第千五百二十四話 その途方もない巨大さを
地上の調査団野営地に戻ったセツナたちは、一晩、ゆっくりと休んだ。
もっとも、セツナが寝付くには、ミリュウとレム、ウルクによるセツナの隣争奪戦を経なければならず、ただひとり参加しなかったシーラに同情されたりしながら眠りについたのだった。
翌朝、再び調査団の護衛として遺跡に潜ったセツナたちは、十字路に辿り着くと、予定通り右側の通路を進んだ。長く入り組んだ通路は、いくつもの分かれ道があり、分岐のたびに相談しながら迷宮のような遺跡の中を探索していった。
懐中時計の針が正午を指し示すと、遺跡内部で昼食を取り、調査を再開。夕刻、ちょうどいい広さの空間に中継地点を設置することが決まった。遺跡が想像していた通り広大であることが判明したからだ。
「少なくとも今日一日では隅々まで踏破できそうにありませんね」
「嫌な予感がするんだけど」
「ん?」
「まさか調査が完了するまで地上に帰れないっていうんじゃないでしょうね?」
「まさか」
ジャン=ジャックウォーがミリュウの苦々しい表情に苦笑を返すほかないといった様子だった。
「調査は今回だけでは終わらないでしょう。この遺跡の広大さは、想像を遥かに超えたものです。本格的に調査するのであれば、もっと規模の大きな調査団を組織することになります」
「つまり、今回の調査は小手調べって感じですか」
「そうなります」
「その小手先調べの調査で、なにかわかればいいんだけど」
ミリュウがセツナの肩に顎を乗せて、うめいた。疲れているのだろう。一日中歩き続けたのだ。小部屋や広い空間に入るたびに足を止め、多少の休憩をすることはできたものの、
「ひとつだけ確かなことはありますよ」
「ん?」
「この遺跡には、なにかがあるということです」
ウィル=ウィードが確信を深めて告げたのは、セツナたちが突如として意識を失ったことと関係がある。彼はセツナたちが夢と現の狭間で遭遇した現象を、この遺跡の防衛機能と見ていた。つまり、セツナたちの言い分を信用したというわけだ。“埋葬された文明”の遺跡では、さまざまな怪現象が起きたという歴史的事実があり、セツナたちの体験もその怪現象の一種だと彼は考えたのだ。
防衛機能がなぜセツナたちだけを襲ったのかはわからないが、それがただの夢ではないことは、五人が同じ夢を見たことからも明らかだった。
ウィル=ウィードら調査団は、セツナたちの話を信じることで、この遺跡の調査が無意味ではないということを自分たちに言い聞かせているようでもあった。
実際、意味があることなのかどうか、わからないのだ。
そもそも、“埋葬された文明”が本質的にどういったものだったのかは、未だよくわかっていないらしい。“埋葬された文明”の遺跡には、その時代、その文明人が用いていた言語によって文字が刻まれていることが多い。しかし、それらの文字は、現在、大陸で用いられている共通言語でも、武装召喚師が呪文に用いる古代言語とも異なるものであり、多少は判明しているものの、完全に解明されたわけではないというのだ。
“埋葬された文明”と呼ばれるものが存在していたことは間違いない。大陸各地の地中から発掘される遺跡群がそれを証明している。しかし、そういった文明が存在したという話は、数百年前から現在まで、この大陸を生きる人々には伝わっておらず、それら文明がなぜ地中に埋葬されたのかさえわからないままだった。
地中に埋まった文明の上に、現在の大陸史は築き上げられている。
五百年前の大陸統一と大分断から連綿と続く大陸史よりも遥か昔の文明であり、その遺跡なのはいうまでもない。
そんな話をしながら、セツナたちは中継地点で一夜を過ごした。
翌朝、遺跡の調査はさらに進んだものの、皇魔に遭遇することもなければ、遺跡の防衛機能によって邪魔されるといったこともなく、ただひたすらに歩き続けることとなった。ミリュウなどは、歩き疲れたこともあってもう帰りたいなどといい出す始末だった。ミリュウの体力がないわけではない。彼女の体力、持久力は、調査団の人員の中でも最上位といってもいいだろう。武装召喚師として鍛え上げられた肉体は、嘘をつかない。
しかし、彼女には欠点があった、
興味がないことに対しては、とことん集中力が持続しないということだ。
「セツナに関することなら俄然やる気も出るんだけど」
「だってよ」
「なにがいいたいんだよ」
シーラの呆れ果てた一言にセツナは頭を抱えたくなったりした。
三日目の後半、セツナはミリュウをおぶって移動するはめになったが、それは決して悪いものでもなかった。体力をつけるための鍛錬になるからだ。
「あたしが幸せで、セツナも鍛錬ができる。最高じゃない、これ?」
「最高じゃねえよ」
ぽつりとつぶやくシーラをレムが宥め、そんなふたりを遠目に見やるウルクが印象的だった。
そんな風にして、第一回の遺跡調査が幕を閉じたのは、調査団が探索していた通路の果てが見えたからだ。
「この先、行き止まりでございますね」
先導のレムが、こちらを振り返って告げてきたのは、休憩を挟み、午後の調査を再開して間もなくのことだった。レムが先導を務めていたのは、セツナがミリュウを背負って移動することになったためであり、また、彼女の“死神”弐号が地形の把握に適した能力を持っていたからでもあった。
「行き止まり?」
「なに、引き返すの? あの長い道を?」
あからさまに嫌そうな声をだすミリュウだったが、それはセツナも同じ気持ちだった。ミリュウをおぶったまま道を引き返すのは、さすがのセツナでも辛い。すでに夕刻に差し掛かっている。道を戻るとなると、出入り口に辿り着くまでに二日ほど遺跡内で過ごさなければならないのではないか。そんなことを考えると、暗澹たる気分になる。
「仕方ねえだろ。行き止まりだっていうんだから」
「そりゃあそうだけど……でもまあ、いっか」
「ん?」
「セツナを満喫できるし」
「……ったく」
嬉しそうに背後から頬ずりしてきたミリュウに、セツナは、呆れてものもいえなかった。すると、そんなセツナの様子を見かねたのか、ウルクが口を挟んできた。
「ミリュウ。セツナが疲れているようなので、引き返すときはわたしが代わります」
「え!?」
「そうだ、それがいい。さすがだぜ、ウルク」
シーラが、さっきまでとは打って変わった様子で、にこやかな笑みを浮かべた。
「いえ、当然のことです」
「なにが当然のことなのよ! あたしは、セツナがいいの!」
「ミリュウがよくても、セツナがよくねえよ」
「セツナだってあたしを背負えて幸せだっていってるじゃない!」
「いついったんだよ、んなこと!」
(本当にな)
とはいえ、決して不幸なことなどではないのもまた、事実ではあった。ミリュウはセツナより上背があり、軽いとはいえないが、その重みとともに感じる彼女の体温は、セツナにある種の幸福を運んでくれたりもする。もっとも、その幸せに浸っていられるような状況でもないし、そんなことを考えていれば、レムに冷やかされるに決まっているから無心でいるのだが。また、ミリュウが幸せそうにしていることそれ自体がセツナにとっても幸せなのだ。その結果、シーラが不服そうな表情を見せることには胸が痛むが、彼女には彼女の要望もあるだろう。それをかなえられる限りかなえてあげればいい。
「痴話喧嘩の最中申し訳ございませんが」
「どこが痴話喧嘩なのよ」
「本当だよ」
「行き止まりとは申し上げましたが、どうやら上方へ続く階段があるようでございまして」
「階段?」
「つまり、このさきから地上へ出られるってこと?」
「さあ? どこまで続いているのやら」
「ウィルさん、行ってみます?」
「え、ええ、もちろん」
ウィルの反応が微妙だったのは、ミリュウとシーラの口喧嘩に戦々恐々としていたせいかもしれなかった。
レムに先導されるまま、通路の行き止まりまで辿り着くと、そこには確かに上方へ続く階段があった。行き止まりは、円筒状の空間になっており、階段は、その壁に沿って螺旋を描き、頭上へと伸びているようだった。地下に埋もれた遺跡は、魔晶灯の光がなければ完全な闇に包まれている。この螺旋階段の空間も同じであり、階段が魔晶灯の光が届かない高さまで続いているということだ。
「高いわねえ……」
ミリュウが頭上を仰ぎながら他人事のようにいうのをセツナは聞き逃さなかった。
「さすがに階段まではおぶっていかねえぞ」
「ええー」
「ええーじゃない。こけたらどうすんだよ」
「そのときはあたしをかばってくれればいいじゃない」
「そりゃそうするけどよ」
「庇ってくれるんだ?」
「なに当たり前のこといってんだか」
セツナはやれやれと頭を振った。彼女たちを護るのは、セツナとしてはごく自然の考え方だった。無論、ミリュウだけではない。レムもシーラもウルクさえも、セツナにとっては護るべき対象だった。ウルクは不要というだろうし、レムもそういうに決まっている。実際、両者はセツナに守られる必要などはないだろう。しかし、セツナの中では、そう考えてしまうのだ。
セツナには、力がある。
それこそ、彼女たちとは比較しようのないほどの力が、この手の中にある。自分のものではない。借り物の力。しかし、その借り物の力を駆使するのはセツナ自身であり、制御しうる限り、それは自分の力といって差し支えないだろう。その力は、敵を倒すためだけのものではない。少なくとも、セツナはそう考えていたし、その実践として、身の回りのひとたちを守りたいと考えている。
もっとも、階段から転げ落ちた場合にミリュウを庇うというのは、黒き矛の力とは関係のない、覚悟の話だ。
不意にミリュウがセツナの背中から飛び降りると、遥か闇の先まで続く階段を見上げながら、つぶやくようにいった。
「当たり前……かあ」
遺跡の闇に紛れてよく見えなかったが、彼女はどことなく、喜んでいるようだった。
螺旋階段の先に待ち受けていたのは、狭い通路だった。ひとひとり通れるくらいの狭い通路は、この遺跡のこれまでの作りとはまったく異なるものといってよかった。これまでセツナたちが見てきたのは、どこもかしこもグリフのような巨体に合わせて作られたような場所であり、調査団も、この遺跡は、巨人族の文明の名残なのではないかと推測し、結論づけかけていた。門も通路も人間用のものとは規格外の大きさのものばかりであり、とても現在の人類と地続きの存在が作り上げた遺跡とは思えなかったのだ。
しかし、螺旋階段を登りきった先に待ち受けていた通路は、人間用の通路といってよく、調査団の結論は覆されることとなった。
そして、その人間用の通路を進むと、途中で壁が壊れ、流れ込んだ土砂によって通行が妨げられていた。
「残念ですが、ここまでのようですね」
「ああ。そのようだ」
レムの言葉にうなずくと、セツナの背中にしなだれかかってくるものがいた。ミリュウ以外のほかにだれがいるはずもない。
「どういうこと?」
「この土砂の向こうは完全に土に埋まっているんだよ」
「土砂を取り払っても意味は無いってこと?」
「そういうこと」
たとえ黒き矛の力で眼前の土砂を取り払ったとしても、その先の遺跡が土砂や岩石に押しつぶされていては、調査のしようもない。無論、それらをさらに撤去しながら調査するのが、遺跡調査というものなのだろうが、第一次調査ではそこまでするつもりはないとのことだった。一先ず、遺跡がどの程度の規模なのかを調べるのが、今回の調査の目的なのだ。
「ですが、ひとつだけ判明したことがございます」
「なによ?」
「この遺跡に巣食っていたブリークは、どうやらこの土砂の中を行き来していたようです」
「そうなのか?」
レムの予期せぬ一言に、セツナは彼女を振り返った。彼女は、“死神”弐号とともに土砂を注意深く見つめている。その冷ややかな表情は、死神としての彼女に相応しいものだった。
「はい。巣にいたブリークのにおいが、わずかに残っています」
「そこまでわかるのか」
「っていうか、よく覚えていられるな」
「皇魔のにおいは独特ですから」
「そういう問題か?」
「はい」
レムが微笑むと、シーラは肩を竦めた。
「……ってことは、だ」
「ここから地上に出られるということですね?」
「そうなりますね」
ウィルの質問にうなずき、土砂に視線を戻す。
頑丈そうに見えた遺跡の壁を容易く突き破ったものがなんなのかは不明だが、大きな破壊跡を見るに、なにかが激突し、壁を破壊したのは間違いなさそうだった。遺跡が土中に埋もれてから壁が壊されたのか、それとも、壁が壊された状態で土中に埋もれたのか。通路になだれ込んだ土砂の量からして、後者の可能性が高いらしいが、セツナにはよくわからない。
ともかく、調査団は土砂の除去を決定、セツナたちが主力となって除去作業が開始された。
遺跡が地下深くに存在していたとはいえ、長い長い螺旋階段を登ってきたこともあり、地上に近い地点に到達しているだろうことはだれもが想像していたところだった。レムの証言もある。土砂を除去すれば、地上の何処かに通じるに違いないという推測は的中し、“死神”たちが掘り進めた道の先で、セツナたちは満天の星空に迎えられた。
夜だった。
頭上には、闇色の空が横たわり、そこに数多の星々が顔を覗かせて、月とともに光輝いていた。風は穏やかなものの、少しばかり肌寒い。遺跡内部との温度差のせいだろう。遺跡内部は、決して温かいわけではなかったものの、寒くもなかった。
「ここは……どこでございましょう?」
「あれは王都の第四城壁か」
シーラが指差した方向には、確かに王都があった。それが王都ガンディオンであることは、セツナたちの目には明らかだ。王都を出発する時、王都に帰還する時、何度となく目にしてきている。忘れようがない。
夜中であり、遠方に聳える都市が見えるのは、召喚武装のおかげというほかない。
「ありゃ東門だな」
「東門……」
「ということはですよ、我々は使者の森地下遺跡から王都間近まで歩いてきたということになりますね」
ウィル=ウィードが若干はしゃぎ気味だったのは、遺跡の巨大さを理解して、興奮していたからだろう。
「そりゃあ疲れるわけよね。くたくたよ、もう」
「俺はもっと疲れたぞ」
「ああん、ごめんごめん、たっぷり癒やしてあげるからあ」
ミリュウに強く抱き寄せられて、セツナは、こけそうになったがなんとか踏み止まったものの、彼女の胸の中に飛び込んでしまう。ミリュウの豊満な胸はいつだって柔らかいが、堪能している場合ではない。シーラが半眼でこちらを睨んでいるのを気配だけで認める。
「それはともかくとして」
「ともかくってなによ!」
「つまり、どういうこった?」
シーラは、ミリュウの憤然とした反応を黙殺してみせると、ウィル=ウィードたちを見やった。
「つまり、あの地下遺跡がとんでもない規模のものだということです」
「それはわかるけど……どれくらいの規模なんだ?」
「王都ガンディオンを丸呑みするくらいでは足りないくらいの規模……かもしれません」
「……なんだか現実味がねえ話だな」
「そうはいっても、実際、広大だったのは事実だろ」
「そこは否定しねえけどさ」
シーラが、その場に座り込んだ。地面を軽く叩いて、続ける。
「でも、王都だぜ?」
「シーラが言いたいことはわかるわ。ガンディオン、広いものね」
「あれ以上に巨大な遺跡が地下に眠ってるなんざ、到底考えらんねえや」
「確かにな」
セツナは、胸を弾ませながら草原に寝転んだシーラの言葉にうなずくほかなかった。
「見てきたものなんて、通路ばかりだもんな」
長い長い通路と小部屋、たまに広い空間に出くわしたものの、そんなものばかりでは王都以上の規模の遺跡があるとは、とても考えられなかった。もっとも、移動距離を考えれば、それくらいあったとしてもなんら不思議ではない。
「調査が進めば全貌も明らかになるでしょうが、その調査もすぐには終わらないでしょう」
「これは我々情報部の仕事ではなくなるかもしれませんな」
「ああ。国全体で取り組むべき事業になるのは、間違いない」
ウィル=ウィードは、遺跡の開口部を見やりながら、確信を込めてつぶやいた。
事実、地下遺跡発掘事業は、ガンディア政府主導の元、国を挙げての大仕事して取り掛かられることになる。
セツナたちは、そんなことになるとも露知らず、頭上に広がる星空を眺め続けた。




