第千五百二十八話 夢であるように
「それで、わたしになにかいいたいことでもあるの?」
「ちょっとね」
ミリュウが少し言い淀んだのは、話すべきか迷ったからだろう。この期に及んで、と想わないではないが、それが人間というものだ。
「遺跡でのこと、話したくて」
「うん?」
ファリアは、彼女がなにを言い出したのかと想い、怪訝な表情になった。遺跡とは、無論、使者の森地下から発掘された遺跡のことであり、その第一次調査が昨日まで行われていたことはファリアも知っている。その調査団の護衛として、セツナやミリュウたちが同行したということもだ。ファリアも暇ならば参加したのだろうが、あいにく、彼女は術師局や参謀局にと引っ張りだこで、参加することができなかった。
調査にはアスラも参加したがっていたが、彼女の場合、ミリュウとの戦闘による負傷が完治していないことを理由に参加を見送ることになった。疑似魔法の光に複数箇所を貫かれたのだ。マクスウェル=アルキエルとの戦闘に参加したこと自体無茶苦茶というほかなかったし、よく悪化しなかったものだ。それ以来、彼女はミリュウに療養するよう強くいわれており、素直に従っている。ミリュウがアスラをいたわるのは、ミリュウにとって彼女が妹のようなものであり、いまもそう想っているからなのだろう。
「遺跡でのことって、聞いた以上のことでもあるの?」
「あるのよね、それが」
地下遺跡でミリュウたちが経験したことについては、彼女たちが隊舎に帰ってきたときに聞いている。巨人の住処のような遺跡には、調査団の予想通り皇魔の巣があり、軽く戦闘を行ったことも聞いた。また、遺跡の奥に巨大な門があり、その門と対峙したとき、ミリュウ、セツナ、シーラ、レム、ウルクの五人だけが夢と現の狭間に飛ばされ、偽者と戦うはめになったということも。そして、別経路から地上に出ることができ、その出入り口が王都に極めて近かったため、地下遺跡がとんでもない規模の広大さを誇るものかもしれないということが推測されるということも、聞いている。
そこまで聞いたのだ。ほかになにがあるのか、想像もつかない。
「遺跡の中で、夢と現の狭間を見たっていったでしょ」
「セツナがあなたたちの偽者と戦うはめになったときのことよね」
夢と現の狭間。
武装召喚師が稀に遭遇する現象に近いものだったらしい。
ミリュウたちは当初、それが現実のものだと認識しており、遺跡の防衛機能によって空間転移させられたものだとばかり考えていたという。しかし、現実に起きた出来事ではなかったのは、ほかの調査団員たちの証言で明らかであり、極めて現実感を伴っていたのは、そこが完全に夢の世界ではなく、夢と現実の狭間に位置するからに違いない、と彼女たちは結論づけた。
その夢と現の狭間で彼女たちがセツナと合流したときに見たのが、自分たちの偽者だったという。ミリュウはミリュウの偽者を倒し、シーラはシーラの、レムはレムの、ウルクはウルクの、それぞれ自分の偽者を撃破することでセツナを窮地から救ったという。
「うん。そのときね、あたしも偽者と遭遇していたのよ」
ミリュウが明かした新たな事実は、想像できていたことではあった。セツナだけが偽者の攻撃に曝されるのは少しばかり理不尽だ。もし、その夢現の狭間の出来事が本当に遺跡の防衛機能かなにかならば、ミリュウたちにも相応の出来事があってしかるべきだろう。
「あたしの前に現れたのは、セツナの偽者だったわ」
「セツナだけ?」
「うん」
ミリュウは、照れくさそうな顔でうなずいた。初な少女のような反応は、ミリュウの中の乙女が見せるものであり、彼女が魅惑的な大人の女性と純真で初々しい少女という矛盾した性質を併せ持っていることからくるものだろう。ミリュウのそういう不均衡こそが大いなる魅力となっていて、セツナが彼女に甘くなるのもわからないではなかった。ファリア自身、ミリュウのそういう面に対しては、妹を見守る姉のような気持ちになってしまうからだ。
「それでね、わかったことがあるのよ。とても大切なことよ」
彼女は、胸に手を当て、ゆっくりと息を吸った。
「あの遺跡が見せた夢は、あたしの願望そのものだった。願望が夢という形になって現れたのよ。それはたぶんシーラやレムたちも同じなんでしょう。セツナもね」
願望。
ファリアは胸中で反芻し、彼女が目を伏せる様を見ていた。
「あたしの前に現れた偽者のセツナは、あたしの願望そのもので、あたしを抱きしめてくれたわ。あたし、心の奥底でセツナにそうして欲しがっているんでしょうね」
赤裸々な告白に、ファリアはアスラと顔を見合わせた。
「でも、そんなことがいいたいんじゃないの。そもそも、そんなこといわなくたって、わかってることよね?」
「まあ、ね」
「お姉さまの態度を見ていれば、だれでもわかることだと想いますよ」
「うふふ」
妙に嬉しそうな顔をしたのは、彼女にとってセツナへの愛情はだれに対しても恥じるものではなく、むしろ周知徹底したいほどのものだからだろう。自分がどれほどセツナのことを想い、どれだけ愛しているのか、胸を張って宣言してさえいる。そういう部分と、些細なことで赤面してしまう初な少女の面は大きく矛盾しているように見えるのだが、彼女の中では矛盾なく同居しているのだ。
「レムやシーラの願望がなんだったのかは知らないけれど、セツナは、ね」
「あなたたちだったんでしょ?」
「相思相愛ですねえ」
アスラが羨ましそうに、いう。
そんな彼女の横顔を横目に見て、ミリュウに視線を戻す。
「どうしてわたしはいなかったのかしらね」
「あ、怒ってる?」
「怒ってないわよ」
「ほら、怒ってる」
「だから、怒ってないってば。そもそもだれを怒るのよ」
ファリアは、ミリュウの冗談に対し、肩を竦めるほかなかった。
「遺跡の防衛機能かなにかっていう話なら、わたしが出なかったのは、わたしがそこにいなかったから、とかじゃないの」
「きっとね。ほかに考えられないもの」
「そう?」
「そうよ。だって、セツナだよ。セツナが、ファリアのことを考えないわけないじゃん」
「そ、そうかしら……」
自信なくうめき、胸に手を当てる。鼓動が早まっている気がする。動揺しているのだ。ミリュウが突拍子もないことを言い出したせいだろう。
睨むが、ミリュウは、屈託なく笑っていた。
「ファリアは、セツナにとっての女神だもの」
そういったミリュウの笑顔があまりにも綺麗で、ファリアは、思わず見惚れてしまった。
枕に埋めていた顔を上げると、ぼんやりとした視界が、ゆっくりと正常化していくというような情景を見る羽目になった。
ぼんやりしているのは、視界だけではない。
思考も、そんな風になってしまっている。
ぼんやりと、枕の上から寝台の木枠を眺めている。木製の寝台。決して高価ではないが、満足している。しっかりしていて、寝台の上で飛び跳ねても壊れる心配がない。また布団の質も良く、寝心地が良いことも満足感に関係する点だろう。
どうでもいいことを考えて、頭の中からなにかを追い出そうとする。
(なんだってんだよ……)
転がり、仰向けになって天井を見やる。
隊舎の自室の天井は、いまや見慣れた風景になっていた。
彼女は、《獅子の尾》の隊士ではない。《獅子の尾》とは無縁の人間だ。《獅子の尾》を支配するガンディア王家とも、直接の関係はないといってよかった。間接的には、彼女にとってもガンディア王家は主君ではあるのだが。
彼女は、ガンディア王家に仕える領伯の配下なのだ。
領伯セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルドの近衛部隊・黒獣隊の隊長。それが彼女の肩書きだ。ガンディア王家とは、直接的な主従関係には、ない。無論、直接の主であるセツナの主筋である以上、無関係とはいえない。しかし、シーラが優先するべきは、ガンディア王家ではなく、セツナだ。
セツナを第一に考えていればよかった。
それは、幸福なことだろう。
ほかのことをなにも考える必要なく、ただ愛する主君のことだけを想っていればいい。
もちろん、ただ想うだけではいけない。
臣下として果たすべきことを果たさず、ただ恋い焦がれるだけならば、なんのための主従なのかということにもなりかねない。
(そういや、またひとつ増えたんだったな)
セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルド・セイドロック。それが現在のセツナの公称であり、公的な氏名となっている。領地や称号が増えるほど名前が長くなっていくのは、よくあることだ。そのうち略名で呼ばれることになるかもしれないし、セツナ=カミヤの名前で呼ばれることのほうが多くなるだろう。
そういうものだ。
彼女が《獅子の尾》隊舎にいるのは、主君たるセツナが王都で過ごす際に宿所として利用するのがこの建物だからということが大きい。
セツナが領伯という立場にありながら王宮区画内に住居を持とうとしないのは、彼には王宮区画が息苦しく、群臣街の一角にある隊舎のほうが居心地がいいからにほかならない。そしてシーラ率いる黒獣隊やエスクの戦技隊がセツナとともにあるのは当然のことだ。
シーラは、セツナの家臣なのだ。
(家臣が……夢見てんじゃねえっての)
彼女は、寝台の上で上体を起こすと、枕を手に取り、軽く弄んだ。壁に投げつけ、寝台を降りる。
遺跡で見た夢が脳裏を過り、彼女の心をざわめかせていた。




