第千五百三十話 夢であるように(三)
「た、ただいま……ってどうしたんだ? シーラ」
セツナは、シーラのただならぬ様子に怪訝な顔になった。
隊舎の正門に掲げられた魔晶灯が、彼女の姿を夜の闇に映し出している。美しい白髪が淡く輝き、よく目立っていた。夜中だというのに黒獣隊の隊服を着込み、召喚武装ハートオブビーストを携えているのは、隊舎を警護するつもりなのであれば妥当だ。しかし、彼女がそんなことをする必要も道理も理由もなかった。
隊舎は、元々、都市警備隊に警備を任せる程度だった。王都の群臣街だ。警備の必要性などほとんどなかった。が、セツナ暗殺未遂事件を皮切りに警備が強化される流れになり、《蒼き風》が護衛についたりしたこともあった。それも先日までのこと。レオンガンドの敵が国内から一掃されたことで、厳重だった警備は解除され、都市警備隊による警備さえも緩いものとなっていた。政敵が一掃されたからといって油断するべきではないのだが、隊舎そのものの警備の必要性がなくなっただけのことであり、群臣街そのものは依然として都市警備隊による監視下にあるのだ。《獅子の尾》隊舎が狙われるようなことは、現状、到底考えられるものではなかった。
それにシーラは《獅子の尾》の隊士ではない。セツナの配下だが、《獅子の尾》のために働く必要はなく、そのことについてはシーラも重々承知しているはずだった。
「どうしたもこうしたも。わたくしはセツナ様の家臣でございます故、お帰りを待っていたのでございます」
「まあ、シーラ様ったら、わたくしの真似でございますか?」
レムが喜々としてシーラに歩み寄ったのは、彼女の口調がどことなくレムを彷彿とさせたからだろう。レムの文法が崩壊したような喋り方に似てはいるものの、それよりもずっと硬い印象を受ける。そして、わざとらしささえ感じる。レムには感じないものだ。それがなんだか歯がゆい。
「似合わねえぞ」
セツナが素直な感想を述べると、シーラは、予想通りといわんばかりに微笑んできた。
「似合う似合わないの問題ではありませぬ。家臣として正しく振る舞わば、こうなるは必定。多少堅苦しくとも、ご勘弁くださりませ」
「……いや、しかしな」
「シーラ様の礼儀作法は完璧にございますが、しかし……」
レムは、シーラの周りをくるくると動き回りながら観察し、難しい顔をした。
「しかし?」
「駄目だな」
「はい。まったくもって」
「なにが駄目なのでしょう?」
シーラは納得いかないといった反応だったが、セツナは一刀両断するかの如く、告げた。
「俺が気に入らねえ」
「はい?」
彼女は、呆気にとられたようだった。まったく予期せぬ言葉だったのだろう。セツナ自身、なにをいっているのか、と思わないではなかったが、本音を告げるのが一番だとも考えた。
「シーラ様。御主人様の家臣を自負なさるおつもりならば、御主人様の御趣味を理解することから始められるべきでございます」
「趣味?」
「御主人様は、堅苦しいのがお嫌いでございます」
「しかし……」
「俺の趣味はともかくとして、いまさらおまえにそんなの求めてねえってこと」
レムの意見に食い下がるシーラに向かって、セツナは自分の想いをぶつけた。シーラに家臣としての振る舞いを求めるのであれば、最初にそういったはずだ。だが、セツナは最初から、そのようなものを彼女に求めはしなかった。エスクに対してもそうだ。無論、自分の立場は理解している。家臣たるもの、いまのシーラのように振る舞うべきなのだろうということも承知している。しかし、それではセツナが気持ち悪いのだ。
元々、シーラは異国の王女様だった。成り行き上配下に加えたものの、本来ならば領伯たるセツナと対等以上の人物だったのだ。そして、そんな王女様との戦友の如き付き合いが、セツナには心地よかった。もはやあのころには戻れないとはいえ、家臣らしく振る舞って欲しいとは想わない。
もちろん、それが彼女の本当の望みであるのならば、受け入れる以外にはないが。
シーラは、明らかに無理をしていた。
「趣味です!」
突如、レムが詰め寄ってきたことにセツナは驚きながら、言い返した。
「ちげえ!」
「ではなんなのでございますか!?」
「いまいったじゃねえか!」
「なんです!?」
「だから!」
セツナは、レムの相手に疲れ果てて、大きく嘆息した。
「……ったく、これだからうちの下僕壱号は困る」
「御主人様が戯れてくださる時間こそ、至福なのでございます」
「そーかい」
適当に返答して、頭を掻く。レムの言葉を信じていないわけではなく、照れ隠しに過ぎない。レムは、さらりとそういった言葉を叩きつけてくるから、セツナの心に刺さるのだ。真正面から受け止めるには恥ずかしすぎることばかりだ。
それから、シーラに向き直る。彼女は、所在なげに突っ立っていた。
「どうしたんだ? らしくないぞ」
「らしくない……か。らしい、ってなんだよ」
シーラが、さっきまでの硬い言動をかなぐり捨てたのは、セツナとレムの言い合いを見て馬鹿らしくなったからなのかもしれない。
「それ」
「これ?」
「はい。シーラ様といえば、それにございます」
レムまでもがセツナの言葉を引用すると、シーラは、憮然とした。
「よくわかんねえ」
「それだよ、それ」
「はい」
「ったく……なんなんだよ、この主従」
「おまえと俺も主従だよ」
「そりゃそうだけどよぉ……」
彼女は途方に暮れたように肩を落とした。取り付く島もないとはこのことだ、とでも実感しているのかもしれない。
「で、なにがあった?」
「なにも」
「そうは思えないな」
セツナは、シーラが目をそらすのを見逃さなかった。本当になにもないのならば、目をそらすとは思えない。
「本当になにもねえよ」
「だったら、いいが」
「気分転換……なるほど」
「なにがなるほどなんだ?」
問うと、レムは、ことさら嬉しそうに身を乗り出して、シーラの手を取った。
「シーラ様もたまにはわたくしと同じ格好になりたい、ということでございますね!」
「なんでそうなるんだよ!」
「……たまにはそういうのもありだな」
「セ、セツナが望むならいいけど……」
「冗談だよ」
「な、なんだ……冗談か……」
ほっとしたような、どこか残念そうなシーラの反応の前では、本音は見えなかった。
「……ちょっと考え事してたら眠れなくなってさ」
「それで待ってたってわけか」
シーラが、こくりとうなずく。彼女は、ハートオブビーストを握ると、軽く掲げてきた。
「……一勝負、してくんねえか?」
「いいぜ」
セツナは、一も二もなく応じた。
「こんな夜中に、でございますか?」
「頼むぞ、照明係」
セツナは、レムに指示を出すと、そそくさと隊舎の裏庭に向かった。
ファリアは、ぼんやりと隊舎の廊下を歩いていた。夜中。ミリュウは、セツナの帰りを待つつもりだったようだが、遺跡調査での疲れのせいなのか、椅子に座ったまま眠ってしまった。そんな彼女をアスラとふたりで彼女の寝室まで運んだあと、ファリアは、広間に戻る気にもなれず、ぼんやりと窓の外を眺めたりして、時間を潰した。アスラは、ミリュウと一緒に寝る、などと言い出したので放って置いた。ミリュウは最近、アスラと一緒に眠ることが多い。問題はないだろう。
ありのままの自分。
あるがままの自分。
素のままの自分。
そんなものを当然のように求められ、受け入れてくれることがどれほど嬉しいことで、幸せなことなのか、ファリアにわからないはずがなかった。
ファリアは、生まれてこの方、ずっと本当の自分ではない自分を求められ続けていた。
リョハンの戦女神ファリア=バルディッシュの孫娘として生を受けただけならばまだしも、ファリアという神聖視される名前をつけられたことが、彼女の運命を決定づけたといってもいい。
ファリア・ベルファリア=アスラリア。
ファリアの孫のファリア。
そのような名を与えられたのだ。自分らしく、あるがまま、思うままに生きられるわけもない。そういう風に考えたこともない。戦女神ファリアに一歩でも半歩でも近づけるように、邁進する日々だった。物心付いたときには、祖母にして戦女神たるファリア=バルディッシュの偉大さは理解していたし、そんな彼女の名を与えられた自分の人生についても直視しなければならないことも、朧気ながらわかっていた。
自分はファリア=バルディッシュの孫娘というだけでなく、戦女神の後継者として期待されている。リョハンのだれもがそう見ている。同じ教室で学ぶ生徒たち、教師陣、父や母もそうだったし、祖母も祖父も、そう見ていた。リョハンを運営する護山会議でさえ、そうだ。彼女が次代の戦女神であると決定事項であるかのように動いていた。
無論、父も母も、ありのままのファリア愛してくれていたし、祖母もそうだ。祖父だって。だからこそ、最終的にファリアが戦女神ではなく、ただの人間として生きていくことを了承し、むしろ彼女の背中を押してくれたのだが。
しかし、生まれたときからずっと、戦女神の後継者という理想の自分を押し付けられてきたことに変わりはなかったし、そのことに疑問を感じたこともなかった。辛いと想ったことも、ほとんどない。そういった想いに応えるのが、ファリアの孫娘として生まれ落ちた自分の使命なのだと想っていたからだ。
それでも、だ。
ありのままの自分を求めてくれるひとが側にいるかもしれないということを知れば、これまでのすべてが過去のものと成り果てるのも無理はなかった。
ミリュウの幸せそうな顔は、彼女もまた、ありのままの自分を求められることに喜びを感じているからだろう。彼女もまた、理想を押し付けられる人生を歩んできたのだ。その理想というのは、ファリアのそれとは大きく異なるものの、感じることは同じだろう。
ふと、窓の外を見下ろすと、裏庭に向かっているらしい人影が見えた。。
黒髪の少年と白髪の女。
セツナとシーラだ。
ファリアは、セツナの残像を見るだけで胸がときめいたことに、苦笑を浮かべた。
恋をしている。




