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武装召喚師――黒き矛の異世界無双――(改題)  作者: 雷星
第二部 夢追う者共

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第千五百七十一話 残火延焼(二)

 事の起こりは、六月二十八日、龍府にあるサリスの家に知人が尋ねてきたことだ。

 その日、サリスは、休みの日ということもあり、ミレーユがエリナとニーウェを連れて出かけ、だれもいない家の中でのんびりとしていた。

 龍府での生活にもようやく慣れ始めた頃合いであり、やっと、ゆっくりとするということを覚えたという感覚さえあった。

 彼が龍府への転勤を命じられたのは、今年の二月下旬のことだ。突然のことであり、彼は愕然とした。このまま王都でずっと働いていられるものだと想っていたし、そもそも、都市警備隊員が転勤が命じられることなど前例のないことだった。彼は不服を申し立てたが、聞き入れられなかった。

 王都新市街での新たな生活にやり甲斐を見出していたサリスは、龍府への転勤という謎の人事に意気消沈し、なにもかもやる気を失ったものの、ミレーユとエリナの健気なまでの応援によってすぐさま立ち直った。

 ミレーユは、サリスと一緒ならばどこでだって生きていけるといい、エリナは、龍府はセツナのお膝元なのだから、むしろ喜ぶべきだ、などといって笑った。ふたりの笑顔があれば、サリスはほかになにもいらないと思えたし、そんなふたりの生活を護るためならば、龍府への転勤だろうとやり遂げようと考え直したのだ。

 龍府への転勤にふたりがついてきてくれたということも、大きい。

 ふたりを幸せにすることが彼の生きる目的だからだ。

 ミレーユを支え、エリナを見守る。それ以上の幸福はなく、それだけで十分過ぎるほどに幸せだと彼は考えていた。

 とはいえ、龍府に住むようになった当初は右も左もわからず、混乱することも多かった。古都龍府の入り組んだ町並みは、整然とした王都新市街に比べると迷宮そのものといっていい。エリナは新たな生活にすぐさま順応し、ミレーユも問題なさそうだったが、サリスが問題だった。

 もっとも、仕事に従事するうちに龍府の迷宮の如き町並みにも慣れ、やがて意識せずとも目的にたどり着けるようになり、彼は龍府も悪くないと思えるようになっていた。

 だからこそ、休日の昼下がり、だれもいない広間でくつろいでもいられるのだ。いままでは、そんな余裕さえ持つこともできなかった。

 それは、ガンディア国内がジゼルコートの謀反という未曾有の事態に陥り、ザルワーン方面がジベル軍の侵攻に遭っていたということも、影響している。

 反乱が失敗に終わり、ガンディアがレオンガンドの手に取り戻されると、龍府は落ち着きを取り戻し、彼もまた、いつもの都市警備隊業務に戻ることができた。都市警備隊の人事も刷新されており、彼は再び小隊長に任命されている。

 予鈴が鳴り、うとうとしていた彼が叩き起こされたのは、午後二時を少し回ったころだった。

 サリスは、近所の住民かあるいは都市警備隊のだれかかと思い、すぐさま玄関に向かった。そして扉を開き、玄関前に立ち尽くす男の顔を見て少しばかり驚く。

「あなたはたしか……」

「突然の訪問、失礼するよ。どうしても君に伝えたいことがあってね、いまさっきついたばかりなんだ」

 特徴的な丸眼鏡をかけた初老の男。名をハルド=ミーシュといった。カランの街に住む考古学者で、ガンディア随一の学者として知られる人物でもあった。カラン大火後、クレブールに逃れていたそうだが、カランが復興してからは街に戻り、私塾を経営して生計を立てていたということまではサリスも知っている。

「中に入っても、いいかね?」

「え、ええ……いまはふたりとも出かけておりますが」

「ああ、そういえば、君が面倒を見てくれていたんだったな」

 彼は、目を細め、思い出すようにいった。旅装の考古学者は、カランの街に住んでいたころ、カローヌ一家とは親しい間柄であり、エリナにとっては祖父のような人物だったらしい。彼も、エリナのことを孫のように溺愛しており、学者仲間であるエリナの父に養子にくれないかと冗談をいうほどだったという。

「ふたりは、元気かね」

「はい。ふたりとも健康そのものですよ。特にエリナはわたしでも手がつけられないほどに活発で、困らせられることばかりで」

「子供は元気なくらいがちょうどいい。あの子は大火で大好きな父を亡くしたのだ。元気になってくれて、良かった……」

「本当に……」

「ゲイルもきっと、天国で喜んでいるだろうよ」

 彼は、遠くを見るような目をしていた。そのまなざしは優しくもあり、悲しみを帯びているようでもある。ゲイルとは、ミレーユの夫であり、エリナの父親だったゲイル=カローヌのことだ。言語学者だったゲイル=カローヌは、カランの町一の学者先生として知られ、彼に勉学を学ぶ住民も少なくなかった。《大陸召喚師協会》のファリアがゲイルと懇意になり、エリナと知り合うのも自然の成り行きといってよかったし、サリスがカローヌ一家と懇意になるのも必然だった。

 それだけにゲイルの死は、カランのひとびとに惜しまれた。

 エリナが絶望するのも無理はなかったし、ミレーユが一時期、自害を考えていたというのもわからない話ではない。ミレーユにとってはゲイルがこの世の支えだったのだ。それでも自害を思いとどまったのは、エリナがいたからであり、エリナを産んでいなければ、彼女は躊躇いもなく命を断っただろう。それくらい、カローヌ夫婦は互いに愛し合っていた。そんな彼女だからこそ、サリスは支えなければならないと想ったのだ。


「わたしに伝えたいこととは、いったいなんなのです?」

 彼が質問を投げかけたのは、ハルド=ミーシュを広間に通し、お茶を淹れたあとのことだ。ハルドは旅装を解かず、広間の椅子に縮こまるようにして座っていた。まるでなにかを恐れているかのような素振りに、サリスは疑問を抱かずにはいられない。

「ああ。重要なことなんだ、とても」

「重要なこと?」

「決してだれにも漏らさないと、約束できるかね。特にエリナやミレーユには話すべきじゃないな。そういう意味では、君ひとりで良かったよ」

「もちろん、約束しますが……」

 予想だにしないハルドの言葉に、サリスの胸の内がざわついた。嫌な予感がする。この世の終りが来るのではないかというような、そんな不確かな予感。口外してはならないようなことをなぜ、どうして、サリスに教えようというのか。しかも、彼はカランに住んでいるはずであり、龍府までくるのは簡単なことではなかった。わざわざ龍府住まいのサリスに伝えなければならないような、秘密にするべき話とはなんなのか。サリスが不安を抱くのも無理のない話だった。

 ハルドは、湯気が立ち上る杯を両手で抱えるようにしたまま、こちらを見た。理知的な瞳が鈍く光っている。

「カイン=ヴィーヴルを知っているだろうか。王宮特務の、仮面の武装召喚師だ」

「え、ええ。知っていますよ。当然。あまり親しい間柄とはいえませんが、会えば話す程度の知人ではあります」

 相手がどう想っているかはともかく、サリスとしてはそのような認識をしていた。最初に会ったのは、復興中のカランだった。つぎに龍府で会い、少しばかり話をした。カイン=ヴィーヴルは掴みどころのない人物ではあるが、王宮特務に所属するだけあって頼りがいのある人物だと想っている。実績もある。ガンディアで彼ほどの戦績を持つものは、数えるほどしかいまい。

 それだけに、ハルドがなぜ、彼のことを言い出したのか、気になった。

「彼の素顔、見たことはあるかね」

「いえ……」

 頭を振る。

 カイン=ヴィーヴルは、龍や怪物を模した仮面を被っている。顔面を火傷しているからだの醜悪だから隠す必要があるなど、様々な噂や憶測が流れているが、本当のところはよくわかっていない。

「わたしはね、見たんだよ」

 ハルドが、お茶に口を付け、すするように飲むのをサリスはじっと見ていた。カインの素顔。それが口外するべきではない情報だというのか。そこにどのような秘密があるのか、想像もつかない。

「知っているかな。使者の森の地下深くに遺跡が発見され、その調査団が発足したという話」

「噂程度には」

「第一次調査団には龍府を収められるセツナ伯が参加したことは有名だが、第二次調査団にはわたしも参加していてね、そこにはカイン=ヴィーヴルもいたんだよ。護衛としてね。そこで、わたしは見たのだ。見てしまったのだ」

「カイン様の素顔を……ですか?」

「ああ……」

 彼は、深く大きく息を吐いた。なにやら絶望的な呼吸だった。彼は顔を上げ、ゆっくりと口を開く。

「カイン=ヴィーヴルは、ランカイン=ビューネルだ」

「は……?」

 サリスは、ハルドが発した言葉が耳から脳へと伝達されたとき、拒絶反応が起きたのを認めた。信じがたい話だったし、受け入れがたい話でもあった。カイン=ヴィーヴルがランカイン=ビューネルだ、などと告げられて、はいそうですかと納得できるわけもない。だが、彼が嘘をいっているとも、思えない。サリスを騙すために、わざわざカランから龍府まで来るわけもない。ハルドは、そんなことに情熱を燃やすような人物ではなかった。

 至極真面目な考古学者に過ぎない。

 だからこそ、サリスは、呆然とする。混乱する頭の中を整理することもままならないまま、ハルドが絶望的なため息を付いた理由を悟る。それは確かに絶望的なことだ。

「なにを……仰っているのです?」

「驚くのも無理はない。わたしとて、我が目を疑ったものだ。信じられなかった。見間違いだと想った。だがたしかに、素顔のカイン=ヴィーヴルは、カランを焼いたあの男そのものだったのだ。ランス=ビレインと名乗り、セツナ様に倒され、ランカイン=ビューネルとして刑殺されたはずの男だったのだよ」

「……そんなこと……そんな……」

 サリスは、奈落の底に突き落とされる気分だった。平穏な日常の中に降ってわいたように暗雲が顔をもたげてきたのだ。これを絶望と呼ばずしてなんと呼ぶのか。紅蓮と燃える町並みが網膜に浮かぶ。逃げ惑うひとびと。泣き叫ぶ子供たち。炎に巻かれて命を落とすもの。響き渡る哄笑。ようやく忘れかけていた光景が脳裏に復活して、彼は嗚咽を漏らした。

 カラン大火は、あのとき、あの場にいた多くのひとびとの心に深い傷を残した。彼だけではない。いまや彼の大切な家族であるミレーユとエリナも、カランの大火によって大切なひとを失い、心を閉ざしかねないほどの傷を負っている。

「信じられまい。わたしも同じ気持ちだよ。まさかランカインが生きていて、それを陛下が重用していようとはな。知りたくなかった。知るべきではなかった……」

 ハルドが知ってしまったことを公開しているのは、その事実が己の首を絞めることになりかねないということだけでなく、ガンディアという国への信頼を失いかねないことだからだろう。ランカイン=ビューネルなる大量殺人者を王宮特務として重用しているという事実は、ガンディア政府がガンディア国民を裏切っているということにほかならない。

 ハルドが絶望するのも無理のない話だ。

「だったらなぜ、それを俺に……」

 サリスは、恨みがましい気持ちでハルドを睨んだ。ハルドが黙っていてくれれば、と、想わざるをえない。

「君はランカインが生きているのではないか、という噂を追っていただろう。そのことを思い出したんだ」

「思い出さなければよかったのに……!」

「……その通りだな」

 ハルドがあっけに取られるようにいったのは、サリスの剣幕が想像もできないほどに凶悪だったからだろう。

「ハルドさん」

「なんだね」

「このことは、ほかには?」

「だれにも話しておらんよ。君以外にはな」

「……だれにも話さないことです」

 サリスが念を押すと、ハルドは肩を竦めてみせた。

「話したところで、だれが信じてくれるものか」

「俺は、信じると?」

「君なら、わたしが嘘をつくような人間ではないことくらい知っているだろうからね」

 眼鏡の奥の目を見据える。確かにサリスは、彼が嘘をつく人間だとは想わない。ハルドは、真面目すぎるくらい真面目で、生真面目で知られたエリナの父ゲイルと馬が合っていた。サリスが信じたのは、ハルドの言葉だからだ。

「……本当、なんですね」

「ああ。本当だよ。だが、だからといってわたしは行動を起こすつもりはないよ。カラン大火を起こした虐殺者を使っていることは許せないことではあるが、いまさらだ。追求したところでかわされるだろうし、ありもしない罪をでっち上げられて殺されるかもしれん」

「ハルドさん」

「……ランカインを生かし、利用していたような政府ならば、なにをしてもおかしくはあるまい」

 ハルドは、もはやガンディア政府など信用に足らん、といわんばかりの態度を取った。サリスも同様の意見を持ちつつある。カイン=ヴィーヴルの正体がランカイン=ビューネルだということが真実であれば、サリスはガンディア政府への信頼を憎悪へと変質させてしまうだろう。そして、ハルドが嘘をつくわけもない以上、カインはランカインであるということは確定的であり、サリスの中のガンディア政府への想いは、急速に変質しつつあった。

「せいぜい、君も愚かな真似はせぬことだ。エリナやミレーユの幸福のためにもな」

「わかっていますよ」

 だったら、黙っていてくれればよかったのに。

 彼は叫びたかったが、黙って、ハルドが彼の家を辞すのを見届けた。エリナとミレーユへの土産だけは受け取って。

 その日以来、サリスの心の奥底には火が燻り続けていた。いや、ずっと燻っていた火が、再び勢いを得て、心を焦がし、身を焼かんばかりに燃え上がり始めていたというべきだろう。

 サリスは、すべての真実を確かめるため、ガンディオンに向かうことにした。

 ハルド=ミーシュの言葉が真実だった場合、自分がなにをどうするのか、彼自身、想像もつかなかった。

 そもそも、カインが真実を教えてくれるとは思えない。

 だが、聞かずにはいられないのだ。

 カインがランカインであるという話を抱えたまま生きていくには、この世界は狭すぎる。

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