第千五百六十七話 帝国のニーウェ(二)
帝国領に入ったニーウェたちは、第七方面軍に包囲され、総督直属の親衛隊に拘束された。
無論、ニーウェたちが抗うようなことはなかった。ニーウェたち四人が力を合わせれば、第七方面軍の包囲を突破することくらい簡単なことだ。ランスロット=ガーランドは優秀な武装召喚師であり、シャルロット=モルガーナは召喚武装を使う凄腕の剣士だ。ミーティア・マァル=ラナシエラに至っては、武装召喚師さえ手玉に取るような実力の持ち主であり、ニーウェは半身が召喚武装そのものといっても過言ではない。それだけの戦力があれば、いくら武装召喚師が多数配備された第七方面軍が相手といえど、包囲を突破することくらいならば問題なく行える。
しかし、そんなことをしてもなんの意味もなかった。
ニーウェたちの目的は、帝国領への帰還であり、帝国軍と事を構えることにはなかった。
もっとも、帰国することだけを目的に掲げていたため、帰国後、拘束される可能性についてまったく考慮していなかったことに関しては、ニーウェの落ち度というほかない。
第七方面軍に連行され、エンシエルに入ったのは、それから数日後のことだった。
エンシエルでは、当然、ニーナが待ち受けていた。
ニーナ・ラアム=エンシエル。第七方面軍総督にして騎爵、そしてエンシエル領主である彼女は、エンシエルの町中で、ニーウェたちの到着を待ち構えていた。
「約一年振りに吸うエンシエルの空気はどうだ?」
ニーナは、目の前に引き立てられたニーウェたちを見遣りながら、凛然と問うてきた。長い黒髪が風に揺らめき、彼女の鍛え上げられた肢体と美しく彩っている。ニーウェを見据える鋭いまなざしには、一切の動揺がない。第七方面軍総督を任せられるだけの人物なのだ。ニーウェが変貌していようと平然としていられるのは、当然というべきだろう。
それにしても堂々とした姿であり、ニーウェは、惚れ惚れする想いで、彼女を見ていた。
「相変わらず、いいものです」
「そうか。それならば、いい」
ニーナは、それだけをいって、背を向けた。
「話は、向こうで聞こう。ついてこい」
ニーナの後ろ姿は、いつにもまして迫力があり、それだけでニーウェは、帰国してきてよかったと想ったものだ。
ニーナは、気丈に振る舞っている。それがニーウェにはわかる。痛いほど、伝わってくる。彼女にどれだけ寂しい想いをさせていたのかと考えると、胸が締め付けられる。勘違いなどではない。思い過ごしなどではない。
ニーナとは、心を通い合わせられている。
「約一年ぶりだ」
ニーナが、口を開いたのは、ニーウェとふたりきりになってからのことだった。
第七方面軍総督府内にある総督本邸の一室に、いる。つまりはニーナの屋敷の中だ。軍に拘束されながら、軍による取り調べもなにもないまま、ニーナの屋敷に通されたことになる。ランスロットもシャルロット、ミーティアも、拘束を解かれ、総督本邸の別室に待機している。
第七方面軍がニーウェたちを拘束したのは、ニーナの命令であり、帝国政府の命令ではないということらしく、ニーウェの勝手な国外旅行は、ニーナによって帝国政府に偽りの報告が行われていたということも、知った。ニーウェが治めるアルスールはエンシエルの支配下にあるといっても間違いではなく、ニーナがアルスールからニーウェが姿を消したという情報を握り潰すことは、決して難しいことではなかった。エンシエル、アルスールは帝都から見れば辺境と呼ばれる地域だ。帝都は、辺境のことなど知ったことではなく、辺境でなにが起こっていようと知らぬ顔をしていることが多い。ニーナはその事実を逆手に取り、ニーウェの失踪という大事件を握り潰した。もし中央に知れ渡っていれば、大問題になっていたのは想像に難くない。
闘爵が姿を消したのだ。しかも、その向かう先は、小国家群だという。問題にならないはずがなかった。ニーナに類が及ぶことはないだろうが、少なくともニーウェの爵位が剥奪されることくらいはあったかもしれない。
そうならなかったのは、ニーナのおかげだった。ニーナがなぜそこまでしくれるのかは、ニーウェにはよくわかる。愛してくれているからだ。
「……そうなりますね」
小さく、うなずく。
約一年ぶりに見るエンシエルの風景は、旅立つ前となんら変わらなかった。季節も同じく春だったし、一年やそこらで都市の景観が変わるはずもない。総督府と呼ばれる一大軍事拠点もなにひとつ変わっておらず、総督本邸の外観はおろか、内装もまったく変わっていなかった。だからだろう。妙に懐かしく感じる一方、安らぎを覚えていた。
「まったく、せっかくの誕生日に出て行くなど、なにを考えていたのだ」
ニーナが、不満げな顔を見せた。町中で魅せた凛とした表情が、途端に砕けたものになる。そこがニーウェには愛おしい。
「わたしはおまえの誕生日を祝う準備をしていたのだぞ」
「それはわかっていたんですが」
ニーナが誕生日を祝ってくれるのは、毎年のことだった。わからないわけがない。もちろん、今年もあるだろうし、今年こそはちゃんと参加し、彼女とふたりきりの誕生日を過ごさなければならない。彼女には感謝してもしきれないくらいのものがある。
「どうしても、あのときじゃないと行けない気がして」
「なぜだ。なぜ、あの日だったのだ」
「自分でもよくわからないんです」
「……そうか。しかし、まあ、いい」
ニーナは、笑みを浮かべた。
「生きて帰ってきたということは、勝ったということなのだろう?」
「……それが――」
ニーウェは、ニーナの目を見つめながら、静かに口を開いた。
すべて、話さなければならなかった。
ニーウェにとって、ニーナはこの世のすべてといっても過言ではない。そんな彼女に隠さなければならないことなどなにひとつなかった。
セツナが本当に自分にそっくりで、ランスロットら三臣ですら見紛うほど似ていたということ。セツナと黒き矛がとてつもなく強力で、一度は窮地に追いやることができたものの、再戦では押し負け、完膚なきまでに敗北したということ。そして、セツナに敗れながらも合一を免れ、おめおめと生き恥をさらしているということ。また、この異形の半身についても説明した。
ガンディアでの出来事を包み隠さす話すと、ニーナはしばらく黙り込んでいた。想像していたものとはまったく異なる結果だったからなのか、それとも、ほかに思うことがあったのかはわからない。ただひとついえることは、そうやって考え事をしているニーナもまた、美しいということだ。
「負けた……か」
「はい。負けました」
それも、完全無欠に、敗れた。
どこをどう取ってみてもニーウェの完全な敗北だった。完膚なきまでに打ち負かされるとはまさにこのことであり、ニーウェはこれほどまでの敗北をほかにしらなかった。これまでの人生、これほどの敗北を喫したことは一度もなかったはずだ。
「しかし、生きている」
「生かされました」
「……喜ぶべきだ」
「……はい」
素直に、うなずく。
喜ぶほかなかった。
生かされたからこそ、合一を拒絶されたからこそ、ニーウェはいまこうして、ニーナと話し合うことができている。
「本当に、良かった」
「……姉上」
「心配したのだぞ」
ニーナが強い口調でいってくる。
それは、第七方面軍総督としてではなく、姉としての言葉だった。だからこそ、より強く響き、感じるのだろう。無論、第七方面軍総督としてのニーナの言葉に重みがないわけではない。感じ方、受け取り方に違いが生まれるということだ。
「おまえが生きて戻らなければ、わたしは死ぬところだった。たとえ生きていたとしても、死んでいたも同然だろう。わたしにとっておまえは、命よりも大事な存在なのだ。そのことを忘れないでくれ」
「ニーナ……」
ニーウェは、彼女の名を呼び捨てにした。ほかにだれもいないふたりきりのときは、そう呼ぶのが通例だった。彼女が総督としての振る舞いを行わないということは、そう呼べということなのだ。
彼女は、椅子から立ち上がると、ゆっくりと近づいてきた。そして、ニーウェの手前まで来ると、屈み、手を取った。異形化した手を握り、それから、頬に触れる。
「この変わり果てた手も、顔も、わたしのニーウェだと想えば、愛おしく見えるものだ」
「そういうものですか?」
「そういうものだよ」
慈しみに満ちた微笑みを浮かべるニーナに、ニーウェは心を蕩かされたような気がした。
それから、しばらくの間、ニーウェたちはエンシエルで過ごした。長らく放置していたアルスールのことが気にかかったが、それよりもまず、長旅の疲れを癒やすのが先だろうということで、エンシエルで滞在することになったのだ。
エンシエル滞在中、ニーウェは、武装召喚術の師であるイェルカイム=カーラヴィーアとの再会を果たし、彼に異形化した半身を見せ、驚かせた。イェルカイムは、生粋の研究者であり、ニーウェの半身に驚きながらも興奮した様子だった。彼のような武装召喚師には、ニーウェの半身に生まれた異世界との接点ほど興味の尽きないものはないのかもしれない。
そんなイェルカイムに対し、ニーウェは出来る限りのことは協力しようと考えた。自分に武装召喚術を叩き込み、エッジオブサーストの修練に力を注いでくれた師匠の恩には報いるべきだと想ったのだ。イェルカイムだけではない。ニーナは無論のこと、ランスロット、シャルロット、ミーティアの三臣にも報いてあげるべきだ。
セツナとの戦闘を経験し、生還したニーウェは、以前とは明らかに考え方が変わっている自分に気づき、そんな自分の中の変化さえも愛しいものと想えるようになっていた。
ランスロットの訓練に付き合い、シャルロットと剣の稽古を行い、ミーティアと食べ歩き――そういったことで日々を費やした。
そうやって平穏な日常を満喫していたある日、ニーウェは、突如としてニーナに呼び出された。
総督本邸ではなく、総督府司令室にだ。
「ニーウェ。おまえに帝都への出頭命令が出た」
「出頭命令……ですか」
ニーウェは、なんだか嫌な予感がした。
「おまえが帝国領に帰り着いてから一ヶ月以上経って、ようやくだ」
帝国領は、広い。
帝都ザイアスからエンシエルまでの距離というのは、小国家群の端からガンディア王都ガンディオンまでの距離よりも遠い。情報の伝達だけでも時間がかかる。帝国には高速伝達手段があるとはいえ、そこから出頭命令が下されるまでの時間を考慮すると、一ヶ月以上経過するのは、仕方のないことだ。
距離に関しては、武装召喚術で解決することができる。
飛行能力を持つ翼型の召喚武装ならば、長距離移動も簡単だ。国境から帝都までひとっ飛びということはないにせよ、地上を進むよりは遥かに早くエンシエルと帝都を行き来することはできる。
実際、ニーウェが出頭命令からやく二十日後の七月二日に帝都の地を踏むことができたのは、召喚武装による高速移動を駆使したからにほかならない。それは、飛行能力を持つ召喚武装とはまったく異なるものではあったが、武装召喚術なくしては存在しない技術によるものだった。
『わたしはついていくことはできんが、くれぐれも注意しておけ。帝都は、権力の中心だ。なにが待ち受けているか、わかったものではない』
それに、とニーナは付け足した。
『おまえが国外に出ていたことを知っているのは、わたしを含め、ほんの一握りの人間だけだ。アルスールのものたちですら、おまえがアルスールにいないのはエンシエルに留まっているからだと信じていたはずだ。帝都の人間が知っているわけがないのだ』
この出頭命令には、なにか裏があるということを彼女はいっている。
出頭命令は、ニーウェが帝国法を破り、小国家群内に入った事に関するものだった。




