第千五百九十話 束の間の幸福(三)
ルウファとエミルの結婚式は、興奮冷めやらぬ中、幕を閉じた。
銀獅子レイオーンの名の下に添い遂げることを誓いあったふたりは、正式に夫婦となり、数百名の参加者から祝福を浴びた。無論、セツナたちも手放しでふたりの門出を祝い、ふたりが今後幸せな家庭を築けることを願ったものだ。
ルウファとエミルは、感極まったのか涙さえ浮かべ、ふたりで力を合わせ、生きていくことを誓い、また、ガンディアのためによりいっそう尽力するとも宣言した。会場に集まっただれもがそんなふたりの結婚を祝福したし、羨み、憧れを抱くものも続出したようだ。
式を終えたセツナたちは控室に戻り、ふたりの結婚式についての感想を言い合ったりしていた。
「ついに結婚しちゃったわね」
そんな言葉を発しながらも、ミリュウはルウファとエミルの仲睦まじい様子に嫉妬を覚えるようなことはなかったらしい。終始、きらきらと輝いて見えるふたりに羨望のまなざしを投げかけていた。
「エミル、幸せそうだったわね」
「ルウファもな」
ファリアが椅子に腰を下ろしながらいった一言に、セツナは付け足すようにいった。セツナもファリアもほかの皆も、結婚式用の衣装から普段着に着替えている。
「まあ、ふたりが幸せそうなのはいまに始まったわけじゃないけどさ」
「うん」
「でも、良かったんじゃない」
「ん?」
「ふたりが結婚してさ」
ファリアがそういったのは、ルウファとエミルのふたりがいつ結婚してもおかしくない間柄であり、周囲が早く結婚しろとうるさかったことを思い出してのことだろう。これで、ふたりは周囲からとやかくいわれることはなくなるに違いない。バルガザール家はラクサスが家督を継いだこともあり、跡継ぎの誕生を急かされることもないだろう。
「そりゃあなにも悪いことはないさ」
「まったくです」
涼しい顔で同意してきた相手が予期せぬ人物だったことに、セツナははっとした。
「あ……」
グロリア=オウレリアだ。
ルウファの武装召喚術の師である彼女は、ルウファに負かされてからというもの、彼にぞっこんといってもいいような言動ばかりを行っていた。エミルが嫉妬を覚えるほどであり、そういう意味でもふたりが結婚式を挙げることができたことに彼女は安堵していることだろう。一方、グロリアの心中を考えると、手放しに喜ぶのは考えものなのではないか、とセツナが考えていると、彼女は穏やかな表情を浮かべていた。
「わたしも、ルウファが幸せになることにはなにも反対していませんよ。むしろ、彼には幸せになる権利がある。そのために勝ち取った力なのですから」
「そう……ですか」
「それはそれとして、わたしは諦めてませんが」
「やっぱり」
「当たり前でしょう。ルウファにはわたしを引き入れた責任を取ってもらわなければなりませんから」
「責任……って」
セツナは、鼻息も荒く言い切るグロリアの勢いに押されて、たじろがざるを得なかった。ルウファもとんでもない女性を師匠にしたものだと思わざるを得ない。が、そんな彼女だからこそ、ルウファを一流の武装召喚師に育成することができたのだと考えることもできる。
「責任。責任……ねえ」
ミリュウが、グロリアの言葉を半数して、こちらを見つめてきた。
「なんだよ」
「あたしを骨抜きにした責任、取ってもらいたいなあ」
甘ったるい声で腕を絡めてきたミリュウに対し、まっさきに反応したのはファリアだ。いつものように冷めた半眼をミリュウに投げつける。
「なにいってんだか」
「ファリアだって、そう思ってるくせに」
「なにがよ」
ファリアはミリュウに詰め寄ったが、ミリュウは意にも介さなかった。
「ねえ、あたしたちも結婚しようよお。あのふたりに負けないくらい幸せにするからあ」
「なにいってんだよ。セツナ様にそんな暇があると思ってんのか」
「シーラこそなにいってんの。セツナ様だから、結婚しなくちゃいけないんでしょ」
「なんでだよ!」
ミリュウの背後に肉薄したが憤慨すると、ミリュウはセツナの腕を絡めたまま、勝ち誇ったように告げる。
「ガンディア王家の家臣が、結婚もせず、子供も作らずにいられるわけないのは当然でしょ。陛下も早く結婚して欲しがってるに決ってるわ」
「そのとおりだ」
「ほらね――って、陛下!?」
ミリュウの素っ頓狂な声には、セツナも愕然としながらそちらを見遣った。控室の出入り口にレオンガンドが突っ立っており、そのまま室内に踏み込んできた。護衛のひとりも連れていないところが、現在の王宮の安全性を示している。反レオンガンド派の脅威が消え去り、レオンガンドの命を狙う国内勢力は存在しなくなった。近隣の国にも、敵対関係の国は少ない。暗殺者が忍び込む可能性は極めて低い。それでも最低限の護衛はつけてほしいと思うのだが、レオンガンドはオーギュストによって管理される王宮警護を信頼しているようだった。
「どうしてここに?」
「どうしてもなにも、ここは王宮内だぞ。わたしの家のようなものだ」
「それは……そうですけど」
返す言葉もない。
「ルウファとエミルの結婚式、無事に終わって良かったな」
「はい。まさか王宮大広間を会場にするとは想いませんでしたが」
「よく使うのだよ、貴族の結婚式にはな。バルガザール家は、ガンディアでも有数の家系だ。武門の頂点に立つといってもいい。その家の二男とはいえ、《獅子の尾》の副長として名を馳せる彼の結婚式を盛大なものにせずしてどうする」
「はあ」
生返事を浮かべると、レオンガンドはきりっとした目でセツナを見てきた。碧玉のように澄んだ隻眼に、見とれかける。
「無論、君もだ。セツナ」
「俺……ですか」
「そうだ。セツナ」
レオンガンドはうなずくと、想像もつかないことを口にした。
「唐突で悪いが、君には結婚を考えてもらわなければならなくなった」
「はあ……結婚ですか……」
セツナは、レオンガンドの言葉を反芻しながら、自分がなにを聞き、どんな言葉を発したのかを理解して、衝撃を受けた。瞬時に理解できなかったのは、きっと、脳が理解を拒絶したからに違いない。それくらい衝撃的な言葉だった。
「って、はい!?」
「ええーっ!? ついにセツナがあたしと結婚!?」
「んなわけないでしょ」
ファリアが冷静に突っ込むも、控室内にいるだれもが驚きのあまり目が点になっていた。
「セツナが結婚?」
「御主人様が……?」
「結婚?」
「大将がねえ」
様々な反応の声が耳に飛び込んでくるものの、セツナは、レオンガンドから告げられた言葉の衝撃を上手く処理できないでいた。
「エトセアと我がガンディアが同盟を結んだことは、君も知っているだろう」
「はい……」
エトセアの使者であり、国王の代理人たるエリルアルムを王都まで案内したのはほかならぬセツナなのだ。同盟の障害となるイシカを滅ぼしてもいる。
「それが、なにか関係しているのですか?」
「大いにな」
レオンガンドが厳かに頷く。
「エトセアとの同盟に関する条件は、別段、大したものではなかった。互いの国益を尊重しつつ、協力し合おうという程度のものだ。エトセアは、わたしの小国家群統一の方針を支持してくれてもいるし、後押ししてくれると約束してくれもした。しかしな。ただそれだけでは、口約束と変わらないとエトセアはいうのだ」
レオンガンドは、苦い表情を浮かべた。彼の脳裏に浮かぶ出来事がそうさせるのだろう。
「確かにその通りだ。書状だけで交わした約束など、口約束との違いがない。もちろん、違うものだ。だが、ないといっても過言ではない。イシカやジベルの例を見よ。同盟の約束は国益のため、野心のため、反故にされ、敵対することとなった。エトセアは、そういう可能性を危惧している。万が一ガンディアがエトセアを不要とみなし、敵対することを恐れている」
そんなことは万が一にもありえないが、と、レオンガンドは続けた。
「そのような可能性を排除しなければ、エトセアも我々との同盟に安心できないのだ。エトセアは、安心を得たい。それは我々も同じだ。エトセアとの同盟関係を深く、強いものにしたい。エトセアは小国家群統一に必要不可欠な存在なのだからな」
一息にそういってから、彼はゆっくりと呼吸を整えた。そして、セツナに視線を戻してくる。
「そこでエトセア側からの提案を受けることとした」
「それってまさか……」
震える声でいったのは、ミリュウだ。
「セツナ、エリルアルム王女殿下と結婚してもらいたい」
それはつまり政略結婚ということだ。
「結婚式が、行われたそうだな」
エリルアルムがクガ・サヤン=シーダに話しかけたのは、彼女の部屋に彼が訪問してきたからだ。昨日の話の続きだということは、わかっている。
王都ガンディオン王宮区画の屋敷がエリルアルムに充てがわれ、ガンディア滞在中はここを拠点に活動することになっていた。
「はい。セツナ殿率いる《獅子の尾》副長の結婚式だそうで。王宮大広間が会場として使用されたとのこと」
「ガンディアは変わった国だな」
エリルアルムは、改めてその想いを強くした。臣下の結婚式を王宮で行うなど、普通では考えられないことだ。エトセアならまずありえない。王宮や王城は王家のものであり、神聖なものだ。王家と血の繋がりこそあれ、一貴族が結婚式など行える場所ではない。
「ですが、王宮での結婚式は盛況のようでありましたが」
「結婚か。ガンディアがこうもあっさり了承するとは思わなかったな」
彼女は、いってから、果実酒を口に運んだ。酔わずにはいられないという気分が、ここ数日、彼女の中にあった。同盟の使者としてエトセアを出発したときから感じていたことだ。それが突如として現実味を帯び始めたのは、バドラーンでセツナと対面したときからだ。その瞬間から、彼のことを強く意識するようになってしまった。
意識しなければならなくなってしまった、というべきかもしれない。
「ガンディアとしても、エトセアと同盟を結び、その紐帯を強くすることには大賛成なのは当然です。ガンディア――いや、レオンガンド陛下の夢こそ、この小国家群の統一。我がエトセアとの同盟こそ、夢を叶えるための大いなる一歩となるのですから」
「そしてそれは我が父王の夢でもある……か」
「はい」
クガは静かにうなずく。
そんな彼の冷静さがこういうときにこそ助かる。彼女は、冷静ではいられないのだ。色々と、考えなくてはならないことばかりだった。
「夢の実現のために父王は愛娘を差し出し、獅子王は英雄を差し出す。ガンディアとしては、英雄を手元において置けるのだから、損はない。エトセアとしても、利しかないわけだ」
「……はい」
「クガ。やはりおまえのそういうところだ」
「はて」
「歯に衣着せぬ物言いが、気に入っている」
「恐悦至極にございます」
クガは、深々と頭を下げてきた。それも本心なのだろう。彼が心を偽るのは、交渉のときくらいのものであり、それも交渉相手が有利な状況という限定的なものだ。だから、彼がそこから並べ立ててきた言葉も、鋭く耳に突き刺さるのだ。
「これまで閣下におかれましては、結婚相手に恵まれなかった。何分、閣下は王女であり、近隣諸国にはエトセアと対等に外交を行うことのできる国はなく、嫁ぎ先となるような国もなかったのです。その点、ガンディアならば問題がない。そしてセツナ殿ならば、閣下と釣り合いも取れています。セツナ殿の実力、戦績、立場、肩書、どれをとっても、閣下と遜色がありませんし、セツナ殿の評判、実際に目にされての人格、精神性、ともに問題はなかった。そうですな?」
「……ああ」
まるで抜き身の刃のようなクガの有様には、エリルアルムも閉口するしかない。相手が王女であり、将軍であってもなんらおもねることなく言葉を紡ぐことができるのは、エトセア広しといえど彼くらいのものだ。
「若く、外見も決して悪くはありません。閣下の嫁ぎ先として、これ以上ないほどの相手でございましょうな」
「……わかっている。わかっているが、何分、相手のいることだ」
「はい」
「セツナ殿がどう思うかは別問題だろう」
「セツナ殿は、受けるでしょうな」
クガは、断言する。
「評判を聞く限り、ガンディアの英雄殿が主命に反対したことはないということですから」
確かにセツナは反対しないかもしれないし、受け入れるだろう。しかし、彼の周囲はどうだろうか。彼の周囲には、魅力的な女性が数多にいた。彼女たちは、英雄セツナの恋人や愛人と噂される女性たちであり、セツナとのふれあい方を見ている限り、その噂もあながち間違いではないように思えた。セツナはまだ独身だという。恋人たちの中に結婚を約束した相手がいたとしても不思議ではない。そのことが問題になる可能性を、彼女は考えていた。
(いや)
彼女は、胸中、頭を振る。
考えているのは、セツナのことだ。
セツナの内心。セツナの心情。セツナがこの政略結婚を持ちかけられてどう思ったのか、そこのところが知りたかった。




