第百五十九話 空を渡れ
「ファリアさんなら喜んで抱き抱えるんですけどね」
ルウファの冷めた一言に、セツナは半眼になった。
「隊長のそういうところ、ファリアさんに似てきましたね」
またしてもくだらないことをいうものだから、セツナはそっぽを向いた、
ふたりがいるのは、バハンダールへの街道を進む馬車の荷台の中だ。ほかに乗り込んでいる兵士はおらず、ふたりだけのために運用されているといっても過言ではない。もっとも、各荷台には備品が大量に積みこんであり、攻城用の兵器を運搬している馬車もある。
破城槌。
城門を突破するために用意された最新兵器であり、当初はナグラシアの門を破壊するときにお披露目する予定だったらしい。だが、そんなお披露目会は、セツナが台無しにしてしまった。破城槌隊が動き出した頃には、ナグラシアの門は破壊され、歩兵が雪崩れ込んでいたという。そんな破城槌隊の兵士たちの嘆きを聞かされたのは、この馬車に乗り込む直前の事だった。
彼らは、今回こそは出番があるだろうと息巻いており、そのためにセツナには適度に頑張って欲しい、ということだった。バハンダール内の敵兵を殲滅されると、またしても出番がなくなるからだろう。彼らにも彼らの役目があり、矜持があるのだ。使命を果たせぬまま戦いが終わるのは、自分たちが無事であったとしても、納得しがたいものが残るのかもしれない。
「適度に頑張る、ね」
「はい?」
「いや、こっちのこと」
「……本当に大丈夫ですか?」
「少なくとも、ある程度の高さから落ちても無事なのはわかったし」
セツナがいったのは、バハンダールへの進軍中、ルウファと行った投下実験のことだ。互いに召喚武装を呼び出し、今回の作戦の予習をしてみたのだ。もちろん、指揮官であるアスタルには許可を取り付けていたし、細心の注意を払ってはいた。
まず、シルフィードフェザーによる上空への運搬は、思った以上に大変であることがわかった。ルウファがセツナの体重を支えなければならないのだ。セツナ自身、太っているわけでもなんでもないのだが、体重が軽いというわけでもない。ルウファも武装召喚師の端くれであり、鍛えあげられた肉体を誇ってはいても、セツナを抱えながら召喚武装を操るというのは、体力と精神力の消耗が激しいようだった。
つぎに、ある程度の高さなら余裕だということが判明している。四、五メートルなら足で着地しても余裕だったし、十メートルの高さからでも問題はなかった。二十メートルくらいになると、黒き矛の切っ先で着地するようにすれば、なんとかなった。もっとも、その結果、カオスブリンガーの力が爆発し、地面に半球形の穴が開いてしまったが。
それ以上の高度から試すと、さらに大きな穴を作ってしまう可能性もあり、敵に知られるという危険性も考慮して、ふたりの実験はそこで終了する運びになった。
「あれ以上の高さになると、無事に済むかの保証はないですけどね」
「大丈夫だよ。俺とカオスブリンガーを信じろ」
「そういわれると、言い返す言葉もありませんよ」
ルウファは笑ったが、すぐに真剣な表情になった。
「俺は、隊長と黒き矛のおかげでここに居られるようなものですからね」
「ルウファに実力があったからだよ」
セツナは馬車に揺られながら、ルウファの横顔を見ていた。ラクサスとは少しだけ似ていて、アルガザード将軍とはあまり似ていない青年の顔。セツナよりも年上なのに、こうして目上口調で話していても、まったく怒ったりしないし、不平も不満も見せない。立場を理解し、弁えているのだろう。それはファリアにもいえることではあるが、彼女は作戦行動中以外は普通に話してくれた。ルウファはそうではない。常に副長らしくあらんとしている。もっとも、冗談をいったりするくらいには砕けているが。
彼に出会えたのも、幸運なことだ。
あの日、アズマリアが王都に皇魔を放たなければ、セツナはルウファと知り合うこともなかったかもしれない。
「そうですか?」
「信じろよ。陛下の目を。自分の力を」
セツナが告げると、彼は照れたように笑った。そして、御者台を覗きに行く。バハンダールまでの距離を確認しにいったのだろう。飛び立つには近づきすぎても駄目だ。敵に認識される。遠すぎてもいけない。ルウファの精神力が持たなくなる可能性がある。前者の場合は、奇襲への対応がなされ、混乱を呼ぶことができなくなる。後者の場合は、ルウファもろとも落下することになりかねない。どちらも御免被りたいところだ。
「そろそろ、ですね」
御者台から戻ってきたルウファは、そういうと、静かに呪文を唱え始めた。
武装召喚術を行使するには、本来、長大な呪文が必要なのだ。セツナのように一瞬で召喚できるなど、通常では考えられないことであり、ランカインも驚いていた。普通ではない。それはセツナがこの世界の人間ではないという証なのかもしれなかったが、セツナとしては深く考えてはいなかった。ただ便利なだけで、ありがたくもある。彼のように複雑な呪文を唱える必要がないのだ。緊急時に即座に召喚できるというのは、大きな強みだった。
「武装召喚」
呪文の末尾を口にしたとき、ルウファの全身が光に包まれた。光は純白のマントへと変質し、この世界に顕現する。シルフィードフェザー。彼の召喚武装は、通常時においてはただのマントのようにしか見えない。一切の混じり気のない白さは、目に痛いほどにあざやかだ。
ルウファはマントの下に鎧を着込んでいないが、それは長時間飛行するためだ。敵陣に飛び込むセツナは武装しなければならず、重量を削るにはルウファ自身がなんとかするしかなかった。セツナは軽量の鎧を身に纏っている。ファリアには不評の白金の鎧は、激しく動き回るセツナには最適だった。防御面では万全とはいえないが、攻撃を喰らわなければいいという考えもある。
セツナは、馬車の中で立ち上がると、伸びをした。
「さて、行くか」
「はい」
ルウファの返事を背に、セツナは荷台の後ろから外へ出た。後続の馬車が急停止するが、構わず視線を巡らせる。湿原を進む軍勢の中、軽装の鎧を纏うファリアの姿があった。手を振ると、彼女は苦笑しながら手を振り返してくれた。
ルウファのマントが一対の翼へと変化し、彼の体が空中に浮き上がる。
「隊長、手を」
いわれるまま頭上に手を伸ばすと、ルウファにがっちりと掴まれ、両手で引き上げられた。結構な重量があったはずだが、召喚武装による補助もあったのだろう。セツナは、そのままルウファの体にしがみつくしかなかったが、他人の視線を気にする暇もなかった。ルウファはシルフィードフェザーの翼を羽ばたかせ、、天に向かって急上昇していく。
振り落とされないように全力で掴まるのが、セツナにできる精一杯だった。急激に遠ざかる地上を見下ろし、感慨に浸ることなどできるはずもない。余裕など、ありはしないのだ。唖然とする兵士たちやファリアの顔は一瞬にして認識できなくなる。急上昇。少しでも力を抜いたら振り落とされるのは明白だ。
セツナに余裕が生まれたのは、ルウファが上昇を止め、前進を始めてしばらくしてからだった。上昇こそ急いだものの、敵軍に気づかれないであろう高度に達した以上は急ぐ必要はなかった。東と南に展開した部隊が目標地点に到達するまでには、もう少し時間がかかる。
眼下、広大な大地が広がっている。
上空何十メートル、何百メートルだろうか。
丘陵上の城塞都市バハンダールと、その丘を覆うように広がる湿原が一望できるだけではなく、周辺の地形までも見渡すことのできる高さにまで、ルウファは上昇していた。見下ろすだけで恐怖が生まれ、セツナは落とされないようにルウファの首に回した腕に力を込めた。ルウファも、空いた両腕でセツナを抱きしめている。
「これなら、敵軍に気取られることはないでしょうね」
「恐らくな」
敵に武装召喚師がいて、その召喚武装の能力によって見つけ出されもしない限りは安全だろう。その可能性はゼロではないが、一度飛び立った以上、引き返すのも難しい。作戦は動き出している。グラード隊も東側の部隊も、少しずつバハンダールへと迫っているのだ。
湿原は、バハンダールの丘周辺を埋め尽くしているが、中でも西に向かって大きく広がっており、西にも部隊を割いていれば足並みを揃えることは難しかっただろう。青々とした湿原は、ところどころで陽光を反射しており、無数の水たまりがあることを示している。ぬかるんだ地面に足を取られ、進軍もままならないという。
それでも、この湿原を越え、バハンダールを落とす必要があるのだ。
バハンダールを落とせば、レコンダールとの間に補給線が結ばれるだけでなく、ザルワーンの隣国メレドへの牽制となり、またバハンダール北西の街ルベンへの抑止力となりうる。なにより、この戦争でガンディア軍が負け、ザルワーン本土からの撤退を余儀なくされたとしても、不落のバハンダールが即座に奪還されるということはない。
バハンダールは敵国領ならば厄介な存在だが、自国のものになればこれほど頼もしい拠点もないという。
(撤退の可能性も考慮して……か)
セツナは、東側の軍勢にいるのであろうエイン=ラジャールの言葉を思い出していた。軍議後のことだ。やはりひとりの将軍として振る舞うときの彼は、熱狂的なセツナのファンとしてあるときよりも余程頼もしく、好ましい。
『今回の戦争、予定通りに開かれたものではありません。準備も万端ではなかった。その証拠に、軍が揃う前に順次進軍という方法を取るしかなかった。戦場をザルワーンに限定するにはそれしかありませんでしたからね』
国内を戦場にしたくないのは、だれだって同じだ。国が荒れ、民が傷つく。だから、レオンガンドはザルワーンが動き出す前に攻め込むことにしたのだという。先に攻撃を仕掛けることで、敵に防戦を促したのだと。
ザルワーンとしてもログナー方面に攻め込みたいのは山々だろうが、ナグラシアを落とされれば、バハンダールからレコンダールへと攻めこむしかない。かといってバハンダールの兵力を削るのは避けたいのが人情というものだ。バハンダールに戦力が整うまでは、レコンダール側で小競り合いも起きない。エインの断定に、アスタルも頷いていた。
『予定通りナグラシアを制圧、橋頭堡が築けたわけです。ガンディア軍はここから各地に軍を差し向けるという方法を取りました。我々はバハンダールを落とし、レコンダールとの間に補給線を結ぶのが役目ですが、最悪、バハンダールさえ制圧できれば今回の戦争には勝ったも同じです』
たとえ中央軍が敗れ、ナグラシアに撤退することになったとしても、ザルワーンがバハンダールを取り戻すには時間がかかる。そしてザルワーンは、かつてのような長期攻囲を行えるだけの状況にはない、とエインは見ている。かといって、湿原を進んで城壁に取り付くのは困難であり、武装召喚師を用いたとしても、こちらにも武装召喚師はいる。《獅子の尾》がバハンダールにある限り、矛と盾が同居する無敵の拠点になりうる。
バハンダールは、ザルワーンの喉元に食らいつく獅子の牙になり続けるのだ。