第千五百二十話 望みの彼方(九)
「なにをためらってんだ?」
シーラがハートオブビーストを構え直しながら、問いかけてくる。本物のシーラに酷似しているのは、姿形だけではない。言動も、彼女そのままだった。それはシーラだけの話ではない。
「そうよ。どうして、本気にならないのよ」
「わたくしたちとは、本気で戦えないというのですか?」
「セツナ」
ラヴァーソウルを太刀に戻すミリュウも、“死神”を一体に纏め上げるレムも、左腕を掲げるウルクも、本物そのものといっても差し支えがないくらいそっくりだった。彼女たちが攻撃してこなければ、レム以外偽者と気づかなかったかもしれない。レムだけは、わかるのだ。どれだけ精巧に似せられていたとしても、魂の結びつきまでも欺瞞することはできない。逆をいえば、それができるのであれば、レム以外の三人も疑いようがないくらい本物そのものになれたかもしれない。
偽者。
どこをどうみても本人そのものなのに、彼女たちは偽者だ。偽者なのだ。
「わかってるさ。わかってるよ。おまえらが偽者だってことくらい、わかってるんだよ」
おそらく、この遺跡の防衛機能かなにかなのだろう。“埋葬された文明”の遺跡には、侵入者から遺跡を守るための罠などが仕掛けられていることがあり、世界各地には、そういった罠によって全滅した調査団の話があるという。調査団に護衛がつけられるのは、罠の中には人智を超えた代物があり、場合によっては皇魔と遭遇することなどよりも恐ろしい事態を招きかねないからだった。もっとも、そういったものが遺跡内部で発見されることのほうが珍しく、セツナたちが護衛として調査団に組み込まれた理由は、防衛機能よりも皇魔対策のほうが強い。
遺跡の防衛機能にはどういったものがあるのか、などという話は伝わってきていないらしい。多くの場合、そういった遺跡の調査は続行不能として打ち切られるからだ。いくら“埋葬された文明”の調査のためとはいえ、犠牲が膨大になれば打ち切らざるをえない。防衛機能の実態がわからないまま打ち切られた調査も少なくはなく、世界各地にはそういった遺跡が禁域として点在しているという。
伝わっている範囲では、自分自身がどこからともなく現れ、混乱の最中殺し合いになったというものもあれば、未知の化け物が現れて調査団を壊滅させたという話もある。
セツナが直面しているそれは、前者に少し似ているかもしれない。
自分自身の偽者ではなく、ともにいたものたちの偽者という違いはあるが、殺し合いになっているという点では同じだ。
(いや、殺し合いじゃあねえな)
セツナは、胸中で苦笑をもらしながら、エッジオブサーストを送還した。エッジオブサーストの位置交換能力の利点は、片方を握っている限り瞬時に空間転移を行うことができるという点だが、同時に片方を失うという欠点も存在する。エッジオブサーストは二刀一対の召喚武装。二本揃って初めて真価を発揮できるのであり、片方だけではほかの召喚武装に劣るといわざるをえない。それでも十分強力ではあるのだが、四人を相手にしのぎ切るには力不足だ。
「武装召喚」
唱え、呼び出すのは別の召喚武装。黒き矛ではなく、鎧だ。メイルオブドーター。黒き矛の眷属にして、数少ない防具型の召喚武装。純黒の鎧は、セツナが身に纏った軽装鎧の上から全身を包み込んだ。重量感はたっぷりあるが、召喚武装によって強化された身体能力の前には意味をなさない。防御に重点を置いたのは、しのぎ切ろう、と言う考えがセツナの中にあるからだ。
戦闘に応じるつもりはなかった。
黒き矛の全力を用いれば斃し切ることは不可能ではない。
全力の彼女たちが苦戦したマクスウェル=アルキエルを一蹴したのがカオスブリンガーだ。たとえ四人同時に相手にしたとしても、遅れを取るわけがなかった。
だが、それでは意味がない。
そんなことになんの意味もないのだ。
「だったら、本気で戦えよ」
「でないと死ぬことになるわよ」
「御主人様はこのような場所で死ぬわけにはいかないはずでございましょう?」
「どうか、わたしたちを倒してください」
四人が発破をかけてくるが、セツナは頭を振った。
「……無理だよ」
無理に決まっている。
「どうして!」
ミリュウが苛立たしげに叫び、地を蹴った。シーラが続く。
「それが俺だからさ」
「はっ、なにいってんだよ!」
「決めたんだよ。俺は。決めたんだ」
ミリュウとシーラの暴風の如き連携をかわし、“死神”とレムの追撃を振り切る。連装式波光砲による乱射をからくも回避し、距離を取る。距離を取れば波光砲の餌食となるが、同時にミリュウたちが手を出しにくくなるということでもある。迂闊にセツナに接近すれば、波光大砲に巻き込まれかねない。そういう動きをしているところを見る限り、彼女たちも波光砲を浴びればただではすまないということであり、耐久力そのものは、人間と大差ないのかもしれない。つまり、攻勢に転じれば勝機を見出すことは不可能ではない。
だが、それではだめなのだ。
(皆を幸せにしたいんだ)
そのためには、どうすればいいのか。
なにをすれば、皆を幸せにすることができるのか。
ラグナを失って以来、そんなことばかり考えている。彼女の最期を目の当たりにしたとき、セツナの中に大きな変化が起きたのだ。
ラグナは、転生竜だ。いずれまた蘇る。彼女自身はもう二度と転生しないかもしれないことを恐れていたが、きっと、大丈夫だ。そう信じることができる。しかし、人間は、違う。一度死ねば、それで終わりだ。レムのように仮初の命を与えられるわけでもないし、だれもがそれを望むわけもない。それは魂の隷属であり、支配されるということだ。レムも、本当は喜んでもいないかもしれない。そこに幸せなどないのかもしれないのだ。
命はひとつ。
人生は一度きり。
なのに、命を賭けた戦いは激しさを増していくばかりだ。
いつまただれかが命を落とすかもしれない。
だれもがすべての戦いが終わるまで生き抜いていけるとは言い切れない。セツナひとりで戦いを終わらせることができるのであればそれが最高だが、そういうわけにもいかない。セツナも所詮は人間だ。ひとりで戦うのにも限界がある。人間はひとりでは生きてはいけないのだ。それくらいか弱い生き物なのだ。だから、セツナは居場所を欲したし、いまの居場所を護ろうとしている。いま、自分の周りに集まってくれたひとたちを幸せにしたいと想っている。
幸福の形などひとぞれぞれだ。それこそ、ミリュウの思い描く幸せとレムの思い描く幸せは別物だろうし、それはほかの皆にもいえることだ。それぞれがそれぞれにとって幸せな人生を送ってほしい。セツナの願いはそれだけだ。
だからこそ、ミリュウたちの偽者を傷つけることはできない。
たとえそれがただのまがい物の作り物なのだとしても、セツナは、彼女たちを傷つけることはできなかった。
「死ぬわよ!」
「わかってんのかよ!」
「御主人様!」
「セツナ!」
四人の悲痛な叫びは、まるでそこに彼女たちがいるようだった。偽者なのに真に迫っている。それがセツナに覚悟を決めさせる。ここで彼女たちを傷つければ、きっと自分を許せなくなる。偽者だとわかっていても、本物ではないと確信していたとしても、倒すということは殺すということであり、彼女たちの幸福を望むセツナには、そんなことできるわけもなかった。
だから、守りに徹する。攻撃をかわし、捌き、いなし、時間を稼ぐ。この状況を打開する方法がほかにあるかもしれない。その可能性にすべてをかけ、逃げ回る。どこまでも続く遺跡の床。白濁した空間。打開する方法などないのか。偽者を倒す以外の方法など、存在しないというのか。
セツナは、諦めず、ミリュウたちの猛攻を凌ぎ続けた。
メイルオブドーターの防御性能は、さすがは黒き矛の眷属という代物であり、黒い鎧から発生する力場の障壁がミリュウ、シーラ、レムの猛攻からセツナを護り、波光砲の直撃にさえ注意すれば、劣勢に陥るようなことはなくなった。とはいえ、その状態をいつまでも維持できるかといえば、そういうわけにはいかない。防壁は、メイルオブドーターの能力なのだ。能力の行使には、精神力を代価として差し出さなければならない。偽者たちのように無制限に使えるわけではないのだ。
(なんとかしないと)
偽者との戦闘をどうにかして終わらせる方法が見つからなければ、このまま消耗し尽くすだけだ。それではなんの意味もない。だからといって攻勢に転じるなど論外だ。
それこそ、守りに入った意味がなくなる。
ミリュウがラヴァーソウルを振り回し、シーラが半獣化して突っ込んでくる。レムの“死神”たちが舞い踊るようにして周囲四方を包囲すると、上空からウルクの波光砲が雨の如く降り注ぐ。セツナを狙った砲撃ではない。逃げ場を潰すための砲撃の嵐であり、そこへシーラが猛獣のごとく突っ込んでくるのだ。飛び退こうなどとすれば砲撃か“死神”の攻撃を喰らいかねない。だからといって矛を召喚して攻勢にでる気はなかった。メイルオブドーターの能力を全開にして、防御力を最大まで高める。
シーラが雄叫びを発した瞬間だった。
「まったく、なにやってんだよ」
偽シーラの胸がハートオブビーストの切っ先に貫かれたかと想うと、その後方で偽ミリュウの首が宙を舞っていた。
「本当、なにやってんのかしらね」
さらに周囲では“死神”たちがつぎつぎと消滅し、レムそのものも大鎌に両断されていく。
「本物と偽者の区別もつかないのでございますか?」
「少しがっかりです」
そして頭上から落下してきた偽ウルクの躯体は、胸に大穴を開けられており、光に包まれて消えた。消滅したのは、偽ウルクの躯体だけではない。偽シーラ、偽ミリュウ、偽レム、すべての偽者が光とともに消滅し、残ったのは、本物の彼女たちだった。
四人が四人とも、こちらを見て、なんともいえないような表情をしていた。




