第千五百四十四話 龍府流々
天輪宮では、太后グレイシア・レイア=ガンディア以外にも待ち人たちがいた。
アバード解放軍としてアバードで戦っていた黒獣隊、星弓兵団、サラン=キルクレイド、ザルワーン方面で戦っていたシドニア戦技隊の隊士たちだ。彼らは、終戦後、龍府に向かうよう指示されており、天輪宮でセツナたちが到着する日をいまかいまかと待ち続けていたのだ。
黒獣隊幹部らは、シーラとの再会に感激さえしている様子だった。
「突然消えたから何事かと想いましたよ~」
ミーシャ=カーレルがシーラに泣きつくと、アンナ=ミードが彼女に醒めた視線を投げながらもシーラのことを心からいたわるようにいった。
「ご無事で何よりですわ」
「本当に……」
リザ=ミードがシーラの手を取り、撫でた。シーラはリザの頭を慈しむように撫で、微笑む。彼女たちの仲の良さは、長年の付き合いから来るものであり、そういった様子を見ているだけでセツナの心までもが暖かくなった。
「おまえらも無事みたいだな」
「もちろんですとも。我々が隊長の嫁入りを見ずに死ぬはずないでしょ?」
「はあ!?」
シーラに素っ頓狂な声を上げさせたのは、クロナ=スウェンだ。話によれば、セレネ=シドールが遺した召喚武装ソウルオブバードの使い手になったという彼女は、シーラの元侍女団の中では姉御肌だった。ミーシャが笑いかける。
「結婚したらお子様の顔を見るまで死ねない、っていうんですよね?」
「よくわかってるじゃないか。そのとおりだよ」
「姐さんらしいや」
「なにいってんだよ!」
シーラが憤然とすると、クロナは当然のような顔で言い返す。
「いやだって、姫様の結婚は昔からの夢ですし」
「そうですよ、姫様」
「だから、俺は姫じゃねえ!」
「そんなだからいつまで立っても相手してくれないんです。もっとおしとやかに、ですねえ」
「ウェリスまで……!」
ウェリス=クイードにまでそんなことをいわれたことが悔しかったのか、シーラは拳を作り、震わせたが、その拳をリザの両手で包み込まれ、どうしようもなくなってしまう。
セツナは、そんな様子を眺めながら、微笑んだ。
「なんだかあっちは騒がしいな」
「一ヶ月以上会えず、そのうち数週間は音沙汰なかったわけですから、ああもなりましょう」
「……ま、そういうもんか」
会えないだけならまだしも、セツナの転移に巻き込まれ、無事を確認できなかった期間、彼女たちは気が気でなかっただろうことは想像がつく。彼女たち黒獣隊幹部は、シーラの元侍女ばかりだ。シーラのことを託された侍女としては、彼女の身の安全が確認できないことほど恐ろしいことはあるまい。きっと、シーラからの指示が書簡で届いたときには心底安堵しただろう。
そんなことを考えてから、視線を戻す。
セツナたちは、天輪宮泰霊殿一階の広間にいる。天輪宮は五つの殿舎からなる建物群の総称であり、泰霊殿は五つある殿舎の中心に位置する建物だ。天輪宮の中でも特別な場所として位置づけられており、ザルワーン時代は国主以外許可なく立ち入ることは禁止されていたほどだ。いまではセツナたちによって自由に出入りされているものの、アスラは泰霊殿に立ち入る際、ザルワーン時代に身に染み付いた思考回路によって緊張していたようだった。
広間には、セツナと黒獣隊のほか、ファリアたちも皆、揃っている。シドニア戦技隊の全員はいないし、黒獣隊も幹部だけではあるのだが、それは広間の広さの都合もあるし、隊士まで入れるときりがないということもある。
弓聖サラン=キルクレイドと星弓兵団長イルダ=オリオンもいて、セツナは、彼らと机を通して向かい合っていた。老将サランに比べるとイルダは随分と年若い印象を受けるが、それでもセツナよりはずっと年上のようだ。二十代半ばから後半くらいだろうか。きりっとした顔つきが印象的な女性で、星弓兵団長を務めているだけあって、弓の名手だ。
「処遇については、聞いていますよね」
「ええ。もちろんです、セツナ様」
サランは、颯爽と椅子から腰を上げると、その場で跪いた。セツナが驚いていると、彼は、そのまま宣言してきた。
「わたくしサラン=キルクレイドと星弓兵団は、たったいまよりセツナ・ゼノン=カミヤ様の弓となり、主に仇なすすべてのものを射抜く矢となりましょう」
「星弓兵団長イルダ=オリオンも、セツナ様の弓となり、矢となる所存にございます」
イルダも、サランと同じように跪き、セツナに忠誠を誓ってくれた。
セツナは、ふたりの言葉に感動さえ覚えながら、静かに頷いた。
「……今後とも、よろしく頼む」
「はい。なんなりと御命令を」
「頼もしいよ、本当に」
セツナのそれは、本心からの言葉だった。
領地が増え、私設軍隊の戦力を充実を図らなければならないと考えさせられていたところだった。エインやアレグリアからいわれていたことでもある。立場に相応しい陣容を整えるべきではないか、と。そんなおり、サランと星弓兵団がセツナ軍傘下に入ることが決まり、セツナは、なにもせずに必要な戦力を手に入れることができたのだ。それには無論、エインたち軍師の思惑が働いているに違いない。セツナ軍の強化は、ガンディアの強化に繋がる。
「いえ。こちらこそ、セツナ様配下に配属されるということが決まったときは、夢のような話で」
「そこまで、ですか」
「ええ。我々は元来がイシカの人間。陛下の暗殺を企み、失敗し、その上でガンディアの戦力に組み込まれたとはいえ、戦後の身の置き所に関しては不安しかありませんでしたから」
「弓聖殿を蔑ろにするほど、ガンディアも人材豊富ではありませんよ」
「しかし、わたくしどものようなものは、いつ切り捨てられてもおかしくないのもまた、事実」
イシカの王命とはいえ、国王暗殺計画に従事したという事実が重くのしかかるのだと彼はいう。確かにそうかもしれない。それに生きるか死ぬかの選択を迫られたとはいえ、挙句、イシカを裏切り、ガンディアについたということもある。印象はよくないし、場合によっては用済みだとばかりに切り捨てられていたとしてもおかしくはなかったのかもしれない。
「その点、セツナ様の配下なれば、そういった不安はないでしょう」
「そうですか?」
「セツナ様はガンディアでも随一の権力者であらせられる。違いますか?」
「否定はしませんよ」
セツナがそういうと、サランがにこりと微笑んだ。途端、彼の顔は好々爺のそれとなる。人好きのする優しい笑顔。シーラが彼を気にいるのもわかる気がする。
「いずれにせよ、セツナ様が死ねと命じられれば死ぬ覚悟ではありますが」
「俺がそんな命令を下すとでも?」
「必要とあれば、なされませ。それが上に立つものの責務なれば」
サランの冷ややかな言葉は、領伯という立場にあることの覚悟をいっているようだった。ひとの上に立つということは、それなりの覚悟が必要なのだ。大のために小を切り捨てる覚悟を持たなければならない。彼はつまり、そういうことをいっているに違いない。
そんなものが自分の中にあるのか。
だれかのためにだれかを犠牲にすることができるのか。
胸中、頭を振る。
既に犠牲を出しておいて、そのような考え方では、いけない。
自分のためにラグナは死んだのだ。
「……肝に銘じておくよ。そうならないことも、当然、祈っておくけどね」
これ以上、ラグナのような犠牲を出さないためにはどうすればいいのか。
セツナは、そのことを考えなくてはならなかった。
シドニア戦技隊、黒獣隊に加え、星弓兵団が配下に入ったことで、セツナ軍は一気に大所帯となった。
星弓兵団の団員数は千四百名。それがそのままセツナ軍に入ったのだ。シドニア戦技隊、黒獣隊ともに百名にも満たない少数精鋭部隊だったことから考えると、想像もつかないほどの大増員であり、それによってセツナ軍の軍旗や紋章についても頭を悩ませる必要が出てきた。
「セツナ軍であって《獅子の尾》じゃないものね。専用のが必要よね」
「そうなるよなあ」
「いまさらって感じもするが……あったほうがいいのは確かだな」
シーラがうなずく。シーラ率いる黒獣隊には隊章があり、黒き矛と獅子の尾を合わせたような紋章がそれだ。《獅子の尾》の隊章を元に黒き矛を象徴的に取り入れたものであり、それこそセツナ軍の紋章に相応しいのではないかと思ったりしたが、言い出せなかった。
セツナが広間の机に突っ伏していると、ミリュウが茶器を机に置いた。
「セツナ軍だけじゃなくて、カミヤ領伯家の紋章も必要なんじゃないの?」
「そういえば、そうね」
「あたしは、ミリュウへの愛を綴った一文とか、いいと想うけど」
「一文を紋章にするの?」
ファリアが目を丸くするのがわかる。
「めずらしくて目を引くと想わない?」
「確かに……」
「いやいや、ありえねえっての」
セツナは机の上から自分の上体を引き剥がすようにして起き上がり、隣のミリュウを見た。彼女は不服そうな顔をしてみせる。
「なんでよ。いいじゃない。世間にあたしへの愛を公表するのが恥ずかしいの?」
「そういう問題じゃないだろ」
「愛があるのは否定しないんだ……?」
「否定してどうなる」
セツナが憮然と告げると、ミリュウは、その瞬間、顔を真っ赤にした。一瞬にして言葉の意味を理解し、理解したと同時に全身が反応したようだった。
「あう……」
「イチコロだな」
「さすがは御主人様」
あきれたようなシーラに対し、レムは拍手さえしてセツナの行動を褒め称えてくる。すると、広間の扉が開き、思いもよらぬ人物が入ってきた。
「あらあら、みんな集まってなにをしているのかしら」
「太后殿下……」
セツナが思わず腰を浮かせたのは、グレイシアが侍女を引き連れて広間に入ってきたからだ。グレイシアはその存在だけで緊張感を発生させた。彼女への対応を誤れば、いかにガンディア随一の権力者であっても、一瞬にして立場が危うくなる。もっとも、セツナが緊張するのは、そういうことではなく、グレイシアの機嫌を損ねたくないからだ。
彼女の心情は、察して余りあるものがある。
「セツナちゃん、ひとつお願いがあるの」
「なんでしょう、殿下」
セツナは今度こそしっかりと立ち上がり、姿勢を正すと、グレイシアは微妙な表情になった。
「殿下なんて他人行儀な言い方は止めて欲しいのだけれど」
「はい?」
「グレイシアって、呼んで」
「あの……殿下」
セツナは、グレイシアの提案に心底戸惑った。まさか、太后ともあろう方がそのようなことを言い出してくるとは、神ならぬセツナに想像しようもない。だが、グレイシアは、セツナの困惑を他所に、微笑を湛えたまま微動だにしない。
「殿下、聞いてます? あの、殿下?」
セツナの呼びかけにも一切反応を示さないグレイシアの様子に、ファリアやシーラがなにかを悟ったように話しかけてきた。
「セツナ……」
「大変だな、セツナ様も」
セツナも、なんとなく、察する。
聞いてくれるまで、動かないつもりなのではないか。
セツナは、いろいろすべてを諦めるような気持ちで、口を開いた。
「……グレイシア様?」
「……様付けも嫌だけれど、今は我慢するわ。なあに?」
満面の笑みを浮かべて首を傾げてきたグレイシアに、セツナはどっと疲れが出るのをひた隠しにするほかなかった。
「なんなんですか……いったい」
「だって、わたしの身柄、セツナちゃん預かりなんでしょ?」
「それはそうですが……それとなんの関係が?」
「それってつまるところ、わたしの身も心もセツナちゃんのものってことなのよね」
グレイシアは、またしても予期せぬ事をいってきて、セツナたちの度肝を抜いた。
「な、なにを仰っているんですか!?」
「そうですよ!」
「あら、わたし、なにかおかしなことでもいったかしら」
グレイシアが奔放といったのは、レオンガンドだったが、王宮を離れたグレイシアがまさかここまで自由気儘だとは、セツナも想像すらしえなかった。




