豊かになった、というべきか。それはミドガルドにとって喜ばしいことであり、彼女をセツナに会わせた正解だったと確信している。今日、こうして問題なく起動し続けていられるのも、セツナと会い、直接的に特定波光を供給されたからにほかならない。
「ウルク……」
「どういうことなのですか」
「君には、関係のない話だ」
「関係ない?」
「そうだ。君は、わたしの最高傑作なのだ。くれてやるものか」
血反吐を吐くような想いで、告げる。
「あんなわけのわからないものに、くれてやるものか」
「ミドガルド?」
小首をかしげるウルクにはなにも応えず、彼は、拳を固め、地面を殴りつけた。
この敗北感を払拭するには、抗うしかないのだ。
運命に。




