第千五百七十三話 大監獄(二)
「サラン団長……それにセツナ様!?」
イルダ=オリオンが素っ頓狂な声を上げたのは、セツナ軍がメレド軍に合流した直後のことだった。
セツナ軍の接近によって、メレド軍によるヒエルナ大監獄への攻撃が中止され、メレド軍はヒエルナ大監獄南部に後退した。そこでセツナ軍とメレド軍の合流が果たされ、メレド軍の一員として戦場に臨もうとしていたらしいイルダたち星弓戦団の団員たちとの再会を果たすことができたのだ。
サランは、驚いたまま硬直しているイルダに向かって叱責を飛ばした。
「まったく、なんという身勝手で愚かなことをしたのだ。セツナ様にどれだけ迷惑がかかるのか、考えたのか。そもそも、ガンディアとイシカの関係が悪化することだってありうるというのに」
「申し訳ございません。ですが、処断は覚悟の上のこと。家族を助けたあとならば、どのような罰も喜んで受け入れましょう。しかし、家族を見捨て、自分たちだけのうのうと生きていくことなど、わたしたちには考えられないこと。わたくしどもを受け入れてくださったセツナ様やガンディアの皆様には真申し訳ないことですが、こればかりは、ご容赦くださいませ」
イルダは、毅然とした態度で、セツナとサランに臨んだ。その凛としたまなざし、揺るぎようのない決意は、セツナの胸を打つほどに強く、眩しい。彼女の気持ちは、痛いほどわかるのだ。
そもそも、暗殺任務を請け負ったサランとは異なり、イルダたちはただ巻き込まれ、ガンディアに所属せざるを得なかったに過ぎない。サランがガンディアに投降したがために彼女たちもガンディアに身柄を預けることになったのであり、彼女たちの意思はそこには介在していなかった。イルダたち星弓兵団の団員の中には、当然、イシカに戻りたいと考えるものも少なくはなかっただろうし、いまでもそう想っているものがいたとしてもなんら不思議ではなかった。イシカこそ生まれ育った国なのだ。家族もいる。生きるためには仕方がなかったとはいえ、そう簡単に納得できることではないだろう。ガンディア解放軍の一員として従軍し、戦後はセツナの臣下となったものの、だからといってイシカの家族のことを忘れることなどできるわけもない。その家族が自分たちのせいで投獄されたとあらば、いてもたってもいられなくなるのが普通だ。
サランは厳しい言葉でイルダを叱責したものの、ここに至るまでの道中、彼女らの判断に極めて同情的な態度を見せていた。サランとしても、彼女たちやその家族を巻き込みたくなどなかったのだ。しかし、サランひとりがマルディア救援軍に参加するわけにもいかなかったし、そのようなことが許されるわけもなかったという。
イシカは、サランの薫陶を受けた星弓兵団を捨て駒にすることで、サランとその息の掛かったものたちを国内から一掃する算段だったのだ、とサランはいっていた。サランがいう政治的敗北が引き金となったらしい一連の出来事には、セツナも腹に据えかねる想いがした。イシカのやり方が気に食わないのだ。
そのうえで、セツナは覚悟を決めたイルダの顔を見つめ、彼女の肩に手を置いた。びくりと震えるのを認めて、告げる。
「……先遣隊の任、ご苦労だった。今後は本隊と合流し、任務にあたってくれればいい」
「え?」
「サラン、説明してやってくれ」
「は」
呆然とするイルダのことをサランに一任し、セツナはその場を離れた。セツナは、イルダたちに責任を取らせるつもりも、処罰を下すつもりもなかった。いまやその必要はなくなっている。ガンディアは、イシカに対し、毅然とした態度で望むつもりなのだ。
イシカが挑発してきた以上、落とし前をつけてもらわなくてはならない。
イシカ領へと侵攻してきたメレド軍は、黒薔薇戦団を主力とする四千五百名の大軍勢であり、中には知った顔もちらほら混じっていた。クルセルク戦争で戦場をともにし、死線をくぐり抜けた戦友――というのは言い過ぎにしても、顔見知りではある。
つまるところ、サリウス・レイ=メレドの寵愛を受けた美少年たちであり、それら美々しく着飾った少年たちの周囲は匂い立つようだった。黒獣隊の女性隊士たちは、そんな美少年たちに釘付けであり、黄色い声を発したりしていたが、レミルも美少年には目がないようであり、そんなレミルの様子にエスクが愕然としていたのがセツナには面白かった。
なぜサリウス王の寵愛を受けた少年たちがいるのかというと、簡単な理屈だ。サリウス・レイ=メレドそのひとがメレド軍の指揮を取っているからだ。
「サリウス陛下みずからご出馬とは、想定外も想定外の事態ですね」
紫金の甲冑を身に纏う長身痩躯の美丈夫は、見るからに王者の風格が漂い、セツナは、いいようのない緊張感に襲われた。セツナは、セツナ軍の代表として、サリウスと会見を行うことになったのだ。無論、セツナひとりではない。エインが側についてくれていたし、従者のレムもすぐ後ろに控えていた。
対して、サリウスの周囲には彼が特に寵愛しているふたりの美少年、シュレル=コーダーとヴィゼン=ノールンが控えている。シュレルは中性的な容貌が特徴的な少年で、ヴィゼンは女装の似合う女性的な顔立ちの少年だ。
「ガンディアの軍師アレグリア=シーン殿よりの要請とあらば、メレドの代表たるわたしが出る以外にはありえますまい」
「そういうものなのですか」
「ガンディアは、我がメレドの同盟国。されど、我がメレドはガンディアと同列などと想ったこともない。ガンディアは盟主であり、我らはガンディアという大樹に寄り添っているに過ぎません。ガンディアという強大な後ろ盾があるから、近隣諸国の強烈な突き上げにも平然としていられる。それを――」
彼は、大監獄を見遣った。遠方にみゆるヒエルナ大監獄は、メレド軍の襲来という事態に慌ただしく反応し、いまや厳戒態勢が敷かれているようだ。後方に援軍を要請した可能性も低くない。しかし、たとえ援軍を要請したとしても、その援軍がヒエルナ大監獄に辿り着くのは、早くとも三日後のことであり、恐れる必要はないとのことだった。
「それを忘れ、見失ったのがジベルであり、イシカなのでしょう。ジゼルコート伯の謀反およびそれに伴う数々の反乱、レオンガンド陛下のお心を想えば、我らが勇奮せねばなりますまい」
「陛下……」
セツナは、サリウスがガンディアの味方でいてくれたことを心から感謝した。メレドまでもがガンディアの敵となり、ジゼルコートに与していたら、もっと悲惨な結果になっていたかもしれない。少なくとも、ザルワーン方面、ログナー方面は全滅していただろうし、ガンディア解放軍が王都に到着するまでに力尽きていたとしても不思議ではなかった。
メレドがイシカを牽制していてくれたから、イシカはアバードにちょっかいを出す程度のことしかできなかったのだ。
「しかし、それにしても……セツナ伯」
サリウスの視線が熱を帯びたのは、気のせいではあるまい。
「たくましくなられましたな」
「そう……ですか?」
「ええ。クルセルク戦争のときに比べると、ずっと良い顔になられた。素晴らしい。素敵だ」
「は……はは……お褒めに預かり、光栄です。陛下」
セツナは、サリウスの視線の熱量にたじろぎ、身をよじらせた。彼はサリウスが苦手だった。サリウスの趣味嗜好そのものは、構わない。ただ、その想いをぶつけられるのが困るのだ。サリウスは、好意を隠そうとしない。言動に現れている。
「陛下、セツナ様とのお話の途中ですが、話を進めてもよろしいでしょうか?」
「これは軍師エイン=ラジャール殿。どうぞ」
サリウスがにこやかにいったのは、エインが童顔の美少年だからなのか、どうか。シュレル=コーダーはともかく、ヴィゼン=ノールンが不機嫌そうにエインを睨んでいるのが気になって仕方がなかった。
「まず、サリウス陛下におかれましては、我がセツナ軍先遣隊と合流、保護してくださったこと、心より感謝申し上げます」
「先遣隊……ああ、そういうことでしたか」
「ええ。彼らは、セツナ軍の先遣隊にございます。サリウス陛下が保護してくださらなければ、彼らは無謀果敢にも大監獄に攻め込み、討ち死にしていたことでしょう。それがセツナ様への忠誠の証と想っているが故」
「星弓兵団ほどの技量の弓使いを大量に失うなど、もったいないにも程のあることだ。保護しておいてよかった」
「まことに」
セツナは、エインの口上を聞きながら、よくもまあこうもすらすらと嘘を並べ立てられるものだと感心した。イルダたちは先遣隊でもなんでもなく勝手に飛び出していったのであり、そのことはサリウスも承知しているはずだ。サリウスが指揮下に組み込んだということは、イルダたちから事情を聞いたということに違いなく、その上でイルダたちを戦力として利用するため保護したのだ。だが、サリウスはそのことについてそれ以上の言及はしてこなかった。盟主国ガンディアの言い分こそ尊重するというサリウスの態度は、セツナの中のメレドへの信頼を深めた。
その一事で、イシカやジベルとは違うということが窺い知れる。無論、メレドにはメレドの目的があり、その目的、願望を達するためにはガンディアに与するのが一番の近道だと考えているからこそ、ガンディアとの同盟を結び、レオンガンドに付き従っているのだが、それは他の国も同じだった。ただ、ジベル、イシカは、ジゼルコートの誘惑に屈したという点が違う。そもそも、ジゼルコートはサリウス王以下、メレド人を味方につけることは不可能だと判断し、調略を行わなかったのだろうが、それ自体がメレドのガンディアへの忠誠といってもいいのだ。マルディア、ジベル、イシカ、アザーク、ラクシャといった国々を動かすほどのジゼルコートの手腕を持ってしても、メレドの意志を動かすことはできなかった。その時点でガンディアのメレドへの信頼は揺るぎないものとなり、ガンディア政府は、先程の戦いにおけるメレドの働きに感謝し、報いることを誓った。
「先遣隊を含め、我々セツナ軍がイシカに進軍してこられた理由はご存知のことと想われますが、ガンディアは、もはやイシカを捨て置けぬと判断いたしました」
「アレグリア殿からもそう伺っております。おそらくセツナ軍とともに来られるであろうエイン殿と合流し、事にあたるように、とも」
セツナは、サリウスの言葉などから、アレグリアが王都にいながらも軍師として並々ならぬ働きをしていることを理解して、感心した。さすがはナーレスの後継者たちだと想わざるをえない。ナーレスが選び抜き、育て上げた人材だからこそ、としかいいようがなかった。
「では、サリウス陛下」
「ええ。我々メレド軍はただいまよりセツナ軍の指揮下に入りましょう」
「ご協力、感謝いたします」
「なに、イシカ打倒はメレドの悲願でもありますからな。そのためにガンディアの戦力を利用させていただくと考えれば、まったくもって悪いことではない。むしろ、利点しかありませんよ」
「そういっていただけると、こちらとしてもありがたい」
エインが微笑みを浮かべると、サリウスもまた、微笑を湛えた。
「それから、サリウス陛下」
「なんでしょう」
「イシカは、切り取り次第、とさせて頂くつもりです」
「切り取り次第……?」
「イシカの扱いに関しては、レオンガンド陛下はわたくしに一任されております。メレド軍が制した都市、土地は、そのまま、メレドのものにしていただいても構わない、ということです」
「なんと……」
サリウスは大仰なほどに驚くと、エインの手を取り、強く握りしめた。
「ありがたい! これで我々は悲願に一歩近づける……!」
サリウスの目が潤んでいた。
ヴァシュタリア教徒にとって、北に近づくというのがどれほどの出来事なのか、その一事でなにかわかるような気がした。




