第千五百二十三話 ゆめかまぼろしか
気がつくと、復活した重力に押し潰されるような感覚の中で、彼は目をぱちくりとさせた。肺から絞り出された空気を取り戻すように呼吸し、その結果、急速に膨張した肺が痛みを訴えてくるのがわかる。それにより、セツナは空間転移現象が終わったことを知った。
「セ、セツナ様! だいじょうぶですか!?」
「へ?」
ウィル=ウィードの悲鳴にも似た叫び声に、セツナは怪訝な顔をした。そして、自分の置かれている状況を把握する。あの場からの転移先は、元いた空間だった。巨大な門が聳える広間だ。そこにはセツナたち以外の調査団員たちがいて、皆、血相を変えてこちらを見ていた。空間転移後、地面に放り出され、受け身を取れないまま転倒していたものに対する表情にしては、少しばかり大袈裟過ぎはしないかと想った矢先、隣に倒れていたミリュウが声を上げた。
「聞きたいのはこっちよ。あなたたちは無事だったわけ?」
「だれひとり欠けているようには見えませんね?」
と、レムが周囲を見回しながら告げると、シーラが疲れ果てたような顔でいった。
「なんだ……意外と呆気ない仕掛けだったんだな」
すると、ウィル=ウィードが顔全体に困惑を浮かべていってくるのだ。
「皆様がなにをおっしゃっておられるのか、よくわからないのですが」
「え?」
「どういうこと?」
セツナたちは顔を見合わせ、互いに疑問符を浮かべあった。
セツナたちは、調査団が全員無事であることを確かめた後、改めて自分たちの身に起きた出来事を説明した。
門の宝玉が突如光を発し、セツナたちはそれぞれ別空間に転送され、そこでそれぞれに敵と対峙したということだ。そして、
そこで遭遇したのはそれぞれの望みを体現したものであるということが、ミリュウたちの口から告げられ、セツナはひとり納得したものだった。セツナの目の前に現れたのはそのままのミリュウたちだったのだ。セツナに攻撃してくる以外、普段となんら変わらない彼女たちこそ、セツナの願望だということだ。
そのことがわかると、ミリュウ、レム、シーラは妙に照れくさそうな表情をして、セツナと目を合わせてもくれなくなってしまった。ウルクだけは目線を逸らすようなことはなかったものの、なにを興奮したのか、排熱口から熱風を噴射したのがおかしかった。
それはともかく、セツナたちの説明に対し、ウィル=ウィードら調査団員は、皆、一様に怪訝な表情を崩さなかった。
「それはおかしな話ですな」
ジャン=ジャックウォーが、眉根を寄せ、いった。
「我々は、皆さんがこの場に倒れ、そのまま気を失われたために慌てふためき、調査を打ち切るべきかの相談をしていたのですから」
ジャンの言葉に、ウィル=ウィードがうなずく。調査団員たちの何人かも、彼の言葉を肯定するようにうなずいていた。
「は?」
「嘘でしょ? あたしたちが気絶してただけっていうの?」
「そんな話があるもんかよ」
ミリュウとシーラが反論し、レムが愕然と肩を震わせる。
「そうでございます。御主人様のあのにおいが夢だったなんて、そんな……」
レムの反応には、だれもなにもいわなかった。
「しかし、現実の出来事ではなかったことは確かなようです」
「ウルク?」
「わたしは敵を倒すため、波光大砲を使用したのですが、そのため、右腕が破損したはずでした」
「……そういわれりゃあ、直ってんな」
シーラのいう通り、ウルクの右腕は、空間転移前の状態そのままだった。空間転移先で再会したときは、確かに彼女の右腕は損傷しており、その理由は聞かず仕舞いだったものの、彼女が偽者との戦闘によって損傷したのだろうことは推察できていた。魔晶人形の装甲は並大抵のことでは傷ひとつつかない。それが破損していたのだとすれば、激しい戦闘があったと考えるしかないだろう。
まさかウルク自身の波光大砲によって損壊したとは思いも寄らない答えではあったが、納得のいくものでもあった。
「それじゃあなに? あれが全部夢だったっていうの?」
「夢……だったのか?」
夢にしては、あまりに現実味のありすぎるものだった。
しかし同時に現実とはあまりにかけ離れた空間でもあった。この遺跡がいかに広大な構造物だったとしても、黒き矛で拡張された五感で認識しきれないほどの空間を内包しているとは思えない。あの存在だけで現実離れしている。
「でもよ、それだったらおかしかねえか?」
「うん」
「俺たちゃ共通の夢を見たってことになるんだぜ? そんなこと、ありうるのかよ」
そうなのだ。
セツナたちがウィルたちに説明した際、一切の齟齬がなかった。異なる光景を見ていたものはひとりもおらず、全員が全員、同じものを見ていたのだ。あの場で五人揃ったことも覚えていたし、そこでミリュウたちが自分の偽者を倒したことも覚えていた。そしてそれをセツナが忘れているわけもない。夢だというのであれば、五人が五人、同じ夢を見たということになる。
「しかし、ウルクの右腕は間違いなく破損していたからな」
「はい」
「それが直っているってことは、だ。あれは現実の出来事なんかじゃなく、夢かなにかだったということだ」
同じ夢を見ることなどあるものだろうかと想う反面、現実の出来事ではなかったというのもまた、間違いのない事実だ。ウルクの破損していた右手は、見事に元通りになっている。元通りとはいっても、これまでの戦いでの損傷までもが修復されているわけではない。ミドガルドがガンディアまで持ち運んできた機材だけでは、ウルクの躯体を完全に修理することはできないのだ。
「魔晶人形は夢を見ませんが」
ウルクの一言に、セツナは頭を振った。
「……夢と現実の狭間の出来事だったのかもな」
「夢と現実の狭間……か」
シーラが、小さくつぶやく声が聞こえた。
それは、武装召喚師、召喚武装の使い手にはよくある出来事だ。召喚武装は、意思を持つ武器だ。異世界の存在であるそれらには自我があり、時折、使い手の意識に接触してくることがある。それは夢と現の狭間に姿を見せ、なにごとかを告げ、消えていく。記憶に残ることもあれば、残らないこともある。
「でしたら、なぜ、わたくしたちだけ、なのでございましょう?」
レムの疑問は、セツナの疑問でもあった。
なぜ、自分たちだけがあの夢とも現実ともつかない場所にいたのか。なぜ、ウィル=ウィードら調査団員たちはだれひとりとして巻き込まれず、無事だったのか。遺跡の防衛機能ならば、侵入者全員を対象に選ぶはずだ。しかし、そうではなかった。
セツナたち五人だけが、あの夢を見た。
「そりゃあもちろん、セツナに愛されているからに決まっているじゃない」
「なるほど」
「そこ、納得すんな」
「ですが、ほかに考えようがございませぬ」
「いやいや、なんで俺の好意とこの遺跡の異常現象が関係してるんだよ」
セツナは、ミリュウとレムを交互にみた。
「セツナだもん」
「なるほど」
「確かに」
「説得力抜群ですね」
「……なんでそうなる」
ウルクまでが賛同する異常事態に、セツナは頭を抱えたくなった。
結局、門の異常現象に関する結論はでなかった。門が本当に防衛機能を発揮し、セツナたちを別空間に転送したという事実がないということだけは確かであるとともに、セツナたちが異空間で偽者と遭遇し、戦い、合流したという記憶があるのもまた、確かなことだからだ。そこを議論したところで、答えなど出るわけもなかった。真実を知るためにはこの遺跡の謎を解明する以外にはないのだが、謎の解明のためには門を開放し、先へ進む必要があるのではないかと考えられた。固く閉ざされた門だ。そのさきになんらかの手がかりがあると想いたいものだと、調査団のだれもが考えている。
しかし、門は依然として閉ざされたままだった。セツナたちが夢を見ている間も調査団による調査は進められたものの、門を開ける方法は見つからなかったのだ。“埋葬された文明”に関する文献などから得られた情報を持ってしても、この遺跡の門を解放する手がかりさえ見当たらず、彼らは途方に暮れながら、セツナたちが目覚めるのを待っていたということだ。
このまま門の前で考え込んだところで解決策が見つかるわけもないだろうということで、調査団一同、一度地上に戻ることとなった。無論、それで今回の調査が打ち切りになったわけではなく、門の広間へ至る途中で見つけた別経路から遺跡内部の調査を続けることになっている。




