第千五百四十二話 第二次遺跡調査
王都は、平穏を取り戻した。
それこそ、完全無欠といっていいほどの平穏が王都全体を包み込んでいる。
まるでジゼルコートの謀反やそれに伴う混乱、不安、不信、疑念といったものが最初からなかったかのような様子であり、それはつまるところ、王都市民がどれほどガンディア王家――引いてはレオンガンド・レイ=ガンディアを信用し、寄りかかっているのかということでもあるのだろう。
レオンガンド・レイ=ガンディアという大樹があればこそ、影に寄り添い、平穏な日々を過ごすことができるのだと、王都市民のだれもが無自覚に享受しているらしい。
ジゼルコートの体制下では、こうもいかなかったという話を聞き、彼はさもありなんと思ったものだ。
レオンガンドとジゼルコート。
政治力ではジゼルコートのほうが上だという意見を否定するものは、ひとりとしていまい。ジゼルコートは、その絶大な政治力で反レオンガンド同盟とでもいうべき軍勢を組織し、ガンディア本土、ログナー方面の大半を勢力下に収めることに成功している。一方、レオンガンドはというと、その政治力だけで成し遂げたことはなにひとつないといってよかった。レオンガンドの成功を支えてきたのは、彼が持つ圧倒的軍事力にほかならない。ジゼルコートに勝ったのだって、結局のところは軍事力で圧殺しただけのことであり、政治力では一度だってジゼルコートを凌駕することはできなかった。
だが、政治力だけがすべてではないことは、王都の現状を見れば明らかだ。
長年ガンディアを影から支え、影の王などと呼ばれたジゼルコートが謀反の末に死に、政治的支柱を失ったはずのガンディア王都は、いままで以上の平穏を満喫していた。
レオンガンドの政敵が一掃され、内憂は完璧に近く失われた。
外患に対しては、ガンディアの圧倒的軍事力が対応しうる。
国民としては、それだけで十分なのだ。
無論、指導者の政治力は高ければ高いほどいいという想いはあるだろうが、レオンガンドとて、愚かではない。少なくとも、国民の声に耳を傾けないということはないし、明らかな失政もいまのところなかった。政敵が一掃されたことで、彼の足を引っ張るものもいなくなった。これからは、腰を据えて政治を行うこともできるし、外征に力を入れることも不可能ではない。
国は、一枚岩になろうとしている。
「平和すぎるのもつまらない、って顔ね」
「ほう」
カイン=ヴィーヴルは、隣からの気だるげな声に目を細めた。王都ガンディオン王宮区画、王家の森の真っ只中を歩いている。隣には、彼の飼い主とでもいうべき女がひとり。
「君には、仮面の表情がわかるらしい」
「目を見たのよ」
喪服のような黒衣に身を包んだ女は、愛想笑いも浮かべなかった。仏頂面は、機嫌が良くないことの証左だ。
「目で、感情がわかるのか」
「わかるわよ。あなたのは、わかりやすいもの」
「本当にそれだけか?」
「それだけでもわかるってこと」
「つまり、それだけではないということだな」
目から感情を読み取るのは、簡単にできることではない。しかし、ウルの場合、そんな小難しいことをしなくとも、感情の流れを読むことはできるのだ。無論、彼女が“支配”している対象に対してのみ、ではあるのだが。
精神を支配する糸が、結ばれている。
ウルがうんざりしたように嘆息する。
「あなたって本当、つまらない男よね」
「そんなつまらない男の相手をしていなければならないほど、君は暇人なのか?」
「そうよ。わたしは暇人なの。相手なさい」
ウルが前に立ち、こちらを睨みつけてきたので、カインはわざとらしく跪いてみせた。
「わかりましたとも、飼い主様」
「あら、めずらしく素直じゃない」
「心を読めばいい」
そういって、顔を上げると、彼女は仮面の奥の目を覗き込むような所作をした。自然、顔が近づく。ウルの灰色の瞳には、どのような感情が流れているのか、カインには見当もつかない。
「暇潰しになりそうって感じ?」
「ご名答」
「まあ、それでいいわよ。どうせ、暇潰しなのはわたしも同じだし」
ウルが再び歩き始めるのをみて、後に続く。
王家の森は、広い。王宮区画を覆っているといっても過言ではなく、その中に作られた歩道は、木々の枝葉が織り成す天蓋の下を通過するようになっており、ただ散策するだけでも楽しいものなのかもしれない。しかしそれは、カインの感覚的にはまったく理解できないことで、だからこそ、暇を持て余しているという気分になるのだ。
「本当に君は暇なのか?」
「どういう意味かしら?」
「最近、仕事が増えたばかりだろう」
「……まあ、ね」
ウルが足を止め、振り向いてくる。
「でも、だいじょうぶよ。あなたより余程か弱い相手だったから、なんてことないわ」
相手とは、新たに増えた“支配”対象のことを指している。
ウルは、外法の施術によって異能力者となり、その異能によって現在の地位にいる。カインを“支配”しているのも、彼女の異能なのだ。その異能による支配対象が増やされることになり、現在、彼女はカイン以外にもうひとりの人間を支配下に置いていた。
その人物の名はシャルティア=フォウス。ジゼルコートに通じながらルシオンに仕官していたという武装召喚師であり、ジゼルコートの敗色が濃厚となるやいなやジルヴェールに近づき、戦後の仲介を頼んだ男だ。レオンガンドやエイン=ラジャールは、彼の有用性に着目し、是が非でもと欲しがったが、レオンガンドの敵に回る危うさもあった。そこで、レオンガンドは彼をウルに支配させることにしたのだ。
支配は、絶対だ。
どれだけ拒絶しようとも、“支配”されてしまえばひとたまりもない。
カインがレオンガンドの従順な狗と成り果てたのも、異能の力が凶悪故だ。
シャルティアもウルが“支配”してしまえば、裏切られる恐れもない。もちろん、ウルが裏切らない前提の話ではあるが、それは、レオンガンドたちもわかっていることだろう。
シャルティア=フォウスを支配するにあたってひとつだけ問題になったことがある。
それは、シャルティアの意志力次第では、カインと同時に支配できないかもしれないということだ。支配の力は強力無比だが、だからといって万能ではない。ある種の制限があるのだ。それを彼女は糸と呼んでいた。十本の糸があり、その数だけ支配できるというのだ。しかし、カインのような意志力の強い対象を支配するには複数の糸を用いなければならず、シャルティアの意志力が強ければ、カインの支配を解かなければならなかった。
もしそうなった場合、カインは、レオンガンドの意志によって死を賜っただろう。
カインよりも、シャルティア=フォウスの召喚武装のほうが利用価値が高い。
「そうか」
「あら、心配してくれるの?」
「君が手綱を握れなくなれば、俺もお払い箱になるのだろう?」
「そりゃあそうよ。手綱もついていない暴れ馬なんて、だれも必要としないでしょ」
「そうだな」
「死にたくない?」
「そういうことではないよ」
彼は、苦笑を交えて、言葉を返した。
「生と死など、どうだっていいいことだ。いつ死のうと、どう死のうとな。ただ、できるならば、もう少し見届けたいという気持ちもある」
「セツナ様?」
ウルが難なく言い当ててきたので、彼は仮面の奥で渋面を作った。心の動きが手に取るようにわかる相手に、仮面で表情を隠すなど無意味なのだろうが。
「……彼の行き着く先を見てみたいのだ」
「まるで恋する乙女ね」
「なにがだ」
「あら、怒った」
ウルが嬉しそうにぴょんと跳ねる。小柄な彼女がそんな風な仕草をすると、途端に年齢を感じさせなくなった。まるで十代の少女のように想えるのだ。
と。
「こんなところにいたの。探したじゃない」
突如として聞こえた声は、涼風のようだった。
「はい?」
振り向くと、喪服のような黒衣を纏った女が立ち尽くしていた。黒髪に灰色の瞳の美女。背格好以外は、ウルによく似ている。
「……アーリア殿か」
「あなたの大好きなお姉さまよ、ウル」
アーリアは、ウルの前だけで見せる笑みを浮かべながら、そんな風に名乗ってきた。ウルは一瞬呆気にとられたような顔をしたが、すぐに心配そうな表情になる。
「もう歩き回ってだいじょうぶなんです?」
「だいじょうぶよ。グロリア殿の召喚武装のおかげでね、回復したの」
アーリアは、その場でくるりと回って見せた。体調が万全であることを主張したつもりなのかもしれない。
「そうだったのですか。良かった……」
心底安堵している様子を見ると、やはり、姉妹仲はいいらしい。アーリアが妹想いだということは知っていたことだが、ウルも姉想いであるということがよくわかった。ふたりの関係が良好だろうがどうだろうが、知ったことではないのだが。
ウルが心配するのも無理のないことではあった。アーリアは、バルサー要塞におけるルシオン軍との戦いでハルベルク・レイ=ガンディアの進軍を妨害しようとしたが、ハルベルクが手にしていた召喚武装の能力によって異能を看破され、重傷を負っていた。それ以来バルサー要塞で療養していたのだが、少し前、王都に帰ってきたのだ。グロリア=オウレリアのエンジェルリングによる治療を受けたのは、それからのことだろう。
カインも、エンジェルリングの治療を受けている。エンジェルリングは、自然治癒力を向上させる召喚武装であり、カインの負傷はだれより早く回復しており、周囲を驚かせた。グロリアいわく、カインのもともとの回復力が迅速な治癒を可能にした、ということだ。
「それで、我々を探していた理由は?」
「休暇中ですよ?」
カインにつづいてウルが問うと、アーリアはとても楽しそうに微笑みを浮かべた。
「暇、持て余しているんでしょう?」
「それはそうですけれど」
「暇潰しになるようなことなので?」
「ええ。地下遺跡、聞いたことくらいはあるでしょう」
アーリアがいってきたことは、カインが想像すらしていなかったことだった。カインとウルにアーリアが寄越してくるような任務といえば、王命であろうと予測される。しかし、王命に遺跡が絡んでくるとはさすがのカインも想像しようがない。
「使者の森の地下に発見されたっていう、あれですよね?」
「そうよ。ついこの間、セツナ様みずからが調査団の護衛を務められたことでも話題のね」
「その遺跡がどうかされたんです?」
「二回目の調査が行われることになった、とか?」
「ご明察。その通りなのよ」
アーリアが笑顔のまま肯定するのを見て、カインはなんとはなしに彼女が持ってきた話の内容を理解した。
「それで、わたしたちに護衛を務めろ、と?」
「ガンディアの英雄様が務められた由緒正しき栄誉ある役割よ」
「光栄ですな」
「皮肉にしか聞こえないわ」
「本音だよ」
「嘘ばっかり」
アーリアには聞こえないくらいの小声で吐き捨てるウルに、カインは目を細めた。
「本当、仲いいのね。妬けちゃうわ」
「お姉さまも、そろそろ陛下以外の男を見つければいいのに」
「わたしは陛下一筋で十分」
アーリアの一言が本音なのかどうか、カインにはわからない。彼女がウルに対して嘘をつく理由もないが、カインという第三者がいるということもある。虚偽の発言かもしれないし、本心かもしれない。ウルを横目に見ると、彼女もまた、判断に困るような表情をしていた。ウルもまた、レオンガンドを必ずしも嫌ってはいないというところがあるからなのか、どうか。
「第二次調査は、第一次調査よりも多くの調査員が投入されることになっているわ。傭兵局や術師局からも人員を駆り出すみたい」
「だったら、わたしたちはいらないんじゃ?」
「だからこそ、いるのよ」
アーリアが、ウルに顔を近づけて、いう。
「人が多いとね、護衛の数も必要なの」
「なるほど」
「それで、いつからなんです?」
「明日、王都を出発することになっているわ」
「明日!?」
ウルが素っ頓狂な声を上げると、王家の森がざわついた。王家の森に住み着く動物たちが驚いたのかもしれない。
「ちょっと、突然過ぎません?」
「それはそうでしょう」
アーリアが面白そうに微笑んだ。
「あなたたちがいなかったんだもの」
艶やかな笑みを浮かべるアーリアに対し、ウルは、面食らったような顔をした。
ここ数日、カインとウルは、王宮特務に与えられた休暇を使い、王宮区画を離れ、新市街や旧市街を歩き回っていたのだ。すべてウルのわがままだったが、気晴らしになったのは、紛れもない事実だ。その点では彼女に感謝するしかない。
平穏な日常を悪くないと想えるようになったのも、彼女のおかげなのだろう。
「それで、引き受けてくれるの? くれないの?」
「その言い方、王命ではないのですか?」
カインは、まるで頼み事のような彼女の言い方に疑問を覚えた。王命ならば、レオンガンドの命令を伝えるだけでいい。カインたちは王命には逆らえない。ただ従うだけのことだ。しかし、彼女の言い方は、ただの頼みごとのようであり、断る権利があるかのようだった。
「ええ。あなたたち、休暇中でしょ? いくら暇だからって仕事を押し付けるほど、陛下も悪人じゃないわよ」
「まるで少しは悪人みたいな言い方ですね」
「悪人じゃない。違う?」
当然のようにアーリアはいう。レオンガンドの側近に聞かれていたら、激怒されそうな言い様だった。
「……違いませんけど」
「俺は構いませんが、ウル殿が受けるかどうかは」
カインが覗き見ると、ウルは少しむっとしたような表情になった。カインに先にいわれたのが悔しいのかもしれない。彼女にはそういう子供っぽいところがある。
「受けますよ。暇潰しにはちょうどよさそうですし、なにより、話に聞く地下遺跡、覗いてみるのも面白そうで」
「そう。良かったわ。あなたたちが引き受けてくれなかったら、わたしが行く羽目になったかもしれないもの」
「ええ!? お姉さまはいかないんですか?」
「わたしには、陛下と王妃殿下、王女殿下をお守りするという使命があるもの」
「それは……そうですけど」
ウルが不承不承といった風に、いう。
「陛下の政敵がいなくなったからといって、国外の間者、諜者が紛れ込んでこないとは限らないもの。注意するに越したことはないわ」
「だったら、いますぐ戻ったほうがいいのでは?」
「わかっているわ。調査についての詳しい話は情報部に聞いてちょうだいね。じゃあ、ね、ウル。カイン殿も、よろしく」
「はい、お姉さま」
「お任せあれ」
ウルとカインが深々とうなずくと、アーリアは頼もしそうな表情をして、ふたりの前から消滅した。音もなく、忽然と、消えて失せた。外法の施術によって発現したアーリアの異能は、認識の消滅。異能が発動すると、だれも彼女を認識することができなくなるのだ。その能力は護衛や暗殺などの任務に向いており、彼女は酷使されている。が不満を漏らさないのは、酷使されるくらい働いているほうがいいという考え方だからのようだ。
アーリアが消え去ったことで、王家の森には静寂が訪れた。
「……なんか、仕事が増えちゃったわね」
「増えたというか押し付けられたというか」
「でも、まあ、いっか」
「ああ」
うなずく。
暇を持て余しているよりは、いいだろう。
「遺跡……遺跡かあ」
「君が太古に幻想を抱く人物だとは知らなかったよ」
何気なく皮肉を告げると、ウルは、だれもいなくなった前方を見やったまま、肩を震わせて不気味な笑い声を上げてきた。
「ふふふ」
「なんだ?」
「これからわたしの知らない部分を知っていくことで、あなたはわたしの虜となっていくのよ……」
「……君は面白いな」
「馬鹿にしてるでしょ」
「してない」
そんなこんなでカインたちは情報部のウィル=ウィードを訪ね、第二次遺跡調査団の護衛につくことを告げた。調査団側にはすでに通達されており、その準備も整えられていた。
翌六月七日、総勢百人を超える規模の第二次遺跡調査団は、使者の森跡地ではなく、王都南西部の、第一次遺跡調査団が開通した遺跡出入り口を目指して出発、その日の内に遺跡への侵入を果たした。
第二次遺跡調査は、第一次調査を引き継ぎ、遺跡の全容を把握するためのものだということであり、本格的な調査というよりは、その前段階といった様子だった。
調査団の護衛には、傭兵局より《蒼き風》突撃隊長ルクス=ヴェインが部下ともども参加しており、それだけで十分ではないかと想わなくはなかったが、ウィル=ウィードたちによれば、それでも不安だという話だった。
第一次調査において護衛を務めたセツナたちは、遺跡の防衛機能による攻撃を受けており、ほかにもなんらかの妨害を受ける可能性があるという。
遺跡の防衛機能がどういったものなのかは想像がつかず、そのためにも護衛は必要不可欠だというのが調査団の考えだった。




