第百五十三話 黒き矛の運用法
西進軍と名付けられた混合部隊が動き始めて一日が経過している。
九月十三日。
日程通りならばマイラムでレオンガンドの演説が行われており、その事実がセツナには辛かった。
「陛下の演説、聞きたかったなあ……」
レオンガンド・レイ=ガンディア。彼の主君であり、忠誠を誓った唯一の人物だ。この寄る辺なき異世界で自分を拾い上げてくれ、あまつさえ王宮召喚師に任命し、王立親衛隊《獅子の尾》隊長にまで抜擢してくれたのだ。感謝しかないし、レオンガンドのためならばどんな状況だって戦い抜けると思えた。
だからこそ、レオンガンドの演説をこの目で見、この耳で聞きたかったのだ。この世界に録音機材や録画装置があれば、それでも我慢出来たが、そんなものがあるはずもなかった。最速の通信手段が伝書鳩なのだ。録音や録画など、望むべくもない。
セツナがレオンガンドの演説の日程を知ったのは、エイン=ラジャールと合流してからのことだ。彼がマイラムを発つ頃には、ガンディア軍が集合する日時が判明していたのだろう。そこから演説の日取りが決められたに違いない。
セツナは激しく落胆したが、ルウファも同じ気持ちだったようだ。彼もレオンガンドへの、ガンディア王家への想いが強い。古くからガンディア王家に仕えていたというバルガザール家の次男である彼のほうが、部外者のセツナよりも余程王家のことを考えているだろう。実際、セツナは王家というよりも、レオンガンド本人に心酔しているのだが。
「ふたりとも、いつまでも落胆していないの」
ファリアが背後から大声を上げてきたのは、ルウファとセツナが相乗りする馬そのものが落胆しているように見えたからかもしれない。
右眼将軍アスタル=ラナディース率いる西進軍は、飛翔将軍発案の高速進軍法によって、バハンダールに急行していた。
バハンダール攻略にあたっての軍議は、十二日、ナグラシアのガンディア軍仮設本部で行われた。仮設とはいうものの、今後の軍の出入りを考え、そこそこ本格的に整えられており、作戦会議室も十分な広さがあった。元は第三龍鱗軍の本営だった建物だ。
軍議に出席したのは、西進軍の主要人員といっていいだろう。西進軍指揮官アスタル=ラナディース、西進軍第一軍団長グラード=クライド、西進軍第二軍団長ドルカ=フォーム、西進軍第三軍団長エイン=ラジャール、《獅子の尾》隊長セツナ・ゼノン=カミヤ、隊長補佐ファリア=ベルファリア、副長ルウファ・ゼノン=カミヤ――以上の七名が、大きなテーブルを囲んでいた。
西進軍への再編により、各軍団長が率いる軍団の番号が変わったため、セツナは混乱しそうになったが、そもそも名前さえ覚えていればどうにかなると考えなおしていた。
「バハンダール攻略については、エイン軍団長に案があるということだったな」
軍議が始まって早々、アスタルがエインに発言を促した。
「はい」
エインは立ち上がると、一堂を見回して、悠々と口を開いた。
「みなさんも知っていると思いますけど、これから向かうバハンダール周辺は元々メレドの土地でした。バハンダールが城塞化したのも、ザルワーンからの侵攻を食い止めるためだといいます。実際、バハンダールは不落の都市として、長きに渡りザルワーンの攻撃を受け止めていましたよね」
エイン=ラジャールという少年の豹変振りには、セツナも舌を巻いた。普段セツナに付きまとい、はしゃいでいる子供はそこにはおらず、右眼将軍の視線にも動じない軍団長がいた。毅然とした態度も、滑らかで淀みない口調も、ふだんの彼からはまったく想像できなかった。
グラードもドルカも驚いていないところを見ると、彼らにとっては見慣れた光景なのだろう。だからこそ、十六歳という若さで軍団長に抜擢されていることに疑問も抱かないのかもしれないし、同僚として接することもできるのだろう。
「周囲の地形が自然の要害となっているんですよね。バハンダールは、その名の通り丘の上に築かれた都市ですが、その丘の周囲四方の広範に渡って湿原が横たわり、狭い街道も北と南を貫いているだけ。街道を頼りに接近すればただの的になり、湿原を進んでも同じことです。なにせ、泥濘に足が取られてまともに進めませんからね。ザルワーンはそのせいでいいようにやられたようです」
卓上の地図には、目的地への進軍路が書き入れられている。文字はわからないが、ナグラシアからバハンダールへ向かう経路だということは理解できる。結構な距離があり、辿り着くまでに数日を要することは明白だった。
バハンダールの周辺には、湿原が広がっているという。セツナの貧困な知識と発想では、想像もつかなかったが、道すがらファリアにでも聞けば親切に教えてくれるだろう。エインの話を聞く限り、湿原の中で戦闘することはなさそうではあったが。
「その上、湿原を越え、バハンダールに到達したとしても、待っているのは急な丘と高い城壁。降り注ぐ矢の雨は、ザルワーンを絶望に叩き落としたことで有名ですね」
「だからザルワーンは攻め落とすのを諦めた」
「はい。戦略を変え、長期に渡る攻囲で干乾しにし、バハンダールの将を降伏させた。補給線が断たれれば自滅するのは自明の理。そのために要した時間と人員、費用を考えても、突撃して玉砕を繰り返すよりは遥かに効率的だといえます」
「だが、俺たちにそんな人数も時間もないぜ?」
「そう。我々はバハンダールを早急に陥落させなくてはなりません。補給路を断ち、立ち枯れていくのを待っている間に本隊が全滅しては意味がないですからね」
「では、どうする? エイン軍団長」
「セツナ様に任せます」
「はあ!?」
さっきまでの会話の流れからはまったく予想できなかったエインの発言に、セツナは声を上擦らせた。将軍及び軍団長たちの視線が自分に集中するのを認めるが、いまさら取り戻すことはできない。
エインはというと、さっきまでと同じく、冷静な目でセツナを見ていた。興奮状態にあるファンの目ではなかった。
「《獅子の尾》隊の実力については詳細に認識し、記憶しています。セツナ隊長の黒き矛、ファリア隊長補佐のオーロラストーム、そしてルウファ副長のシルフィードフェザー。これらが我が西進軍の攻撃の要だということは理解できますね」
「うちらの手柄がなくなるほどにね」
「軍団長は指揮を取るのが仕事だ。雑兵の首級など求めるものではない」
「わかってますよ」
アスタルの叱責に、ドルカは憮然としたようだ。栄達を望む彼には、軍団長の働きでは物足りないのかもしれないが、アスタルの言い分の方が正しいのはセツナにもわかる。ただし、その言葉はセツナには当てはまらない。《獅子の尾》隊長である彼には、数多くの敵を倒す事こそが求められている。
「今回も、セツナ隊長に手柄を持っていってもらいますが、ルウファ副長にも重要な役割を果たしてもらいます」
「俺……?」
「はい」
エインは、ルウファの驚く顔に微笑で答えると、地図上に駒を並べた。大きな駒が三つ。第一、第二、第三軍団を示す駒だろう。それらをバハンダールの南と東に配置する。
「グラード軍団長は第一軍団とともに南門を受け持ってもらいます。ファリア隊長補佐はグラード隊と行動してください。ドルカ軍団長の第二軍団は、俺の第三軍団とともに東門に当たります。右眼将軍もこちらに」
「ふむ」
「りょーかい」
「しかし、これでは狙い打ちされるのではないか?」
グラードの疑問ももっともだった。湿原を進み、バハンダールに近寄れば簡単に狙撃される、というのは彼が散々いっていたことだ。
「そこで、セツナ様の出番です」
エインは小さな駒を、第一軍団の辺りに置いた。セツナは、エインの口振りから嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
「ルウファ副長のシルフィードフェザーには飛行能力があります。かなりの高度まで飛べるようですね。城壁の敵兵に気付かれないほどの高さくらい、余裕だという話ですが」
「はい。ですが、地上に近づけば見つかりますし、こっちは無防備なんで撃ち落とされますよ」
それが、ルウファのシルフィードフェザーの弱点でもある。自在に飛び回れるのだが、飛行中は自分の身を護ることもできない。飛来する矢をかわすのは難しいものだ。
「もちろん、ルウファ副長にはそんな馬鹿げたことはさせませんよ」
エインは一笑に付したが、セツナには気にかかる言い回しだった。反芻する。
「には?」
「ええ」
エインは、微笑を湛えていたが、その目は笑ってなどいない。
冷酷な事実を告げる医者のような目だと、セツナは思った。
「馬鹿げたことをするのはセツナ様です」
断言されて、セツナは絶句した。
言葉を失ったセツナを尻目に、エインは、地図上の小さな駒をバハンダールまで移動させていく。
「ルウファ副長は作戦開始とともにシルフィードフェザーを召喚、セツナ隊長をバハンダール直上に運んでいただき、投下してください」
「はっ!?」
「セツナ隊長におかれましては事前にカオスブリンガーを召喚してください。落下の衝撃で死なないように」
「ちょっと待て!」
「ルウファ副長はセツナ隊長を投下後、グラード隊に合流、以降はグラード軍団長に従ってください」
「ちょっ」
「セツナ隊長は、バハンダールで派手に暴れてください。手柄を総取りしていただいてもかまいません。我々は、セツナ隊長投下後の混乱に乗じてバハンダールに接近します。無論、混乱が長く続くとは思えませんが、投下前に敵軍の弓の射程距離ぎりぎりまで近づいておけばなんとかなるでしょう」
「……」
セツナが沈黙したのは、発言のことごとくが黙殺されたからだ。諦観が、セツナを椅子に座らせる。隣のファリアが、肩に手をおいてきた。慰めてくれているのかもしれない。
エインは、セツナ投下作戦をまくし立てたあとは、満足したように微笑んでいた。彼にとっては会心の策だったのかもしれないが、セツナにしてみれば策でも何でもないように思えてならない。希望的観測が多いのではないか。混乱など、長続きするはずがない。
たしかに、敵の武装召喚師が上空から投下されてくるなど予想だにしない事態であり、迎撃のために騒動になるだろう。黒き矛の雷名が動揺を与えるかもしれない。だが、その隙は、外の部隊がバハンダールに取り付けるほどのものなのだろうか。
だから彼は派手に暴れろといったのかもしれない。大暴れして、バハンダールの敵軍の注意を引き付けておけば、外への対応は疎かになるかもしれない。
「なにか質問は?」
「はいはーい」
「ドルカ軍団長」
「それ、カミヤ殿が死ぬんじゃね?」
ドルカは、久々にまともなことをいったはずなのだが。
「は?」
エインは、わけがわからない、といった顔でドルカを見ていた。セツナは頭を抱えたくなった。左肩にルウファの手が乗る。部下ふたりに同情されて、なんて素晴らしい軍議なのだろう――そんな皮肉を思い浮かべながら、セツナは、エインのことを見ていた。
彼は、力説していた。
「カオスブリンガーならその程度の高度、なんとでもなりますよ!」
「まあ、なんとかなりそうなところが怖いんだよねー」
ドルカの発言は、ナグラシアの門を破壊したことが原因なのかもしれない。
分厚い鉄の門をぶち破った一撃は、混合軍に様々な意味で衝撃を与えたようで、それ以来、兵士たちのセツナに対する対応が変わっていた。ログナー人としての誇りと黒き矛への畏怖の間で揺れ動く軍人たちも、現実を目の当たりにすれば態度を変えざるをえないのだろう。といって、セツナに対して媚びへつらう人間は少なく、むしろ腫れ物でも触るような態度であることが多かった。
「そんなの試したことないんだけど」
セツナがおずおずと口を開くと、エインがこちらを振り返って語気を強めてきた。
「試さなくてもわかります! だって、セツナ様なんですよ?」
どこからその自信が湧いてくるのかはわからなかったし、エインはやはりセツナの熱狂的なファンで、だからこその策なのだと思い知るしかなかった。かといって、反論も思いつかない。黒き矛ならばやり遂げられるだろうという確信めいた想いもある。
「ほかに意見のあるものは?」
アスタルが会議室を見回すが、だれも意見をいわなかった。自分の立案した作戦に絶対の自信があるエインに、どうでもよさげなドルカ、思案顔のグラード――軍団長たちの表情も様々だ。アスタルも意見をいわないところを見ると、ほかに妙案がないのかもしれない。
ルウファは多少緊張しているようだった。いくら高高度まで飛行できるからといって、安全とは限らない。バハンダールに武装召喚師が配置されている可能性もある。その場合、ルウファごと撃ち落とされる可能性もあるが、そうなったらそうなったでふたりで暴れるしかない。
ファリアは、特に心配そうな顔もしていなかった。セツナと黒き矛の実力を信頼しているのかもしれない。とはいえ、エインのような狂信ではない。実際に目で見て、肌で感じた事実からくる信用なのだろう。セツナは、ファリアの表情こそがありがたかった。
「バハンダール攻略にはエイン軍団長の作戦を採用する。なお、バハンダール攻略の目的は、補給線の確保である。バハンダールを落とせば、レコンダールとの連絡も容易となる。さらにいえばバハンダールは難攻不落の城塞都市だ。陥落せば全軍の士気も上がろう。心してかかるように」
アスタルが採択した以上、文句は言えない。いや、そもそもセツナには作戦を立案する能力などはない。上が決めた作戦を完遂することだけが、セツナにできる唯一のことだ。そして、それでいいのだ。黒き矛の役目とはそれなのだ。定められた作戦のために全力を尽くす。
黒き矛ならば、どんな高さから落下しても耐えられる――エインの熱狂的確信は、セツナの中にもないわけではないのだ。カオスブリンガーの秘められた力は、ナグラシアの門を破壊する程度ではない。
セツナは、覚悟を決めると、将軍の目を見た。
女将軍の凛々しい視線は、セツナへの期待が込められているように思えた。