第千五百八十九話 束の間の幸福(二)
八月七日。
その日、ガンディアでは極めて大きな出来事があった。
大国エトセアとの同盟が締結したのだ。
小国家群北西一帯に勢力を誇るエトセアとの同盟を結ぶということは、レオンガンドの夢である小国家群統一を大きく後押しするものであるだけでなく、ガンディアの勢いを幾重にも強めるものだった。王都中が沸き立つのも当然だろう。
レオンガンドを裏切ったイシカがセツナたちによって征討され、滅びたということも、王都市民には溜飲の下がる想いだっただろうし、そのことは、レオンガンド自身胸のすく想いがしたのは事実だ。イシカには煮え湯を飲まされたが、それでもイシカの国力を考えれば、同盟を維持しておきたかった。だが、イシカはガンディアに対し謝罪する姿勢さえ見せなかった。滅びて当然という声が多いのは、必然というほかない。
そのイシカが当てにしていたエトセアがガンディアの同盟国となったことは、レオンガンドにとってこれほど喜ばしいことはなかった。
エトセアは、北西の大国。
ガンディアとは遠く離れ、互いに援軍を出しづらい位置関係にあるものの、逆をいえば、戦場がかち合う可能性が低いということでもある。
小国家群南部の国レマニフラがガンディアとは無関係に国土を拡大しているのと同じように、エトセアも国土を拡大し続けてくれればいいのだ。エトセアが勢力拡大に力を入れれば入れるほど、レオンガンドの小国家群統一の夢は加速する。
それだけではない。
ガンディアがエトセアと同盟したことを知った近隣の弱小国は、ガンディアに帰順することで国としての存続を望むようになるだろう。
レオンガンドの夢見る統一とは、小国家群をガンディアの領土にするということではない。小国家群そのものをひとつの勢力に見立てることで、三大勢力と並び立ち、拮抗状態を作ることにある。それによって小国家群の国々を未来永劫存続させることこそが、小国家群統一の最大の目標なのだ。
そのためには、外征のみならず、政略によって国々を傘下に加えることも重要であり、エトセアとの同盟は今後の政略成果に大きな影響を及ぼすに違いない。
「エトセアとの同盟、祝着至極に御座いますな。これで陛下の夢も叶いましょう」
「アルガザード。安心するのはまだ早いぞ」
レオンガンドは、大将軍を辞任したことで幾分か若返った気がする相手を見て、目を細めた。
「小国家群は、まだ国が多い。それらひとつひとつを勢力下に収めていくには、気の遠くなるような時間と努力が必要だ。エトセアとの同盟がその後押しになるのは自明の理だが、それでも、まだまだだ」
「わかっておりますとも」
アルガザードは、蓄えた立派な髭を撫でながら朗らかに笑ってみせる。見た目だけでなく、言動までもが若返っている気がするのは、気の所為などではあるまい。
獅子王宮、レオンガンドの私室にふたりはいる。ふたりだけだ。アーリアは、ナージュとレオナの護衛に回ってもらっていた。反レオンガンド勢力が一掃されたいま、レオンガンドの身辺警護は親衛隊で事足りるようになったということだ。
「……ルウファとエミルの結婚は明日、だったな」
「はい。陛下も参加してくださるということで、ルウファもエミルも大変喜んでおります」
「当たり前だろう」
レオンガンドは、アルガザードの白髪を見つめながら、いった。
「ルウファもエミルも《獅子の尾》に所属しているのだぞ。《獅子の尾》は、わたしの親衛隊であり、ガンディア最強の戦闘部隊。その副隊長の結婚式だ。わたしみずから祝福しないでなんとする」
「それは、そうかもしれませんが、参列者の皆が緊張しすぎないかが気になりますな」
「確かに、それはあるか」
苦笑する。確かに、レオンガンドの姿を見て、緊張するものが続出するかもしれない。ルウファとエミルの結婚式には、ガンディアの貴族や軍関係者が数多く参加するという話だ。そんな中にレオンガンドが紛れ込めば、大騒ぎになること間違いないだろう。
「しかし、わたしとしては、ルウファとエミルの門出を祝うついでにセツナにも念を押しておきたいのさ」
「セツナ殿に、ですか?」
「セツナにも覚悟をしてもらわなければならなくなったということだ」
「結婚の覚悟、でございますな」
アルガザードの問に、うなずくことで肯定する。
「ファリア殿ですか? それとも、ミリュウ殿? いや、シーラ殿でしょうか」
「そうやって名を挙げていけばキリがなくなりそうだな」
「セツナ殿は、浮き名を流しております故」
「アルガザードの若い頃も相当なものだと聞いたが」
「まさかまさか、ガンディアの英雄殿とは比べるべくもございませぬ」
アルガザードは謙遜したが、彼が若いころ、ガンディア中の女性に騒がれたのはよく知られた話だった。ラクサス、ルウファにも負けず劣らずの美男子であり、彼は行く先々で黄色い声援を浴びたという。そういう逸話がいまも残っていた。
「英雄、色を好むという。まあ、この場合、セツナが好色というわけでもなんでもないのだがな。別段、そうであっても困ることはないさ。彼はそれだけのことをしてくれている」
長期休暇の真っ只中だというのにレオンガンドの願いを聞き入れ、動いてくれたのだ。ジベルの問題解決に力を尽くし、イシカを滅ぼすのにも一役買ってくれた。セツナの献身的な働きがなければ、ジベルやイシカの対応に頭を悩ませなければならなかっただろうし、エトセアとの同盟もすぐには結べなかっただろう。なにもかも上手く行っているのは、セツナのようになんの不満もいわず、唯々諾々と役割を果たしてくれる人材がいてくれるからにほかならない。
「たとえセツナの人格に問題があったとしても、どうでもよくなるくらいにはな」
もちろん、セツナの人格が悪いといっているわけではない。むしろ善良といっていいくらいだ。仮に悪人であったとしても帳消しにできるほどの活躍をしているというだけのことであり、他意はなかった。そのことはアルガザードも理解しているのだろう。彼は静かにうなずいていた。
「セツナには、明日、正式に伝えることになるが……これも国のためだ」
レオンガンドは、セツナよりも周囲の反応が気にかかった。
ファリアやミリュウといったアルガザードが挙げた女性たちは、セツナに並々ならぬ好意を寄せているのだ。セツナと結婚し、幸せな家庭を築きたいと考えているものも、いるだろう。それはいい。喜ばしいことだ。レオンガンドとしても、セツナには早く結婚し、家庭を持ってほしいと願っているくらいだ。
しかし、そんな彼女たちだからこそ、明日、セツナに伝えることの反応が少しばかり怖かった。
いずれにしても、エトセアとの同盟に関することでもあり、伝えなくてはならないのだが。
(反発は……あるだろうな)
彼は、ファリアはともかくミリュウやシーラが非難してくるに違いないことを覚悟した。
八月八日になった。
その日、ルウファ・ゼノン=バルガザールとエミル=リジルの結婚式が行われ、セツナたちは礼服に身を包み、会場である王宮大広間でふたりの門出を祝った。
王宮大広間が結婚式の会場として使われることは、必ずしもめずらしいことではないらしい。ガンディア貴族の中で有力な家柄の結婚式ともなると、王家の人間が参加することが多く、必然的に王宮大広間を会場として使用されることも多いのだという。特に今回は、国王と王妃が参加するということもあり、結婚式会場が王宮大広間になるのは当然の結果といえた。
国王夫妻を群臣街の式場に呼ぶのは考えられない。
王宮大広間の会場にセツナとともに参加したのは、ファリア、ミリュウ、アスラ、グロリア、マリア、ゲイン=リジュールの《獅子の尾》関係者に、セツナの従者レム、シーラ率いる黒獣隊幹部、エスク率いるシドニア戦技隊幹部、サラン率いる星弓戦団幹部に加え、エリナも一緒にいた。龍府住まいのエリナを王都まで連れてきたのは、親から彼女の身柄を預かっているからにほかならない。
セツナは白を基調とした礼服に身を包んだのだが、これが似合わないとファリアたちには不評だった。
「セツナはやっぱり黒じゃないとねー」
派手さを抑えた深紅の衣装に身を包んだミリュウの意見には、反論することもできなかった。ミリュウだけの意見ではないのだ。ファリア、シーラ、レムに加え、エリナまでもがセツナには黒が似合うといってくる始末。これにはセツナも苦笑するしかなかった。
ファリアは暗めの青を基調とする、これまたしっとりとした衣装であり、よく似合っていた。シーラは、黒獣隊の隊服で参加しようとしていたらしいが、ウェリス=クイードらの頑張りによって白い衣装を着込んでいる。黒獣隊幹部たちは、セツナとお揃いであると囃し立て、シーラは顔を真っ赤にしたものだ。
アスラは、ミリュウに合わせてか暗紅色の衣装、グロリアは落ち着いた緑、マリアはミリュウが選んだ衣装にそれぞれ身を包んでいる。
レムも、今日ばかりはメイド服ではなく、セツナに合わせるかのように白い装束を纏っていた。これが、似合っていない。
「おまえもひとのこといえねえだろうが」
セツナがいうと、彼女はにこりと笑った。
「似た者同士でございます故」
エリナの衣装も、ミリュウが見立てている。小柄な彼女の可憐さを引き立たせる衣装は、ミリュウをして会心の出来栄えをいわしめるものであり、会場のエリナは、一躍人気者となった。エリナを間近で見るために人集りができるほどであり、彼女は困り果て、セツナに助けを求めてくるほどだった。さすがにエリナがセツナの関係者だとわかると、騒ぎ立てるものはいなくなったが。
サランやイルダ、エスクたちもそれぞれに結婚式の空気を壊さない服装をしている。
「俺たちなんかが参加してもいいんですかねえ」
とは、エスクの談。
「大将の結婚式ならいざしらず、ルウファ殿の結婚式ですぜ」
「いいから、呼ばれたんだろ」
「そりゃあそうですが、なんでまた」
「ルウファが気のいいやつだからさ」
「お人好しってことですかい」
「そこまでいってねえよ」
「しかし、お人好し具合なら、大将も負けてませんがな」
「うるせえ」
「うへへ」
既に酔っ払っているようなエスクには付き合いきれなかったが、彼との会話が緊張をいい感じにほぐしてくれたことには感謝しかなかった。
セツナは、ルウファの直属の上司として、挨拶しなければならないことになっており、今朝から途方もない緊張に襲われていたのだ。
会場には、セツナたち以外にも何百人もの参加者が集まり、それぞれに卓を囲み、結婚式が始まるのをいまかいまかと待ち構えていた。それらの多くはガンディアの貴族であり、あるいは軍人であった。レオンガンドとナージュが特等席にいれば、アルガザードとラクサス、ロナンが家族席にいる。エミルの家族もいるはずだ。大将軍アスタル・バロル=ラナディースもいれば、カイン=ヴィーヴルまで参加している。
太后グレイシアも参加したがっていたことを思い出す。
グレイシアはルウファのことを子供の頃から知っていたといい、彼の結婚式には是非参加したいといっていたのだ。しかし、グレイシアは、セツナたちの王都行きには同行しなかった。セイドロックにはついてきたというのにだ。
グレイシアの中には消化しきれない想いがあるということだろう。
セツナが、ルウファとエミルが龍府に来たときに改めて祝宴を開く事をグレイシアに約束すると、彼女は心から喜んでくれたようであり、ほっと胸を撫で下ろしたものだ。レオンガンドからグレイシアのことを頼まれた以上、無下にはできない。
そうこうするうちに会場に新郎新婦が姿を見せた。
堂々とした様子のルウファと緊張感と幸福感のないまぜになった表情を見せるエミルの様子は、結婚式の参加者たちに様々な感想をもたらした。




