第千五百七十五話 大監獄(四)
十数本の矢がほぼ同時に放たれたときには、セツナの体は巨人の頭を離れていた。黒き矛によって拡張された身体能力が常人離れした跳躍力を生み、彼の体を一瞬にして城壁上へと届かせる。数多の矢は空を切り、そのまま地上に落下していくだろう。見届けるつもりもない。
「ひぃっ」
悲鳴を上げることができただけ上出来といえるほどの速度で、セツナは着地とともに矛を振り回していた。胴を薙ぎ、腕を切り飛ばし、首を刎ねる。血飛沫の中、風景を浮かばせることはない。無意味な空間転移ほどの徒労はないのだ。
着地点周囲の弓兵をある程度片付けると、城壁になにかが衝突した。轟音とともに城壁が激しく揺れる。振り向くと、岩石巨人の大きな手が城壁上に乗り上げるようになっていた。そこからファリア、ミリュウ、アスラが飛び降り、レムが続く。手のひらにはウェリスだけが残された。彼女の顔には疲労が見える。十メートル級の岩石巨人となると、ただ移動するだけでも相当消耗するのだろう。武装召喚師でもない彼女には、つらすぎるかもしれない。
「ウェリス、ご苦労だったな! 下がっていいぞ!」
「セツナ様、ご武運を!」
「任せな!」
巨人の手のひらの上で懸命に声を上げるウェリスに矛を掲げて応えると、背後から飛来する音に反応して矛を振るった。矢を真っ二つに切り落とし、踏み込み、飛ぶ。弓兵のひとりの胸を貫き、隣に立っていた弓兵の首を落とす。城壁上の弓兵は、まだまだ多い。しかし、セツナたちとは距離を取るように移動していた。移動しながら、こちらに向かって矢を放っている。
「目的はみっつ。ひとつは門の開放。これはレムに任せる」
「おまかせくださいませ、御主人様」
恭しく一礼したレムは、すかさず五体の“死神”を出現させた。弐号から陸号までの“死神”を従えた彼女は、城壁上から大監獄内部に向かって飛び降りていった。常人ならば骨折どころでは済まない高さだが、死神たる彼女には関係ないのだろうし、“死神”がなんとかしてくれるに違いない。見届けるまでもなく、ファリアたちに視線を戻す。
「ふたつめは、敵武装召喚師の撃破、あるいは確保。これは見つけ次第、だれがやってもいい。確保を優先する必要はない。抗うなら殺せ」
「はぁい」
ミリュウが手を挙げてにこりとする。右手には、真紅の太刀が握られていた。ラヴァーソウル。擬似魔法を使わずとも十分強力な召喚武装だ。隣に佇むアスラも召喚武装を呼び出している。彼女が三鬼子と呼ぶ召喚武装は、陽巫女、月鏡、黄泉刀という三つの形態を持ち、自由に変化させることができるという。現在、勾玉のような状態を陽巫女というそうだ。
「そして三つ目は、敵指揮官の撃破だ」
「敵兵は?」
「指揮官さえ倒せば降伏するか、逃げ出すだろ。が、味方への被害を考えれば、目障りな敵は殺すに限る」
「了解」
ファリアが小さく頷く。彼女が召喚しているのは、オーロラストームだ。夕日を浴びて、翼を構成する無数の結晶体が美しく輝いていた。
「さあ、始めるか」
とはいったものの、戦いはとっくに始まっていた。
眼下から悲鳴が上がってきており、レムが雑兵を薙ぎ倒しながら開門するために動いているということが伝わってきている。
ウェリスの岩石巨人で大監獄内に送り込むことができる人数は限られており、残りの大多数は、大監獄の門が開くまで出番がなかった。逆をいえば、門さえ開くことができれば、セツナ軍の地上部隊、メレド軍の活躍の場が生まれるということだ。
それにはレムの奮戦に期待するしかなく、その点ではなんら心配する必要はなかった。
彼女が敗れる道理がない。
セツナは、ファリアたちと頷き合うと、すぐさま城壁から降りる方法を探した。
大監獄は、いくつもの塔が乱立しており、それらの塔は無数の橋によって結ばれているという外観をしていることは触れた。
塔こそが監獄であり、中心に聳える巨大な塔、通称・浄罪の塔が政治犯を獄死させるためのものであり、それ以外の塔には政治犯以外の犯罪者が収監されているという話だった。
塔の乱立する区域には簡単に立ち入れないようになっているのだが、それは、塔以外が普通の都市としての機能を備えているからだ。人家が立ち並び、商店があり、役所があり、公共施設も見受けられる。大監獄とは名ばかりの景観にセツナは呆気にとられた。
「元々は普通の都市だったっていう話だし、人家があってもおかしくはないけれど」
「それにしたって、普通の都市過ぎるわよね」
「そんな都市をまるまる監獄に変えるだなんて、イシカの考えることはまったく理解できませんね」
人気のない市街地を駆け抜けながらファリアたちがそれぞれに感想を漏らす。周囲に敵兵がほとんど見当たらないのは、敵戦力が南門に集中しているからだ。岩石巨人を使って乗り込んできたのを数人と見るや、南門から雪崩込んでくるであろう数千の大軍に対応するほうが重要だと判断したのだろう。それが大きな間違いであることなどつゆ知らず。
「エトセアの軍事力を頼りにガンディアに喧嘩を売る神経もな」
「まったく、馬鹿よねえ」
「たとえエトセアが後ろ盾についていても、エトセアの援護が間に合わなければガンディアに攻め滅ぼされるだけなのに、なにを考えてのことなのかしらね」
ファリアも呆れ果ててものも言えないといった様子だ。
「一万程度じゃ、セツナ様の軍勢を抑えることもできないのにね」
「様ってなんだよ」
「あたし、セツナ様の家臣になったんですものー」
「そうですよ、セツナ様」
「うふふ、おふたりとも楽しそう」
「楽しんでる場合かよ。敵武装召喚師を発見して制圧、指揮官もついでに斃すぞ」
「はーい」
「わかってるわよ」
ふたりの返事がいつも通りに戻ったことで、セツナはようやく安心することができた。黒き矛の超感覚によって敵軍の動きは把握できている。ほとんどが南門に向かって流れていく中、南門が開放されたことが兵士たちの悲鳴じみた叫び声で判明する。
「レムがやってくれたな」
「さすがセツナ様の下僕壱号よね」
「じゃあわたしは下僕四号なのかしら」
「あたし五号?」
「まあ、わたしは六号ですか?」
「家臣と従僕は別物だろーが」
「そう?」
「だったら家臣二号?」
「そういうのいいから!」
入り組んだ迷宮のような大監獄内のどこに敵指揮官がいるのか、そして武装召喚師はどこにひそんでいるのか、それを探るのがもっとも重要だった。敵兵の動きは、ほぼ完全に近く把握できている。靴音、呼吸、声、気配、大気の流れ――そういった微妙な変化をセツナの全感覚が感知し、脳内で統合され、脳裏に投影される。前方に敵影を発見したときには、ファリアがオーロラストームを掲げている。轟音とともに放たれた雷撃が蛇行し、敵兵を三人、同時に打ちのめした。ファリアたちの脳裏にもセツナと同じような光景が描かれているのだ。
空間把握は武装召喚師の基本能力といってもいい。召喚武装を手にすることによる副作用とでもいうべき超感覚――五感の強化が、周囲の空間を正確に把握させるのだ。その把握できる範囲は、召喚武装の能力次第であり、黒き矛とオーロラストームでは大きな違いがあるだろう。セツナは現状、大監獄全体の隅々まで把握できているが、ファリアたちはそうではあるまい。さすがに射程範囲内に入ってきた敵兵ぐらい把握し、撃ち落とすことも容易いようだが。
ファリアだけではない。ミリュウもラヴァーソウルで家屋の屋上から顔を覗かせた兵士を薙ぎ払い、アスラも陽巫女を投擲して敵兵を吹き飛ばした。
そうするうちに大監獄内にセツナ軍およびメレド軍が雪崩込んできて、南門周辺が嵐のような戦場と化した。黒獣隊、シドニア戦技隊、星弓戦団、そしてメレドの白百合戦団の圧倒的な兵力は、イシカ軍兵士たちを戦慄させたようだ。戦闘の詳細まではわからないが、敵兵たちが恐れ戦く声だけはセツナの耳に届いていた。
すると、セツナの脳裏に閃くものがあり、咄嗟に矛を振り上げた。黒い剣閃が視界を断ち切り、なにかが眼前で爆ぜる。瞬間的に飛び退き、爆風をもかわす。ファリア、ミリュウ、アスラの三人も三方に飛び退いていた。熱気が頬を撫でる中、矛を構え直し、頭上を仰ぐ。前方上空にそれは浮かんでいた。巨大な弓を地上にいるセツナに向け、矢を番えていたのだ。
「探すまでもなかったわね」
「ああ」
それは、確認するまでもなく武装召喚師だった。
巨大な弓は、ファリアのオーロラストームに似ていなくもない。弓が翼となっており、美しい白い羽が灰色の空の下、輝いているようだった。その武装召喚師が地上十数メートルほどの上空に浮いているのは、翼の弓の能力だろう。
そして、先程の爆撃も、弓の能力。弓を番えているのは、男だ。若くはない。三十代から四十代前後。軽装の鎧を身に纏っているのは、武装召喚師の戦いに防具などほとんど意味を成さないからだ。セツナたちの新式改ですら、それほど役には立たない。それくらい召喚武装の威力というのは凄まじいのだ。
男は、鋭い目でこちらをにらみ据えていた。
「貴公のその矛……黒き矛か。黒き矛のセツナなのか?」
「だとしたら、なんだ?」
「相手にとって不足なし」
矢を、放つ。
「我が名はメイズ=リード。ヒエルナ大監獄の守護者なり――!」
男の宣言は、残念ながら断末魔となった。
セツナが彼の矢を避けた瞬間、遥か彼方より飛来したなにかがメイズ=リードの側頭部に突き刺さったかと思うと、跡形もなく吹き飛ばしたからだ。




