第千五百九十七話 再び、北へ
ベノアガルドとの交渉に向け、セツナが王都ガンディオンを出発したのは、婚約の翌々日、八月十一日のことだ。
婚約後、セツナとエリルアルムは互いのひととなりを少しでも知るべく、話し合う機会を設けた。政略結婚。互いの国のための結婚でしかない。別に深く知り合う必要も、愛し合う必要さえない、という。夫婦という形さえ保っていればいいというのだが、しかし、そのためには互いのことを知るべきだとセツナは思うのだ。
政略結婚とはいえ、結婚することが決まった以上、相互理解を深め、互いのことを思いやれるようになったほうがいいのは間違いない。互いの国のためであればなおさらだ。なおさら、夫婦関係を壊さないようにしなければならず、そのためにも彼女のことをよく知っておきたかった。夫婦仲が冷めきり、結婚生活が破綻し、別離するようなことがあれば、それこそガンディアとエトセアの関係の悪化につながりかねない。政略結婚だからこそ、考える必要があるのだ。
どのような性格で、なにを好み、なにを嫌うのか。そういった初歩的なことから話し合い、互いのことを知り合おうとした。
エリルアルムも、セツナと同じように考えていたらしい。
『婚約した以上、わたしはあなたのことを誠心誠意、信じ、愛し、どこまでもついていくことを誓おう』
そんな男らしいとさえいえるようなことを告げられ、たじろいだものだ。
それはこちらの台詞なのではないか、と思わざるをえない。
『済まない。女らしくは、ないだろう。そういう風に生きてきた。あなたが望むのであれば、そのように努力するが』
そういう彼女の照れた顔はいかにも初々しく、女性らしかったが。
セツナは、特に彼女に女性らしさを求めようとは思わなかった。あるがままでいい。そういうと、エリルアルムは安心したらしい。
それから数時間あまり話し合った結果、エリルアルムは、歴戦の武人であり、恋愛事は苦手で、初々しいところが多分にある、可憐な女性だということがわかった。セツナがどのように受け止められたかはわからないものの、セツナとしては、彼女のことを好きなれそうではあった。
上手くやっていける気がした。
その翌々日、セツナは、配下を連れてガンディオンを出発した。目指すは、マルディア領サントレア。ベノアガルドとの交渉がマルディアで行われるのは変な話だが、それはベノアガルド側からの打診だということだった。
『我々を気遣ったのだろうな。さすがにベノアガルド領内に赴くのは、君といえど躊躇するだろう?』
レオンガンドの質問に対し、セツナは素直に肯定した。騎士団の本拠があるベノアガルド領内に赴くのは、勇気のいることだ。いや、それは勇気などではあるまい。無謀さというものだ。十三騎士の力は、本拠ベノアに近ければ近いほど発揮されるに違いなく、ベノアガルド領内での交渉となればたとえセツナであっても油断のならないものとなっただろう。交渉の場には、十三騎士のいずれかが出張ってくるに違いないのだ。
十三騎士がセツナのことを諦めてくれたのであれば、問題はないのだが、そればかりはわからない。
ベノアガルド側がガンディアを気遣ったのは、ベノアガルドがガンディアとの交渉に乗り気だということの現れにほかならない。
ベノアガルドの目的は、救いだ。
救世神ミヴューラが見せた破滅の光景を信じ、その破滅を防ぐことこそが十三騎士の目的なのだ。そのためにはミヴューラの力を高める必要があり、それには騎士団の影響力を強くする必要がある。それが、ベノアガルドが無償で救援を行う理由だ。救援や救済による信奉者の獲得こそ、騎士団の影響力を高める数少ない方法なのだ。
ガンディアと協力関係を結ぶことがそれに繋がると考えたからこそ、交渉に乗り気になっているのだろう、とセツナは見ていた。
(あるいは、俺も、か)
ガンディアと協力関係を結べば、自然、セツナも味方になる。
あれほど熱望していたのだ。
ガンディアごと味方にするという結論に至ったとしても、不思議ではない。
セツナの中にはわだかまりが残っているものの、そのふつふつと煮えたぎる想いは、自分の無力さへの怒りであり、十三騎士たちにぶつけるべきものではなかった。
それは、わかりきっている。
サントレア行きには、カミヤ領伯家の家臣団とでもいうべきものたちに加え、軍師エイン=ラジャールと参謀局の局員たちが随伴した。エインは交渉の補佐を務めると笑ったが、主導するの間違いだろう。
エリルアルムと彼女率いるエトセア軍三千も同道したが、彼女たちは龍府で別れることになっている。イシクスに駐屯させた七千の将兵が気になったようであり、また、エトセア本国への報告を行わなければならないということもあった。婚約こそしたものの、正式に結婚するためには、両国間での調整を行わなければならなかった。そのために奔走するのが外交官クガ・サヤン=シーダの役割らしく、エリルアルムは当分、龍府に留まることになっていた。
『龍府は、セツナ殿の領地なのだろう?』
エリルアルムは、そんな風にいって、微笑んだ。
将来、夫となる人物の領地ならば、安心して滞在することができるということらしい。
そんなエリルアルムだが、龍府までの道中、なにかと気を使っていた。主に、ファリアやミリュウといったセツナの周りの女性たちに対して、だ。彼女たちと交流を図ることで、自分の存在を少しでも早く受け入れてもらおうと考えていたらしい。
彼女には、そういうところがある。
イシカから王都に至るまでの道中、彼女のほうから積極的に話しかけてきたことを思い出すと、そのころからエリルアルムはセツナとの結婚について真摯に向き合っていたに違いない。セツナのことを少しでも理解し、自分のことも認知してもらおうとしていたのだ。その努力は確実に実を結んでいる。事実、セツナはエリルアルムのひととなりを多少なりとも知っていたから、彼女との結婚もすんなりと受け入れることができたのだ。
そういういじらしさは好意に値する、ということも、ある。
武人肌ということもあり、シーラとはすぐに馬が合ったようだが、ミリュウとは中々打ち解けられずにいたようだ。ファリアは、彼女のほうからエリルアリムと打ち解けるべく積極的に話しかけていたし、レムは最初から受け入れている風だった。問題のミリュウも、龍府につくころにはセツナの説得に折れるようにして、彼女を認めるようにはなっていた。
ぎこちなさは、どうしても残る。
それは致し方のないことだ。
セツナだって、エリルアリムに対しては緊張することが多々あった。近い将来、妻となる女性だ。婚約した以上、国同士の調整が済み次第、式を挙げ、正式な夫婦となることが決まっている。そんな相手に対し、セツナは自分らしく振る舞うことすらできなかった。
いずれ、慣れるだろう。
そう期待するしかなかったし、それでいいとも想った。
ちなみに、龍府への道中、リノンクレア=ガンディアが同行していた。夫ハルベルクを失い、ルシオンからガンディアに帰ってきていた彼女がなぜ同行したのかというと、彼女の気晴らしのためだった。王都のそれも王宮に閉じこもっていては、気分も晴れず、鬱屈していくだけだろうというレオンガンドなりの気遣いによって、リノンクレアを龍府で預かることになったのだ。龍府には彼女とレオンガンドの母である太后グレイシアがいる。
レオンガンドが彼女を龍府に向かわせたのは、グレイシアの元でゆっくりしてもらいたいという想いがあったからに違いなかった。
龍府に到着した一行は、龍府に残るものとサントレアに向かうもので二手に分かれた。
エリルアルム率いるエトセア軍三千は龍府に残り、イシクスのエトセア軍の様子を調べるとともにエトセア本国との連絡を取ることになっている。エリルアルムは、婚約者セツナとのしばしの別れを寂しがるような表情を見せてくれたものであり、そんな彼女の様子にはセツナも感じるものがあった。
リノンクレアは、天輪宮でグレイシアと久方ぶりの再会を果たし、互いの壮健ぶりを喜びあった。そして、涙さえ浮かべるふたりの姿には、あの謀反が残した爪痕の深さを想うほかなかった。ジゼルコートが謀反さえ起こさなければ、グレイシアやリノンクレアが傷つくようなことは起きなかったはずだ。ハルベルクが暴走したのは、結局のところ、ジゼルコートの謀反が原因だ。勝機もなく反乱を起こすほど、ハルベルクも愚かではなかったはずなのだ。
一方で、ジゼルコートの謀反がガンディアに与えた恩恵があるのもまた、事実だ。謀反に与したレオンガンドの敵が一掃されたことは、ガンディアの政治を安定させ、今後の発展を加速させるに違いないからだ。そのことはレオンガンドや側近たちも認めることであり、反逆者を一箇所に集め、皆殺しにしたエリウス=ログナーの功績は未来永劫輝くものだろう。
ちなみに、グレイシアは、ルウファとエミルが今回のサントレア行きに参加していないことを悲しんだ。ルウファとエミルの結婚式に参加できなかった彼女は、ふたりが龍府を訪れたときには盛大にお祝いをしたいと考えていたからだ。
ルウファもエミルもセツナの部下であって、家臣ではない。今回のサントレア行きは、セツナ軍に下された王命であり、王立親衛隊《獅子の尾》への出動命令は下されていなかった。そういう意味では、ファリアとミリュウ、アスラがセツナの家臣になってくれたのは、時機的にちょうどよかったといえるだろう。
そんなわけもあり、ミリュウがルウファたち夫婦にセツナの家臣にならないかと誘ったが、ルウファは、ガンディア王家への忠誠を捨てられるわけがないと断っている。バルガザール家の人間としての誇りと価値観こそがルウファ・ゼノン=バルガザールのすべてであり、それを失うということは、自分を失うようなものだ、と彼はいった。そんな彼の意見をミリュウも尊重したし、むしろ見直したというような反応を見せた。
セツナ自身、ルウファのそういう一本筋の通ったところは尊敬できたし、家臣になってくれなかったからといって彼への信頼が薄れることはなかった。むしろ好印象だった。ルウファは、そうでなくては。
それにふたりは結婚したばかりだ。ふたりきりで過ごせる時間を奪いたくはないという想いも、セツナの中にはあった。
『そこまで気を使っていただかなくても構いませんよ、隊長。隊長命令とあらば、いつだって馳せ参じますから』
ルウファのそんな言葉が嬉しくてたまらなかった。
家臣になれないからといって、セツナとの関係が変わることなどないのだ。
グレイシアには、つぎこそルウファとエミルを龍府に連れてくると約束し、休息もそこそこに旅を再開した。急ぐものではないが、あまり時間をかけるものでもないだろう。
八月末、アバード王都バンドールに入った。アバードは通過するだけの予定だったが、セイル王たっての願いにより、拝謁する時間を設けることとなった。幼き国王セイル・レイ=アバードは、姉であるシーラと話し合う機会を少しでも持ちたかったのだろう。セツナはそんなセイル王の心情を察し、彼の願いに応えることにしたのだ。
シーラはセイルと数時間あまり、姉弟水入らずの時間を過ごすことができたことを喜んでいた。シーラには、セイルにすべてを任せることとなった負い目がある。その負い目を少しでも解消するには、セイルと話し合う時間を設けるしかないのだろう。
セツナには、それ以外、どうすることもできない。
マルディア領に入ったのは、九月になってからのことだった。




