第千五百五十九話 ジベルの問題、イシカの動き
ザンコート砦の戦いは、半日もかからずに終了した。
無論、セツナ軍の圧勝であり、セツナ軍側は死者ひとりも出さずに勝利を掴み取っている。
二十二日午後二時過ぎ、セツナ軍はザンコート砦攻略に取り掛かった。
ザンコート砦攻略のために投入したのは、レムを除く全戦力だ。レムには、ザーナの丘に向かってもらうことになったからだ。
部隊を二手に分けるというエイン=ラジャールの策に従ったのだが、ザーナの丘に急襲し、ハーマイン=セクトルを打ち取るのであれば、少数精鋭が望ましいということで、レムひとりに任せることになったのだ。
ザーナの丘の兵力はきわめて少ないだろうというエインの推測もあった。
『ハーマインが己の生存のためにザンコートを囮にするつもりであれば、ザーナの丘には少数しか連れて行かないでしょう。大軍では目立ちすぎる上、小回りがきかなくなりますからね』
ハーマインは、ザンコート砦にセツナ軍を引きつけている間にこの戦場から離脱するつもりだ、というのがエインの見立てだった。セツナ軍を相手に正面切って戦うほど、ハーマインが愚かなわけもない、というのが推測の理由だ。そしておそらくそれは正しい。ハーマインほどの人物が、黒き矛のセツナとセツナ軍の恐ろしさを理解できないわけがないのだ。まともに戦って勝てる相手とは想ってもいないだろう。
だから、ハーマインは自軍の一部を切り捨ててまで逃げようとするに違いない。
『ハーマイン将軍は確かに愚かでございますが、自己保身の塊ではありませんよ?』
『以前は、そうだったのでしょうが』
エインがレムに対し、気を使うような表情をしたのが印象に残っている。
『追い詰められれば、人間、本性を表すものです』
エインの言葉にレムは納得したような、そうでもないような微妙な表情を浮かべた。もっとも、彼女がハーマインのことを擁護するような発言をしたのは、ジベル人としての性分でもなんでもなく、ただ、自分の命だけを守ろうとしているとでもいうようなエインの発言が彼女の中のハーマイン像とはかけ離れたものだったからに過ぎない。
レムはむしろ、ハーマインを心底嫌っていた。
死神部隊を穢された彼女には、ハーマイン=セクトルほど許せない人間もいないだろう。
そんな彼女だからこそ、一切の容赦なくハーマインを殺してくれるに違いない――という考えも、あるにはあった。
とはいえ、レムがザーナの丘を担当したのは、彼女の特性故だ。
いくら切られても、傷つけられても、たちまち修復する特異体質。セツナが生きている限り決して死ぬことのない肉体。聖皇の呪いにも似た呪縛が、彼女をザーナに向かわせることとなった。
いうなれば無敵なのだ。
どのような苛烈な攻撃を受けようとも、たとえばドラゴンの魔法の直撃を受けたとしても、彼女は死ななかった。痛みはあったとしても、肉体はたちまち復元し、元通りになった。その特性を用いれば、黒き矛の血を媒介とする空間転移能力も使い放題に使えた。無論、空間転移の消耗は激しく、多用はできないが。
セツナは、レムをみずからの手で傷つけることなどしたくはなかった。そんなことをするくらいなら自分で自分を傷つけるほうが何倍もましだ。だが、セツナの体は普通の体だ。傷つければ、その傷が回復しきるのに時間が必要だ。その点、レムは一瞬だった。一瞬で復元するのだ。
『御主人様が愛をこめて切りつけてくだされば、それは愛情表現の一種となるのです』
『なんねえよ』
セツナはいったが、彼女は聞き入れてくれなかった。
仕方なく、黒き矛で彼女を切りつけ、ザーナの丘付近に転移させた。その後は、レムの行動次第だが、彼女のことだ。うまくやってくれるだろう。場合によっては殲滅することになるかもしれないが、構いはしない。ハーマインの反乱に与したものを滅ぼすことには、呵責を感じる必要はなかった。
それよりも、レムを傷つけたことのほうが、セツナには重大だ。
ザンコート砦とザーナの丘を同時に襲撃するためとはいえ、大切なひとに傷をつけるというのは、大問題だ。
『レムが望んだことだ。引きずんなよ』
『ま、大将のお気持ち、わからなくはないけどな。俺だってレミルを危険な目にあわせたくはねえ』
『隊長……』
『けど、やらなきゃならねえときはやらないと、駄目っすよ』
シーラやエスクの忠告が、身にしみる。
『……甘いんだろうな。俺』
『そういうところがいいんじゃないですか』
エインがにこりと笑った。
『戦場での苛烈なセツナ様と普段の甘々なセツナ様でようやく釣り合いが取れてるってことですよ』
エインの言葉に救われるような想いがしながら、それでもレムを切りつけたときの感触を忘れられず、セツナは馬を走らせた。
ザンコート砦には、レムを除く全戦力でぶつかった。丘に張り巡らされた城壁は、ウルクの砲撃とセツナの攻撃でつぎつぎと突破していった。敵兵力はおよそ千五百足らず。それがザンコートの丘の各所に伏せられていたのだが、それらはすべて、エインによって看破されており、セツナたちは奇襲に遭うどころか、むしろ奇襲を行って敵部隊を壊滅状態に追い込んだ。
ザンコート砦の地形は、すべてエインの頭の中に入っており、攻め込まれた際、どこに兵を伏せればもっとも効果的なのかを考えれば一目瞭然だと彼はいっていた。セツナには皆目見当もつかないことだったが、黒き矛を手にしたセツナには、エインの推測がすべて正しいことがわかり、彼の戦術家としての能力の高さに改めて舌を巻く想いがした。
セツナたちはハーマイン軍をつぎつぎに打ち破りながら丘を駆け上り、ザンコート砦へと突入、砦内部での戦闘も問題なく勝利を収めることに成功した。砦の守将を務めていたのは、ショッド=ウェームという恰幅の良い男で、かつてはハーマイン=セクトルの右腕と呼ばれたこともあるほどの人物だった。彼は、最後までザンコート砦を護るために奮戦し、セツナが投降を促しても頑なに首を縦に振らなかった。
『ハーマイン将軍、万歳!』
ショッド=ウェームの断末魔がそれであり、彼がいかにハーマイン=セクトルを盲信していたかが伺えるものだった。
「ハーマインは、かつての右腕を犠牲にしてまで生き延びようとしたということです。でもそれは、将としては当たり前の判断です。一軍の将たるもの、己の命を守り抜くことこそ優先にするべきであり、おいそれと死ぬべきではありませんから」
ショッド=ウェームの死に様を伝えると、エインはそんなことをいった。
ハーマイン軍から解放されたザンコート砦には、解放に喜ぶ一般人が大勢顔を出しており、セツナ軍の勝利を称えるものさえいた。吟遊詩人がセツナの詩を歌えば、子供たちがそれを囃し立て、女たちが踊る。そんな光景が繰り広げられているのは、セツナ軍の勝利がきわめて華麗であり、死傷者の少ないものだったことも影響しているようだ。
セツナたちは、ザンコート砦を制圧するに当たり、ハーマイン軍の人死にも極力抑えるよう努力した。つまり、指揮官の撃破を優先したのだ。
「そのわりには不服そうだな」
「ハーマインのような愚か者には、潔く死んで欲しい。ただそれだけのことです」
彼の唾棄するような一言の冷ややかさにぞくりとする。
「なんだか辛辣だな、最近」
「……そうですか?」
「ちょっとな」
「……軍師ですから」
彼は、少し遠い目をした。
「ハーマイン如きに振り回される時間がもったいないんですよ」
「そうか」
「確かにいいすぎかもしれませんけどね」
「いや、いいんじゃないか」
ハーマインが愚か者だったのは、確かだ。
彼は時勢が読めなかった。ジゼルコートが敗れ、レオンガンドが勝利するという未来が読めなかったのだ。その時点で敗北が決まっていたのだ。勝者は敗者をどのように評価しても問題あるまい。
「だれが気にするわけもないしな」
「ジベルの方々にはお気の毒ですが」
彼が小さく苦笑を交えたのは、ジベルがハーマインの国にほかならなかったからだろう。ハーマインを罵倒するということは、ジベルを罵倒するということに受け取られかねない。もっとも、そのジベルがハーマインを罪人として定めたのだ。
ハーマインをいくら罵ろうが、かまわないのではないか。
そんなことを思っていると、妙に物騒な会話が聞こえてきた。
「……無念だ」
「まあまあ、こういうこともあるってー」
「くっ……いい気なもんだな」
「そのうちいいことあるってば」
「覚えていろよ……」
見ると、黒獣隊のアンナ=ミードとミーシャ=カーレルだった。なにやら深刻そうな表情のアンナに対し、ミーシャの顔はなんとも楽しそうだ。近くにいたシーラに話しかける。
「どうしたんだ? あのふたり」
「ああ、アンナのやつ、戦利品に召喚武装がなかったから落ち込んでるんだよ」
「なんでまた」
「あいつだけ召喚武装持ってないだろ。今回、ほとんど活躍できなかったからさ」
だから戦利品の召喚武装を自分のものにしたがっているのではないか、というのだ。
「そういうことか」
セツナが納得していると、アンナが物凄い剣幕で駆け寄ってきた。彼女は、シーラに詰め寄り、叫ぶ。
「隊長、ありえないことをいわないでください!」
「はあ?」
「わたしがそんなことで落ち込んだりするわけないじゃないですか!」
「落ち込んでたのか」
「なっ……!?」
アンナが顔を真っ赤にしたのは、図星だったからなのか、どうか。
「ち、違います! 違う!」
「おー、よしよし、おいで。あたしの胸を貸してやるよ」
クロナ=スウェンがアンナの頭を撫で、そのまま抱き寄せるようにした。アンナは彼女に抗おうとしたようだが、すぐに諦めたようだった。クロナの腕力には敵わないと悟ったのだろう。子供をあやすようなクロナの様子を眺めながら、黒獣隊幹部の仲の良さにほっとする。
「……ま、いつか手に入るといいな、戦利品」
「アンナが使いこなせそうな奴がな」
「ああ」
セツナはうなずき、笑った。アンナは根っからの剣士であり、剣以外の召喚武装が戦利品として手に入ったとしても使いこなせいないだろう。
かくして、ザンコート砦の戦いは幕を閉じたが、それですべてが終わったわけではなかった。
ハーマイン軍の援軍がザンコート砦に押し寄せたからだ。
セツナたちはザンコートに押し寄せたハーマイン軍に投降を促しつつも応戦、圧勝に終わった。セツナ軍に死者が出ず、負傷者すらほとんどでなかったのは、セツナが前面に出て戦ったからであり、黒き矛によるハーマイン軍への最初の攻撃で、敵軍将兵の全員を沈黙させたからだ。
果たしてハーマイン軍の残兵はセツナ軍に投降し、ジベル政府に引き渡されることとなった。
ジベル政府は、ハーマインの反乱に与した将兵に対し、罰則を設けたものの、その罰則は極めて軽いものだった。ジベルは、これ以上の戦力の低下を招けば、国家存亡の危機に瀕するということを知っていたからだ。たとえ反乱に参加したとしても、ハーマインがいなくなった以上、脅威とはなりえないということも、背景にある。
セツナたちがハーマイン征伐の報告のために王都ル・ベールに入ったのは、六月二十六日のことだった。
ガンディア軍師エイン=ラジャールとジベル国王セルジュ・レイ=ジベルの会見に同席したセツナは、ジベルがガンディアに従属するという誓約を交わすのを見届けている。セツナの同席を望んだのは、ジベル側であり、ガンディアはそれに応じた形になっている。ジベルがセツナの同席を望んだのは、セツナがガンディアでも最高峰の権力者であるからだろう。
それから、龍府に向かうというエインに付き添い、龍府を目指した。
セイドロックのファリアたちには、ザンコート制圧後、龍府に向かうよう伝えてある。ル・ベールに向かったあと、エインの龍府行きに同行することがその時点で決まってしまっていたからだ。
セツナたちが龍府に舞い戻ったのは七月三日のことであり、そのときにはファリアたちも龍府に戻っていた。
グレイシアは十数日ぶりのセツナとの再会に涙を流すほど喜び、そんなグレイシアの反応にたじろがざるを得なかった。
しかし、驚くべきは、それだけではなかった。
龍府では、大事件が起きていた。
イシカが、ついに動いたのだ。




