第千五百五十七話 ジベルの問題(三)
ザンコート砦は、ジベル領最北端の軍事拠点であり、ジベル最大の砦だという。
反乱を起こしたハーマイン=セクトルがザンコート砦に籠もっている理由もそこにある。ハーマイン軍が現在制圧しているのは、ザンコート砦、メリス・エリス、ガロン砦の三ヶ所だ。そのうち、メリス・エリスは失われた国の王都であり、ザルワーンによって支配されていた時代は、人っ子一人住んでいなかったという。ジベルが支配下に組み込んだ後は、都市機能が整備され、ジベル各地からひとが集まっていったといい、いまではひとつの都市として立派に機能しているということだが、軍事拠点とするには問題が多いらしい。
ガロン砦は拠点として利用するのは問題ないが、ザンコート砦に比べると、ル・ベールが遠すぎるという点がハーマインの目的には問題だったようだ。ハーマインはおそらく、王都ル・ベールを落とし、ジベル全土を掌握することをこの反乱の目的としているはずだ。
でなければ反乱など起こさないだろう。
ザンコート砦はガンディアの国境と近すぎることが問題だが、それはガロン砦も同じだ。早急にル・ベールに攻め上がり、王都を制圧できるという自信があるのであれば、ザンコート砦を拠点とするほうが正しい。それにハーマインは、ガンディア軍が休暇中であることを考慮した上で、反乱を起こしたに違いない、というのがエインの推測だった。
ガンディア軍の動きが鈍いいまだからこそ反乱を成就させることができると踏んでいる。
その甘い考えを一蹴するのが、セツナ軍の役割だった。
国境の防衛拠点を南下したセツナ軍は、エインの指示通り、ザンコート砦を目指した。
ザンコート砦までの道中、各所にハーマイン軍が部隊を伏せていたのだが、それらはすべてエインが看破しており、セツナたちは軍師の言う通りに動くだけでそれらを対処した。森に潜んでいた伏兵には、ウルクが森に突入して殲滅し、山道に隠れていた伏兵は黒獣隊が撃滅している。
夜襲もあった。
どうやらセツナ軍がザンコート砦に向かっているということがハーマイン軍に筒抜けのようであり、エインは、国境防衛拠点にいた隊員が報せたのではないかと推測したが、真実はわからない。
夜襲に対しては、ようやくセツナの出番かと思いきや、シドニア戦技隊、黒獣隊、星弓戦団の活躍によって撃退され、セツナが出る幕もなかった。
「なんだか鬱憤を晴らすような戦いぶりだな」
「暇でしたし」
エスクは、ソードケインを鞘に収めながらいったものだ。戦士とは戦場で生きるものであり、平時には退屈を持て余すだけなのだ、というのが彼の持論だという。
「そのわりにはエンジュールの温泉を堪能していたような」
「さて、明日には砦ですよ。寝ましょう寝ましょう」
“剣魔”の話題逸らしに、セツナは、苦笑したものだ。
なんにせよ、セツナ軍のザンコート砦への道中は順調以外のなにものでもなかった。
軍師エインの面目躍如というところもある。
彼が敵軍の配置を完全に見抜いたからこそ、セツナたちは余計な心配、余計な行動を取らずに済んだのであり、無駄に血を流すということもないまま、二十二日、ザンコート砦を視界に収めることに成功している。
ザンコート砦は、古い砦だ。丘の上に聳える堅牢な砦であり、丘そのものも要塞化が進んでいる。各所に城壁が張り巡らされ、幾重もの防衛線が築き上げられている。砦に攻め込むにはその丘を駆け上がらなければならず、通常兵力ならば落とすのも困難を極めるだろう。
それは丘を攻め落とすのと同意だ。
そんな丘の上に聳え立つ砦に掲げられているのはジベル軍の旗ではなく、ハーマイン=セクトルの紋章だという。それも将軍旗ではなく、セクトル家の紋章であり、彼がもはやジベルに反旗を翻し、ジベルの敵となったことを象徴しているようだった。
丘の外に兵は配されていないように見えた。。道中、要所要所に伏兵を仕込んでいたため、死角となっている場所に兵を潜ませていたとしても不思議ではないし、エインはその可能性を考慮して、ザンコートの丘の手前で進軍を停止させている。敵は丘の上。味方は平野を進んでいる。ハーマイン軍には、セツナ軍の動きが丸見えだろうということもある。たとえ平野部に伏兵を配していなくとも、要塞化した丘の各所に部隊を手配することは難しくない。
セツナは、堅牢な砦の外観を遠くから眺めながら、かつてクルセルク戦争のおりにジベル突撃軍の一員として参加し、ザンコート砦に入ったことを思い出した。そのころはザンコート砦に攻め込むことになるとは想像もできず、堅牢な砦を頼もしく想ったものだった。
「まるで何年も前のようでございますね」
レムが懐かしげにいってきたのは、彼女にとってジベルの地に足を踏み入れること自体が懐かしいことだったからなのかもしれない。彼女は一年以上前にジベルを離れており、それ以来、ジベル国内に入ったことがなかった。
「そういえば、まだ一年と少ししか経っていないんだな」
「あのころは、まさか自分が御主人様の虜になるとは、想ってもいなかったのでございます」
「そりゃあそうだろうよ」
セツナが苦笑していると、老将が歩み寄ってくるのが見えた。弓聖サラン=キルクレイド。彼がそこにいるというだけで空気が引き締まるようであり、心強く、頼もしくもあった。彼がセツナ配下に加わったことは、望外の喜びと言えよう。彼はガンディアよりセツナ軍に提供された新式鎧を身に着けている。
「クルセルク戦争の話ですかな」
「ああ」
「懐かしい話じゃねえか」
と、シーラが背後から声をかけてくる。黒獣隊は、隊長である彼女を含め、全員が黒い新式装備を身に着けており、さらに幹部たちはアンナ=ミードを除く全員が召喚武装の使い手だった。どれもマルディア救援戦、ガンディア解放戦の戦利品であり、ガンディア軍からの許可を得て、セツナ軍の預かりとなっている。そこにはエインとアレグリアの思惑が働いており、実質的にセツナ軍の所有物になったといってもよかった。
「シーラ殿と轡を並べたのも、いまや昔ですな」
「ああ、あのときは爺さんに助けられたな」
「クルセルク戦争ねえ。地獄のような戦いだったって話じゃねえですか」
「ああ」
確かに地獄のような戦争だった。特にザルワーン方面に魔王軍を誘引した緒戦は、ガンディア軍におびただしい数の死傷者が出たほどに苛烈だった。戦場がクルセルクに移ってからも苛烈さは増し、鬼神の出現などもあり、数え切れないほどの犠牲を払うこととなった。
セツナがうなずいたのは、そういう理由からなのだが、レムが別のことを言ってくる。
「地獄の使者は御主人様でございますが」
「酷い言い様だな」
「ひとりで皇魔を殲滅したんだ。そういわれても仕方ねえだろ」
「そりゃすげえ。さすがは大将」
「……うるせえ」
いい加減持ち上げられるのも鬱陶しくなってきて、彼はエスクを睨んだ。エスクは睨まれてもただ笑い返してくるだけだったが。
「エイン、どうするんだ?」
「斥候によると、メリス・エリス、ガロン砦の戦力がこちらに接近中とのこと。ハーマインは、砦に籠もり、援軍の到来を待つつもりでしょう」
「正しい籠城の仕方ですな」
「しかし、援軍といっても所詮二千程度。ザンコートのハーマイン軍はおよそ二千ですからね」
合流に成功したとして、総勢四千といったところだ。それはジベルの総兵力の半数以上であり、ジベルが自国の力だけでは処理できないと嘆き、エインに助けを求めたというのもわからない話ではない。そして、ハーマイン軍を放置しておけば、現在ジベル政府に従っている将兵ですらハーマインに靡きかねないということも。
「常識で考えりゃあ十分驚異的な兵数だと想うんだが」
「常識?」
エスクの一言に、エインが薄ら笑いを浮かべる。
「セツナ様の軍勢に常識なんて通用するんですか?」
エスクが鼻白むのを見ながら、彼はさらに続けていく。
「セツナ軍がそんな常識で計り知れるような軍勢では、駄目ですよ。非常識に強く、理解不能なほどに圧倒的でなくては。ねえ、セツナ様」
「いちいち俺に同意を求めるなっての」
「ふふ。そんなセツナ軍の皆様方には、華々しい勝利を飾って頂きたいわけでして」
「だからその方法を聞いているんだろ」
「御主人様とウルクで砦そのものを消し飛ばすというのはいかがでしょう?」
「それだと被害が大きすぎるだろ」
消し飛ばせないとは、いわない。
ウルクの波光大砲とカオスブリンガーの全力攻撃を用いれば、丘の上から砦を消し飛ばすことくらいはできるだろう。
「ザンコート砦には民間人も多数住んでいるわけでしてね。民間人もろとも砦を消し飛ばしたなんてことがあれば、それはセツナ軍は恐怖の代名詞となりますが、ガンディアの評判は悪くなる一方です」
「ま、ねえよな」
「ハーマインの反乱に付き従っている将兵ならいくら殺してくださっても構いませんけどね」
「笑いながら言うことじゃねえ」
「ハーマインのような愚物に付き従う、時勢の読めない愚か者どもがいくら死のうと知ったことではありませんよ」
彼はけろりとした顔でいった。さらに続ける。
「ハーマインは愚か者です。時の流れ、世の動きというものをまったく理解していない。だからこそジゼルコートに付き従ったのでしょうが、ジゼルコートが死に、すべてが終わった時点で諦めるべきでした。潔く首を差し出せば、ジベルの名将として歴史に名を残したのでしょうが、結局のところ、それがハーマインの限界だったということでしょうね。所詮はジベルという国を治めるだけの器しかなかったのに野心を抱いてしまった。そこが大きな過ち」
エインの瞳も声音も冷ややかだ。凍てついているとさえいっていい。以前、ハーマイン=セクトルを高評価していた人物の言葉とは思えないほどの冷ややかさは、時勢を見誤り、レオンガンドの敵になったことへの憤りが込められているのかもしれない。
「そんな彼には、死で以てすべてを贖ってもらうよりほかありません」
「だから、だな」
「部隊を二手に分けます」
「二手?」
「あ、わかった。片方は援軍の足止めをするんだろ」
「いいえ、違いますよ」
彼は、その幼さを大いに残した童顔で艶然と笑ってみせた。
「片方には、ハーマインの策に引っかかって頂きます」
「はあ?」
あてが外れたシーラが愕然とする中、エインが人差し指を彼女の鼻先に突きつけた。仰け反るシーラに構わず腕を掲げ、ゆっくりと旋回させていく。彼の指差した方向は、ザンコートの丘ではなく、砦南西に聳えるもうひとつの丘だった。
「ハーマインは、あの丘に隠れているはずですからね」
彼は、まるですべてお見通しであるかのように告げ、作戦の内容をセツナたちに提示した。




