第千五百五十六話 ジベルの問題(二)
セツナたちがジベル領内に入ったのは、セイドロックを出て二日後となる六月二十一日のことだ。
ガンディアとジベルの国境を越えるのは、難しいことではなかった。ジベルの国境防衛部隊は、ジベル政府の意向としてガンディア軍師エイン=ラジャールに協力していたからだ。
『将軍はザンコート砦に籠もり、各方面に檄を飛ばしているとのこと。ザンコート砦はジベル最大の砦。簡単には落ちないでしょう。ご武運を』
ジベル国境防衛隊の隊長は、ガンディア軍に協力を仰ぐことを厭わず、むしろ協力的かつセツナたちの心配もしてくれた。エインがいっていたとおり、ザルワーン方面での大敗がジベル軍全体の士気を大いに下げ、ガンディアには逆らうべきではないという空気がジベル中に蔓延しつつあるようであり、防衛隊長は、ガンディアへの裏切り行為に対してセツナたちに謝罪までしてきていた。
無論、ジベルがガンディアを裏切ったことは許されないことではあるが、末端の、それも国境防衛隊の隊長にそのような決定権などあるはずもなければ、謝罪しなければならない理由もない。責任を負うべきは国の首脳陣であり、政府であり、政府を支配していた黒幕たる将軍なのだ。ただ、防衛隊長や防衛隊員がセツナたちに対して後ろめたい感情を抱いているということは、今後、ジベルとの関係が修復することは不可能ではないと思わされた。ジベル軍のほとんどの軍人は、ハーマインの命令に従っただけなのだ。
防衛拠点で準備を整えたセツナたちは、エインの言う通りに動いた。
防衛隊長の情報が確かならば、ハーマイン=セクトルはジベル北端に位置するジベル最大の軍事拠点たるザンコート砦に籠もっている。ザンコート砦は、ガンディアとの国境にも近く、国境からならば二日もかからずに辿り着くことができるだろうということだった。
「妨害に遭わなければ、ですが」
エインがそう付け足したのは、拠点での作戦会議中でのことだ。
「妨害に遭ったところでだな」
「蹴散らしゃあ同じでしょう」
エスク=ソーマがセツナの意を汲んだ一言を発し、にかっと笑った。“剣魔”の獰猛な笑顔は頼もしいことこの上なかった。
『ジベルの内乱に介入する必要なんてあるの?』
ミリュウが疑問を呈したのは、三日前の夜のことだ。エインを交え、ジベル問題に関する会議が開かれた席上、ミリュウの疑問はだれもが抱くものではあったのだろう。エインの話を聞いていたレムでさえ、ジベル行きには難色を示していた。
もっとも、レムの場合は、個人的な感情によるものだろうが。
ファリアやマリアも疑問視しているのは、ハーマイン=セクトルの反乱がまったくもって完全にジベルの自業自得であり、ガンディアにはなんの責任もないからにほかならない。
それに対して、エインは、ガンディアがこれまで他国の問題に口を出してきたことは何度もあったということを説明した。まず、ログナーの内乱に介入し、ログナーそのものを併呑したことを上げ、つぎにマルディアを救援したことを述べている。アバードを例に出さなかったのは、その場にシーラがいたからだろう。シーラの感情を考えてのことというより、シーラの機嫌を損ねたことによるセツナの反応を恐れたと考えるのが、彼らしいかもしれない。
『ジベルも、ガンディアに救援を求めてきたっていうんです?』
『まあ、そうです』
『なんとまあ厚顔無恥な連中さね。自国の問題なら、自国で解決するべきだろうに』
『その考え方自体は否定しませんが、現状、ジベルには解決不可能な問題でしてね』
エインは、ミリュウやマリアたちの反応に苦笑を浮かべながら、状況を説明した。
ジベルの内乱というのは、ハーマイン=セクトルが処断を免れるために引き起こしたものだ。ハーマイン=セクトルはジベルの真の支配者といってよく、彼の一言によってジベルという国は右にも左にも動いた。彼が白といえば黒も白であり、彼が正義といえば邪悪も正義となった。そんな国だ。彼の反乱に付き従うものも少なくはなかった。それでもジベル軍の全軍が彼の反乱に賛同しなかったのは、ザルワーン方面の敗戦やジゼルコートの死と謀反の失敗によって彼の求心力が低下したことが原因だろう。しかし、ハーマインに賛同しなかったものの中にも、ハーマインとの交戦を恐れるものが多く、足並みが揃わないのだという。しかもだ。
『現在、ハーマインはザンコート、メリス・エリス、ガロンを制圧しており、日々、ジベル政府を見限り、彼の元に参集するものが後を立たないそうです。このまま放置すれば、ジベル政府は倒れ、ハーマインの国になるでしょうね』
『これまでもハーマインの国だったんでしょ』
『それはそうですが』
『だったら、そんな国倒れてしまえばいいじゃない』
『ハーマインが国を取れば、必ずやガンディアの敵となりましょう』
『それのなにが問題なのですか?』
『ガンディアの現有戦力を持ってすれば、ジベル程度滅ぼすのは容易い』
エインは、おそろしいことをさらっといってのけた。
『ですが、戦争を起こすのもタダではないんですよ。莫大なお金が必要です。ただでさえ戦続きで出費が嵩んでいるのに、これ以上、無駄使いをしては、財務大臣になんといわれるか』
『だからセツナ軍を使うってわけですか』
『ジベルそのものが敵に回るよりも、ハーマイン勢力のみを相手にし、なおかつハーマインのみを打倒すれば、費用は少なくて済む。その上、使うのがセツナ軍となれば、国庫からの出費も抑えられるという寸法ですよ』
『さすが軍師様。えげつない』
『そこまで褒められると、照れますね』
『褒めてねえ』
『いえ、褒め言葉ですよ。俺にとってそれはね』
彼は、セツナに向かって満面の笑みを浮かべてきたので、セツナはそれ以上なにもいえなかった。確かに軍師にとってはそれ以上の褒め言葉はないのかもしれない。
ということで、セイドロックからジベルに出発した軍勢の中には、《獅子の尾》の隊士たちは含まれていなかった。軍師エイン=ラジャールと彼の部下、そして術師局のシャルティア=フォウス以外、セツナ軍の人間のみで構成されているのだ。
《獅子の尾》は、王立親衛隊だ。国王直属の部隊であり、軍師の一存で使っていい部隊ではなかった。ジベルに関する全権を委任されている彼ならば如何様に使っても問題はなさそうなものだが、王立親衛隊を使うのであれば、国庫から費用を出さなければならなくなるかもしれないということを踏まえれば、彼が《獅子の尾》の帯同を渋るのもわからなくはなかった。
ミリュウもファリアも同行したがったが、エインが遠慮願い、渋々従った。ミリュウは最後までセツナについていこうとしたが、セツナが頼み込むことで事なきを得ている。無論、ファリアたちにも、重要な役割がある。
グレイシア・レイア=ガンディアの護衛と遊び相手という重大な役割だ。
グレイシアは、当初、セツナたちのジベル行きにまで同行するつもりでいたのだが、セツナがなんとか説得して、思い止まらせた。そのかわり、セイドロックを見て回りたいという彼女のわがままを認めなければならず、そのためにも強力無比な護衛が必要だった。それがファリアたちだ。ファリア、ミリュウ、アスラの三人が護衛に付けば、どのような事態に遭遇しようとも、グレイシアを無傷で守り抜いてくれるに違いなく、その点ではなんの心配もなかった。グレイシアは、ファリアたちを気に入ってくれてもいる。
『セツナちゃんがいないのが残念だけど、我慢するわ』
セイドロックを出発する際のグレイシアの一言に妙な引っかかりを覚えたのは、気のせいだと想いたかった。
セツナ軍の編成というのは、こうだ。
総大将は当然、セツナが務める。下僕壱号ことレムと下僕参号ことウルクが護衛についている。
軍師としてエイン=ラジャールが、彼の護衛にシャルティア=フォウスがついている。シャルティアは、ウルに支配されているらしく、なんの心配もいらないということだ。軍師の配下には、参謀局の局員が多数ついている。伝令や情報収集、エインの相談役をつとめることになる。
これに黒獣隊四十名、シドニア戦技隊二十五名、星弓戦団六百名が帯同しており、軍勢としては格好の付いたものとなっている。
総数千名にも及ばない兵数だが、その実際の戦力というのは、兵数では計り知れないものがある。
「これだけの戦力があれば、余程のことがない限り、負けることはないでしょうね」
そして、そのような余程のことなど起こるわけもないだろう――と、彼は続けた。
「大将ひとりで十分だと想いますがね」
「そうなんですよねえ」
「認めるんだ、そこ」
「認めますよ。ハーマインひとりを倒すだけなら、セツナ様おひとりで十分なのは火を見るより明らかじゃないですか」
エインが笑顔で言い放つと、エスクとシーラは顔を見合わせた。
「じゃあなんでまたセツナ軍を?」
「箔付け、ですよ」
「箔付け……?」
「セツナ軍ここにあり、ってところを天下に見せつけてやるんです。セツナ軍の威光と名声が高まれば高まるほど、ガンディアを敵に回そうと考える国は少なくなる。それは陛下の小国家群統一の夢が近づくということ」
「つまり、俺たちこそがガンディア最強の軍になれってことだな」
レオンガンドの夢が近づくというエインの一言がセツナの心に火をつけた。
レオンガンドの夢こそ、セツナの夢だ。




