第千五百四十七話 領地巡り~セイドロック~
セツナたちが龍府を発ったのは、到着から三日後の六月十二日のことだ。
目的地は、今回新たにセツナの領地となったクルセルク方面の都市セイドロックだ。
クルセルク方面は、クルセルク戦争後、東西に分割され、西半分をアバードが、東半分をガンディアが統治することになった。アバードが手に入れたのは、ゴードヴァン、ランシードの二都市であり、ガンディアはセイドロック、ウェイドリッド砦、ゼノキス要塞、クルセールの二都市、二拠点を支配することとなった。リネンダールもガンディアの支配下に入っていたが、都市そのものが疑似召喚魔法の媒介として利用され、消滅してしまったため、数に入れることはできなかった。リネンダールの跡地に新たに都市や拠点を作るということもできない。大地に大穴が穿たれているからだ。いずれ、五龍湖のような湖にでもなるのかもしれない。
ガンディアとアバードで獲得した都市の数が異なるのは、仕方のないことだろう。クルセルク戦争における貢献度の差であり、また、クルセルク戦争における反クルセルク連合の盟主国と参加国の違いもある。そして、その評価についてアバードや他の参加国から不満の声が上がったという事実はなかった。どの国も一定以上の満足感を得ることができたのが、クルセルク戦争の成果だ。
それなのにクルセルク戦争の参加国のいくつかは、ジゼルコートの思惑に乗り、レオンガンドの敵に回ったというのだからやりきれないところがセツナにはあった。
クルセルク方面もまた、デイオン=ホークロウ左眼将軍によってほとんど完全に掌握されており、彼がジゼルコートについたことで一時期はクルセルク方面そのものがレオンガンドの敵に回っていた。もっとも、デイオンのそれはレオンガンドの敵を表面化させるための策だということが後に明らかになり、デイオンがレオンガンドにつくと、クルセルク方面も方面軍もレオンガンドの味方となった。
セツナは、その話を聞いたときには心底安堵し、ナーレス=ラグナホルンの偉大さに打ち震えたものだ。
クルセルク方面のひとびとも安堵したに違いない。
いくらデイオンに心服していたからといって、レオンガンドを裏切り、ジゼルコートにつくなど考えられることではない。ジゼルコートには勝算があり、なればこそ反レオンガンド包囲網とでもいうべき状況が生まれたのだろうが。
そんなデイオンの影響が強烈に残るクルセルク方面の一都市に向かって、セツナたちは旅を続けている。
龍府は、司政官ダンエッジ=ビューネルと龍宮衛士隊長リュウイ=リバイエンに任せてあるので心配はいらなかった。ダンエッジは、ゴードン=フェネックとは考え方は大きく異なるものの、セツナが示した方針から決して外れることのない都市作りを目指してくれており、運営を一任してもなんの問題もなかった。
司政官は国から派遣される、政府の代理人のようなものであり、都市の行政を担うのが本来の役割だ。ゴードンのように領伯のために働くのは、司政官の領分ではない。セツナもそれを理解しているから、ダンエッジにもゴードンにも司政官の領分以上の働きを求めてはいなかったし、ふたりともそれは理解しているようだった。それでもゴードンはセツナのために働いていくれているし、ダンエッジだって、司政官以上の働きを見せてくれている。
セツナは、ひとに恵まれすぎていると感じずにはいられなかった。
龍府滞在中、ダンエッジやリュウイの要望によって龍宮衛士の規模を拡大させることになり、隊員を増加させるべく公募を行うこととなった。その人選は隊長のリュウイと司政官ダンエッジに任せているのだが、それも司政官の領分を超えるものだ。それでもダンエッジは嫌とはいわず、むしろ身を乗り出してやる気を見せてくれるのだから、ありがたいというほかなかった。
リュウイとダンエッジは、龍宮衛士の規模を拡大させることで、ゆくゆくは龍府全体の警備を龍宮衛士のみで受け持ち、都市警備隊の手を煩わせずに住むようにしたいと考えているのだ。いわばエンジュールにおける黒勇隊の役割を龍宮衛士に持たせたい、ということだ。黒勇隊とは違うのは、都市の防衛は方面軍に任せるという点だが、それは龍府とエンジュールの規模の違いが関係する。エンジュールは小さな街だが、龍府はガンディアを代表する大都市のひとつであり、国境に近くもある。イシカ軍が攻め込んでくるという可能性も少なくはなく、そこは専門家に任せるべきだろうという結論に至ったらしい。
龍宮衛士は、あくまで龍府天輪宮を中心とした都市の警備に当たる組織であり、それ以上の権能は持たない、ということだ。
規模拡大といえば、シドニア戦技隊、黒獣隊も隊士の募集を始めていた。
サラン=キルクレイドと星弓兵団がセツナ配下に加わったことに触発されたらしい。星弓兵団は千名を超える大所帯であり、それらがセツナ軍の戦力を大幅に増強したことは疑いようがなく、まるで星弓兵団そのものとなったセツナ軍の様相に危機感を覚えたシーラとエスクは、それぞれに隊士の募集を行うことを決めたというわけだ。
マルディアやガンディアでの戦いを振り返っても、隊士の少なさを実感する場面が多かった、というのもあるようだ。
『少数精鋭っていっても限度がありますわな』
などと、エスク=ソーマが苦笑を浮かべたものだ。
隊士の募集は、龍府だけでなく、セイドロックでも行うつもりのようで、それぞれ百人以上の増員を考えているということだ。
黒獣隊、シドニア戦技隊が百人以上の部隊となれば、セツナ軍はますます強くなるだろう。
『数を求める以上、合格基準は以前より下げざるを得ないがな』
シーラは嘆息したが、そこは仕方のないことだろう。現在の隊士を基準にすれば、百人も集まるとは思えない。それどころか二桁も集まるかどうかさえ怪しい。
まずは数を揃えることだ、と、ふたりの隊長は息巻いていた。
セイドロックへの旅には、予期せぬ人物が同行していた。
グレイシア・レイア=ガンディアだ。
グレイシアは、セツナたちが龍府に長期滞在するものと想い、楽しみにしていたというのだ。それなのにセツナたちがそそくさとセイドロックに行く準備をし始めたものだから、酷く落胆し、かと想うとなにを考えているのか、セイドロックに同行するといい出した。
セツナは当然、遠慮願った。
太后グレイシアを連れて行くなど、大問題以外のなにものでもない。常に厳戒態勢で行動しなければならないだろうし、彼女の護衛のために人員を割かなければならない。移動も慎重にならざるを得ず、セイドロック到着予定日も大きく変更せざるを得なくなる。
それそのものは、いい。
問題は、グレイシアにもしものことがあれば、レオンガンドに申し開きができなくなるということだ。
『そんなの、セツナちゃんが護ってくれるもの。大丈夫よ』
グレイシアはあっけらかんと言い放ってきたが、セツナは、何度も食い下がった。しかし、グレイシアも引き下がらない。
『陛下と約束したのでしょう、セツナ殿』
太后としての威厳に満ちた表情で、彼女はいうのだ。
『わたくしを護ってくださる、と』
『それは……そうですが』
『だったら、わたしをひとり龍府に置いておくよりも、目の届くところに置いておくほうが安心できるのではなくて? それにイシカは物騒だと聞き及んでいますよ』
それも、そのとおりなのだ。
サランと星弓兵団の祖国であるイシカは、ガンディアからの通告に対し、強硬な姿勢を見せているといい、両国間で火花が散っているといってもいい状態だった。だから龍府には現在、ザルワーン方面軍の各軍団が集結しつつあるのであり、イシカが攻め寄せてくる可能性を考慮しているのだ。
グレイシアは、そのことをいっている。
イシカとガンディアの国境にもっとも近いのが龍府なのだ。
もしイシカがガンディアに攻め込んできた場合、真っ先に攻撃対象となるのは龍府以外にはなかった。
そうなったとき、グレイシアの身に危険が及ぶ可能性は低くない。
もっとも、イシカがガンディアに侵攻してくる可能性そのものは極めて低いのだが、ないとは言い切れないのが恐ろしいのだ。イシカがガンディアという大国に対し、強硬な姿勢を貫いていることがその低いながらも侵攻してくる可能性の根拠となっている。
イシカは、小国に過ぎない。
ガンディアにとっては簡単に攻め滅ぼすことのできるような国だ。
それはイシカも重々承知しているはずのことであり、だからこそ、ジゼルコートに同調し、レオンガンドを討とうとしたのだ。レオンガンドは小国家群統一を掲げている。同盟国とはいえ、いずれ飲み込まれないとも限らない。そんな恐怖心を煽ったのがジゼルコートであり、恐怖心に屈したのがイシカであり、マルディアであり、ジベルら同調国なのだ。
しかし、ジゼルコートは敗れ去り、反レオンガンド包囲網というべき国々の結束は破れた。破れざるを得まい。ガンディアがレオンガンドの元にひとつに纏まったのだ。その上、包囲網の各国は、それぞれに戦力を失い、再び包囲網を構築するだけの余力は残っていなかった。ガンディアが誇る圧倒的軍事力に抗し得るほどの戦力があるはずもなく、アザーク、ラクシャ、ジベルといった国々がガンディアの通告に従うなり、ガンディアに頭を垂れた。敗北を認めたのだ。
それなのに、イシカだけは強気の姿勢を崩さなかった。
なにか裏があるに違いない。
その裏が、イシカをしてガンディアへの侵攻を企てさせる可能性も捨てきれない、と、二人軍師が難しい顔をしていたものであり、そのことも含めてグレイシアのことをよろしくと頼んできたのがレオンガンドだった。
『別にザルワーン方面軍が頼りないというのではなくて、セツナ殿の側にいるほうが余程安全であると考えただけのこと。わたくしはなにか間違ったことをいっているのですか?』
グレイシアの言い分には一理あり、セツナは反論を諦めた。確かにセイドロックに向かうセツナ軍とともにいるほうが何倍も安全なのは考えるまでもなかった。セツナ軍は、いうまでもなくガンディアの最高戦力なのだ。
グレイシアとその侍従、サラン率いる星弓兵団の一部を加えたことで、セツナ一行は大所帯となった。
星弓兵団のうち半数以上の八百名は、団長のイルダ=オリオンとともに龍府に残ってもらうことにしたのだ。イシカがどうでてくるかわからない以上、龍府に予備戦力を残しておくのは大事なことだ。
ザルワーン方面軍が龍府に結集しつつあるが、戦力は多いに越したことはないという判断からだ。イルダには、有事の際には大軍団長ユーラ=リバイエンに指示を仰ぐよう命令している。
ちなみに、ではあるが、星弓兵団はセツナへの帰属に当たり、名称を星弓戦団へと改名している。
セツナ一行はおよそ七百名に及ぶ大所帯であり、その分、移動速度が遅くなったのはいうまでもない。
ザルワーン方面北東部の都市マルウェールに到着したのは、六月十五日のこと。
マルウェールでは司政官や軍団長らに歓待を受けたが、それはセツナが訪れたことよりもグレイシアが行動をともにしている影響が大きいのだろう。マルウェールの役人も軍人も市民も、まさかグレイシア・レイア=ガンディアがマルウェールに足を運ぶことがあるなど夢にも想っていなかったに違いなく、市を挙げての大騒ぎになってしまった。
「見てみて、セツナちゃん、お祭り騒ぎよ。みんな歓迎してくれているのね」
グレイシアは、マルウェール市民の出迎えに子供のように喜んでいた。
そんな様子を見ていると、セツナは、彼女を連れてきたのは正解だったのだと想った。心に負った痛みが少しでも紛れるのであれば、無意味なことではない。
セツナがグレイシアを任されたのは、そういうこともあるのかもしれない。




