第千五百九十九話 セツナの提案
午後の交渉は、ガンディアとベノアガルドの同盟に関する話題に終始した。同盟を結ぶにあたって、どのような条件を取り交わすべきか、その詳細についてエインとシドが主導になって話し合い、セツナはそういった小難しい話を隣で聞いているしかなかった。それはシドとともにいるテリウスも同じようで、度々、目線があった。
テリウス・ザン=ケイルーンがセツナに投げかけるまなざしは、ベノアでもそうだったが、妙に優しい。
彼が、黒き矛の制御に挑戦したという話を思い出す。それが団長命令であったのかどうかは定かではないが、彼は黒き矛に触れ、その力を支配しようとしたのは本当なのだろう。そして、その結果、ミリュウやマリクのような逆流現象に遭った。そこまでは間違いない。
その影響が出ているのか、どうか。
テリウスは、レム曰く、セツナへの嫌悪や侮蔑を露わにしていたはずの人物だ。ベノアに至るまでの情報で評価を変えた可能性も捨てきれないが、直接話し合ったレムの評を信じる限り、彼は自分の目で見たことしか信じない類の人間であるらしく、情報程度で評価を変えるとは想い難い。そして、自分の目で見たことしか信じないのであれば、逆流現象によって見たもの、感じたものは信じるかもしれない。
ミリュウの話から、逆流現象はセツナが忘れ果てているようなことさえ見せるようなのだ。セツナの人生をそのまま追体験するようなものに近く、ミリュウはなぜかそれでセツナに惚れ込んだというし、マリクもセツナに対する態度が柔らかくなった。テリウスも、そうなのかもしれない。
そんなことを考えているうちに交渉が終わった。
「これより我が国と貴国は同盟国となりました。互いに目的のために邁進し、ときに助け合い、ときに協力してまいりましょう」
「ええ。この大陸のため、世界の静謐のため」
エインとシドの会話内容から、同盟が結ばれたらしいことがわかる。話が難しすぎて途中から耳に入ってこなかったのがいけないのだが、セツナは、聞いていた振りをした。そして、エインに促されるまま立ち上がり、シドと握手を交わした。交渉に関する決定権や主導権はエインが握っているが、代表はあくまでセツナだったからだ。
「セツナ伯。これより我々は同志です」
シドのそんな言葉で、交渉は幕を閉じた。
「同志……ねえ」
セツナが交渉の席での言葉を蒸し返すようにつぶやいたのは、会議室を出てからのことだった。ファリアたちが待っている控室までの通路。エインはベノアガルドとの同盟という想像以上の結果に喜びを隠せないという表情で足取りも軽く、彼の部下たちも同じように喜んでいる。強敵は、味方になると頼もしい存在になりうる。
見届人として同席したユノは、セツナのことを考えてなのか、どういう反応を取るべきか迷っているような節があった。ガンディアの属国であり、ベノアガルドに隣接するマルディアの姫としては喜ぶべき結果だろう。ベノアガルドとガンディアが敵対したまま、両国間の戦争が起きれば、戦場になるのはマルディア領だ。そして、騎士団の実力を持ってすれば、ガンディアの主戦力がマルディアに到着するまでにマルディア領の大半を制圧することくらい難しくはあるまい。
ユノが交渉に同席したのは、そういう意味ではマルディアとしても看過できない問題でもあったからだ。
ベノアガルドの代表であるふたりの騎士も、いる。
「ええ」
「ガンディアは、小国家群統一を企む野心の国ですよ」
セツナは、肯定してきたシドを振り返って、いった。足を止める。
「ガンディアは、大陸の均衡を維持するために小国家群を統一するというのでしょう? それは我々騎士団の理念に反するものではありません。それどころか、均衡の維持によって大陸に生きる人々を安んずるというのは、騎士団の理念に近いといってもいい」
シドのよどみない説明は、彼の本心をそのままに言葉にしているかのようにすっと入ってくる。嘘も偽りもない。
「ガンディアの小国家群統一が武力のみに頼らぬものであるというのも、いい。同盟や従属関係による小国家群の統一――簡単なことではないでしょうが、武力で圧するよりも余程合理的で、理性的だ。なればこそ、騎士団はガンディアの小国家群統一を支持すると決めたのです」
「支持? 騎士団が……?」
「ええ。その証明としての同盟と受け取ってもらってかまいません。我々ベノアガルド騎士団は、ガンディアの小国家群統一に協力を惜しみません」
「……戦力の提供も、か?」
「それが小国家群統一に繋がるというのであれば」
彼はそういったが、セツナは疑問に感じた。救いを謳う騎士団が小国家群統一に協力するというのは、どういうことなのか。レオンガンドの小国家群統一は、確かに武力のみに頼ったものではない。政治的解決を最良とし、武力による支配を下の下とする考えのもと、レオンガンドは動いている。しかし、それは武力に頼らないということではない。必要とあらば国を滅ぼすことも厭わないし、現につい最近、エトセアとの同盟のためにイシカを滅ぼしたところだ。
それは、騎士団の理念に反するのではないか。
「どういう風の吹き回しなんです?」
「どうもこうもありませんよ」
セツナの追求が予想以上だったのか、彼は軽く肩を竦めた。
「我々の目的がなんであるか、セツナ伯はご存知でしょう」
「この世の救済……でしたね」
「信用、されていませんか?」
「いや。あなたたちの言動に嘘はないと思う」
あのとき、あの場をどうにかするために挑発するようなことをいったものの、神ミヴューラが見せた破滅的な光景はきわめて現実的なものであったし、本当にありうるかもしれないと思えた。そして、それを回避するために全身全霊で戦い続ける騎士団の理念は尊いものであることに疑念は生まれない。
彼ら騎士団の力は圧倒的だ。それこそ、小国家群最強といってもいい。彼らが理念の実現以外に力を用いるようであれば、ベノアガルドは、いまより何倍も巨大な領土を持っていただろうし、それこそ、周辺諸国を食らいつくし、小国家群の覇者たりえたかもしれない。だが、そうはならなかった。それは、ベノアガルドがその力を使うことを極端に畏れているからだ。
安易に用いるべきではないと禁じているからだ。
救うためだけに。
救いを求める声に応えるためだけに使うべきだ、と。
騎士団のそういった高潔さは、なにものにも変え難く、まばゆいものだ。
セツナが騎士団を嫌いになれないのは、そこに偽りがないからだ。救世神ミヴューラを信じ、ミヴューラの想いに応えようとする騎士たちは、子供のように純粋であり、澄み切っている。清廉潔白とはまさにこのことだろう。野心もなく、野望もなく、私利私欲などあろうはずもない。
彼らは、信用に足る。
セツナは、そう想っている。
「救済のためには、この世を破滅から守るためには、もっと力が必要だということは知っていますよね」
「ええ。ミヴューラの力を高める必要があるんですよね」
「そのためには、騎士団の実力を知らしめる必要がある」
「……なるほど」
セツナは、シドの説明によってようやく得心した。ガンディアの小国家群統一事業に協力することで騎士団の実力を大陸全土に知らしめ、それによって影響力を高めようというのだろう。そうすることで救世神ミヴューラの力の増大を図ろうというのだ。
合理的、といっていいのかもしれない。
「ガンディアとの同盟に踏み切ったのは、そのため、なんですね」
「ご理解いただけましたか?」
「この世を破滅から救うためならば、少々のことには目をつぶる、と」
「救えるものはすべて救いたい。それが我々の本音です。しかし、そうもいかないのもまた、事実。ガンディアの小国家群統一を阻むことは容易ですが、それによって救えるものまでも救えなくなる可能性は極めて高い」
シドは、そんな風にいって、頭を振った。彼らとしても悩みに悩んだ末の結論であることは、想像に難くない。騎士団の理念を考えれば、ガンディアの小国家群統一事業に伴う侵略行為を許すことはできないだろう。しかし、そのたびにガンディアと戦うことになるのは、騎士団としても不本意に違いなかった。それでガンディア軍を蹴散らし続けたところで、影響力を爆発的に高められるかどうかといえば疑問の残るところだ。
「我々は大陸を破局から救うことを優先することに決めたのです。そのためならば、どのような非難も受け入れましょう。この世界が失われるよりも余程ました」
シドの言葉は、騎士団の導き出した結論であり、セツナにも納得のいくものだった。
この世を救うためなのだ。
騎士団の考えそのものは、一貫していた。
「納得していただけましたか?」
「ええ。十分に」
「それはよかった。セツナ伯に疑われたままでは、せっかくの同盟も意味をなさないところでした」
「言い過ぎです」
「そうでしょうか。セツナ伯はガンディア有数の権力者。影響力は高いと聞きます」
「買いかぶりですよ」
セツナは、シドの評価の高さに苦笑するほかなかった。
歩くのを再開しながら、ふと、思い立つ。
「シド殿」
「はい。なんでしょう」
「同盟成立を祝して、というわけではないんですが、ひとつ、お願い事をしてもいいですか?」
「セツナ伯が、わたしに?」
「はい」
セツナは、きょとんとするシドの理知的な目を見つめ、告げた。
「一度、手合わせ願いたいのです」
黒き矛の力を知るには、絶好の機会だと、彼は考えていた。




