第千五百九十八話 ベノアガルドとの交渉
マルディア領に入ると、まずは王都マルディオンに立ち寄らなければならなかった。
今回のサントレアでの交渉に協力してくれたマルディアの現国王ユリウス・レイ=マルディアに挨拶するためだ。マルディアは、ジゼルコートの謀反の真っ只中に起きた政変により、当時王子だったユリウスが実権を握った。国王ユグスは長らく王位を譲ろうとはしなかったものの、レオンガンドがジゼルコートを斃し、謀反が完全に失敗に終わったことを悟ると、みずから退位を申し出たという。かくしてユリウスが王位につき、マルディアは若き王の下、統治される運びとなった。
マルディアは、レオンガンド率いるガンディア軍を呼び込むための内乱と、その後の戦いによって総兵力の大半を失っている。本来一万を越える兵力が半分以下にまで落ち込んでおり、国防の観点からも不安を禁じ得なかった。その不安を解消するための方策として、マルディアはガンディアに臣従を願い出ており、ガンディア王レオンガンドはそれを許した。ガンディアに従属することで、ガンディアという大国の庇護下に入り、それによって周辺諸国への牽制としたのだ。マルディアに攻め込むということは、ガンディアに敵対するということと同義であると喧伝することで、戦いが起きることを未然に防いでいるというわけだ。
そうやってガンディアの威光により外敵からの侵攻を防いでいる間に内政を充実させつつ、戦力を整えるつもりだというようなことを、ユリウスはいった。
マルディオンでの拝謁の際、だ。
そして、マルディアがガンディアとベノアガルドの橋渡しとなれることを光栄に想う、とも彼はいった。ガンディアは、ベノアガルドとの交渉のため、マルディアに協力を要請している。マルディアも支配国の要請を断れるわけもなく、懸命にベノアガルドに働きかけた。マルディアには、ベノアガルドとの交渉のための窓口があったのだ。それは内乱を起こした元聖石旅団長ゲイル=サフォーであり、ゲイル=サフォーは、マルディアの政変後、ユリウスの説得に応じ、マルディアに戻っていた。ゲイルらの内乱が、ユグスの策謀によって引き起こされたものだということが判明している以上、彼らと敵対し続ける道理はないとユリウスは考えたらしい。しかしながら、ゲイルら反乱軍がマルディアにもたらした被害については無視するわけにもいかず、ゲイルたちはその罪を背負い、その上でマルディアに復帰することを認めた。ゲイルたちは、自分たちが真実を見抜く目を持っていなかったことを認識していたということだ。
自分たちがユグスの思惑通りに動いていたということを知り、衝撃を受けたのだろう。
そんなゲイルは、ベノアガルドの騎士団と何度となく交渉を行っており、その窓口はいまでも生きているとのことだった。ユリウスは、ガンディアからの要請に応えるべく、ゲイルを窓口として利用、ベノアガルドと交渉した。その結果、ベノアガルドがガンディアとの交渉に応じる構えを見せたのだ。
セツナがガンディアの代表としてユリウスに感謝を述べると、少年王は従属国として当然のことをしただけだといって笑った。むしろ感謝しなければならないのはマルディアのほうであり、ガンディアという強大な後ろ盾があるからこそ、戦後の混乱を乗り越えることができたのだ、と彼はいった。
また、マルディオンでは、ユノが待っていた。ユノ・レーウェ=マルディアは、マルディアのガンディア臣従の使者としてガンディオンへ向かい、ガンディアとの間で従属関係が結ばれると、すぐさまマルディアに戻っていたのだ。
ユノは、セツナを見つけるなり、飛ぶような勢いで向かってきたものだ。彼女は、すでにセツナとエリルアルムの結婚について知っており、結婚を祝う旨の発言をしたが、どうも心の底から喜んではいなかったようだった。
『姫様も、大将を狙っていたのでしょうな』
エスクにいわれなくとも、彼女の好意はわかりすぎるくらいにわかっていた。
ユノは、サントレアまで同行することになっていた。場所を貸すマルディア側の代表として交渉の席に参加するのだという。
『セツナ様のお側に少しでも長くいられることこそ、ユノの幸福にございます』
彼女のそんな言葉が、セツナを困惑させた。好意を抱いてくれるのは嬉しいが、応えようがなかった。彼女は、マルディアの姫君なのだ。ファリアやミリュウとは勝手が違う。
マルディオンを出れば、レコンドールへ向かい、そのままサントレアまで北進した。
マルディアを戦場とした戦いから、半年ほどが経過している。
馬車での移動中、セツナたちはマルディアの戦いを思い出しては話し合った。結局、マルディアの戦いは、ジゼルコートが謀反を成功させるべく仕組んだものに過ぎなかったし、まったく意味のない戦いだったのは疑いようのない事実だ。ジゼルコートが叛意さえ抱かなければ、謀反さえ起こさなければ、命を落とさずに済んだものは数え切れないくらいいただろう。しかし、もはや過ぎ去ったことだ。喪った命は戻らない。奪った事実は覆らない。
抱えていくしかない。
やがて、一行はサントレアに辿り着いた。
サントレアは、マルディア領最北の都市だ。
ベノアガルド国境と近いこともあってか、長年、ベノアガルドとの交流の場所として使われてきた都市であり、景観にベノアガルドの影響が色濃く現れている。南北に長い都市は、北と南でその様相を大きく変えるのだ。南側がマルディア様式の建築物ばかりで、北側がベノアガルド様式の建築物が多い。
そんなマルディアとベノアガルドとの長年の付き合いを利用したのがゲイル=サフォーであり、そのゲイル=サフォーを利用して此度の交渉の席を設けたのがマルディア政府だ。だれもがだれかを利用している。ガンディアもそうだし、ほかの国だって同じだ。それは悪いことでも何でもない。利用し、利用される。
どうやらそうやって世界は回っているらしいのだ。
どうせ利用されるならば信頼のおける相手に利用されるべきであり、そういう意味では、セツナは幸せものだろう。セツナを利用するのは、レオンガンドやエインといった信頼のおける相手であり、彼らのセツナの利用方法にはなんら不満がないからだ。
「ベノアガルドの方々はまだお見えになっておられぬ様子。しばし、サントレアで待っていただかなくてはなりませぬ」
ユノが申し訳なさそうにいってきたものの、彼女が悪いわけもなく、セツナは気にしてもいなかった。
「なに、ベノアガルドの方々がお見えになるまで、ゆっくり羽を伸ばせばいいだけのことさ」
セツナはそういって、伸びをしてみせた。実際、休息の時間がもらえたのは、喜ぶべきことだった。イシカ以来、心休まる時間というものがあまりなかった。イシカから王都に戻り、少しは休めるかと思いきや政略結婚を言い渡されたのだ。これでは心が休まるどころの話ではない。
覚悟が決まり、婚約し、ようやく、心にも余裕が持てるようになったのは、つい先日のことだった。それまでは余裕などまったくなかったし、ミリュウやシーラを落ち着かせるために腐心しなければならず、自分のために時間を費やしている場合でもなかった。
ようやく落ち着ける。
ベノアガルドの交渉役が来るまでのわずかな時間、セツナは、ミリュウやシーラ、ユノの相手をしながらも、たっぷりと休むことができた。
ベノアガルド側の交渉役がサントレアに到着したのは、二日後の九月十三日のことだ。
騎士団が支配するベノアガルドの代表となれば当然騎士団幹部、つまり十三騎士が務めるだろうという想像通り、シド・ザン=ルーファウスが交渉役としてサントレアに姿を表した。ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコート、ロウファ・ザン=セイヴァスの姿はなく、テリウス・ザン=ケイルーンが同行しているのが不思議だった。ほかには騎士団の騎士たちが二十人、彼らの身辺警護を務めているようだが、実力を知れば、そんなもの不要としかいいようがない。
交渉は、サントレアにあるマルディア軍施設内、会議室で行われることとなった。
ガンディア側からは、セツナが代表であり、軍師エイン=ラジャールが付き添いという形で参加することとなった。マルディアからはユノが見届人として同席する。
ベノアガルドの代表は、件の通りシドであり、テリウスも同席した。
交渉そのものは、なんの障害もなければ、小さな問題さえ起きずに進んだ。
シドは、ベノアガルドにはガンディアの要望に応える用意があり、それも同盟という形で応じたいという意向を示してきた。エインは想像以上の好感触にセツナに笑顔を見せたが、すぐに笑みを引っ込めている。セツナの心の奥底に渦巻くものを察したのだろう。もっとも、セツナは交渉に際し、ラグナのことは一切考えないようにしていたし、ベノアガルドに敵意や嫌悪感を抱いているわけでもなかった。ラグナを失ったのは、セツナの無力さ故だ。
黒き矛の真の力を引き出すことができていれば、ラグナを失わずに済んだかもしれない。たとえフェイルリングを始めとする十三騎士に敵わずとも、ベノアからラグナとともに脱出することはできたかもしれない。ベノア近辺からガンディア・ケルンノールまで転移したのだ。十三騎士の結界を突破することもできたかもしれなかった。
ラグナの死の原因をベノアガルドに求めるのは、ただの責任転嫁であり、現実逃避にすぎないのだ。
そう考えているから、交渉の席においてもセツナは平静を保つことができた。それは、ベノアガルド側の交渉役がシドであるということも大きい。シドは、まだしも話のわかる相手だった。セツナを騎士団に引き入れることに熱心だった彼は、いまもセツナのことを諦めていないらしく、交渉中、そのようなことをいってはセツナを困らせた。
ベノアガルドとの交渉を一任されたエインは、ベノアガルド側の申し出に一も二もなく応じる構えを見せた。友好関係を飛び越え、同盟国としての結びつきを持つことなど願ったり叶ったりというほかない。
ベノアガルドは小国家群統一において最大の障害となりうる国だった。そんな国が敵対した事実を忘れ、手を取り合っていこうというのだ。ベノアガルドとの敵対関係が深刻化した場合の戦力差に頭を悩ませていたエインが、手放しで喜ぶのも無理はなかった。
十三騎士の実力については、いまやガンディアで知らぬものはいなかった。武装召喚師複数人を相手にしても優勢を維持しうる脅威的な戦力。それも真の実力ではなく、本当の力が発揮されれば黒き矛のセツナですら太刀打ちできなかったという事実がある。十三騎士が全力でもってガンディアと戦うことになれば、その勝敗は明らかではない。
兵力差では、ガンディアのほうが圧倒的だ。しかし、戦力差はどうか。十三騎士全員が真躯を解放した場合、兵力差など意味をなさなくなるだろう。
十三騎士は、神の大いなる加護によってその力を振るう。
ただの人間が敵う相手ではないのだ。
それがわかっているから、レオンガンドは、ベノアガルドと交渉し、せめて敵対関係だけでも解消しておこうとしたのだ。そのうえで国交を結び、友好関係を築き上げていこうと考えていたらしい。
だが、レオンガンドの思惑以上のことが、ベノアガルド側からの申し出によって実現しようとしていた。
ベノアガルドとの同盟が実現すれば、小国家群におけるガンディアの敵はいなくなるといっても過言ではない――と交渉の休憩中、エイン=ラジャールが鼻息も荒くいった。彼はめずらしく興奮していた。十三騎士の実力を知ったときから頭痛の種だったのであろう問題が解決するだけでなく、強力な味方になるかもしれないのだ。
大国エトセア、強国ベノアガルドが小国家群統一の協力者となれば、統一事業は加速する。
エインが興奮しながら語る構想に、セツナは、目を細めるしかなかった。
それは、レオンガンドの夢が叶うということだ。
レオンガンドの夢の実現こそ、セツナの夢だった。
だからこそ、セツナは政略結婚を不満ひとつ漏らさず受け入れ、ベノアガルドとの交渉役の任も請け負ったのだ。
すべては、レオンガンドの夢のため――。
「いつもだれかのために戦って、人生まで投げ打ってさ。疲れない? だいじょうぶ?」
ミリュウの質問の意図するところがわからず、セツナは小首をかしげた。
答えられないまま、休憩時間が終わった。




